25. たしかケヤキかなにか



     ♡



 このまま公園をぐるりと一周するものかと思っていた俺の予想を裏切り、折り返しにも届かない辺りで、大宮は突然「大学に行ってみたい」など言い始めた。


 青春吹きすさぶ爆心地たるキャンパスの敷居を跨いだが最後、「ぎゃああああ!」と朝日を浴びた吸血鬼よろしく灰塵と帰す大宮の姿がありありと浮かぶ。命までとるのはあんまりにも可哀想なので、警告の意味も込めて2度も聞き返したけれど、彼女の意志は固かった。


「来年の今頃は私も大学に通うようになってる……はずだし。今から慣れておかなきゃでしょ?」


「ほうほう」


「なんなら、そのままオタサーにでも押し入って、男子の友情をグチャらせてやるくらいの心意気はあるわ」


「それは心意気だけに留めておこうな」


 一体お前は大学に何しに行くつもりなんだ、と今一度問いただしてやろうかと思ったが、俺もそんな大した志があって通っているわけでもないので黙った。


 公園から出て、2人揃ってキャンパスへ向かう。


 駅前の商店街からは離れて住宅街らしき並びに入っても、通学路にはオシャレな雰囲気を醸す店が散見される。

 これが桃原ならば、きょろきょろとせわしなくそれらを見渡して、気になる店を見つけてはおもちゃを欲しがる子供のように俺を見てくるところであろう。


 対して大宮は、チラリと視界の隅に捉える程度で、さして興味を示すでもなくズンズンと俺の先を進んでは、振り返って次はどっちに行けばいいのか、と俺を急かしていた。正反対なようで、その実2人とも落ち着きがないことに変わりない。


 もし隣にいるのが先輩だったら……どうなるのだろうか?


 俺の周囲の美少女たち三者三様のリアクションの差異を考察しているうちに、大学の前へとたどり着いた。


 青々とした葉を茂らせた大木たちが、キャンパスの正門へと続く通用路に等間隔に植えられ、まるで緑のアーチを為すが如き造形美は、大宮のコンプを刺激するには充分すぎたようだった。


「何ともいえない顔だな……」


「うっさい。こちとら写真撮りたい衝動を必死に抑えてるんだから」


「いや撮りゃいいじゃん、減るもんじゃなし」


「こんな序の口で負けるわけにはいかないの……」


 いったい、何と戦っているのか。いや、しかし、彼女の気持ちが毛ほども分からない……わけではない。


 事実、俺も入試の日に初めて此処を訪れた際には、この入り口の風体に、邪なオタクを排除せんとするオーラを勝手に感じて、勝手に気圧されていた。思えば、この地でリア充になろうと決心したのもその時だったかもしれない。


「うわ〜……」


 校門を潜り、いよいよ本丸へと足を踏み入れる。直後、眼前に現れるのは、キレイに整った芝生が目を惹く前庭だ。大宮はもう半分白旗を揚げたような、間抜けなため息を漏らした。


「なんか、ベンチとか置いてあるし。君もあそこで、あのかわいい娘とランチしちゃったりしてるわけ?」


「いや、大概あそこに陣取ってるのは1級にチャラついてる奴らだな。俺とか桃原は部室で食うか、駅前まで行ってる」


「ふーん……。やっぱそういう棲み分けみたいなのあるんだ」


「なんとなくだけどな。ほら、あんな感じの連中だよ」


 丁度ユニフォームを着た明るい髪色をした男連中が遠くに見えたので、大宮に教えてやる。


「あれは……フットサル……? お抱えの女マネを獲得できなかった負け犬男子達と見た!」


 野郎だけで連れ立って歩いてるだけで酷い言われようだった。


「いや、あのロゴはたぶん…………テニサーだな」


「は? どう見てもサッカーユニフォームじゃん」


「高校の時、クラTとかつくったろ? たぶん、アレとおんなじ感じじゃねーかな」


「……興味深い生態ね……」


 大宮は俺のテキトーな解説に真剣な面もちで頷き、彼らをレンズに捉えた。まるで動物園の動物を見せてやってるような気になって、少しテニサーの連中に申し訳なさを覚えたが、特段止める気にはなれなかった。


 そんな感じで、キャンパス内を軽く解説しながら練り歩く。


 そんな中に気付いた……というより、改めて大宮は美少女なのだという事実を実感した。


 遠巻きに見る男子グループは一様に同じリアクションだった。片割れが大宮を二回くらい見て、隣の男の肩を叩き、二人してウンウン頷く。想像だけでアフレコ出来るくらいには分かり易い。


