42.真夏の昼の




     ♡



 今までは描写を疎かにしていたが、登場したからには『観研』の愉快な仲間たちの人となりについて、多少なりとも触れておかねばなるまい。


 おれらは、モノホンの陽キャほどアクティブなわけでもなく、かといってボッチを貫くある種の高潔さも無ければ、多くの時間と情熱を費やすほどのめり込んでいる趣味もなく……。


 言ってしまえば、ごくごく平均的な大学生だ。『観研』とは、そんな者達の受皿となっているが故に、陰ながらコンスタントな部員数を抱えて今日まで存続してきた。


 そんな連中が集まっておいて、しかも実態が単なる飲みサーであるにも関わらず、ここ『観研』ではサークル内恋愛というのが皆無に等しい。それこそ、現在サークル内で恋人がいるのは俺くらいのもので……。別段、表立って内輪の恋愛が禁じられているわけじゃないけど、それに近しい空気感がある。


 しかし、特別男女の仲が悪いという事もない。女子を前にするとそれだけで途端にドモる奴なんていないし、女子も女子で男子を毛嫌いしたり、俗に云うサークルクラッシャーみたく輪を乱す者もいない。なんというか、自然とみんなで仲良くやっている。


 ともすれば恋愛チキンどもの集まりと思われてしまうかもしれないが、そんな中にも芽はあるわけで。


 停滞した関係の中にあるということは、裏に"誰にでもワンチャンある"というギラついた欲望が隠れていることに他ならない。

『観研』の男子連中がこうもやる気に満ちているのは、単に水着を拝めて眼福眼福と喜んでいるだけではないのだ。


 この海というフィールドで、水着というコスチュームで、身も心も多少開放的になった女子の誰かと、ひょっとするとひょっとするかもしれない。そんな剥き出しの情念が、出る杭ならざるべく横並びの『待ち』の姿勢を産み出していた。彼らには檻の中の猛獣飢えた童貞という形容が相応しい。


 のだが。


「なん……かさぁ〜……」


「うん? どした?」


「いやね、俺が思い浮かべたのと違うんだよな……」


「あー……うん。わかるけどさ」


 午前中でもヒリヒリと刺すような日差しの中待つこと数十分……。待ちに待った女子の姿を見て、隣の同期がボソリと不満の声を漏らした。


 彼には失礼この上ないが….美少女まっしぐらでここまで突っ走って来た俺は、生憎、同期の男子の名前を殆ど覚えていない。例に漏れず、彼もその内の1人であるからして……似合ってない茶髪が印象的なので茶髪と呼ばせてもらおう。


「こうさあ、あれだよ。海だー! キャー! バシャバシャ! いやーんウフフ……だろ? 俺たちが欲しい画はさぁ」


「分かってる。嗚呼、分かっているとも」


 茶髪が気味の悪いジェスチャーを交えて、体一杯に憤りを表現した。しかし……彼がそうぼやくのも無理ない。


 水着回だ! グッズ化だ! 抱き枕カバーだ!


 そう心躍らせる俺たちの前にお出ましした彼女達の姿は、このクソ暑い中揃いも揃ってパーカーを上から羽織り(人によっては帽子も着用)、夏の太陽に早々に体力を奪われて、トボトボと歩いてくるという、……冷静に考えれば、こんだけ陽射し強けりゃそうなるわって感じなんだけど、とにかく期待を大いに裏切ってくれたのである。


「ごめんね。先に色々用意させちゃって」


 先頭を仕切る島林先輩がヒラヒラと手を振る。1番ダレそうな彼女だけど、意外にも1番元気そうだった。後から聞いた話だが、夏場のツーリングで暑さには慣れっこらしい。


「おー、海だー!」


「やっぱ、ちょっとテンション上がるね」


「でもけっこー疲れたよ」


「ほんそれ、旅館から地味に歩くし……」


 開口一番で、男子の予想通りのリアクションを披露してくれた桃原を、我々も感慨の首肯でもって迎えた。が、他の女子達はお疲れの様子で……数秒だけ遥か太平洋を眺めた後は、俺たちが立てておいたパラソルの下へ、日陰を求めるべく退散していく。


「潮干狩りに来たお母さんかよ……」


 気勢削がれたことをこの上なく的確な喩えでもって嘆く茶髪の肩を、代表が優しく叩く。


 振り向く彼に、代表は白い歯を見せて言った。


「案ずるな。こっちだって考えはある」



     ♡



 果たして、代表の考える"女性陣のテンションを上げてパーカーの奥に眠る柔肌を白日の元に晒す策"とは一体。


 ビーチバレーで汗を掻かせ腹を空かせ、ダメ押しのBBQで暑さを加速させる……ビーチボールを傍らに抱えドヤ顔でそう語った代表に、チャラ夫が指を鳴らして「ソレだわ!」と賛辞を贈った。


 かの有名な北風と太陽から着想を得たというが、墓所から躍り出たイソップにキャメルクラッチ極められても文句を言えない程度に稚拙な作戦である。


 しかし、実際問題、見切り発車で海まで来て「で? なにすんの?」状態の我々には他に優れた選択肢が思い付くはずもなく……。圧倒的可決のもとに、下準備に取り掛かる事になった。


