24. 君の笑顔は……別にいいや
♡
本格的な梅雨入りとなり、しとしと雨降りの日が続いていた。
がしかし、俺の心の空模様は、じりじりとその気配を見せる夏の陽気にも似た闘争心にいきりたっていた。
桃原の第一の襲撃(そんな言い方はちょっと桃原に失礼な気もするが)を回避し、俺が立つここは未踏の地。怠惰に構え、雪崩のように押し寄せるラブコメの波動にただ巻き込まれているようではいけない。それでは同じことを繰り返すばかりだ。
そう、普通に結ばれては駄目なのだ。こんな怪奇現象に見回れているのだから、それに見合った何かをクリアする必要があるんじゃないか? というのが俺の分析である。ラブコメによくある話、彼女らが抱える切実な悩みや、彼女らをとりまく複雑な環境など、そういった心の深い暗部を知り、どうにかして解決し、キレイサッパリ精算したらドッキングで大団円、である。分かり易くも人の心を惹きつけてやまない展開だ。
現状、俺は彼女らの抱える闇など、一片たりとも知り得ていない。つまり俺はまだ、彼女らから憎からず思われているにしても、全幅の信頼を寄せられるほどの好感度を稼ぎきれていないということになる。
しようのないことだ。俺の人生においては群を抜いて高密度の、濃い時間を過ごしているせいで錯覚しているが、桃原たちとまともに話すようになってから1ヶ月半くらいしか経っていないのは事実なのだ。
そんな最近知り合ったばかりの俺が、中学やら高校やらで共に長い時間を過ごしたであろう彼女らの旧友に遅れをとるのは自明。俺だって、心を許せるという意味では、高校時代にクラスの隅で一緒にくすぶっていた連中の方に信を置いている。
つまり、だ。これからの課題は、より一層の信頼を勝ち取ること。頼り甲斐があって、動的に彼女達を導ける男になること。俺に足りないのは主体性だった。小さなことからでいい。俺は……そう、女性をいい感じにエスコートできるようにならにゃいかんのだ。
今日は、普段受けてる講義が教授の体調不良だのなんだので休講になり、夕方のバイトまでなんの予定もない。これまでの俺であれば、これ幸いとぐーすか寝てるか、猿のようにマスかくかの二択であろう。
それでは、ダメなのだ。
そういうわけで午前11時現在、俺は大学最寄りの駅前を散策していた。
言うまでもないが、デートのロケハンである。
……いやほら、突発のデートとかでも、サッと雰囲気のいいところ案内できたら、『素敵! 抱いて!』ってなるじゃん。なる、じゃん……?
パッと思いついた頼り甲斐は、財力と腕力を除けばこれくらいしかなかった。なんだか、影山さんが鼻で笑う様がありありと想像できる。
……そういや、影山さんには俺の心の声を聞かれてるんだっけか。だったら今のうちに念を送っておこう。そんなゴミを見るような目で責めないでくださいお願いします。
デートスポットに溢れる駅前の中から、今日俺が選んだのは都内でもそれなりに名の知れた公園だった。池を中心に広大な土地を保有するその公園は、都内でありながら自然を堪能できる場所として、子供連れからカップルまで幅広い層に人気がある。近くには動物園や美術館、シャレオツなカフェなんかも勢揃いなんだそうだ。
ネットの記事に曰く、『子供たちと一緒に遊具でハシャぐ彼を見れば、胸がキュンキュンすること間違いなし!』だとか。
たぶん、これは違う。童貞をバカにするのも大概にしてほしい。
テキトーすぎるネット情報はともかく、そんなこんなで1人公園に訪れてみた次第である。
平日の公園は閑散としていて、ランニングをするじいさんばあさん、ベビーカーを転がす主婦がチラホラと居る程度だ。平日昼間に暇を持て余した大学生にとっても、なるほど過ごしやすい場所だった。
「……お?」
遊歩道に沿って進み、池にかかった桟橋が見えた辺りで、なんか見覚えのあるシルエットが目に入った。
……大宮だった。池に向かって懸命にごっついカメラを構えている。
「あ」
「……よう」
納得のいく写真が撮れたのか、カメラから顔を離した大宮と目があった。それも束の間、大変気まずそうに視線を逸らし、彼女は力なく呻く。
「うわぁ……」
「出会い頭になんだよその反応は……」
「だってさー、カメラ女子バカにしてそうな人筆頭じゃん? キミ」
「俺をなんだと思ってるんだよ……」
「ネットサーフィンで世界を見た気になってる童貞」
「………………いやっ、」
一概に否定はできなかった。
しかし、俺はネットに掲載された情報を鵜呑みにし、己の価値観にまで影響させてしまうほどの腑抜けではない。現にこうして、コトの真偽──即ち、この公園がデートスポットたり得るかどうかを、実際に確かめに来たではないか。ひどい決めつけだよこれは。
