27.朝比奈峠はちょっと怖かった



     ♡



 島林先輩は、特にプランも告げずに、ただ校門前に集合とだけ言っていた。


 なんとなく、既に先輩はやりたいことが決まっているような気がしたので、深く突っ込まずに、大人しく校門前で待っていたが……。バイクで颯爽と現れた先輩に、予備のメットを放り投げられて、後部座席をくいっと指された時には流石に言葉を失ってしまった。


「後ろ、乗って」


「これは……えーっと、何処へ行くんですか?」


「ん……決めてないから……テキトー?」


 言ってなかったっけ? なんて言っちゃう辺り、本当に忘れていたようだった。


「なんか緊張しますね」


「大丈夫。私、こう見えてゴールドだから」


 逆算すれば最年少で免許をとっていたことになる。

 同年代のツーリング仲間なんてそういないだろうに……先輩はいったいどんな女子高生だったんだろう。


 大学と違って、高校での青春は概ね、クラスの延長線上にあると言っていい。色々と持て余した雄猿が過半数を占める中に居たのだから、少なからず言寄られることだってあるだろうに、その悉くをスルーしてケッタを転がしていたのだから、先輩も立派に変人の部類である。


 これまでモテた試しなんてない、なんて本人が断言しているのだから、こちらとしても、さもありなんとしか言いようがない。


 でも確かに、高校のおんなじクラスに島林先輩みたいなのがいたら、ちょっと近寄りがたいかもしれない。


「もしかして、やだった?」


 我が母校のセーラー服に先輩の顔をコラージュして想像を膨らませていると、先輩が俺の抱えるメットへと手を伸ばしてきた。


「いえ! ちょっとビックリしただけッス。むしろ乗ってみたいです」


 ハッと我に返って、メットをがっちりと握り直す。


 俺の言葉に嘘偽りはない。小さい頃は親父の原ニに引っ付いて釣りにでかけたりしたこともあったが、こんな本格的なバイクの2ケツは初めての経験だ。恐怖がないわけではない。しかし、それでも好奇心の方が勝っていた。


 先輩との共通項を模索する一手として、バイクに関する情報収集をするうちに自然と興味が湧いていたのである。


「よかった。ちょっと心配だったんだ」


「そんな、全然! あー……でも」


 桃原のためにとっておいた休日。どうせ1人でやれることといえばたかが知れている。それならば、先輩と遊んだ方が何億倍もマシだ。


 ただ一つ、バイクで遠出するならば必要な準備があった。


「……?」


「上着取りに一回家に寄ってもらってもいいですか?」


 先輩の腕を信頼していないわけではないが、それでもバイクは転ぶもの。半袖での乗車は事故時のリスクをいたずらに高める。


 皆も、美女の運転するバイクの後ろに乗るときは気を付けて欲しい。



     ♡



 島林先輩の気の向くままにバイクは進んでいく。俺はひたすら、横滑りしていく景色と、先輩のぬくもりを感じていた。


 乗車前に先輩から、片手で後部座席のバーを持ち、もう一方で先輩の腰を掴むよう簡単にレクチャーを受けた。合法的なお触りチャンスにテンションは爆上がりだったけれど、いざバイクが動き出すと、予想以上の迫力と謎の浮遊間に、先輩を堪能する余裕なんてなかった。


 仮にもいいトシした男が女性に必死でしがみつく様は、周囲からはいかにも間抜けに映ることだろう。誰に見られているというわけでもないのに、妙に恥ずかしい気持ちになる。


 しかし、この解放感とスピードは確かに、ちょっとクセになりそうだ。先輩が趣味にするのも頷ける。いつか、2人でバイクを並べてツーリング……なんてのも悪くないかもしれない。


「結構疲れますね……。つっても、俺は乗ってただけっすけど」


「まあ、初めてで緊張しただろうし……それに、前がよく見えないの、結構こわいよね、たぶん」


 このまま峠攻めにでも連れて行かれるのかとちょっと不安だったけれど、2時間弱ゆったり高速を流して辿り着いた先は神奈川県は観光名所、鎌倉だった。


 鎌倉なんて、中学の時に修学旅行で来た以来だ。土曜日ということもあって、メインストリートたる参道周辺は中々の人の多さであった。


 バイクを停めて、観光がてら街を練り歩く。


 ふらふらとあてもなく俺を先導していたかのように見えた先輩だったが、辿り着いたのは神社の境内にちょろっと設置された喫煙所だった。


「タバコ吸ってると、喫煙所がありそうなとこもわかってくるんだ」


 ちょっと得意げに言う先輩だったが、それ、タバコ吸うとき以外なんの役に立つんだろう。


 いや、タバコ吸いたいだけだからいいのか。


 先輩がニコチンを補給する間、暇潰しにおみくじでも引いてみることにした。なんか、観光地の神社に来たって感じがしていいな、と思ったのだ。あと、咄嗟の話題づくりにもなるし。


