54.花に嵐






     ♡




 約束の刻は、俺が覚悟を決めた次の瞬間には訪れていた。


「大宮。まずは、お前からだ」


「まずって何よ、まずって。……そっか、私が最初か……」


 大宮は、どこか吹っ切れたように笑ってみせた。


 始めに、大宮と相対したのは……俺にとっては、ごく自然なことだった。


 男友達みたいに気安くて、なんてことないことですぐ噛みつきあって、でも、仲直りなんて儀式すらも必要ない。そんな彼女に、俺は終始甘えっぱなしだった。


 今、この瞬間だって。


「…………」


「……こっちだって辛いんだから、早く済ませてくんない?」


「………………ごめん」


 それは、何に対しての謝罪であったのか。でも、あまりにもいつも通りの大宮の姿が、あまりにも痛ましくて。


「俺は……」


 確かに、幻かもしれない。都合よく捻じ曲げられた、俺の理想の1つ。傍から見れば薄寒く、目も当てられないものかもしれないが。


 それでも、彼女は、ひとりの人格だった。


「俺は、お前を……」


 傷つくことも、傷つけることも躊躇い続けて、それでもだらだらと続く、心地良いぬるま湯のような関係性。


「…………いや。だからといって、こんな土壇場に、突然キリッとするのも変な話だよな」


「いやいやいや。散々勿体ぶって、カッコつけてさ、最後にそーゆーこと言う?」


 大宮が、しらけきった顔で苦笑する。なんだ、こいつもわかってるんじゃないか。なんとなくで衝突して、なんとなくで通じ合っていた俺たちに相応しい終わり方なんて、なんとなくでしかありえない。


 いつも通りに、言葉は不要だった。だって、コイツは──




     ♡




「わたしとしては……『このままの関係を、もうちょっと』なんて言われるかな、なんて思ってた……というか、期待してたんだけど」


 眠たげな微笑で言う島林先輩は、だけどちょっぴり唇を尖らせていた。


「そりゃ、私だってかなり飽きっぽいほうだけどさ……」


「おんなじ映画なんべんも見てたのに?」


「……相変わらず、きみは……冗談が、へたくそ」


「すみません。でもあれは……正直、ちょっと辛かったッス」


 ドラマだったら3ヶ月はもったのにね、と先輩は鼻を鳴らした。……あー、確かに。その手があったか。盲点だった。


「脇が甘いね。……一本、吸っていい?」


 いやここ一応屋内なんですけど、なんて言おうとした時には、彼女は煙草に火を点け……盛大に噎せていた。


「がほっ、げほっ……」


「大丈夫ですか」


 気持ちのいいくらいにげほげほやってた先輩だったが、しばらくすると、いつも通りのいたずらっぽい笑顔で、こう言った。


「実はさ……タバコ、苦手なんだよね」


 涙目だった。むせた名残なのか、煙が目に染みたのか、或いは……


「知ってます。だって、先輩は……。ちょっと抜けてて、やる気がなくって、ビジュアルでゴリ押ししてきて。そんな、俺の思う最高にかわいい先輩は──」




     ♡




「謝らなきゃいけないことがあるんだ」


「? どしたの?」


「ごめん。俺は、君を……"君"にすら、してやれなかった」


 だから。頼むから、そんなきょとんとした顔をしないでくれ。


「君は……未知だ。俺の"知ってる"をかきあつめて作った、とびっきりの"知らない"なんだ」


「……よくわかんない」


「だよな……。俺も正直、勢いで言ってるだけで……ホントのところは、サッパリ」


 俺は、海を見たことがなくて、それでも海の青さを、雄大さを、畏ろしさを、詳らかに伝えられるような……そんな人間ではないのだ。


「そっか」


「だから、そうだな。一言でまとめると……」


 これで、おわかれなんだ。


「じゃあさ、最後に、ひとつだけ。ひとつだけ、言っていい?」


「……なに?」


「"君"じゃなくてさ。もっとこう、呼び方、あると思うんですケド」


「……そんなこと?」


「そんなことじゃないですー!」


「あーもうごめんて……一応、深刻な場面なんだけどな」


「私だって深刻だもん! …………名前。名前、呼んで」


 それが出来れば。それさえ出来れば、何かが違っていたのかもしれない。でも、今となっては……そんなことすら、出来やしない。


 俺はもう、この物語を降りてしまった。


 俺が切望し、俺が舞台を作り、俺が筋書きし、俺が役者になったこの物語。


 つまり、すべての発端となった、目の前の美少女の存在すらも。



















     ♥




 ──俺の一部なのだから。

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