46.或る日




     ♡



「うぅ……」


「おお、似合ってる似合ってる」


「でもぉ……やっぱ…………恥ずい……」


 先輩と家で過ごした明くる日は、桃原が俺の家へと来ていた。


 夕方までは友人と遊ぶ予定があるとのことだったので、晩ご飯の買い出しがてら最寄りの駅前で落ち合って、簡単なつまみを一緒に作って酒盛りして……。いつもの、穏やかな桃原とのお家デートである。


「い、いっとくけど! しらふじゃ絶対こんなの着ないからね、酔ってるんだからね」


 角ハイ3缶程度じゃ顔色一つ変えない桃原のはずだが、確かに真っ赤に茹で上がっていた。


「はいはい酔ってる酔ってる」


 そして彼女は今、メイド服に身を包んでいた。


 これは別に俺が額を床に擦って桃原に懇願したのではなく、彼女が自主的に持ってきたものである。レジ袋に入った新品のコスプレキットを片手に、待ち合わせの改札へと現れた桃原は、俺の視線を敏感に察知して、何か言う前にわたわた弁明を始めた。


 どうやら、夕方まで遊んでいた女友達が原因らしい。恋バナで盛り上がった果てに、オトコなんてコイツでイチコロっしょ! とドンキでいちばん安いメイド服を気前よく奢られ、押しつけられたのだという。


「でも……私の為を思って買ってくれたんだもんね……」


 桃原は、そう自分に言い聞かせるように呟いていたが……たぶん、その友達とやらも生真面目な桃原をからかっていただけだろう。色々ぶっ飛ばしてスリングショットとかにいかないあたり、その友達もなかなかどうしてさじ加減が巧い。


 しかしそれでもあんまりメイド服に乗り気じゃなかった桃原。それがどうして今になって俺専属メイドさんになっているのかというと、まあ……モモちゃん、チョロいからさ……


「せっかくだし、着てみてよ」


「もー、そうやってすぐ面白がるの、良くないと思いますけど!」


「いや、別に……普通に見てみたいし」


「えっ」


「見たいなぁ」


「えっ、えっ」


「すっごいかわいいんだろうなぁ」


 どうやら桃原的には、メイド服は罰ゲームアイテムの一種であったらしい。


 そりゃ、数年前忘年会の余興のために我が家でサイレントマジョリティーのフリを練習し続けていた俺の親父が本番ではいったいどんな格好だったかなんて想像したくもないが、美少女のコスプレをそれと一緒にしないでほしい。この子には時々、自分が超可愛いことに対する自覚がたりない。


「でもほら……結構ちゃちだよ? 生地とか、ペタペタだし」


「それがいいんだよ。桃原はあんま知らんだろうけど……ちゃちな方が、エロいんだ」


 より正確に言えば、『ちゃちなコスプレをするも最終的には全裸になるタイプのAVを想起させるので、条件反射的にエロスを感じる』である。我ながら極まってんな。


「……ばか」


 返す言葉もない。でもまあ、それでも結局着てくれるのが桃原の桃原たる所以である。


「なんか……子供っぽくないかな?」


「そう?」


 チー鱈咥えて赤玉パンチのプルタブを捻るメイドさんをどうして子供扱いできようか。


「私ってさ、背もそんな高くないし、おこちゃま体型だし……。こういうヒラヒラした服だと、余計に子供っぽくならないかなー……って」


 美少女と美女との大きな違いは、そのあどけなさであると俺は考えている。その点、桃原は仇気なさ満点はなまる二重丸って感じで素晴らしく美少女なのだが、本人的には艶気がないのがコンプレックスと感じているのかもしれない。かわいいかよ。


 俺は無言で桃原を抱きしめた。


「ひゃあ!?」


 桃原の肩に手を回して、ちょっと強引に引き寄せる。


「きゅ、急になに?」


 千の言葉を尽くすより、ただの一つの行動が想いを伝えるのに適した場面というのもあろう。決していろいろ面倒くさくなったわけではない。


 俺のことを好きだという子に、俺の好きを返すには、これがいちばん手っ取り早いのだ。


 ──いや。"手っ取り早い"って、なんだよ。


 果たして、この場で効率を求める意味などあるのか。駆け引きもなく、押し引きもなく、浮き沈みもしない、そんな平穏の中にあって、俺は何を急いでいるのか。


 ついさっきまでは驚きに目を見開いて耳まで真っ赤だった桃原は、いつの間にやらへにゃりと相好を崩し、てれてれと俺の胸へ身体を預けている。


 俺に好意を寄せる美少女が、こうして幸せそうな笑顔で身を寄せてくれる。体重と体温が伝わるこの感触は、何にだって代え難い。


 代え難いはずなのに、今の俺といえば、『やっぱ先輩よりも華奢だなあ』とか、『大宮だとここまで体重は預けてくれないなあ』とか、どこか冷えた分析をしている。


 どうしようもない事実として、このハーレムライフという異常事態が、俺の中で次第に日常と化していた。


 これじゃ、夕食の献立を考えているのとそう変わらない。なるべく偏りない自然なローテーションで3人に会う日を回していって……みたいな、一種のルーティンというか……作業感が生じつつある。


 一方の彼女らは、本気で俺をオとしにかかっているというのに。肝心の俺が腑抜けていてどうする。本気だ。本気が足りない。一分一秒を舐め尽くすという覚悟が。


 自己嫌悪に苛まれながらも、気が付けば、俺は桃原とベッドへ移動し、着させていたメイド服を半分脱がせていた。


「ん……」


 桃原が、顎を上げて、そっと目を閉じる。それが、全てを忘れる合図だった。


 しかし、そういえば明日は大宮と会う日だな、なんて些細・・なコトも忘れられないまま、夜の記憶は希釈されていった。

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