 バイトの出勤前ということもあって、化粧も格好も大して気合いを入れてないであろうに、これである。


 話をしているとその気さくさとやべーやつ具合に忘れがちになるが、やはり、大宮のポテンシャルは相当なものに違いなかった。


「未だに信じられない……」


「いきなりどうした」


「キミがこんな過酷な環境で、あんな超・超可愛い女の子と仲良く出来るだなんて……」


「まぁ……確かにラッキーだったとは思うけど。俺だって頑張ったんだぞ?」


「今日見る限り、可愛さレベルであの子に匹敵するの、あの人くらいじゃない?」


「そこは何を頑張ったか聞くところじゃないの」


 可愛いというか、美人? と俺の訴えをガン無視する大宮が指差す先にいたのは俺にとって見知った人で、彼女はこちらに気づいてか、ゆっくりとした足取りで近づいてきていた。


「お疲れ。……何か用?」


 というか、島林先輩だった。すぐさま大宮の無礼な手を軽くひっぱたいて引っ込めさせる。


「あー、お疲れさまです」


「あぁ、あ、あ……」


 まさか俺の知り合いだとは思わなかった。そんな風にあんぐりと口を開けたまま大宮の表情が凍る。アホっぽい面のままガサガサと後ずさりするゴキブリみたいな動きは、ギャグ漫画とかでよく見るものだったが、実際こうして目の前にすると普通に気味が悪かった。


「し、しし……知り合い?」


「サークルの先輩」


「島林です。えーっと……そっちのコは」


「……えー、俺のバイト先の……先輩?」


「なんで疑問系なんだよ!!」


 くわッ! と目を見開き俺に威勢良く噛みつくも、圧のある先輩の容姿にビビったのか、「大宮です。このバカの先輩などやらしてもらっています」と礼儀正しく挨拶する。

 大宮は、強そうな相手には滅法腰が低くなるタイプの人間であった。


「あ、じゃあ仲間だね。私も、先輩、だから」


 先輩はそんな大宮の態度にふふっと笑うと、俺の方に向き直り、いつもの眠たそうな目と平坦な声音で言う。


「まったく、キミも隅に置けないなぁ。まーたこんな可愛いコ連れ回してさ……」


 島林先輩をして可愛いと評された大宮は、「あはは……」と空々しい笑いで返事する。普段、客の中年オッサンにかわいいねーと冷やかされても「でしょ〜」と冗談で返す程度には社交性と図太さを併せ持つ彼女だったが、今回ばかりは相手が悪い。つまり、趣味でかじってる程度のアマチュアがその道のプロに「きみ、上手いね」って褒められたのに近い感じ……というと大宮に失礼か。


 俺から言わせてもらえば、大宮だって島林先輩やら桃原やらと十分肩を並べ得るほどの美少女なのだから。


「いやいや、連れ回すなんてそんな。大宮が、どうしてもウチの大学見てみたいって聞かないから、仕方なくですよ」


「ちょっと。だいたい合ってるけど、なんで急にそんな恩着せがましいのよ」


「へぇ、それじゃ大宮さんはウチの学生じゃないんだ」


「あー……、うん。そうですね」


「わたくし、浪人中の身の上ゆえ……」


 せっかく俺が気を遣って情報を伏せたのに……。


 大学生コンプ丸出しの彼女が、なぜそんな身を切るような発言をしたのか、まるで検討がつかなかったが「なんか、ごめんね」と謝る先輩に「いえいえ」と胸を張ってご満悦だったので、すぐにその狙いはわかった。


 そんな悲し過ぎる手段を講じてでもなんとかマウントをとろうとする大宮の妥協のなさと、その人間性の小ささにはただただ脱帽するばかりである。


「ていうか、私のことはどうでもいいんです。島林さん、コイツには気を付けた方がいいですよ!」


「いきなりなんだよ」


「だって、キモオタのあんたが、こーんな美人で優しそうな先輩と知り合いだなんて、勘違いからの暴走待ったなしでしょ」


「いつも思うんだけど、お前の中で俺はなんなの?」


「まぁ、キモいかどうかは別として……オタクなのはなんとなく分かるよ」


「え、マジっすか」


「うん。ゲームしてる時が一番楽しそうだし。変に物知りだし」


 と先輩は心底どうでもよさげに言った。


 オタクを隠しているわけではなかったのだが、その手のトークは自重していたはず。どうやら知らぬ内にそういうオーラが滲み出てしまっていたらしい。俺はちょっと凹んだ。


「それにムッツリだから。先輩のこと、ぜーったい、やらしぃ目で見てますよ」


「そう、なの……?」


 これに関しては、大宮の言うことに間違いはない。というか、チャラ夫が露骨過ぎるだけで、『観研』の男子連中は恐らく全員が全員、先輩にスケベな視線を送っている。

 硬貨が跳ねる音を聴いたら、つい足元を探してしまうようなものだ。下心があるから見るのではなく、条件反射で見てしまった結果、下心が芽生えるのである。


 しかしながら、これだけ己を正当化してもやっぱり後ろめたさはあるもので、普通はチラ見で我慢するのだ。そこをガン見しちゃうチャラ夫はマジでやばいと思う。ぶっちゃけちょっと尊敬すらできる。


