51.無色と白色
♡
「んふ〜! やっふぁりおいひ〜」
リスみたいにパンケーキを頬に詰め込みながら幸せそうな顔をする桃原の髪は、何回見ても淡いピンク色だった。当たり前のように眉毛までピンクである。
「食べないの?」
「ああ……えっと、ゴメン。ボーッとしてて」
「大丈夫? なんか、具合悪そうだけど……」
気もそぞろな俺に、対面の席から気遣わしい視線を送る桃原。枝垂れた桜が風にそよぐみたいに、ふわりと髪が揺れる。
このパンケーキ屋に来るのも何度目かだが、毎度そのファンシーでメルヒェンな内装に気圧されていたのが馬鹿らしいまでに、ピンク髪の存在感は圧倒的だった。
『なんか、髪色明るくなった?』となるべくやんわり聞いてみても、桃原は不思議そうに「そうかな? なんもしてないけど……白髪っぽくなっちゃったらやだなぁ……」なんて返ってくる。どうやら桃原の髪はもともと桃色であるらしい。んなアホな。
ふと思いついて、スマホを取り出す。
カメラを向けられたと思ったのか、桃原は、ご丁寧にフォークを口に運ぶ途中のポーズで静止していた。それを横目に、カメラロールを遡る。
過去のあらゆる写真において、桃原はピンク髪であった。
「あれ? 撮るんじゃなかったの?」
スマホを机において脱力する俺に、桃原が訊ねる。
「あー……ちょっと急に、昔の写真、見たくなってさ」
「え、見せて見せて! ……あ、これ合宿の時の! なんだ、全然昔じゃないじゃん」
言葉とは裏腹に、桃原も懐かしむような表情を浮かべていた。
めちゃくちゃ暑かったね、とか。花火、綺麗だったよね、とか。当たり障りのない思い出話でしかないが、それでもこれは、あの時あの場所で、俺と桃原が色々な経験を共有した証左だ。
だけど、そんなことに安堵して、なんだ髪色が変わっただけか、と一息吐く暇もない。
「合宿といえば……あの時の君、カッコよかったな」
「あの時って……どの時?」
「ほら、稲田先輩から……その、先輩のことあんまり悪くいうと気が引けちゃうけど、助けてくれたじゃない?」
「……え」
記憶になかった。
稲田先輩……チャラ夫は、確かに桃原にアタックするなんて息巻いていたが、その悉くをひらりひらりと躱し続けていたのは桃原自身でしかなかった。俺は島林先輩の彼氏という
だが、桃原の言葉の通りであれば、夏合宿後半、俺はしつこく桃原に迫るチャラ夫に「彼女も困っているだろ」と真っ向から割って入り、日々の軽薄で不快な言動を颯爽指摘しスカッとJAPANしていた、らしい。
「嬉しかったけど……あんまり無茶しちゃダメだよ?」
「いや……。えっと……」
俺の知らない、男前でカッコいい俺に、桃原は照れ臭そうに頬をピンクに染めつつも、叱責する。
「もう、そういうところは昔っから変わってないんだから……」
郷愁に思いを馳せるような彼女の言葉は、これも当然おかしい。
俺が桃原と初めて会ったのは今年の春。たったの4ヶ月前だ、個人の感性はそれぞれだけど、昔なんて表現は似つかわしくない。
それに、桃原の目もまた、そんなここ最近の出来事ではなくて、もっとずっと遠くを見ているようだった。
「む、むかし……?」
本当は、聞き返すまでもなかった。けれど俺は、耳馴染みのないその言葉をそっくりそのまま桃原へと返す。まるで、ラブコメの主人公がそうするように。
間抜け面の俺に、「な、なんでもない!」と手足をバタバタさせる彼女はきっと…………そうか。
「なあ、そのキーホルダー……」
俺がそう言ったのは、完全に当てずっぽうでしかなかった。ただ、彼女の鞄にぶら下がっていた、チャチな作りの金魚のキーホルダー──所々、傷がついていて、年季が入っているであろうそれが、あまりにも露骨で、場違いで……探偵物のゲームのチュートリアルってこんな感じなんだろうか。
「え…………もしかして、憶えてたの!?」
憶えてるどころの話ではない。俺は、何も知らないのだ。
「いや……なんか、見覚えがあるなーって」
断言できる。俺のこれまでの人生、何処を切り取っても、美少女との接点など無い。高校の学祭準備でクラスの可愛めの娘とベニヤ板の両端を持ったのが物理的にも最高記録だ。1.5メートルくらいだったと思う。
「お、憶えて……ないんだ……」
「……ごめん」
すん、としょげる桃原はしかし次の瞬間にはちょっと意地悪な顔で笑っていて、こんなことを言う。
「それじゃ、宿題! これが何か、私が誰なのか……いつでもいいよ。いつか、思い出してね」
桃原の透明な笑顔は、我を忘れそうになるくらいに可愛くって、でも、致命的に透明だった。
……正直なところ、何がどうなってるかというのは、俺には悲しいくらい完璧に理解できていた。
おそらくこれは……『過去編』の布石だ。あのヒロインと主人公は実は、過去に一度出会っている……よくある話だ。もしかしたら、桃原が急にピンク髪になったのも、その兼ね合いなのかもしれない。突飛な髪色のせいでイジメられていて、それを俺が綺麗だなんだとテキトーなおべんちゃらを言ってて、何気ないその一言は心の片隅に大事に置かれていて……
吐き気がする。
いや、展開自体には何の文句もつけようがない。問題は、それが徹頭徹尾嘘っぱちで後付だということだ。
大宮の件は、あれも正直かなり胡散臭いし、果たしてその設定に意味があるのか不明だったが、それでも、無理矢理飲み込めなくはない。彼女がどういうキャラクターであるか、というのが補足情報として現れたに過ぎない。
島林先輩なんて、ちょっとキャラがブレかけただけだ。連載が続けばきっとそんなこともあるだろうし、そもそもブレないキャラなんてそうそういない。観測誤差と言い換えても差し支えないだろう。
だけど、今回だけは、話が別だ。
今はいい。でも、少しお話が進めば、キャラの掘り下げが始まる。そして俺はきっと、ふとしたキッカケで……
ありもしない過去を、"思い
いいや。この際、俺が嘘八百を並べるか、それとも
舞台を整え、役者を揃えるために、俺は。
俺は、俺を否定し……俺さえも、創り替えようとしている。
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