12. いわゆる選ぶ立場ってやつ
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あの金棒引きのチャラ夫が黙っている筈もなく、週が明けた月曜日の午後には、俺と先輩の関係は広まっていた。
十人十色、十把一絡げの大学生にとって、色恋沙汰の噂というのはかなりのホットトピックに位置する。ただ、誰それが付き合っただの、修羅場になっただの……クラス分けが語学の講義くらいしか無いぶん、どうしても内輪だけの盛り上がりになりがちだが。
しかし、その誰それの部分が島林先輩となれば話は別であった。
明るいヤツ、気さくなヤツは必然的に顔が広いことが多い。そんな中にあって、『なんか観研にやたら美人なのがいる』というだけの情報で名が知れている、基本
なんせ、ニーハンのバイクで登校して喫煙所行って、そのまま帰っちゃうような人だ。つけいるスキなんてどこにあるんだよ、というのが我が校の男子学生たちからの平均的評価であった。
彼らは、先輩を自分とは関わりのない、高次の生物と認識し、生活圏から切り離すことで心の安寧を保っていたのである。アニポケ1話のホウオウみたいなもんだ。ちょっと違うか。
「街中で女(性声)優を見かけたからといって、恋には落ちないだろ」と言ったのは俺の麻雀仲間だったか。
ちなみに後には、「でもシコるけど」と続く。台無しである。
……なんだったか。そう、だからこそ、その先輩に彼氏ができたというのは、大変なことなのだ。
誰の手にも届かない筈であった高次の存在……そう決めつけていた幻想は、たった1人の、自分とさして変わらない男に砕かれ、奪い去られてしまったわけだ。彼らに残ったのは、島林静香だって普通の女子大生に過ぎないのだ、という目を背け続けてきた現実と、
「俺、声優に恋人がいて発狂するオタクの気が知れなかったんだけどさ。完全に理解したわ。
当然これも、「でもシコるけど」と続く。彼はNTRオッケーなタイプのオタクなのだ。
そいつの前では、島林先輩の話は一切したことはなかった。この調子じゃあ、俺の顔見知りには全員伝わっていると見ていいだろう。もちろん、桃原の耳にも……。
「……まさか、こんなに噂になってるとはね」
いつもの喫煙所で、先輩は過去最大量の煙を吐いた。
喫煙率が年々減っていると云われる昨今、此処はあまり人も寄り付かず、先輩と2人で話せる絶好の場所であると言えた。
「朝から質問責めで疲れた……」
「先輩もですか」
しかしこの人も、恐ろしい劇薬を使ってくれたものだ。そんなこと、口が裂けても言えないけど、内心愚痴らせてもらうくらいなら構わないだろう。
まずは友達、知り合いを増やしてから目標を絞っていき、徐々に恋を実らせる……。恋愛前線の到来まで、綿密緻密な俺の計画ではあと1、2ヶ月程度は時を要する予定だったのだけど、そんなプランは容赦なくひっくり返されたのだから。
偽の彼氏彼女というのは、昨今のラブコメではありふれた主題だが。確かに、使い旧されてるだけあって効能はバッチリであった。
「どうします?」
「うーん……」
どうするもこうするも、出まかせだと告白して事態の修正を図るか、はたまたこのままなんとなく嘘を続けていくかしかない。ことは単純、二者択一である。
しかし、単純だからといって即決が出来るかといわれると、それとこれとは話が別だ。
俺の数少ない恋愛教材たる、ギャルゲーで置き換えて考えてみれば、此処はひとつのルート分岐のように思える。つまり、先輩か、はたまた桃原かのどちらかだ。
……先に言っておくが、ゲームで喩えること自体がナンセンスだと言う意見は受け付けない。他人の恋バナにツバを吐きながらこれまで生きてきた俺が参照にするなら、アニメかゲームか……いいとこ月9、要は創作物に頼るほかない。その中でも擬似的に恋愛を体感できたのはゲームくらいだったという、それだけのことだ。弁明してて死にたくなってきた。
話を戻そう。ともかく、先輩に対する答え次第では、先輩ルートに流れていくことも考えられる。裏を返せば、これまで積み上げて来た桃原との関係も水泡に帰してしまうということだ。
こう言うとめちゃくちゃクズっぽくてアレだけど、この際だから
それは余りに勿体なくないか。
