40.訣別



     ♡



 大学入学から約3ヶ月。晴れて始まった正妻ペナントレース……もといラブコメに、俺はただひたすら享受する構えで臨んでいた。


 しかしいくら俺の妄想といえども、現代日本の社会通念に照らせば、ハーレムというのは些か前時代的な施策であり、余り品のいい行為ではない。俺とて、キャンパス内で両サイドに桃原と島林先輩を侍らせ、肩に手を回しながら乳を揉んで高笑いするつもりはないが……大宮含めあれだけの美女を3人も囲っているとなれば、その事実だけで同期の連中に暗殺されかねない。当然だが、俺たちの歪な関係性は、俺たちの中でのトップシークレットとなっていた。


 開戦の狼煙はあがったけれど、戦争というのは言ってしまえば外交における1つの選択肢でしかなく、ルールの整備を要請されるのは当然のことである。桃原から喫茶店に呼び出された日は、上述の他言無用の件も含めたところで、規則の制定と認識の共有がなされた。


 ……とまあ、仰々しくいってみたものの、その実態は大した内容ではない。お互いを貶めるような方法は止めましょうとか、俺からの特段の呼び出しとかでもない限り2人きりでデートしたりするのは各々週2日までにしましょうとか、既成事実を作っちゃえというパワープレイは絶対禁止とか。

 規約の確認というより、道徳の授業みたいなものだった。まあ、言い出したの桃原だからな……どこかのほほんとしてしまうのも頷ける。


 余談だが、風の噂で聞いた話によれば、"デキちゃう"確率というのは、チートイツに裏ドラが乗る確率とおんなじくらいらしい。これまた、稀に良くあるを体現した絶妙な例えである。滅多にないと思うのか、意外とあり得ると思うのかは個人の尺度の問題であるが……俺には畏れ多すぎてそんな真似できそうにもない。この前チートイドラドラアガッちゃったし。


 ともかく、そういう流れで話は決まった。


 そんなこんなで、記念すべき美少女三国志の開幕から早3日。今日は、自分で乱世を招きながらも、相変わらずの友達付き合いに忙殺されて半泣きになっている桃原のケアも兼ねて、お昼は楽しく彼女と2人きりの時間を過ごした。


「今日はこの後誰かと会うの?」と気にすることしきり、お手製弁当のハンバーグをあ〜んしてくれる桃原。人気ひとけのない場所でこその甘々な行動に、思わず頬が綻ぶのを感じる。


 なんだか微笑ましいというか、中学生カップルかよっていう空気感にえらくくすぐったい思いをしたが、これはこれでオツなものだ。


 なんせ、ガキかよ、とバカにしながらも、俺自身ガキの時分にこんな経験をしたことなど皆無なのだ。かつてできなかったことができるようになる、というのはどんな場合においても感慨深い。


 俺は今まで幾度も自身が浮かれていることを自覚してきたが、にしても今の俺は過去最高に調子に乗っていた。


 そう達観する自己が傍らに居るというのにも関わらずなお、収まらない昂揚。どこからともなく漲ってくる、正体不明の活力。意識して抑えていなくては、土砂降りの中でさえシャンソンを口ずさみながら踊り狂えそうな気分だ。


 ……なるほど『彼女 メリット』でヒットする眉唾モノのネット記事も、あながち嘘というわけでもないらしい。


 そういう気分で桃原とバイバイして、その放課後である。ヒロインダービーも始まったばかり、勝負どころコーナーはまだまだ先で、今のところは予定らしい予定もない。端的にいえば、バイトまで暇である。


 だからといって、誰かと会って何かアクションをしていないと、この溢れんばかりのエネルギーが行き場を失って暴発しそうだ。……1人で暇を持て余すと、夜伽の記憶を思い起こしてはシコっている、とも言う。