 まあでも、この場では見てないと言う他ない。


「見てませんから。こいつの言うことは真に受けないでください」


「……私、やっぱ魅力ないかな」


「いやっ、決してそういうことでは」


「冗談。きみがそーゆうことしないのは、知ってるから」


 そういえば、先輩はこういう人だった。お茶目なのは大変よろしいのだが、表情が読めなさすぎて心臓に悪い。


 あと大宮はすぐ舌打ちすんのやめろ。


「大宮さんも、あんまりイジメないであげてね。これでも彼、一応──」


 悔しがる大宮を見て、先輩は、まるでとっておきの意地悪を思いついたように、ほんの少しだけ口角をあげながら、


「私の彼氏だからさ」


「……っ!?」


 俺の左腕を引き寄せ、胸にかき抱きながらそう言った。


 最早、先輩の胸の感触については、ここ何日かの恋人ごっこのおかげか結構耐性がついてきているので問題ない。二の腕君が痙攣する程度で済む。

 お前ら知ってた? 服越しでも、おっぱいは…………あったかいんだぜ。…………そういう話じゃないか。そうじゃなくて、問題は、


 なんで、今このタイミングで……?


「ふがッ!?」


 大宮は、桃原がバイト先へ突然現れたあの時とは比べものにならない、とんでもない顔をしていた。目も口も鼻も、たぶん耳まで、顔中の穴という穴あんぐり開けて……楳図かずおタッチのブサイクになっていた。


「せ、先輩! なんすかいきなり」


 先輩とバッチリ目が合う。彼女は大宮の驚いた顔に満足いったのか、してやったりと言わんばかりにウィンクしてきた。超可愛かった。


 なるほど、俺が大宮にからかわれた仕返しに一役買って出てくれた……ということ、なのだろうか。


「じゃ、私は講義あるから」


 またね、と軽く挨拶をすると、先輩は去って行ってしまった。


「……………はっ!!」


 先輩の気配がなくなると、大宮は醜女から元の美少女へと戻った。そして間を置かず、俺の胸ぐらを掴んで乱暴に揺すり始める。


「ど、どゆこと!? どうなってんの? マジなの!?」


「落ち着け」


「だってさぁ! メッチャおっぱい当たってたじゃん! むにゅってしてたじゃん、むにゅって!」


「だから、」


「柔らかかったんだろ!? 柔らかかったって言え!」


「柔らかかった」


「ぎゃああぁぁキモいよおおおおぉぉぉ」


 ようやく開放されたかと思ったら、大宮は両の手で頭を抑えてのたうち始めた。

 いつもの間投詞的に発される「キモい」とは一線を画した、リアルガチの「キモい」であった。自分から言わせといてなんだよこの仕打ちは……。


 周囲から視線を集めて俺まで恥ずかしくなってきたので、暴れる大宮を宥めて落ち着かせる。


「落ち着け。…………島林先輩は、ちょっと……ほんのちょっと、悪戯好きなんだ」


「いたずら! あれが、いたずら!!」


 大宮は目を剥いて叫んだ。


「もうやだ大学怖い……」


 そのまま光の粒子になって下半身からサラサラと宙に溶けそうになってしまった大宮が憐れすぎたので、俺はやむなくネタバラし──つまり、俺と島林先輩の関係についての一切を説明することにした。


 大宮はここの学生でもなし、あの件に関しては全くの部外者だ。バラしたところで影響はないはずである。


「そう……、だったんだ。たしかに君、あの桃原さん、だっけ? あの子にお熱だったもんね」


「まぁ……そうだな」


「あー、良かった。マジで心臓止まるかと思った……」


 案外、大宮はすぐに落ち着きを取り戻した。


 だが、それでも彼女の中で腑に落ちない部分があったらしい。眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。


「でも……仲良い先輩後輩、っていうにはちょっと仲良すぎない?」


「そうか?」


「いくらなんでも抱きつかないでしょ、フツー」


「なんか、俺の反応が面白いらしいぞ……」


「まー笑えるくらい童貞臭いのは認めるけど。ホントにそれだけ、なのかなぁ……」


「……どゆこと?」


「べっつにー」


 双方釈然としない面持ちのままに数メートル歩くと、大宮はふと思い出したかのようにカメラを構える。


 やがて彼女は、ファインダー越しにを俺を捉えて、2回、シャッターを切った。

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