「何かするの?」


 島林先輩という彼女がいる……ということになっている俺は、男子から少なからず妬み嫉みを集めていたのだろう。理屈はわからないが、示し合わせたように指名され、あれよあれよとパシリに駆り出される羽目になってしまった。


 渋々了承して、海の家に行こうとした矢先、寄せては返す小波と戯れていた桃原が俺の方へパタパタと走り寄ってくる。


「ビーチバレーとかBBQとか、色々やるみたいでさ。道具レンタルしに行くんだ」


「おー! 本格的!!」


 女性陣の中で唯一テンション高めな桃原は、俺達の思惑など知らず、いいねいいね! と胸の前で小さく拍手をした。


「1人じゃ大変でしょ? 私も手伝う!」


「マジ? 助かる……」


 なんのなんの、と鼻息荒く胸を張る桃原は、着込んでいたTシャツを脱いでピクニックシートに置き、俺の側まで来た。


「日差しキツいけど、平気なの?」


「うん! バッチリ日焼け止め塗ったし! それに……」


 桃原は少し照れ臭そうに焦れて、俺の耳元でボソリと囁いた。


「新しく買った水着だし……恥ずかしいけど、見て欲しかったし……」


 そんな不意打ちの桃原の言葉に図らずもドキリとして、目を見開いて彼女の方を見る。


 自分で小悪魔めいたことを言っておいて、朱くなった桃原は、それを隠すように、俺より先に海の家の方へ向かっていった。


 離れたところで『なぜそうなる!?』と驚愕の視線を送る同期どもの視線を一身に受けながら、俺は『海最高海最高海最高』と心で念仏のように唱えながら、桃原の背中を小走りに追った。


 砂浜の際にポツンと建つ、ほったて小屋に毛が生えたレベルの海の家を目指し、ゆっくりと肩を並べて歩く。


 淡いピンクを基調として、胸の部分にヒラヒラとした装飾をあしらった桃原の水着は、快活で可憐な彼女の魅力を最大限に引き立たせていた。サークルの面子から充分に距離が取れたのを確認してからベタ褒めすると、桃原はえへえへ身体をくねらせながら俺の肩をえいえい小突いてきた。その度に彼女の指の背が、もちっと吸い付くように(以下略)。


 そうして海の家の目前に来た辺りで、陽炎ではない何かが空を揺らしていることに気づく。


 もしやと思って煙の元へと足を運んでみれば、良く見るスタンド付きの赤い缶が置かれた簡素な喫煙所で、壁にもたれて一服している島林先輩が居た。


 海の家とその裏手にそびえる土手との狭間、ちょうど日陰になっているのもあってか、心地良い隙間風が絶えず吹いていて、そこに混じってタバコの副流煙が匂う。


「や……」


 俺と桃原に気付いた先輩がニコリと微笑む。


 パーカー越しからでも分かる凹凸のあるボディーに、どこか憂いを帯びた(ボーッとしているだけと思われる)トンデモ美人がノコノコ1人でタバコを吸っている状況….。


 ナンパ待ちか? とソワソワする他の男性客も、俺と桃原の登場に肩を竦めて、缶に吸い殻を投げ入れて去って行った。飢えた獣の群れに1人でいながらも、先輩はどこ吹く風である。色々と危なっかしくて仕方ない。


「良く分かったね」


「先輩のお陰で、なんとなく喫煙所がありそうなトコ、わかるようになってきました」


「……吸わないのにね」


 先輩は息を吐くように笑うと、短くなったタバコを灰皿へと落とした。


「2人はどうしてここに?」


「これからBBQとか色々するそうなんで、その準備に来たんです」


「えー……。こんな暑いのに?」


「夏だから、ですよ! 真冬にBBQなんてしないじゃないですか」


「……確かに、そう、だけど……」


 先輩の問いかけに、ハキハキと桃原が応じる。


 雨降って地固まるなんて諺の通り、一時はギスギスした空気が流れていた両者であったけれど、腹を割って話して以来、2人の仲良し具合はより増しているように思える。現実だったらこうもいくまいが、そもそも俺を取り合うなんて事態、現実で起こりようがない。