そう、叶うなら、桃原ともナカヨシしつつ先輩と恋人ごっこをしたい。我ながら嫌気がさすほどの下衆っぷりだ。……いや、でも、しょうがなくないか。こちとら今まで分岐でセーブデータをわけられる恋愛しかしてこなかったんだぞ。そう回顧する自分に、重ねて死にたくなった。
「正直、キミとだったら、私はこのままでもいっかなー……とか、思ってる……」
俺が懊悩の坩堝で揉まれるさなか、先輩はサラッと、こともなげに答えた。
「まあ、そうですね。俺も正直……って、え?」
半ば反射的に肯定しそうになり、ビックリして先輩を見ると、少し耳を赤くしながら吸い殻を灰皿にモミモミしていた。
いまなんて? と首と眉の動きだけで伝えると、『2度も言わせんな』みたいなジト目が返ってくる。今言うようなことではないと思うが、今日1で可愛い表情だった。
「予想以上に噂になっちゃってるし。……てか、いちいち訂正して回るのめんどいし……」
なんとも先輩らしい理由だった。
「それに、今さら、あれは嘘でしたー……て言ったら、またアイツが活気付くだろうし」
先輩の言葉に、半月みたいに目を歪ませて、ワンチャンワンチャン騒ぐチャラ夫の幻影が脳裏に浮かんだ。
「勿論、嫌だったらフってもらっていいんだけど……」
「いや、ぜんぜん嫌ってわけじゃ!」
俺を
「ありがと。……でも、モモちゃん。気になるんでしょ?」
「……えー、と」
「別に隠さなくていいよ」
確信めいた口ぶりだ。事実として、それこそが俺の悩みの核心であるがゆえ、尚更バツが悪い。
「いやっ……でも……ホントに、アイツとは付き合ってるとかそういうんじゃないんです……。ただ、……ああいや、今日はまだ顔合わせてないんですけど、なんというか……。桃原といると、なんか楽しくて……でも、これじゃ少し気まずくなるんじゃないか……つか、俺が勝手に気まずい感じになりそうというか……。でも、先輩の助けにだってなりたいんです……せっかく頼って、もらったんで……」
我ながらしどろもどろもいいところだった。こういう時、言葉巧みに望ましい展開を引き寄せられるに足る人生経験も、ツラの皮の厚さも、俺には到底望むべくもなかった。我が両親の情操教育の賜物なのか、嘘をつくのが下手というか、上手く誤魔化せないというか。己の不器用さが情けない。
そんな俺にも、先輩は優しく微笑んで肩をポンと叩く。
「そういうのは、本人に話してみなきゃ、ね」
「…………さすがに意識しすぎでキモくないっすか、これ」
「? そうかな。ピュアな感じでいいんじゃない?」
「んな、テキトーな……」
「本人も、まんざらじゃ無さそうだけど」
唐突に、先輩が俺の背後を指差す。
「えっ」
なんというか、桃原がいた。距離にして2メートルもない。
「こ、こんちはー……」
……俺はマジのガチで一切気付いていなかったのだが、どうやら桃原は結構な時間、俺と先輩との話を聴いていたらしい。島林先輩がイタズラを成功させたみたいに口元を綻ばせるものだから、これは……事前に呼んでたってセンも有り得る。
真っ白になりそうな頭で、仄かに赤く色づいた桃原に、俺は話しかけた。何を言うべきかはなんにもわからなかったけど、何か言うべきだということは確かだった。
「桃原……。えーっと……」
「よ、良かったよー。もう、あんまり話し掛けたり遊んだりできないのかなー……って……不安、だったから」
ガチガチの棒読みとつくり笑いが徐々に薄れていき、最後にぽつぽつと心中を吐露する桃原の姿に、俺は……マジで可愛いなこの子。庇護欲がヤバい。
さっきまで悩んでいた自分がバカらしくなると同時に、こみあげてきたのは羞恥心だった。
自意識過剰なのはわかっている。でも、あんなん……告白みたいなもんじゃ……いやそれは言い過ぎか。でも、ともかく、あんなストレートに好意を露わにしたようなセリフを聞かれていたのだ。しかも、本人に向けて言ったわけじゃないってのが逆にガチっぽくて……キモい。
「私のことは、気にしなくっていいから。2人は今まで通り、なかよくしてね」
トドメと言わんばかりの先輩からのアシスト。なんですかそのひと仕事したみたいな顔は。
「桃原、その……ちょっとだけ、俺の言葉……忘れてくれ…………」
「それは……ちょっとだけ、イヤ、かな」
俺は今日1で悶えた。
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