34.約束された勝利の剣



     ♡



 自分を偽ることを止め、欲望に忠実に生きようと誓った鎌倉での夜戦から、早いもので1週間が経っていた。


 先輩との関係も、大宮との関係も、だらだらと言うべきか、円満と言うべきか……とにかく、悪いことにはなっていなかった。


 人目の有無に関わらず、彼女たちからのスキンシップ的なものがちょっぴり増えたのは間違いないが、男として一皮剥けた俺は動じなかった。

 女の子のすべすべの肌や、至近にいれば香ってくるフルーティな髪の香りに、いちいち神経を壊死させて平静を装う必要などなくなり、それら全てを日常の一部として受け入れられる領域に達していたのである。


 いよいよ残すところは桃原のみ、なのだが……多忙な彼女となかなかコンタクトを取れない、という状況はしっかりと引き継がれていた。

 どうやら、たとえ俺が前回までと全く異なる行動をとっても、周囲の行動までガラッと変わってしまうことはないようだ。


 一応デートの約束をとりつけている以上、のんびりと構えていてもいずれ桃原と会えることは分かっている。分かっているのだが……明確な目標、もとい野望ができると人間、無闇とやる気が満ちて、ソワソワしてしまうものなのだ。


「ここに居ましたか」


 昼下がりの中庭。


 既に攻略済みとも言うべき2人との予定がぱらぱらと散りばめられたスケジュールをスマホで確認しつつ、1人ピンクな回想に耽っていると、意外な人物から声がかかった。


「あれ? 影山さん。部室以外にもいるんだ」


 声のする方に目を向ければ、影山さんがベンチに腰掛ける俺を射竦めるように、メガネの奥から冷ややかな視線を送っていた。


 彼女はいつもより格段とゴミを見るような目をしていたが、なんというか、凄みというか……いつもの泣く子も黙って失神するような迫力がない。

 というより、どことなく疲労感すら漂っていた。


「当たり前です。というか、あんな空間にずうっと居たら、気が狂ってしまいます……いえ、ともかく」


 やってくれましたね、と影山さんは嘆息するように言った。


 まあ……うん。ヤッたけど。


 ……いや、そうか。そういうことか。


 迫りくる美少女たちとの対話に必死になりすぎて忘れがちだったが、影山さんは、《こっち》では俺の心の声を延々と聞かされているのだ。


 俺だって自分の心の声なんてわざわざ聞きたくないのに、彼女にかけた心的負担は、推し量ることすら恐ろしい。


 俺だったら確実に掴みかかってるところを、彼女は鬱憤を吐き捨てるにとどめ、言葉を継いだ。


「まったく、今度は何をしでかしたんですか」


「それは──」


「ああいえ、だいたいわかってるので言わなくていいです。……どうせ、経験が無いなら、経験すればいいだろう……と、そんなところでしょう」


 もはや 《あっち》での俺の考えも筒抜けであった。まあ、四六時中ずっと心の声を聞いていたら、もとより俺の思考回路なんて単純なものだし、その程度容易く予測できたことだろう。


「確かに、厳しいことを言った自覚はありました。ただ、これを機に佐倉くんが、現実と向き合って生きてくれると……米つぶほどでも信じてしまった私がバカでした。ええ、私こそが本当のバカでしたとも」


 まるで後足で砂をかけられたと言わんばかりに影山さんは嘆き、頭痛を堪えるような面持ちでそう言った。


「影山さん。信用ならない人を信じるのは、信頼じゃない。ただの思考停止だよ」


「なんでこの期に及んで居直れるんですか……」


「だって! せっかく俺の都合に合わせて世界が動くんだぜ? 影山さんが俺の立場だったら絶対同じことするでしょ」


「どうでしょうね……そんなこと、考えた事も無いので……。少なくとも、巻き込まれる人間に、多少の配慮はすると思いますけど」


「それは本当にごめん」


 俺がこの世界に生きると決意したとして、影山さんまで一緒に《こっち》で生涯過ごすことになっちゃうんじゃないか……ということに気づいたのは、大宮と行為に及んだあとの賢者タイムであった。