そう全力で言い訳したい欲求をぐっとこらえ、俺は極めて紳士的に対応することにした。頼り甲斐、頼り甲斐……。
「別に、人の趣味バカになんかしないって」
「いーやどうだか。私がバカにしてるんだから、君もしてるはずなんだよね、うん」
「……自分でなに言ってるか理解できてる?」
叔父にお古のカメラを押しつけられたのを機に、盲目的にバカにするのはよろしくない、モノは試しとやってみたら意外と面白かった、というのが経緯だそう。天の邪鬼なところがなんとも彼女らしかった。
「君はなんでこんなとこに?」
「バイトまで暇でさ、ここ結構有名だから、一度見物しておこうかなって」
「なーる。似たもの同士ね」
どうやら、彼女も今日の夕方からのシフトらしかった。特段、どちらから誘ったわけでもなく、2人並んで公園を周遊する。
いつも通りの、毒にも薬にもならない会話を繰り広げつつも、大宮は俺の顔ではなく常に周囲に目を配らせていた。そして、突然ぴたっと足を止めては、すかさずカメラを構え、バシャバシャッとシャッターを切る。
始めたばかりと言っていたが、やはりカメラを持つと誰しも、ここ撮れわんわんみたいな美的アンテナが立つものなのだろうか。一体、そんなに熱心に何を撮ってるんだろうと、自然と興味が湧いてくる。
大宮は渋りに渋ったが、拝み倒して今日の収穫物を見せてもらうことになった。
ボートを漕ぐカップル、ベンチに腰掛け寄り添い池を眺める夫婦、恋人つなぎしながらも互いにスマホに視線を落とすアベック……なんというか、つがいの写真しかなかった。
なにこれ超コメントしづらいんだけど。そりゃ渋るよ。
「……人物メイン、的な?」
「ん〜、なんだろ。ムカついたものを片っ端から写真に収めてたら、こうなった」
「またなんでそんな苦行を」
「…………なんかさ、こう……撮るとスッキリするの。お前らの2人だけの時間は、私に切り取られて、113.03平方センチに収まっちゃう程度のものなんだぜ、って。一矢、報いなきゃね」
「いやごめん、全っ然わかんねぇわ」
「気にしないで。私も、うまく言葉にできなくてさ。よくわかんないんだよね、この感覚」
自分の心の赴くままに、撮りたいモノを撮ればいいのさ。叔父からのそんな
けらけらと愉快そうに笑う大宮のセンスには、こちらとしても笑うより他なかった。無駄に活動的なのに、その核となる部分がどうしようもなくネガティブなところが彼女らしいというか。
大宮は更に続ける。
「それに、リアルの自然って案外汚いじゃない? 特に撮りたいとも思わないわけ」
彼女はそう言って池を指さす。確かに、公園の池は、草木マシマシバクテリア緑藻オオメ、といったような澱み具合だった。
アニメやゲームという清潔な世界を常として見るオタクにとっては素朴な感想なのだろう。それこそ、手付かずの自然がそこら辺に転がっていた田舎町出身の俺としてはありふれたことで、特に気にもならないところだった。
「溜め池なんだし、こんなもんだろ。それよか、花とか動物とかのがいいんじゃない? 今なんてアジサイ咲いてるじゃん」
「確かに、言われてみれば……貴様さては、風流を解するタイプのオタクか」
「なんだよそれ」
四季折々の花が自生する公園には、今の季節、ちらほらとアジサイが咲いていた。俺自身は、そんな風景に感銘を覚えて一句読めるほど豊かな感性の持ちあわせてなどないけれど、きっと桃原なら嬉しそうにはしゃいでくれるだろう。
しかし、今連れ立っているのは大宮だ。彼女は「ふーん」と心底どうでも良さそうに目を向けて、そのアジサイをバックに自撮りをする女子にカメラを向けていた。もう他人のフリしたほうが身のためかもしれない。
「ずーっとここいらで暮らしてたのに、実は全然来たことなかったんだけど。フツーにムカつくし、来なくて正解だったのかも」
「……でもさ。ガワだけ見たら俺らも男女で2人だぜ?」
本当に、何の気なしにそんなセリフが己の口から出ていたことに気づいた時にはもう遅かった。こいつと会話していると、気が緩んでしまうことがあるからよろしくない。こんなくっさいこと言って、大宮が調子づくのは火を見るより明らかなのに。
「なになに? 口説いてんの?」
訂正する暇もなかった。大宮はにたにたと目を弓なりに、いいオモチャを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべる。
やっぱこいつとだと、ドキドキする展開なんて起きようも無いみたいだ。
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