23. やはり君には笑顔こそ
♡
時、来たる。
「……そ、それじゃさ! その……お家、お邪魔しても、いい?」
これまでの似たり寄ったりな2週間、どれほど待ちわびただろうか。もう3回目にもなると慣れたもので、俺は至って平静を保っていた。
「え? それって、俺の家ってこと?」
しかし、それでも未だ、何が引き金となってバットエンドに突入するのかは未知数なまま。気の抜けない状況であることには変わりない。
果たして、初見と同じように、"あたふたしつつも童貞臭さを消そうと敢えていつも通りなリアクションをする俺" を演出できているだろうか。
──もはや説明は不要かもしれないが、念のため簡潔に状況を述べておこう。
俺の提唱した世界ギャルゲー説を、影山さんがくそみそにこき下ろしてから一夜明けて、例に漏れず俺の時間は2週間巻き戻っていた。それからは、分岐の特異点であろう今に至るまで、大きく流れが変わらないよう細心の注意を払いつつも、虎視眈々と考えを巡らせていたのである。
同じく時間の逆行に巻き込まれている影山さんのところへ行ってみようかとは、何回か迷った。
しかし状況が進展していない今、特段話すこともないし、何より、影山さんにこのタイミングで会ったことが原因でさらなるルート分岐とかが生じたら、事態は俺のキャパに収まりきらなくなる。そう判断し、俺は前回前々回と同様に、天文部室には近寄らなかった。
決して、またなんか怒られるのがヤだったとかではない。
「そう、なん、だけど……」
こくり、と頷く桃原。今になってわかるが、彼女の瞳は、決意めいた色を宿し、俺をじっと捉えていた。
俺がバイトをあがるまでの2時間ほど、彼女は己と対峙し、如何にしてあの結論に至ったのだろう。異性に思いの丈をぶつけた経験がろくずっぽない俺が到底測り知れるものではなかった。
いや、しかし。であるからこそ、俺は桃原の申し出を断らなくてはならないのだ。
この日のための入念にシミュレートしておいた台詞を思い起こす。テーマはソフトランディングだ。桃原が俺に抱く
なんだか俺まで緊張してきた。
「ダメ、かな?」
俺のことだ、いざその時になれば必ず緊張するだろう、というのは抜かりなく計算に入れていたのだが。
結局、それもいい塩梅に、"突然の攻勢に戸惑う俺" を演出するスパイスになるだろう。そうタカを括っていて対処法は何ら考えていなかった。
……いかん。桃原が不安がっている。早く、──それでいていい感じにタメを作って、用意した返答を絞り出さねばなるまい。
「あー、……ゴメン。その、実は今、家におかん……母が来てて」
「そうなんだ」
考えに考えた、急な誘いをやんわり断る必殺技。
それはズバリ、家の都合だった。
……良くあるやつじゃんと思われるかもしれないけど、いや、そこは良くあるやつじゃないと逆に不自然だろう。
お前の母ちゃんなんて居ても気にしないぜ! と押し切られるリスクだって僅かに存在するが、断る理由としては法事に次いで強力だし、時間を問わず使用できる点も魅力的だ。
「せっかく待ってもらったのに、ほんとごめん。……埋め合わせは今度、絶対するから!」
「……そんな、そんな謝らないでよー! 私こそ急に変なコト言っちゃって、ごめんね」
目の前で餌をおあずけされたワンコみたく、それはもう悲壮な顔をした桃原だったが、次の瞬間には一転、そう気丈に言ってみせた。
優しい彼女のことだから、きっとこうなるとは思っていたけれど、実際にやられると、桃原がとてもいじらしくて、一抹の罪悪感を抱いてしまう。
この後、本来なら俺は桃原とにゃんにゃんフルコースだというのに……。罪悪感と同時に押し寄せる雑念も、腹筋に力をいれて黙らせる。今は辛いかもしれないけど、これも桃原の、ひいては俺のためなんだ。今はただひたすらに堪え忍ぶ時なのだ……!
