31.こけら落とし



     ♡



 放物線を描き宙を舞うTEN○Aと、夜空に悠然と佇む月が重なった刹那、視界は白い光に包まれて……時は一日戻り、公園で大宮と遭遇した日になっていた。


 なにを以ってどの日に目覚めるのか、未だに判然としなかったが、なるほど確かに、色々と都合のいいタイミングではある。


 ……昨日と言うべきか明日と言うべきか、とにかく俺は、影山さんからのヒントを基に妄想世界の弱点を克服した。


 プロの手解きの下、実践的知識と技量を身につけたのだ。触ろうが嗅ごうが舐めようが何でもござれ……とまではいかないか。あんまりにもアブノーマルなプレイはNGって断られたし。ともかく、一般的な女性を相手取るに問題ないレベルまでは仕上げたつもりだ。


 というか、あの場ではまんまとやり込められたが、実際のところ、俺は未だに影山さんの主張をまるっと信じたわけではなかった。


 いやまあ、確かに俺の提唱するギャルゲー説を棄却できる程度には、影山さんの論理は整合的である、ということは認めよう。あのしみったれた世界の方が現実だっていうことにも、諸手を挙げて賛同できる。


 しかし、彼女の説でだって、説明しきれていない部分もあるし──時間が行ったり来たりすることとか──もっと未知の現象が起こり得る可能性だってある。


 だいたい、完全に俺の妄想だったら、もっと都合良くて然るべきじゃないのか。同じ大学のマドンナなんて妙に現実的なこと言わないで、ガッキーくらい登場させてもいいだろ。出会って3秒で合体、的なテンポ感も無いし。


  とにかく、今必要なのは実験だ。


 実験とはつまり、明らかに無理があるような展開でも、結果的に俺に利するようにコトが進んでいくのか、ということを試すことに他ならない。


「何してんの?」


「ラテアートの練習……」


 俺はもう心に決めていた。実験の対象は……大宮だ。


 これが現実であろうがなかろうが、事実として《こっち》の桃原と島林先輩はもはや陥落寸前、あとは婚姻届に俺がサインさえすればコトが済むと言っても過言ではない。


 要は、すでにうまくいってる相手では、ご都合主義が発動してるかどうか判断しづらいんじゃないか、という話。


 そこで大宮だ。彼女相手なら、失敗して気まずくなってもバイトを辞めりゃいいだけというのもポイント高い。


 今日も今日とて公園で偶然・・会い、大学で先輩の挑発にまんまと乗って怒り狂っていた日と同じくして、その夕勤。客入りのピークも過ぎ、暇を持て余した彼女は泡立てたミルクをラテに注いで模様を作っていた。


「大宮、それは……」


「ウンコじゃないから! おしゃれなリーフだから!」


「まだ何もいってないだろ…………そうとしか見えないけども」


「なーんで茶色が混ざっちゃうかなぁ……葉脈もなんかトグロ巻くし……このっ、クソが…………いやクソなんだけどさ……クソっ」


「あのさ、一応ここ、飲食店だし……」


 完成した巻き糞ラテを嘆くのもそこそこに、大宮は無駄に時間と精魂込めた結果、熱も風味もすっかり失っているであろうそれを手にバックヤードへと駆けていった。


「てんちょー。差し入れー」


「大宮さん、これ……普通に商品だよね」


「大丈夫! 料金はレジに入れとくから」


「あぁそう? なら、それはいいんだけど。…………ウチ、一応飲食店なんだよね……」


「店長までそれ言う!?」


 ……決め打ちした手前だが、本当に大宮でいいのかと頭を抱えそうになる。しかし、彼女も微妙に残念なだけで、一応は快活な美少女なのだ。異性として認識するなど……造作もない。


 話を戻そうか。大宮を実験の対象にする、ということだったけれど……具体的に何をするのかと言うと、だ。


 大宮を口説く。それだけである。


「失礼な男ばっかで困るわー、ホント」


 バックヤードから戻ってきて、ちゃんとレジにカフェラテホットMサイズの料金を入れる大宮。


「なあ、大宮」


「なに?」


 意を決して話しかけてみれば、大宮は舌打ち混じりに振り返った。


 日中の先輩の件で、今日の大宮は終始この調子だった。何回か繰り返ループしていることもあり、もう俺も慣れたもので最早微笑ましいとさえ思える(ウザくないとは言っていない)レベルだったが、突っ込まずに進めるとそれはそれで噛みついてきて面倒なので一応触れておく。


「そろそろ舌打ちやめない?」


「気にしないで。私も使命感に突き動かされてやってるだけで、深い意味はないから」


「使命って、なんの」


「青春を謳歌して幸せオーラ放ってる奴は、それを上回る負のオーラで呑み込め、ってね」


「暗黒卿じゃないんだから……いやまあ似たようなもんか」


「あんですって?」


 じゃれ合いはこの辺にしておこう。大宮と話していると、ついつい本筋を忘れそうになってしまう。


「で? 話はなんなの?」


「えっ、あー……そうだな」


 大宮の方も同じ考えのようだった。わかっているならもっとスマートに話して欲しいものである。


「バイト終わったら、メシ行かね?」


「今日?」


「うん、今日」


 ともすれば、考えなしにど真ん中を投げるアホにも映ろう。だが、これこそが、実験なのだ。


 つまり、多少流れがおかしかろうが、大宮がここでイエスと答えてくれるのか……それが重要なのである。だから、色々考えた結果、考えることを止めたのだ。俺は至って真剣だった。


「また急ね」


「近くによさそうな店があったんだけどさ。俺、まだ1人で店に入って酒飲むほど大人じゃないし……」


「なるほどね……群れてなきゃなんもできないキョロ充くんってわけ」


「あーもうそれでいいよ。で、行く?」


「ま、君の奢りってゆーなら? 行ってあげてもいいけど〜?」


「あ、マジ? じゃ決まりね」


「……え、ホントに奢り?」


「まぁ……バイト代入ったしな。俺が誘ったわけだし」


 いやにあっさりと決まった。桃原や先輩を何かに誘う時は、なにかと緊張しっぱなしだったけれど……大宮は本当に何の気兼ねなく誘えた。


 単純に場慣れしたのか、大宮の醸すフランクな雰囲気がそうさせるのか、はたまた実験だからと開き直れているのか……原因はともあれ、あの繰り返しの日々の中で俺も少しづつ男として成長しているわけだ。喜ばしい限りである。


 値段を調べてみたら、目ん玉飛び出るほどでもなし……やや出費はかさむものの、十分想定の範囲内である。


「いやいや、冗談冗談! 私も出すって」


 そうして話もまとまったところで、己の懐事情を勘案していたところ、大宮は慌てたように声をあげた。


「ていうか、先輩が後輩に奢られるわけにはいかないじゃん……!」


「お、おう………。そういうもんなの?」


「なの!」


 これまでの俺であれば、経済的負担も減るし、美少女とサシで飯だし、わーいわーい……と頭空っぽに喜ぶだけだっただろう。実験は想定以上の結果を伴い成功したのだ。したり顔でお持ち帰りプランをたてるとこまで行っててもおかしくない。実行できるかどうかは別として。


 だが、いま胸裡に在るのは、ちくちくと甘皮に針を突き立てられたような、痛みとも気づかないほどの違和感だけであった。

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