 だが……それではダメなのだ。それじゃあ以前からまるで変わっていない。ハーレムラブコメの渦中の男として、そんな自己完結な行為は軽々にしてはならぬ。


 もはや、俺の身体は俺だけの物ではないのだ。いつ何時求められても、それに応えられるように溜めておくのも務めといえよう。


 ……まあでも、今日はやることないしシコるか、と掌をクルクルしながら『観研』の部室にでも行こうかと思案していたところであった。


「佐倉くん、ちょっと……いいですか」


 理系の影山さんとは縁遠い、文系の研究棟のすぐ前で、影山さんその人から呼び止められた。


「影山さんじゃん。どしたの?」


 しかしまあ、……思い返してみれば、ここんとこ彼女に会うたびに、『どうしようもない童貞』だの『お前には過ぎた行いだ』だの、散々煽られていたものだ。


 影山さんは毎度息を吸うように俺を罵倒するけど、だいたいにおいて悪いのは俺でしかないので、俺はこれを甘んじて受けとめ、真摯に己と向き合い、でも土壇場では忠告を無視して、それでも事態は俺に都合のいい方へ転がるものだから調子に乗り、これを影山さんは溜息混じりに罵倒し……というループを、俺は日常としてそれなりに楽しんでいたのだが、一方で彼女は一体どんな気分で俺と相対していたのだろうか。


 端的に言えば、だ。


 ひょっとして俺の相手すんの、結構ダルいんじゃない?


 それを裏付けるかのように、先日、同じようにこうして部室以外で声を掛けられた時とは比べものにならないほどに、影山さんは疲弊していた。それはもう、げっそりと。心なしか、肌艶も悪い気がする。正直、影山さんの顔をじっくり見つめた事なんて無いのでわからないが。


「折り入って、お願いしたいことがありまして……」


 彼女の体調を慮る言葉を俺が口にする前に、影山さんはそう切り出した。


「えっ……?」


「なんですか、その顔は」


「いや、ゴメン。……だってさ、影山さんから俺にお願いなんて……今まであったっけ?」


 それに『折り入って』なんて言葉を、台詞の頭にわざわざ加えての頼みである。てっきりまたぞろ罵倒されると踏んでいたのに、影山さんの方からへりくだってきたのだから、そりゃ面食らいもする。


「そんなことは……」と言葉を被せようとして、「いや、言われてみれば……」と喉元で結論をだした影山さんは、そのお願いとやらをじっと待つ俺に目を合わせる。


「佐倉くん、もう帰りましょう……」


 天地がひっくり返っても、帰宅デートのお誘いではない。つまり、現実に戻ろう、という促しである。


 やつれきった影山さんから一体何を頼まれるのかと身構えていたが、告げられた内容は割といつも通り。こう言っちゃアレだけど、ちょっと肩透かしだ。


「なんだ、何事かと思えば……」


「私は本気で言っているのですが」


「あ、その……他意はないんだけど。改まって『お願い』なんて言うからさ、もっと別な話題だと思ってたんだよ」


「今までのは…………まあ、言ってしまえば、……多めに見積もって半分くらいは、……茶番、というか。話の流れ、というか」


 驚いたことに、普段のお小言も、影山さんにとって半分くらいはジョークの一環であったのだと言う。……そうか、あれか。あの、時々出てくるやたらと厨ニ臭い喩えは、あれは冗談のつもりだったのか。


 ……いやわかんねえよ。せめてもっとおどけて喋ったりしてよ。


「したらなに、今回は本音10割ってこと?」


「そういうことです」


「……あのさ、1つ聞いてもいい?」


「なんでしょうか」


「なんつーか……なんで、今更本気になったの?」


「それは……」


 影山さんは、見据えていた俺からフイッと顔を少し逸らして、頭痛に耐える様に眉間に皺を寄せ、歯切れ悪く続けた。


「日に日に、佐倉くんの心の声が生々しくなると言いますか……下劣に過ぎると言うべきか……」


 淀みに淀んだ彼女の話を要約すれば、こういうことであるらしい。


 最初のうちは、聴こえる『声』も目の前の美少女エサに涎を垂らし、彼女らの動向に振り回されつつも稚拙な策を弄し一喜一憂する程度のことであり、


「微笑ましい、というと少し美化し過ぎですが……とにかく、聞くに耐えるものではあったのです」


 しかし、ここ最近……特に島林先輩と関係を持ったあたりから雲行きが怪しくなった。部室から漏れ聞こえるのは、3人の美少女との行為を回想するものばかり。腹立たしいことに、回数を重ねるごとに無駄に描写力が上がって、淫靡な比喩表現とかを多用し始めたのだと。