「仲良しなんだね、お母さんと」
「え? ……いやー、どうだか。信用されてないだけだろ」
因みに今日は、俺が上京してまともな生活を送れているわけがないので査察に来た、という設定まで作り込んである。まあ、披露することなく、桃原は引き下がってくれちゃったわけだが。
「そんなことないって。きっと寂しいんだと思うな」
「そうかぁ……?」
「そうだよ」
タイミングを見計らったように、俺のスマホがブルブルと震えた。桃原に断って電話をとると、向こうから母親の声が大音量で聞こえてくる。
『ねえ、もうバイト終わってる時間よね? 晩ご飯つくって待ってるんだけど』
「あー、今終わったとこ。これから帰る」
『そう。そんなら道草食ってないで、早く帰ってきなさい……あ、ついでに牛乳買ってきて』
「あーもう、わかったから! もう電車乗るから、切るよ」
やりとりはそれだけだった。
無論、母親は俺の家になど居ない。実家の居間でアザラシのようにぐでっとカウチポテトしていること請け合い、である。
ではなぜ、事前に示し合わせたように電話が来たのかといえば、事前に示し合わせたからである。なにを隠そう、母親の協力を仰いで一枚噛んでもらったのだ。元演劇部だけあって、迫真の演技であった。
斯く斯く然然を虚実織り交ぜて伝えて協力を仰いでみれば、『アンタみたいな地位も名誉もない男に惚れるその娘が哀れ』『ていうかその娘って大丈夫なの? 洗剤売られたり、怖いお兄さん連れてきたりしてもお母さん知らないよ?』とまあ、お腹を痛めて生んだ我が子に対して散々な言いようだった。実際そう返したら『私、帝王切開だから』なんて宣っていた。
この親にして、とか思っちゃった人は正直に手を挙げてほしい。何もしないから。マジで。
……ともかく、迂遠であるにしろ、女を俺の家に上がらせない作戦に母親が協力を得て、こうして定刻に電話を掛けてもらい、一芝居打っててもらうよう頼み込んでいたのである。
「早く帰ってあげなよ!」
わざと漏れ聞こえるようにハンズフリーにしておいた電話の効果は覿面だった。
桃原は「親子水入らずだよ!」と俺の二の腕を遠慮がちにとんとん叩く。心なしか、いつもより距離感が近い。どうやら、フラグは立ったままである……はずだ。ひとまず、山場は乗り切ったと言えよう。
「ほんと、ごめんな……気、遣わせちゃって」
「いいのっ。…………そだ、埋め合わせ! 期待してるね!」
桃原に背中を押されてそのまま、駅舎へ駆ける。背中越しに、「楽しみにしてるからー!」と彼女の声が聞こえてきた。
純真無垢な桃原を騙すのは本当に胸が締め付けられる。屁理屈をこねるのだったらどちらかといえば好きだけれど、やはり、嘘を吐くのは、好きになれなかった。
♡
ちゃんと寝間着を着ていた。
覚醒と同時に、バネでも仕込まれていたかのように跳ね起き、スマホに手を伸ばす。
メアド、SNS、お気に入り……あらゆる項目を確認し、そして確信する。桃原がちゃんと居た、昨日と地続きの今日である。嬉しさのあまりベッドの上で歓喜の舞を奉納していたら、夜勤明けであろう隣人が壁を鳴らして威嚇してきたので、息を潜めて雄叫びをあげる。
俺は、居ても立ってもいられず、大学へ向かった。
そこには、俺が重ねてきた日常が在った。
講義前に桃原と落ち合い、仲良く出席し、昼食を摘む。空き時間は喫煙所でぐったりとしてある島林先輩の雑談に付き合い、部室でカップルアピールに勤しみ…………嗚呼、なんて幸せな日常。一度ならず二度も失ったからこそ、そのありがたみをこんなにも噛みしめられる。
こんな幸福を、やれやれ、疲れるのは嫌いなんだが、なんてスカしたツラして漫然と享受する人間には到底なれそうもない。人生に対する感謝が足りないよ、感謝が。
いやしかし、勝って兜のなんとやら、これからが正念場だ。2人の美女に挟まれてガハハと道往く冴えない男子諸君に優越感を覚えていられるのも、きっとそう長くはないだろう。
今回みたいな分岐が、いつ何度起こるかなんてわかりゃしないのだ。この幸せを噛みしめながらも、俺はどこかに在るだろうトゥルーエンドを模索していかなければならない。
いつもみたく、例会でぐでーっとする桃原を傍らに、俺は自然と口元を綻ばせながら、そう思った。
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