44.空に消える感傷





     ♡



 夏合宿は3日目。翌日は移動オンリーなので実質的には最終日である。その夕方から、我々は伊豆のとある花火大会の会場に来ていた。


 まあ、夏のラブコメ的イベントと言えば海水浴か花火大会かみたいなとこあるし、きっと俺の無意識もその前例に倣ったに違いあるまい。


 そして、イベントにはハプニングがつきものであり、花火大会で決まって起こるトラブルと言えば……おわかりだろうか。


 迷子である。


 まあ、そこまでは理解できる。しかしイベントそれ自体はあくまで"場"の設定であって、そこでただずっといちゃついていたところで、紙幅を埋めるには少々心許ない。であるから、作劇上の都合でなんかしらのトラブルが巻き起こるのがラブコメの常……ということも重々承知はしていた。だがしかし。


 なんで俺が迷子なんだよ。


 地元のヤンキー風な兄ちゃんに舌打ちされ、意地でも手を離さないくせに人混みのど真ん中で立ち往生しているバカップルにイライラして……30分くらいは経ったと思うが、それでも俺の良く知る人影はチラリとも視界に入らなかった。


 こんな時に限ってスマホも電池切れ、大人しく宿に戻るのもそれはそれで負けかなぁ、なんて思いつつ、人の流れから逃げるようにフェードアウトして、少しひらけた場所に出た。


 俺が立っているのは、ひっきりなしに人が流れるメインストリートと、駐車場に設営された、飲食用のテーブル群との境界線。

 駐車場脇に植えられたヤシの木みたいなやつに背を預け、ふと辺りを見回す。


 空気が良く通る場所に移ったせいか、濃いソースが焦げる香りが流れてきて、小腹が空いていたことを自覚させられる。せっかくの祭りだし、なにか摘まもうかと辺りを見てみたけれど、どこもかしこも長蛇の列、おまけにこれでもかと釣り上げられた値段に、一瞬でそんな熱も失った。


 ため息を吐いて、今日はしっぽり、1人で花火を眺めて終わりか……と諦めの境地でいた、そんな時である。


「きゃっ」


 どこからか聴こえる女性の黄色い声。その後に続いて男女入り乱れたどよめき。水滴の波紋のように少しだけ人の輪が拡がるのが見えた。


 さっき誘惑されかけた焼きそばの店に、死にかけのセミが突撃し、暴れ回っていたのだ。夏の風物詩、セミテロである。


 もしかしたら爆心地に近いあの焼きそば屋はちょっとくかもなあ、腹減ったなあ、なんて気もそぞろに財布の中身を確認しようとしたら、群衆とは明らかに異質な動きをしている人影が視界を過ぎった。


 その人は、出店の列と俺との中間地点に立ち、一眼レフを構えてセミにわななくカップルを激写していた。……なんか、こうヒンシュクを買うようなことを嬉々としてやるようなヤツが、俺の知り合いにも1人いるな……?


 彼女は何枚か写真を撮り続け、一眼レフから顔を外し、撮れ高を確認しながら頷いた。高めで結ったポニーテールが満足げに揺れている。


 …………。


 俺はある種の確信に取り憑かれ、そいつのポニーテールをむんずと掴み……できる限り軽い力で引っ張った。


「うひゃ、何ッ!? ……………えっ、なんで!?」


 大宮だった。



     ♡



「なんでこんなとこいんのさ」


「こっちのセリフだっての」


 幻覚かどうか確かめるみたいに、大宮は俺の右手を結んで開いてにぎにぎしていた。


「サークルの夏合宿でな」


「……ん? じゃ、他の人は?」


「俺以外全員迷子みたいでな」


「ああ……はぐれたのね……」


 偶然ってあるもんね、と深く頷いて、大宮はそっと俺の手を解放してくれる。


「で、そっちは?」


「え? 私?」


「お前、江戸っ子って言ってなかったっけ」


 オーバーサイズのTシャツをガウチョパンツにインしてゴツい一眼レフを首から下げた大宮は、なんというか、まさしく都会のカメラ女子(笑)って感じで、祭からはちょっと浮いていた。


「あー……。ほら、このカメラくれた叔父さんが静岡に住んでてさ。毎年この時期は顔出してんの」


「じゃあ、今日は親戚で?」


「いんや、1人」


「……なぜそんな苦行を」


 自分よりも楽しそうな他人が何よりも嫌いなのに、なんでこの子はいちいちそれと相対せざるを得ない状況に飛び込もうとするのか。


 てっきり、いつもみたく『これは戦争なのよ』みたいなメラメラした答えが返ってくるものだと思っていたから、


「別に、昔っから来てるから何とも思ってなかったけど……」


 彼女の煮え切らない様子はちょっと意外だった。


 でも、祭の様子を遠景に眺めつつ「よくもまあ、今までヘーキな顔でうろうろできたもんよね」なんて苦笑しながら言う大宮は、紛れもなくいつも通りの大宮で、少し安心してしまう。