 要は、ラブコメ読んでによによしてたら、いつの間にかマジモンの官能小説に変容しててドン引きしたみたいな? と言いかけたが、流石にぶっ殺されそうなのでやめた。


「今の部室は、ひたすらに下品な言葉の羅列が呪詛のように幾重にも響く……到底、常人には耐え難き空間と成り果てているのです」


「うん、分かったから。充分察したから。申し訳なさで胸が一杯だから……」


 相当ストレスが溜まっていただろう。影山さんはかつてないまでに饒舌だった。そりゃクマの1つも出来るというものだ。


 俺にとって卑近な例に置き換えて考えてみよう。……そう、例えば、隣室の住人が、ついこの間まで男友達とデッカい声で猥談で盛り上がっていたのは許せるとして、急に入れ替わり立ち替わりで女を連れ込んでギシアンし始めて殺したくなった、的な。


 ……いや俺猥談の時点でムリだわ。影山さんスゲェな。


「付け加えるならもう1つ、こうして佐倉くんにお願いしに来た理由があります」


 というより、こちらの方がより深刻なのですが……。影山さんは一層眉間の皺を濃くした。


「どうやら、佐倉くんが今回妄想の世界に来てからは……私までも、完全に妄想の世界のみを生きている様なのです」


「………………はい?」


「……既にお伝えしていたと思いますが、私は妄想と現実、両方の世界の記憶を持っていました」


「……マジ?」


「え、言ってませんでしたっけ」


 俺は必死で記憶を呼び起こした。


 …………あれ、言ってなくない……? ……あ、いや、確かに、そうともとれるようなことは言っていたかもしれない。


 理屈は不明だけど、影山さんは常に2つの世界を知る存在だったのだ。だから、俺が実は天文部員ですらないことも、桃原が実在しないこともいち早く知ることができたのだ。


 ……そんな話、間に色々と刺激的なイベントがあり過ぎて、忘却の彼方であった。


 にしても、そうか。だからか。


 だから、最近になるまで、影山さんは"帰りたい"とか言わなかったのか。


「いつにも増して影山さんがストレス溜めてる感じがしたのは……」


「そういうことです」


 半端に俺と関わりを持っていたが故にこんな数奇な境遇になるなんて……いや、でも、あれ?

 確か現実の俺って、そもそも影山さんと接点無かったんだっけ……? そしたらなんで彼女は俺の妄想に巻き込まれているんだ?


