45.夏は続くよどこまでも




     ♡



 大きなイベントである3泊4日の合宿を終えた後も、節操なくハーレムライフを満喫していたわけだが……それでも、現時点で夏季休講は実に3週間近く残っていた。


 改めて思う。大学生の夏休みというのはとにかく長い。それはもう、悠久の時を過ごしているのかと錯覚するほどに。


 研究に追われる理系の学生や、年中ディベートさせられている可哀想なゼミならともかく、基本的に大学生に"夏休みの課題"は存在しない。これには歓喜も通り越して、自由の刑に処されているとすら感じる学生も少なくないのではないだろうか。


 そんな風に漠然と日々を過ごしていると、大人達は口を揃えてこう言う。『今が一番時間があるんだから、無駄にせず、有意義な学生生活を過ごしなさい』と。


 確かにこんなクソ暑い中、汗をだらだら掻き、虚無に塗れた顔で通勤している社会人の姿を見せつけられれば、その訴えも心に響いてくるものがある。


 そんな社会の先輩達の姿に恐れ慄き、学生達は皆必死になって遊ぶ。限られた青春を、使い潰すかのように。


 無論、俺だってその例に漏れることはない。


 夏の思い出作りに、美少女達と色んなところをデートをしようと、思い及ぶ限りの娯楽施設に出掛けた。縁日、水族館、テーマパーク、プール、猫カフェ……。


 だが、しかし、俺自身忘れそうになっていたが、俺はこの前まで彼女どころか女友達すらろくすっぽいなかった日陰者だったのだ。まだまだ経験の浅い俺が思い付くデート先なんて限りはあるし、興味の無いとこに行ったってしょうがない。隔日ペースでドカドカ遊んでいたら、手札が尽きるのもあっという間だった。


 暑いし、疲れるし、人多いし、思い付くネタもない。……やはり、無理はいけないのだ。無理は身体に毒だし、この世界の趣旨に反する。


 では無理をせず、俺らしく美少女と戯れるにはどうするのか……。


 お家デートである。ある種、時間の使い方としてはいちばん贅沢かもしれない。どこへでも行けるというのに、敢えてどこにも行かない。


 ただただ、目の前の美少女との対話を楽しむのだ。


「ふぅ……」


 艶っぽい吐息が漏れ聞こえる。


 まかりまちがっても、俺の賢者化ボイス差分その1ではない。今日も今日とて、俺の部屋に遊びに来ている島林先輩の神聖なる吐息だ。


「暑すぎ……」


 それが当然のことなのだ、と猛暑日を連発する東京の夏。一服ついでにコンビニまで出ていた先輩は、帰還するなり、居間の座椅子に力無く背を預ける。勝手知ったる……というのか、その座椅子も、すっかり先輩の定位置となっていた。


「麦茶、飲みます?」


「うん……ありがと」


 ものの5分も外に出ていなかったのに、先輩の首筋にはじんわりと汗が浮かんでいた。


 うんざりした様子でTシャツの襟元をかっぴろげて、エアコンの風を身体に送り込む先輩を見てると、なんだかこっちまで暑くなってくる。


 早計な童貞諸君におかれては、もしかしたら俺がこれに乗じて先輩の谷間を盗み見ているのでは、なんて思っているかもしれないが、よく考えてみてほしい。


 目線が同高であると仮定すれば、いくらTシャツの胸元を広げようと、その中身を窺い知ることなど不可能だ。君たちが思うより、Tシャツの襟ぐりは狭いのである。


 ちなみに、俺が座っているのはベッドの上なので、座椅子の島林先輩よりかなり視線は高い。その上、彼女は俺に背を向ける形で座っていたので、谷間はバッチリ見えていた。


「……へんたい」


 先輩は、ため息混じりに頭頂を俺の膝にガンガンぶつけてきた。逆さまに俺を見上げる彼女は暑さにとろけきっていて、いつもより少し幼く見える。


「あたた……。いや、それ先輩のほうが痛くないッスか」


「痛い。酷い。あんまりだ」


「えぇ……」


「だいたい、なんでそんなこそこそ見るの」


「それはまあ……俺だって、恥を偲んでチラ見してるわけですし……」


「がばーっ! って、襲っちゃえばいいのに」


 先輩はあくまで他人事のように言った。


「ええぇ……」


「いっつもわたしが襲ってるみたいになってる。不公平。被害者ぶるの、よくない」


 どうやら脳まで溶けかけているようで、クーデレのロリキャラみたいな口調になってしまった。


 しかし、眼前に用意されたエロスと、日常の一コマから己が眼で発見するエロスは似て非なるものなのである。


「まあ……またの機会に……」


 襲うにしても襲われるにしても、互いの合意があるのであれば、もっとこう、ムードというものが必要な気がする。ごっこ遊びはそうであるからこそ、没入するためには一定以上のクオリティが要請されるのだ。