「恋愛、壊滅的だね」


 末吉とかいう、最もありがたみのない結果に虚無を感じていると、タバコを吸い終えた先輩が横から俺のクジを覗き込んできた。


 頭から読んでいたところだったのでまだ目を通していなかったのだが、視線を落とすと確かに散々だった。


 待ち合わせにはすれ違う。今は機でない。


 ……随分タイムリーなこと言ってくれる。


「ていうか、真っ先にそこに目がいくって……先輩、わりと女の子っぽいですね」


「……女の子だし」


 むっと頬を膨らませた先輩に、軽く小突かれてしまった。幸せパンチである。 たぶん、患部に打ち込むと傷とかが一瞬で癒えるやつだ。


「…………最近、モモちゃんと、うまくいってない、よね……?」


「えっ?」


 ドキッとした。


 おみくじに書いてあるからなのか、はたまた、それを読んだ俺の表情がよほど苦々しかったのか。ぬぼーっとしているようで、先輩はその実、色々とよく見えている。


「そういうふうに見えますか」


「ん……実際に、見たわけじゃないけど。なんとなく、私といても浮かない顔すること多かったから……。たぶん、だけど」


「……別に、喧嘩とかしているわけじゃないんです。ただ、やっぱ桃原は、俺なんかよりずっといい奴なんで。あっという間に友達いっぱい、片や俺はなんも変わらず。そんで、会える機会もどんどん減ってて……」


 何回か同じ生活を繰り返したからこそ、桃原の俺に対する気持ちが確かなものであることは知っている。


 しかし、だからといってそれに胡座をかいていられるほど、俺の肝は太くなかった。


 桃原が俺のことを好きだったのは、あくまであの時点での話に過ぎないのだ。人の心なんて、山の天気とそう変わらない。だんだんと移り変わっていたかと思えば、急激に変化してしまうことだってある。


 彼女とより親密な関係を築こうと決意した矢先、停滞──むしろ後退し始めた情勢が、滾る俺の熱情を喉元でき止め、口から漏れ出るのは溜息ばかりであった。


「……そっか。モモちゃん、いい子だしね」


 そう、桃原は素でいい子なのだ。いつ何時も、誰にだって優しい。それこそ、俺みたいに下心を燃やしてタービンを回すオタクにだって。


 だから、誰だって桃原のことを好きになる。


 それ以上に桃原も、俺なんかのことを好きになっちゃうのだから……。


 多種多様な有象無象に囲まれている桃原を見ると、どこかこう思ってしまうのだ。俺みたいな陰キャとは住む世界が違うのかな、とか。俺といないほうが、あの子にとって幸せなのかなー、とか……。


 先輩に図星をつかれて、ガラにもなく本音がほろほろとまろび出る。前にもこんなことあったような……なんだか、この人の前では、思いの丈の暗い部分までまるっと吐露しなければいけないような、優しい強制力を感じる。


「それは違うと思うよ」


 そして先輩は、いつも通りのなんでもない様な顔で、俺の独白を一蹴した。いや、これでいて先輩は先輩なりに一生懸命考えてくれている……はず…………だと思いたい。


「卑屈すぎ。キミだってすっごく、いい子だよ」


「そうですか?」


「そうなの」


「……たとえば、どんな?」


「…………」


「そこで黙っちゃダメでしょ先輩……」


「ごめん……うまく言えなくて」


 誤魔化すように笑って、でも少ししゅんとなった先輩を見て、本心から言ってくれたということは充分伝わった。

 こんな時にだけど、先輩のマイペースっぷりと不器用さにはちょっと笑ってしまったが。


「笑わないでよ……」


「すんません。でも、ありがとうございます。なんか、スッキリしました」


「……うん。…………私も。もしかしたら、私と君の関係のせいで、うまくいかなくなっちゃったんじゃないかって思ってたから。ちょっと安心した」


 先輩は優しく微笑んだ。もし、先輩の予想通り、恋人ごっこが原因で桃原との関係が気まずいことになっていたとしたら、先輩はどうするつもりだったのだろうか……。


「もしかしてなんですけど、今日俺を誘ってくれたのって、俺を慰めるため……とかだったりします?」


「うん。……まあ、半分くらい」


「え。じゃ、もう半分っていうのは?」


「わたしがキミと遊びたかったから」


 先輩は、またもや何でもないように……いや。


 耳だけ真っ赤だった。


「もう行くよ」


 彼女はそう言うと、俺の反応を待たずにくるりと身を翻し、いつもよりちょっと早足で歩き始めた。

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