14. オタク特有のじゃれあい



     ♡



 大学入学当初は、目を爛々と輝かせ美少女との出会いを期待していた俺だったが、その欲望に満たされるどころか、若干の過剰供給に喘ぐハメになっているのは前述の通りである。


 だからこそ、新天地となるバイト先はそういった恋愛とか美少女とか肌色とかにゃんにゃんとかの一切を度外視して選定した。したはずなのだが。


「暇だー」


 よもや、適当に選んだバイト先にすら美少女がいるとは。

 こんな偶然に辟易してきているなんて贅沢を言うつもりはないが、それでも何か外的なチカラを感じざるを得ない。


 俺の下宿先から一駅下って、その駅前から少し歩いた某喫茶チェーン店。人の入りも大してなくて、過度な肉体労働でも高度な知識が求められるわけでもなく、そして何よりそれなりの時給……。大学の講義ではイマイチ理解できなかった『雇用の均衡点』なるものをそこに見出した俺は、善は急げと最寄りのコンビニにダッシュし、購入した履歴書に個人情報を殴り書き、やつれた中年のおっさんと5分くらい世間話をし、その翌日には店員としてカウンターに立っていた。ガイ・リッチー並のテンポ感である。


「忙しいよか暇なほうがよくない?」


「そりゃそうだけど、本当に何もないとそれはそれで困りもんなんだなこれが……」


 件の美少女──大宮薫は手持ち無沙汰を極めた結果、レジのドロワーをがっちょんがっちょん開け閉めしていた。その度、後頭部でゆるく括った髪がふる、ふる、とリズミカルに揺れる。ずっと見てるとだんだん眠くなってきそうだ。


「そういや俺、フーズの調理方法なんも教えて貰ってないんだけど……」


「んー……来た時でいいんじゃん?」


「いやいや、いつでもなんでも訊けっつってたじゃん」


「だって、君、呑み込み早いじゃん? このままだと私の先輩ポイントがもたないんだわ」


 大宮は俺より2ヶ月前からここのクルーとなっていた、先輩バイトだ。歳も近い……というか、同い年ということもあって俺の教育係になったのだが……この一週間、やたらと先輩風を吹かそうとしてくる。


 彼女は浪人生であるらしく、同い年と言えど学年で考えれば、俺の方が先輩になる。俺にとっては至極どうでもいいとこなのだが、彼女はこれを大いに気にしているらしく、バイトでの先輩ポイントがある間は差し引きイーブンの関係とかなんとか、よくわからない事で突っかかってくる。突っかかってきて結局自爆するまでワンセットであり騒がしいことこの上ないのだが、得意げに俺を糾弾し、マジレスされても楽しげに呻く彼女を見ていると、特に文句を言う気にはなれなかった。


 というか、こうしたじゃれあいは俺にとって一種の救いですらあった。なにも桃原やら島林先輩やらと一緒にいるのが辛いというわけではないのだが、ワンチャンあると思うとどうしても気を張ってしまう。


 常態の俺であれば、一言二言交わしただけで大宮にもすべからくワンチャン感じるべきではあるが、幸か不幸か俺は既にいっぱいいっぱいだった。


「そーいや、なんでバイト始めたん?」


「そりゃ、金欲しいじゃん」


「うわ……つまんな」


「え、ここボケるとこだったの」


「それもいいけど。暇なんだから自分語りくらいしてよ」


「ああ、そういう……。でも実際、夏合宿とか天体観測とか、イベントもりだくさんでさ。今のうちに金貯めないとヤバいのよ」


「はぁ〜? 夏合宿ぅ? 天体観測ぅ? 青春かよ!!!!」


 大宮は俺の言葉に戦慄いていた。こいつは浪人の身の上故か、学生っぽいキーワードに過剰に反応する。次いで天文部と観研に所属している話をしたら、眉間を抑えて盛大に天を仰いだ。


「んな羨ましいなら大学入りゃいいのに」


「入れなかったんだよ!! お前無駄に煽んのうまいな!!」


 大宮は間髪入れずに吼えた。


「これだからコミュ障のオタク君は…………いやまって、なんでオタクが青春ごっこしてんの……? オタク大学生って大教室の隅っこでソシャゲして食堂でボッチ飯するもんじゃないの? 怖っ」


 ……煽りスキルで言ったらこいつも大概だろう。いやしかし、真のツッコミどころはそこじゃない。


「大宮お前、大教室の隅っこでソシャゲして食堂でボッチ飯するために受験勉強してんの……?」


 そう。他ならぬ大宮自身がオタクなのだ。


 彼女の鞄にデフォルメされたイケメンキャラのラバストがぶら下がっていたので一発でわかった。俺は畑違いのオタクとはなるべく論をぶつけあわないタイプの内向きで温厚なオタクなので、見て見ぬフリを貫く方針でいたのだが、初手で『好きなアニメは?』とか訊いてくるものだからそれはもう血で血を洗うレベルの激論になった。未だにそこんとこの和解はしていない。


「いや、あたしはほら……けっこーカワイイから?」


「カワイイから?」


「オタサーの姫くらいにならなれる気がする」


 こいつは全国ウン万人の童貞ピュアオタクたちに一回ずつぶん殴られるべきだと思う。勿論俺も殴る。


「そう怒んないでよ。こちとら中高女子校なの。一回でいいからチヤホヤされたいの」


 チヤホヤされるポテンシャル自体十二分に持っているのがタチが悪い。しかし、大宮の容姿であればオタサーのオタク共は言わずもがな、高次存在たるイケメンナイスガイからも引く手数多であろうに。案外自己評価が低いのかもしれない。