 気づいたときにはもう遅かった。影山さんに最大限の謝罪の念を送り(賢者だったので、心の声を聞かれていることを思い出したのだ)、それでも無茶苦茶に気まずかったので、今の今まで会わずじまいだったのである。


「……確かに、謝罪は受け取った記憶がありますが。悪意があったわけではないこともわかっています。あなたは……バカですから」


「はは……よく言われるよ」


「それにしても、3人が3人ともお酒の勢いとは……。さすがに、佐倉くんの底の浅さが心配になってきますね」


「……それは普通に傷つくからやめて」


「はあ。しかし、いくら佐倉くんの妄想通りに進んでいく世界だからといって……あまり調子に乗ると、また痛い目を見るのでは?」


「うーん……でもさぁ……せっかくならモテてみたいじゃん?」


「…………。あなたという人は……」


 絶句されてしまったが、構やしない。こちらの心が彼女に透けて見えてしまっている以上、俺に出来るのは、いっそ開き直るくらいしかないのだ。思想の自由くらい、保障されていてもいいだろう。


「それに……俺の世界で、俺のことを好きになった女子達なんだぞ? 俺が責任をとって幸せにしなくちゃ」


「まったく……。自己弁護において、佐倉君の右に出る者はいませんね」


 俺の心からの主張を、影山さんは詭弁だとでも言いたげに流した。


「佐倉君が仮初の春に浮かれているのは分かりました……。確かに、それをどうしようと貴方の自由ですものね……」


 なんにせよ、程々にしてくださいね、私の為にも。ついに匙を投げた影山さんはそう締めくくって一礼すると、踵を返して去っていった。


 ……ぶっちゃけ、俺の心の声を聞きたくないなら、天文部室行かなきゃよくね?


 そんな身も蓋もない反論が喉元までせり上がって来てたけれど……マジでそれを口から出してしまったら、部員から抹消されかねなかったので、黙って彼女を見送る。


 俺が選んだ道(ルート)だし、その選択の結果、影山さんが俺に落胆するのは当然起こり得る事態だった。だが、実際にこうして彼女から突き放されたような言い方をされると、心の何処かにモヤがかかったような、やるせない気分になるのは否めなかった。



      ♡



 その日の放課後。


 特に用事もなかったので、久々にまっすぐ家に帰って、独り発電に勤しもうと思案しながら校門前の並木道を歩く。


 桃原を攻略すべく、日中に遊びの誘いをしていたのだけれど……。今日も敢えなく、丁重なお断りメールが4限の間に届いていた。


「はぁ……」


 図らずも、溜め息が漏れ出す。影山さんが終始溜め息まじりだったから、感染うつっちゃったのかもしれない。


「会えないなぁ……。会いてぇなぁ……」


 青青と茂り始めた木々の葉をボンヤリと眺めながら、気が付けばそんな言葉までも漏れていた。


 まだそれなりに往来のある時間帯にこんな独り言はヤバいな、と自分を戒めた直後だった。


「誰に?」


 意識の外から突然声をかけられた。


「ひぁっ!?」


 完全に1人モードになっていたので、驚きの余り裏返ってしまった。


「わわっ、ごめんっ」


 声の主は桃原だった。俺の素っ頓狂な声に、大きな瞳を見開いて自分まで驚愕に固まっている。


「あー……桃原か……。悪い、気ぃ抜けてた」


「ううん。私こそ、いきなり声掛けちゃって」


 ぶんぶんと桃原が首を振るうと、懐かしさすら感じる匂いがした。本人とこうして至近距離で会うのが久し振りなこともあるけれど、最近は、やたらと先輩と大宮の芳香に鼻腔を刺激される日が続いていたからだろうか。


「そういや、今日は友達と遊びに行くんじゃなかったの?」


 LINEによれば、最近始まった少人数クラスの講義で知り合った女子と遊ぶ予定であったはずだ。本来なら、その娘と連れ立って大学を後にしている時間だろう。


 そこまでつまびらかに語らなくてもいいのだが、桃原はそれがさも当然かのように報告してくる。数多ある彼女の美点の1つだ。


「それがね、その子が急に彼氏に呼び出されたー、て……流れちゃった」


 そこは先約優先だろ……と俺ならドタキャンに憤ること請け合いであったが、桃原は『まー、彼氏じゃ止められないもんね』と唇を尖らせて拗ねたような仕草をする程度であった。