「モモちゃん、さっそく張り切ってるね」


「……へ?」


「水着、お披露目したんだ」


「別にっ、そんなんじゃ」


 からかわれてあたふたする桃原を微笑ましく眺める先輩。美少女同士の戯れ、というのは古今東西おかしきものである。枕草子にもそう書いてある。


 照れなくてもいいのに……と桃原を宥めながらも、先輩は俺の方へ、真意の読み取れない穏やかな顔を向けてきた。


「君も、やっぱり見たい?」


「えー……何をですか?」


「水着」


 この人は、また返答に困る質問を……。


 勘違い紳士を気取って、別に興味ありませんなんてほざく歳でもないし、そも、かえって失礼である。


 じゃあなんだ? 見たいつったら見せてくれんのかよ、あ? と逆ギレした所で、たぶん普通に見せてくれるのだろうけど……。隣に桃原居るし。 


 いくらお互いに承認し合ったハーレムとはいえ……桃原を横目に見ると、唇をつつー、と尖らせていた。そりゃそうだ。


「いや、まあ? 見たくないっつったら嘘になりますけども」


 針のような視線を左半身に受けながら、素直に答える。いいか、これがラブコメだ。俺は審判、皆に公平に接さなければならない。


「ふーん……。やっぱり、そういうもんなんだ……」


 いつもみたく意地悪を仕掛けてニヤリとするわけでもなく、先輩は、不思議そうな顔をするばかりであった。


「別に、からかったつもりじゃなくてね。純粋な疑問、ていうか」


「はい?」


「ほら、君は私達の裸まで見てるでしょ?」


「なっ──」


 先輩の爆弾発言に桃原は絶句し、俺は唾が気管に入って咳込み、離れた場所にいたスモーカーのおっちゃんはブッ! ヴェェェェッホ!! と盛大に咽せた。


「な、ななななななんてこと言うんですか!」


「そんな……今さら照れること無いじゃん」


「なくないです! 普通に恥ずかしいですから!」


 桃原は、先輩の言葉の残滓を揉み消すかのようにブンブンと手を振り回しながら叫んだ。


「そっか……ゴメン。この話は終わり、ね?」


 桃原に怒られて、いつもより更に目尻が下がった先輩は、すっぱりと話題を終わらせる。


 額に脂汗を浮かべて一息つく俺たちを他所に、先輩はなにを思ったのか、パーカーのファスナーに手を掛け始めた。


「あのー……。先輩、何してるんです?」


「ん? 私も、脱ごっかなって」


「どういう流れでそうなったんですか……」


「だって、見たいんでしょ?」


「いや言いましたけど」


「見たくないの?」


「見たいですね」


 すっかり先輩に乗せられて即答した次の瞬間には、桃原が横合いから俺の脇腹に猫の手でパンチをお見舞いしてきた。美少女の拳であっても、骨に響けば痛むのだと俺は変に納得した。勿論、大げさに痛がることも忘れない。


 夫婦漫才風な俺達のやり取りに表情を綻ばせながら、先輩はスルスルとファスナーを下ろす。


 たちまち、ボン、といつも通りの先輩のおっぱいが現れる。……いや、いつもの、と言うと少し違うか。豊かな2つの肌色が紺色のバンドゥビキニに包まれていて、谷間が余計に強調されている。


 2人きりの時みたく、欲望のままに両の眼をかっぴろげていては隣の美少女に延髄斬りをお見舞いされかねないので、生唾を飲むくらいに留める。


「ほわぁ……」


 ……という俺の必死の抵抗を無視して、当の桃原がアホみたいな声を漏らして、吸い込まれるように先輩の兇器を見ていた。いや君着替えの時にさんざん見てたんじゃないの。


「なんか……すごい恥ずかしいんだけど……」


 かつてない食いつきの桃原に、少し困った様子で俺を見る先輩。先輩には申し訳ないけど、俺にも良く分からない。


 なんとも言えない空気の中、5秒くらい沈黙が流れる。


 唐突に桃原は我に返り、自分の胸元と先輩の胸を見比べ、先輩のパーカーに手を掛けた。


「やっぱりダメです!」


「えぇ……。どうしたの急に」


「フェロモン飛ばし過ぎなんです」


「フェロモンて……。でも、モモちゃんの水着も、そんなに形変わらなくない?」


「肌色の! 比率が! ちがうでしょーが!」


 先輩の圧倒的な戦力を目の前に、ヤケっぱちの暴走を起こした桃原は止まらなかった。


 先輩は必死に桃原の水着を褒めてフォローしようとしたが、何を言おうが火に油である。桃原も桃原で素敵なことこの上ない……それは揺るぎない事実であり、先輩の言は全面的に賛成だが、かといって助けを求める先輩にしてやれることは何一つなかった。


「とにかく、先輩は不用意にパーカー脱ぐの禁止!」


「今日のモモちゃん、ちょっと怖い……」


 パーカーを限界まで上げられた先輩は半泣きで項垂れる。


「よぉーし。それじゃ、早くレンタルしに行こ?」


「お、おう……」


 悪は滅んだ、とばかりにスッキリした表情の桃原は、当初の目的を果たすべく勇み足で喫煙所を後にした。


「……先輩も、行きます?」


「うん、行く……」


 無論これも正妻戦争という、美少女同士のじゃれ合いの一環。2人とも本気で俺にアプローチしにきてはいるが、ライバル同士で憎しみ合い、蹴落としあっているわけではない。げに美しきかな、フェアプレー精神。


 ハーレム生活というのは、おつかい1つでこうまでかしましくなれるのだから、楽しいことこの上ない。


 ただ一点惜しまれるのは、この場に大宮が居ないことだけど……今日この場は、あくまでサークル活動の最中。そこはやむを得ないだろう。


 島林先輩と一緒に、先行く桃原の後を追いながら俺は、最高の夏を噛み締めていた。

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