35.小休止



     ♡



 かくして、大学入学以来……いや、もっとずっと前から待ちこがれていた"彼女"が、俺にもできた。

 島林先輩と大宮は、友達以上恋人未満というか一夜の過ちというか、とにかくノーカンである。間違いは何一つ言ってないのにどうしようもなくクズな感じがするのはなぜだろうか。


 ともあれ晴れて桃原と恋仲となり、一夜ならず二夜三夜と越えてきたわけだけれど、だからといって先輩と大宮との関係を清算する気などさらさら無いのは、言うまでもないだろう。


 彼女たちは、この世界で俺に選択されるがために生まれ、パーソナリティを歪められてきたのだ。恋に敗れたところで、俺じゃない誰かと共に幸せな人生を歩むなんてそんな、ごくごく普通の人生を歩めるはずもない。


 いや、俺だって表面的な考えとしては、どこかで幸せになってくれと願っていることは間違いないのだが。

 それでも、先輩がチャラ夫と円満な家庭を築いてしまっては嫉妬に狂うだろうし、大宮がバイト先の劇団員とイチャイチャする姿なんて見たくない。ということは、それ以外の、何かとんでもないイベント──失恋してヤケになる系の薄い本的な展開とか──が彼女たちの身に降りかかる可能性だってある。


 だって俺、そういうの結構読むんだもの。好みかどうかは別として、ああいうの描く人、やたら絵上手いんだもの。


 いくらこの世界といえど、俺にとってヤなことは起きない、と決めつけてかかるのは危険だ。今まで散々と裏切られてきたからわかる。

 俺の無意識は、最高に信用ならない。


 ……とにかく、俺は彼女たちをまるっと幸せにすべく、この身をなげうとうと決めたという、そういう話。


「ごちそうさまでした」


「おそまつさまでした」


 桃原とのお付き合いが始まってから、彼女はちょくちょく俺の家に来るようになった。恋人になったからには、なるべく一緒の時間を作りたいなんて、いじらしいことを言いながら。

 かといって、桃原のスケジュール帳が突然白紙になるわけでもないのだが。それでも彼女はこうして機を見計らい、予定の僅かな間隙を縫って俺に会いに来てくれる。


 おまけに、どうやら彼女は家事全般が好きとであるらしい。部屋の掃除や晩ご飯の支度まで、献身的に俺の身の回りの世話を焼いてくれる。


 しかし、こうも至れり尽くせりだと、逆に少し落ち着かない。俺自身、人並み程度の家事スキルは習得済であるから、「桃原はお客さんなんだから、俺にもおもてなしさせてよ」と諭してみたこともあるだが。


「お客さんじゃないし! か、かかっ、か……かのじょ、だし」


 突っぱねようとして自分で照れちゃう桃原超かわいい。


 そこまで言われてしまっては、もう、俺に出来る最高のパフォーマンスは、全力で彼女に甘えるダメ男に成り下がることに違いない。それカノジョじゃなくてむしろオカンじゃね……? なんて絶対に言わない。


「いつもありがと。美味しかったよ」


「どういたしまして〜……。て言っても、市販のタレ使っただけなんだけどね」


 桃原は照れ照れと笑った。謙虚な姿勢を崩さない桃原だが、俺としては、市販のものだからこそ喜ばしかった。


 仮に桃原がタレから何から手作りの料理を作ってくれたとしたら、おそらく、俺の貧困な想像力がウチのオカンの味を再現してしまうことだろう。そうなっては、せっかくの風情がめちゃくちゃである。


 いやまあ、ウチの母親とてクックドゥーの虜ではあるのだが。気分の問題である。


「ちょっと待ってて! すぐ片づけるね」


「いや、後で俺がやっとくから。ていうか、それくらいはさせて下さい……」


「えぇー」


「まあまあ、食休み食休み」


 一息ついた途端立ち上がろうとする桃原をなんとか宥めて制止させる。


 リア充というのは、とにかく休憩しない生き物だ。何もしない時間、というのを本能的に惜しんでいるのか、時折、俺の体力が追いつかない時がある。しかしながら、それが結果として広い交友関係と毎日の充実感という成果物に繋がっているのだろう。


 しばらく渋っていた桃原であったが、やがて俺の言い分を聞き入れると、俺の隣に座り、寄り添うように頭を預けてきた。


「えへへ……」


 目が合うと、桃原は幸せそうに目を細める。つられて俺もニンマリする。たぶん、『または』を表す論理記号の如く口がひん曲がってることだろう。


「……ごめんね」


「急にどした?」


「うん……。なんか、私って今みたいにすぐバタバタしちゃうからさ……」


「謝ることないでしょ。俺みたいにグータラな人間よりよっぽどマシだよ」


「そうなのかな? でも……君といると、なんか、ゆったりできるから…………好き」


「おう……」


 あー……実に良い。


 そんな小学生以下の感想しか言えない己の語彙力が大変情けない。


 確かに、こんなにも心癒される存在が自分の側に居てくれるのならば、神田川沿いの三畳一間の下宿で24色のクレパス片手に生活しても満たされる気がする。


 全能感に満たされながらも、一方で、頭の片隅では冷静に物事を俯瞰する俺が潜んでいた。忘れてはならない。俺は、桃原だけにゾッコンとはいかない身の上。これからは、彼女を含めた3人のマネジメントをせにゃならんのだ。


 表向きには、俺と島林先輩が恋人であるという嘘は現在進行形で進んでいる。先輩と俺との関係については、桃原と正式に付き合うことになった際に話し合った。言わずもがな、俺は先輩と別れたことにすると申し出たのだが……意外にも、それを拒んだのは桃原であった。


 「正直、ちょっとだけモヤモヤするけど……。先輩のことも大好きだから」


 気丈に振る舞う桃原であったが、本心ではやはり一途に自分だけ愛して欲しいことに間違いないだろう。予想通り、桃原は浮気NGな女の子だった。……というよりも、島林先輩が異常なだけな気がするが……それはそれとして。


 言えることは一つ、俺を取り巻く女性関係は、絶対に桃原にバレてはいけない。だからこそ、日夜送りつけられる3人の美少女からのラブコールに、俺は必死に返事を考え、行動パターンを把握し、予定がバッティングしないように綿密な立ち回りを模索する必要がある。


 果たして、そんな役者不足な真似を、つい先日まで片手のユビに収まる程度の交友関係しか持ってこなかった俺にできるのか……。


 ──というのが3日前の話で、今の俺に、そんな気概は微塵もなかった。


 ぶっちゃけ、そんなに意欲的に取り組まなくたって、結局はなるようになるんじゃね? という話だ。俺は無駄な労力は好まない。最小限のストレスで最大限の幸福を味わいたい。これが真理だ。


 ただ、長い繰り返しの日々を乗り越えて、周囲の美少女全員と関係を持つ。そんな大きな目標を達成した直後だったからか、省みれば、この時の俺は慢心していたと言わざるを得ない……。


 結論からいうと、そんな俺の浅はかな思惑はあっさり破綻した。水面下での三股ライフは1週間と保たなかったのである。

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