 さしもの桃原も、友人の突然の裏切りに多少は思うところがあったのかもわからないが、俺の脳内は突然のチャンス到来を前に、親倍満をテンパイした時並みに脳汁がドバドバと溢れ出ていた。


「ねねっ、それよりさ!」


「な……なんだよ……」


 いじけるのもそこそこ、桃原は翻って俺の目を真っ直ぐに覗き込んでくる。


「さっきの、だよ!」


「あー……うん」


 さっきの……つまり、桃原は俺の独り言の答えの部分が気になって仕方ないらしかった。


「言っちゃえよ〜」


「いや……別に、いいだろ」


 それは、お前だよ。なんて即答するのはさすがに気恥ずかしくてできるはずもなく……。


「ごーじょーな奴め……覚悟!」


「おい、ょっ……止めろっ!」


 どうしたものかとまごついていると、桃原はむにむにとおれの両頬をつまみあげるという、なんとも可愛らしい拷問を仕掛けてきた。


「分かった! 言う! 言うから!」


「ようやくおちたか……」


 したり顔の桃原を見ていたら、なんだか彼女の鼻をあかしてやりたいという欲望がぬくぬくと芽生えてきた。


「桃原に、だよ」


「えっ……。わ、私?」


「あー、ほら……最近あんま2人っきりで会うこともなかったから……」


「そ、そだね……」


 いくらこれが妄想で、おまけに桃原が俺の妄想の産物であったとしても、胸中を素直に言葉にするのはやはりくすぐったいものがあった。


 しかし、そんな羞恥心を押さえ込んでまで言ってやった甲斐があったというもので……桃原は行き場を失った両手をわきわきと彷徨わせながら、耳まで赤くなって俯いていた。


「いや、うん……ゴメン。なんかちょっと……いや、めっちゃキモいよな」


 互いの間に流れる沈黙が気まずくて、わけもなく謝ってしまう。


「ううん! 全然! それより、その……ちょっと、嬉しい……かも……」


「おう。そっか……」


「…………えへへ……」


 そんな相変わらず情けない俺に、桃原は頬を緩ませてそんなことを言う。心臓の鼓動が早くなるのが痛いほどわかった。


 こういう雰囲気にも、もう慣れたものだと過信していた。考えてみれば桃原は、俺の無意識が監修し、俺をドキドキさせるための存在としてここに生を受けた美少女だったのだ。そんな彼女に、ドキドキせずにいられるはずもない。


 ……。


 …………。


 またもや訪れる沈黙。だが、決して居心地の悪いものではない。

 

 俺から誘うべきだよなぁ……なんて、のんきに逡巡していると、頬を上気させたままの桃原がこう切り出した。


「あのさ……」


「うん?」


「この間の埋め合わせなんだけど……。今日、お願いしてもいい、かな?」


 言われて、そうか俺はこれを待っていたのか、 と気付かされる。とことん甘えていて徹底的に間抜けな男だと、我ながらほとほと呆れるばかりだ。


 だが、それでいいのだ。


 だって、ここはそれが許される世界で、俺はそれを心から望んだのだから。


『また痛い目を見るのでは?』


 お昼の影山さんのセリフがよぎる。彼女の言葉が蘇ってくるのは、捨て切ったはずの迷いと罪悪感からなのだろうか。


 今更、戻ることはできない。俺はこの世界で幸せを掴むんだ……! 影山さんも、巻き込まれてしまったついでに、どうか生暖かい目で見守っていて欲しい。


「もちろん。こっちからお願いしたかったくらいだよ」


 この後の展開は、この際バッサリと省略させていただく。諸君も、きっと大方の予想はできているだろうと思うし、恐らくそれが外れることはない。


 語る価値もない予定調和のゴールではあるが、それでも、俺にとっては掛け替えのない、待ち望んだコトそのものだった。

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