 不可思議な現象に真っ向から対峙すると、謎が謎を呼んでしまってキリがない。


 軽く混乱する俺なんてお構いなしに、影山さんは続けて言う。


「浮気が発覚して、佐倉くんも懲りて大人しくなると踏んでいたのですが……貴方の妄想力の逞しさには負けました……」


「別に勝負してたわけじゃないけどね……」


 影山さんの疲労困憊を目の前にして、以前から頭の隅にあった……しかし口にしたらともすれば影山さんが怒るのではと抑えていた、とある疑問が表出する。


「あのさ……怒らないで聞いて欲しいんだけど」


「それは内容によりますよね」


「じゃいいや……」


 俺の歯切れの悪い物言いに、影山さんは無言で目を細める。『そういうのが一番ウザい』と、視線が物語っていた。


「あのさ、そんなに嫌なら……部室に行かなければいいんじゃない?」


 眉をヒクつかせる影山さんにこわごわと訊ねる。


「あくまで、『部室に声が響く』ていうのがネックで、後は現実と大差ないんだから……その発生源を避ければ万事解決っていうか……」


「それは……」


 これに影山さんは、怒り心頭、というわけでもなく、むしろ、かなり言いにくそうに、まごまごと応えた。


「その、根本の原因である貴方に、……それを言われる筋合いは、ないです」


「仰る通りで……」


 俺に反論の意思がないと見て、影山さんはいつも通りの、しかし疲れ気味の無表情を取り戻す。


「もう……いいじゃないですか。帰りましょうよ……。帰る方法を探さなくてはいけないのなら、私も力になりますから」


 影山さんの言葉は、普段の刺々しさなんて微塵も感じさせない、まさに懇願のそれであった。


 正直、こんな弱々しい彼女を見るのは初めてで……男心を揺さぶるには充分な様相だった。


 いやっ………でもっ……! こんなもので、俺は歩を止めることなんてできやしない。


「無理だよ、影山さん」


「何故ですか」


「だって……これからなんだぜ?」


「……」


 影山さんは、深々とため息を吐くけれど、俺は至って真面目であった。


 仮に現実に戻れたとしよう、そうしたら、影山さんはめでたく従来の日常を手にする。それはまあいい。


 しかし俺はどうなる? その道の果てに……そこに何か、救いはあるのか?


 俺はかねてから『選択』という行為が大の苦手であるが、天秤に乗っているのが自分となれば話は別だ。


 俺は幸せになりたい。なんなら、そう、この世界で影山さんの幸せを願えばいいのだ。そう、俺は願うだけでいい。


 俺がそうあってほしいと思えば、この世界はそうあるのだ。


「…………そういうところですよ、佐倉くん。……貴方は……童貞を脱しただけで、童貞を捨てられたわけではない」


 貴方は、本質的童貞なのですよ? と影山さんは哲学的真理でもって俺を諭してくる。


「童貞でいいではないですか。麻雀仲間と卓を囲んで、猥談で夜を明かし、往来のカップルに唾を吐く……。華はなくとも、それも素敵な学生生活ではないですか」


「華がいちばん重要なんじゃんよ!」


 俺は俺の、無味乾燥とした現実を垣間見て、絶望した。


 誰からも認められず、誰からも愛されず、誰も愛することもできない。そうして日々を漫然と過ごし、適当な会社に入り、うだつの上がらない人生を送り、その頃にはロクに彼女もできたことのないヤバい奴認定される……ホント、そんな感じだ。


 そんなしょーもない俺の生活を、まるで尊いものかのように言い聞かせ、しかしそのしょーもなさを全く隠しきれていない影山さんに、図らずも声が大きくなってしまった。


「影山さんもわかるでしょ? 俺は……夢見がちな童貞なんだ。夢見てる時がいちばん楽しいんだ、夢見ちゃ悪いかよ!」


 正確には素人童貞であるが、こういうのは語感が大事なのだ。


「それは……」


「ごめん、でも、俺は…………本気なんだ。影山さんには悪いけど……」


「私こそ、心にもないことを言っちゃって、ごめんなさい……」


「心にもなかったのか」


 俺の地雷を踏み抜いたことに珍しくテンパっている影山さんは、盛大に墓穴を掘って、気まずそうに咳払いした。


「また、出直してきます」


 これ以上粘るのは得策ではない、と判断したのか……影山さんはぺこりとお辞儀をして、会話を打ち切る。


「出直してきても、俺の意志は固いからね!」


 背を向けて去ろうとする影山さんに俺の心からの言葉をちょっと茶化して叫ぶと、振り返った彼女は、困ったように眉尻を曲げるばかりだった。


 ……社会というのは、全ての人間が社会という名の白昼夢を見ているからこそ成り立っている、という言説がある。


 ならば俺は、この世界ゆめを信じて、やがてこれこそを現実としよう。


 そうしなければ、現実ゆめのなかの俺が浮かばれないから。

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