21. 一線を越えた先で



     ♡



 朝だ。


 また時間が飛んで、現状を端的に表すなら、部屋とTEN○Aと俺だった。前回の悪夢と同じく、桃原はいない。今度こそ、一緒に朝を迎えて、下着にTシャツ一枚でしっぽりモーニングコーヒーとか飲んでみたかったのに……。


 間違いなく、先日と同じ展開だ。つまり、予知夢の中で見た悪夢をまた見ている……ということだろうか? ややこしいことこの上ない。


 混乱しているにはしていたが、不思議と俺は落ち着いていた。既知であるというのは偉大なことだ。もちろん、望んで迎えた事態ではないにしろ、あれ以上最悪なことにもならないだろう。むしろ、そうじゃなかったら死ねる。


 なにもない部屋でじっとしていても埒が空かない。冷えた身体をシャワーで温めて、着替える。案の定、桃原に買わされたあの服は何処にも見当たらなかったから、くたびれた灰色パーカーにジーパンで大学へ繰り出した。


 その後起こったことは概ね予測の範囲内で、桃原はその存在ごと消え去っているようだった。一応、前回に倣って三限の講義の待ち合わせ場所で待機していたけれど、現れる気配もないし、もちろん連絡をとる手段もない。


 諦めてそのまま大教室に向かったところで、そういえばこれから『JOY』トリオに絡まれるんだったな、と思い出す。講義自体をパスするかどうかひとしきり悩んだが、結局席をずらして受講することにした。案の定、前回座っていたあたりにチャラ男たちは姿を現し、どうやらここまでは同一の展開をなぞっているみたいだと、俺は確信に至った。


 それと同時に……俺は、ある気付きを得た。なぜ今の今まで目を背けていたのか、理由は明白だったが、そんなことより、今はやるべきことがある。


 思い立ったや否や、俺は観研の部室へと足を運んだ。前回と同じ対面、前回と同じ会話。細部はともかく、俺はやり遂げてみせた。乱数調整でもしてるような気分だ。


 部室を後にしてから、俺は駐輪場の陰で誰のものともわからないチャリに腰掛け、来たるべき時を待っていた。6月半ばのキャンパスは、新歓期間の喧騒具合が嘘のように閑散としている。静かな時間がゆっくりと流れていく中、石のように佇む俺は、まさしく虚無の権化だった。


 やがて、待ち人が現れる。あちらさんは待たせたつもりなんて一欠片も無いんだろうけど、俺はさんざっぱら待ったのだから、そう言わせてもらう。


「別に、ここじゃなくてもよくない? 誰か来たらヤバいし……」


「静香が大きな声出さなきゃヘーキだって」


 ……そう、これだ。


 まぁ、説明するまでもないが、チャラ夫と先輩が部室棟のウラで盛り始めた。


 この際の2人のやりとりは、当時の俺にとって大変ショッキングに映ったのは、今だって鮮明に覚えている。でも、それも2度目ともなれば、心が若干の耐性を備えていた。


 何をすべきかなんて、一目瞭然だった。


 即ち──このままどっしりと構えて観察することだ。前回のように、動けなくなったのではない。今回は、敢えて動かないのだ。


 冷静になって考えてみて欲しい。こんな美人の濡れ場を生で見れるんだぞ。この先の人生、そんな機会が何回とあろうことか。もうこれはある意味ラッキーであると捉えることも出来る。


 悪夢だろうが、どうせ夢なのだ。見方など、俺の勝手だろう。


 息を潜めて刮目する。気分はさながら、希少動物の交尾の瞬間をカメラに収めんとするドキュメンタリー取材班そのものだ。珍獣ハンター佐倉、誕生の瞬間であった。


 先輩はイヤイヤと口では言いつつも、チャラ夫の粘着質な絡みに、少しずつ、字義通りに胸襟を開いていった。固唾を飲んで両の眼をかっっぴろげる俺、徐々に紅潮し呼吸が荒くなる先輩、それをみてニチャニチャするチャラ夫……。


 正しく地獄絵図である。


 …………くそ、なかなか見えない。否、チャラ夫が脱がしにいかない。焦らしに焦らす。見ているこっちが恥ずかしさとともどかしさに呻きそうになる程に。俺は確信した。こいつは相当のテクニシャンだ。


 だが、それは認めるにしても。今この場では、部外者が来るリスクを鑑み、さっさとヤることヤるのがベターだろう。

 ……いやもう既に俺が見ちゃってる時点でリスクヘッジもクソもないが。中腰で見守る俺の身にもなれ、ということだ。


 にしても、こうして昼間っからまぐわっているのだ。この桃原のいない悪夢せかいの中では、先輩とチャラ夫は付き合っているのだろう。俺にだってそれくらいはわかる。

 しかし、チャラ夫は男の俺から見ても魅力的には見えなかった。同じ種族でも『チャラ男』の方が、ビジュアル的にも、喋り方から滲み出る人柄的にも、数段上に思えてならない。独りよがりで焦れったいだけの男に付き合ってやっている島林先輩には、感服するばかりだった。


 そうこうしている内に、遂に先輩の豊かな双丘が露わになる。


「……ムムッ!!」


「やばっ、誰か来た!?」


「に、にゃ〜お!」


「……なんだよ……猫か……」


 危なかった。飲み会の一発芸の為に、発情期の猫のモノマネを練習していて良かった。


 第三者の気配に緊張した雰囲気から一転、先輩は、思わず、抱きかかえるようにして隠していた胸を、ゆっくりと開放した。


 服の上からでもその存在を主張し続けていたそれは、たゆんと揺れて、俺の眼はいよいよ血走りはじめた。先輩はわりかしボディラインを強調する系の服装が多かったから、想像などいくらでもできたが、それにしても、その姿はキャンパス中を震撼せしめるに足る破壊力を十全に備えている。


 奴にとっては、一度や二度の経験ではないだろうに、チャラ夫がなにやら気持ち悪く賞賛の声を投げて、先輩が軽くチャラ夫の頭を小突く。そんな、何気ない、好き合う者同士のやりとりに、俺は胸が締め付けられるのを感じた。


 今はどこにいるともわからない桃原と俺の、描写するには小っ恥ずかしい甘い思い出が去来したとかもあるにはあるけれど、ぶっちゃけ純粋に妬ましかった。


 先輩と俺が架空の恋人関係となった後、俺に詰め寄ってきた麻雀仲間ゆうじんたちの気持ちが、今になって痛いほど分かる。あいつらもなんのかんの理屈をこねていたが、それは一応友達だった俺に配慮していただけで、結局のところ、言いたいことなんて『羨ましいから死ね』しかなかったのだ。


 こんなにも苦しい思いを強いられるならば、すっぱいぶどうと決めつけて目を背けた方が余程賢明であるに違いない。だがしかし、こうして歯を食いしばり、痛みに耐え抜いてこそ見ることができる景色もあるのだ。


 ……。


 …………。


 ……………………。


 ひとしきり、終わった。


 満足げに抱擁を交わす二人は、俺がテントをおったて、秘境の資料映像を網膜という名のレンズに焼き付けていたことなんて、知る由もないだろう。俺とて、これ以上のことについての詳細は語るまい。秘事とは、己が内に秘めるからこそ、真にその価値を増すのだ。でなければ、秘する意味なんてない。


 意味不明な達成感に包まれ、俺は、余り人が寄りつかないグラウンド脇の公共用トイレへと、泰然たる歩を進めていった──

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