「ま、君はそーゆーのとは無縁……あっ、ごめんなんでもない」


「なんか凄えバカにされてる気がするんだけど」


「いやいや、何でもないって。細かいこと気にしてちゃモテないよ? あ、いらっしゃいませ〜」


 大宮は、新たに来た客に敏感に反応し、俺と喋っているときより数段高い声を発した。うわこいつこのまま逃げ切る気だよ。


 この話題はこれで終わり、と言わんばかりに接客モードの大宮を尻目に、俺も諦めてサーバーに豆を追加しようとした時である。

 大宮が地声で漏らした「あ、かわいい……」という呟きに、俺は思わず振り返った。


「桃、原……?」


 入口には確かに美少女がいた。というか桃原だった。俺の姿を認めると、困ったような笑顔で、手を肩の上辺りで小さく振った。思わず俺も手を振り返す。


「ビックリした……。来るなら来るって言ってくれれば良かったのに」


「ちょっと抜き打ち調査にね」


 確かに、ここでバイトを始めたことは雑談の中で報告済みではあるが。冗談めかして『いつでもおいで』と言ったのも俺ではあるが。にしたって、昨日の今日である。ちょっとこれは予想できなかった。


 照れくさそうにレジまで来た桃原は、俺の隣で固まっている大宮のことをちらちらと見ている。まあ、気になるよな。さっきから桃原のことガン見してるもんな。


 なんて暢気に構えていたら、大宮が、ぎ、ぎ、とたてつけの悪い扉のように身体ごと俺の方に向き直った。謀反にでもあったかのような形相である。


「え、え、うそっ君、彼女いたの!?」


「か、か……ッ!!」


 桃原は桃原で、耳まで真っ赤にしてフリーズしてしまった。今にも俺を視線だけで殺そうとしている大宮はともかく、かわいらしく照れている桃原のことは正直しばらく眺めていたかったが、一応はフォローしなければ場が収まらない。俺は渋々口を開くことにした。


「誠に遺憾ながら彼女じゃあない。……まあ、友達だな、うん」


 俺の的確でいて冷静、かつ好意を匂わせているともとれる渾身の回答に、桃原も曖昧に頷いた。


「あー……なるほど。じゃなくて! こんな可愛い友達いたの!?」


「かッ!?」


 かわいいって大声で言われてまたフリーズしちゃう桃原がすごいかわいい。どうしよう。


「くそ、なんかもやもやする……。しかしかくなる上は…………老兵は去るのみよ…………………あとは若い二人に……」


「どさくさにまぎれてサボろうとすんな」


 芝居がかった口調でぶつぶつ呟きながら奥へ引っ込もうとする大宮の襟首を掴んで押しとどめながら、ぷすぷすと煙でも吹きそうなほど赤くなっている桃原から注文を取るのは至難の業であった。

 その間、大宮が耳元で1秒に4回くらいのペースで絶え間なく舌打ちをしていた気がしなくもないが、持てモテるものは心に余裕を持てるものであるということで、ぶっちゃけどうでもよかった。


「その……なんかごめん。さわがしくて」


「え!? 全然! 楽しそうでよかったよかったって感じだよ、うん。パワハラの心配もなさそうだし」


 言ってる側から、逃走を断念した大宮が「てんちょー新人がカノジョ連れてきたー」と叫びだした。またまた固まる桃原。もうなんなのこれ。


 そして、そんな言葉でのこのこ表に顔を出す店長も店長だと思う。この店、チェーン店としての自覚はあるのだろうか。


「え、彼女? マジで?」


 店長は俺と桃原の顔を何度も見比べながら、最後に俺にそう訊いた。気持ちはわかるがこの人失礼すぎないか。大宮の上司やってるだけはあると思う。


 色々めんどくさくなって自暴自棄に苦笑する俺に、店長が耳打ちする。


「マジなの?」


「マジだったらよかったんスけどね」


「あー、大宮さんの煽りか……」


「わかってんなら止めてくださいよ……」


「いやー、僕ももうナメられてるからなぁ……」


 しみじみと言いながら、店長は桃原が注文した抹茶ラテが乗ったトレーのど真ん中に、季節限定のちっちゃいケーキを載せた。


「ごめんなさいね、うるさかったでしょ。これ、迷惑料です」


 それだけ言うと、店長はよろよろとバックヤードへと帰っていった。これだけ見ればな優しげな中年って感じだが、『限定モノはある程度ださないと本部から怒られるんだよね……』とかボヤキながら、休憩ごとにレジに小銭を入れて季節限定ケーキを頬張る店長の姿をバイト初日から見せつけられている俺としては、体のいい在庫処分にしか映らなかった。


 でも桃原が嬉しそうなので俺も嬉しい。店長もかわいいお客さん相手にカッコつけられて嬉しい。なんとここにいる全員が幸せである。大宮は知らない。


 桃原は、レジから離れる拍子にふと口を開いた。


「今日、何時上がりなの?」


「え? 8時だけど……どした?」


「それまで待ってて、いいかな?」


「えっ…………つってもあと一時間半はあるよ?」


「私は大丈夫だから!」


「お、おぉ」


 珍しく、ちょっとだけ迫力のある彼女に気圧されて了解する。彼女はふんす、と鼻息荒く頷いて、レジカウンター付近の二人がけのテーブルに座った。近くない?


「トモダチ、トモダチねぇ……あやしいもんですな」


 時折桃原からの視線を感じ、ちょっとやりづらいなぁと思う俺の心境を知ってか知らずか、大宮は相変わらずのトーンで話しかけてくる。俺の同僚が無敵すぎてヤバい。


「しっかし、腹立つくらいかわいいよね」


「それは……そうだな」


「……狙ってんの?」


「それも……そうだな」


「きもっ」


 こいつマジでちょっと黙んないかな…………。

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