 なんてこんな阿呆な話、蒸発しかけのスライムみたいになってる先輩に力説したところで「ふうん」だの「へぇ」だの以外のリアクションは期待できまい。


 ただ無為に、時間のみが過ぎてゆく。


 ……いや。本当に、時間は、"過ぎて"いたのだろうか。



     ♡



 何はともあれ、である。


 ぶっちゃけ、家にいたって正直やることなんてあんまり無い。それこそ、やること無さすぎてヤるくらいには。


 こうもぼんやりとしていると、『家デートなんて手抜きだ』『結局お前も身体目当てなのだろう』そんな具合の野次が飛んできそうだが。それはとんだ見当違いである。いや後者については否定できないが。


 そもそも、なにもしないから手抜き、という思考自体が悪しき風潮だ。有限の時間をゆったりと無意義に過ごす、みんな、この行為の尊さをもっと知るべきなのだ。


 時は金なりともいうが、貴重な資源を無駄とも取れる行為に費やすことは贅であり、贅とは即ち悦である。『大学生活は暇なんだから、ダラダラせずに有意義に使え』そんな社会の強迫観念に駆られてせっせと動き回る段階を、俺はとっくに通り過ぎ、新たな境地に達していた。


 誰かに言われて、社会の同調圧力に負けて、無難な『デートっぽいデート』をする。それでは本末転倒ではないか。大事なのは何処に行くかじゃなくて、誰と居るか、だろう。


 その点、我が家という選択肢は非常に優れている。人目を憚らずイチャイチャできるし、金も掛からずにイチャイチャできる。


「ねぇ」


 バイクのカタログを眺めるのにも飽きたのか、しばらくすると、先輩がぬっと俺の膝の上に這ってきた。今の彼女はいわばグラマーなナメクジである。


「どうしたんですか?」


「映画でも観ない?」


 ずっと気になってたやつ、配信してるらしくてさ。そう言って、先輩は自分のスマホを、ばばーん、と両手で掲げてみせた。


「あれ? これって……」


 再配信、というだけあって、その映画は俺が中学生くらいの頃に上映していた割と古いものだった。精神病院が舞台のミステリ作品……内容は鮮明に覚えている。


「これ……この前も観ませんでした?」


 それもそのはず。


 この前も、家でこうして鑑賞したわけだし……。


「……? そうだっけ?」


 むむむ、と可愛らしく眉間に皺を寄せるのも刹那。先輩は全然覚えがないと言う。


「あれ? 違うやつでしたっけ?」


 これにも小首を傾げる先輩。そうなると、自然と疑心の目は俺自身へと向けられた。つまり、単なる俺の勘違いということか。


 それにしても、いやに記憶はしっかりしているんだよな。


 これがなかなか面白くて、ドキドキハラハラ見入っていた俺とは対照的に、「うん、凄く良かった」とスーパー淡白なコメント(本人曰く最大級の賛辞)だけで終わらせた先輩を弄って、ちょっと拗ねられて萌え萌えしていた……はずだ。多分。


「私は覚えないけど……。でも、どっちにしろ観たことあるなら、別なやつにする?」


 自覚は無かったけれど、恐らく表情が固くなっていたのだろう。先輩が俺の顔を覗き込んでくる。


「いえっ! これ面白いですし、せっかくなんで観ましょ」


 先輩に気を遣わせまいと努めてテンション高く返事をして、逆に不自然さが際立ってしまった。


「そう? そんなにお勧めなら……これにしようかな」


 鬼気迫る……というとオーバーだけど、やたら食い気味な俺に、先輩は少したじろいだが、それ以上の詮索はしてこなかった。


 そうだ、こんな些末な事で彼女を不安がらせてどうする。


 どうせ、桃原か大宮と過ごした記憶が混同しちゃったのだろう。それはそれで死ぬほど失礼な話だが。


 そんな風に短絡的に結論付けて、このモヤモヤを意識の彼方へぶん投げてしまおう。


 そう思っていたのだが、映画の内容はめちゃくちゃに覚えていたし、ここ伏線だったんだな……って2周目気分で楽しんでいたこの場面を以前見た時、隣で眠たげな眼を擦っていたのは確かに先輩だったはずだ。


「……うん。凄く良かった」


 スタッフロールを背景にいつかどこかで聞いた気のする感想を零す先輩に、俺は辛うじていつもの調子を保ちながら答える。


「ラストシーンの伏線回収がヤバいっすよね」


 いつかどこかの記憶の通り、いやテキトーすぎでしょ、と先輩を弄るほどの余裕は、流石に無かった。

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