「ねえ」


「うん?」


「今って、1人?」


「そうだなー、この混み具合じゃ当面は……」


 何でまた急にそんなこと、とは思わなかったけど、俺はそう思うことにした。


 だってこれ、ラブコメだし。


「なら……」


 すると、大宮は、彼女らしからぬ艶のある微笑を垣間見せ、俺の二の腕へと抱きついてきた。


「……!! な、なに?」


「一緒に花火、見よ?」


 驚く俺を見上げ、大宮はいたずらっぽく笑ってみせる。


「いや、そりゃもちろん、いいんだけど。これは……?」


「なーに、やることやってるクセして、こんなんでドギマギしてるわけ?」


「でもほら、なんつーか……意外だな、って」


 そう、他の2人とは違って、大宮はデート中にあんまり手を繋いだり腕を組んだりしようとしない。

 彼女の言うように、やることヤッてるのはその通りなのだが、他人が存在する空間での大宮は頑なだった。


 曰く、『なんか、まだ正式な彼女ってワケじゃないのに他人に見せつけるのはなんか違うくない?』……らしい。『NTRモノでもう身体許しちゃってるクセにキスだけは拒んでる心境……的な?』とも評していたが、それは色々と違うと思う。毎度思うんだけど、俺の扱い散々すぎない?


 ともあれ、彼女の根っこはとっても真面目で、それでいて不器用なのがなんだか可愛らしいという話である。


「ま、自分でもよくわかんないんだけどさ。なんか、そんな気分なの」


「そうか」


「なんか恥ずかしい、ってだけで楽しまないのも勿体ないじゃない?」


「そりゃまあ……そうだけど。急に陽キャみたいなこと言い出すな」


「んだコラテメー。……ほら、行くよっ」


 ともすれば、花火大会の雰囲気に充てられて、浮かれているだけなのかもしれない。しかしなるほど、そんな浮かれ様をアホらしいと傍から睥睨するには手遅れなくらい、俺たちは祭の只中に居た。


 テキトーにぶらついて、りんご飴買って、ヨーヨー釣って、それから。


 あそこからがいちばん花火がよく見えるんだと大宮が言う、祭からはちょっと離れた丘を目指して、ふたり、どちらともなく少しずつ体重を預け合いながらゆっくりと歩く。


 いくらもしない内に、打ち上げの時間が迫ってきていたらしく、気が付けばあちらもこちらも皆足を止め、今か今かと空を見上げていた。


 俺も大宮も、すっかり2人きりのムードで、夜空に大輪の咲くを待っていたその時である。


「あ! 居た居た!」


 聞き慣れたアニメボイスが、喧噪をかき分けて耳に入った。


 振り返ると、桃原と島林先輩が遠く、俺に向かって手を上げながら近づいてきていた。


 2人が見えた途端、大宮は、ゆるく絡んでいた腕をするりとほどき、少し名残惜しげに五指を宙に彷徨わせると、


「ま、今日はこれくらいで」


 片目を瞑って、そう言った。


 そんないじらしい大宮に、俺はなんて言葉をかけるべきなのだろう。「そんなこと言わずに、いつもこれでいいじゃん」くらい軽く言ってやればいいのか。自分の世界でさえも、咄嗟に己の言葉も生み出せずにいる。そんな俺に少し嫌気がさした。


 あの女、誰!? 俺達のやり取りを遠目に見ていたであろう2人が、徐々にウォークからラン、ダッシュに変わる。


「人が探し回ってたのに、ナンパ!? ……て、あれ?」


「や、やーやーみなさんおそろいで……」


かおるちゃん!? どうして!?」


「……もしかして、現地妻?」


「違いますから! たまたま私も親戚の家に遊びに来てて、それで」


 ポッと出の泥棒猫かと思えば、予想の斜め上、その人が友であり敵でもある大宮だとわかって驚嘆する2人。


「そーだったんだ。こんなこともあるんだね」


 俺がフォローするまでもなく、すぐに桃原は剣呑なオーラを引っ込めて、キャッキャと大宮に絡む。大宮も、桃原のテンションに合わせているが、どこか少し血の気が引いているようにも見える。……もしかしたら、浮気現場を目撃した日の桃原を思い出したのかもしれない。


「でもいいなー。会ってから、今までデートってことでしょ?」


 一通り挨拶を済ませたところで、桃原が恨めしそうに俺の二の腕あたりに視線を向ける。


「それじゃ、私達もくっ付けばいいんじゃない?」


「なるほど、確かに、それなら平等ですね」


 先輩の提言に、言うが早いか、2人がそれぞれ俺の両腕へと身を寄せてきた。


「ちょ……! さすがにこれ、サークルの連中に見られたら」


「大丈夫。今頃はみんな、空見てるから」


「先輩の言うとおりだよ。誰も気にしないって」


 軽く肩を揺すっても、離れるどころかかえってギュッと強く抱きしめてくる2人。


 助けを求めて大宮に目配せしても、彼女は肩を竦め、赤く明滅する空を見上げるばかりだった。

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