10. 実は横長タイプもあったりする



     ♡



 来たる土曜日、買い出し当日。前日にラインで知らされた集合場所である、大学最寄りの駅前ロータリーで、俺は先輩を待っていた。


 オナ……合戦前の日課に執心しすぎたせいか、変に眠りが浅くて早く起きてしまった。

 早起きは三文の得なんていうけれど、朝食の自炊や部屋の掃除なんて高尚なことは微塵もやる気が起きず、こうして無駄に早く来て、無駄に時間を持て余している。


 まだ先輩が現れる気配はない。丁度、今みたいに隙間ができた時、先輩みたくタバコを嗜んでいると色々と便利なのかもしれない。まぁ、興味本位で友人から一本拝借した時は、ひどくむせて吸えたもんじゃなかったんだけど。


 SNSで知り合いの動向を見て時間を潰そうにも、土曜の午前中に起きている大学生などそういるはずもなく、ボンヤリとロータリーを行き来する人を眺める。最近──というか桃原に服を買わされてから、こうして街行く人の容姿に気が行くようになった。と言ってもオシャレに覚醒した訳ではないし、一体何が俺に合った服装なのかも未だにピンと来ない。


 それでも、こう、なんか如何にも……なオーラを発している男の服装は、決まってくたびれたTシャツだったり季節感皆無だったり……まぁ、とても説得力があった。いきなりオシャレ番長になるのは無理でも、ハズレをひかないよう心掛けることくらいはしなければ。


 あと、こんな感じで往来の人を観察することで、改めて気付かされることがある。つまり、やっぱり桃原と島林先輩は、道行くそこらの女性よりは頭一つ抜けて可愛い、ということだ。


 別段、彼女達と付き合えるかなんて未知数もいいところなのは重々承知なのだけど、そんな容姿端麗な異性とサシで外を歩けるというのは、それだけで本能的な優越感を得られるものなのである。


 そんなことを思いつつ、人間観察未満の何かをぼやぼやと続けて、そこそこ可愛い感じのOLと目が合っちゃって訝しげな視線を返された頃合い、後方から島林先輩の声がした。


「おはよ」


「あ、先輩……おはようございます」


 先輩はなんというか、いつも通りだった。まあ、大学には制服がないので、あのコの私服姿が新鮮……的なイベントは起こり得ないのだが。今になって思い返せば、初デートでなかなか気合いれた格好をしてきた桃原にマトモなコメントを残せなかったことが大変悔やまれる。


「ごめんね、今日は無理矢理手伝わせちゃって」


「いえ! 全然気にしないでください。むしろ、先輩の方こそ……なんつーか、会計も結構大変っすね」


「一応、代表の次に偉いらしいから、ね……。やるつもりなかったんだけど」


 観研3年生唯一の経済学部だから、という理由で会計職を押しつけられたんだと、島林先輩は不満げに語った。確かに、歯に衣着せれば、自由奔放かつ悠々自適な感じの先輩にマッチした役職とは言い難い。


「医学部行ったからって医者になる訳でもなし……」


 先輩は遠い目をして溜息をつく。大概医者になるだろ、と思ったものの深くは突っ込まないことにした。実際のところは知らないし。


 そんなことは置いておいて、と先輩は仕切り直し、本日の予定を発表する。


「なに買おうか?」


「えっ? 決まってないんですか?」


「キャンプ部とかならともかく、旅行サークルのウチに必要なものって、そんな無いからね。とりあえず、2、3万くらい消費できればなんでも」


 それで、色々と考えたんだけど、未来ある新入部員の意見も取り入れるべきだと思った。と、体良く匙を投げられた。

 なんでもいいとは言っても、部活動と関係ない出費はNGだし、領収書の提出も要請されている。そこら辺の最終的なジャッジは先輩がするらしい。


「何か部室に欲しいものとかある?」


「そうですねぇ……」

 

 二人であれこれ物色する時間が増える分、俺としても願ったり叶ったりなのだけど……いざなんでもって言われると中々思い浮かばないものだ。


 部室、部室……と頭の中で繰り返してると、ふと一つのアイテムが脳裏をよぎった。


「なんか思い付いた?」


「思いついたというか、思い出したというか……」


「ん、おけ。じゃあ……そこ行ってみよっか」



     ♡



「これ、いい……」


 島林先輩はふにゃふにゃの微笑を湛えながら、甘い吐息を漏らす。


「ちょっとヤバい……かも」


 為すがままに身を委ね、彼女は静かに、百貨店にサンプルとして設置された『人を駄目にするソファ』に沈んでいた。


 そう。俺が土壇場で思い出したのは、天文部の部室であった。観研と比すると圧倒的に人の出入りがないあそこには、クールを通り越して怜悧な佇まいの影山さんと観測機材を除けば、余暇を快適に過ごすための知恵で溢れている。……一回でいいからあのソファにうずもれる影山さんを見てみたいな…………いやまあ、さておき。


「もふ……もふ……」


「ね? どっすか?」


 そんな影山さん程ではないけれど、そんなに表情が豊かともいえない先輩が、だらしなく、その肢体を預けている。その無防備な姿は非常に扇情的だった。

 特に深い意味はないけど、俺は先輩の目線まで身を屈めて、購入を促してみた。重ねて言うが、特に深い意味はない。断じて膝が3つになったりはしていない。


「なんかもう……いろいろどーでもよくなってきた…………」


「そうでしょうそうでしょう。なにより、個人的に買うにはお高いけど、今回の予算にはちょうどいいお値段」


「うーん……でもスペース取る割りに一人しか座れないよね」


 骨抜きにされても冷静な人だった。


 確かに、『観研』の部室は歴代の部員が遺していった漫画やアルバム……果ては腹筋鍛えるコロコロまで、何かと物が多く、空間に余剰はそこまでない。


「強情ですね」


「一応、会計だからね。この程度のプレゼンじゃ、なびかないかな」


「そんな目をトロンとさせて言われても、説得力ないっすよ」


「わたし、元から垂れ目だし」


 まぁ、晴れて購入と相成ったとして、観研の部室にコレが設置されようものなら、いよいよもって天文部へ足を運ぶ理由が無くなりそうなので良しとする事にした。現状、長年かけて染み付いた俺の陰な部分をタレ流せるのはあの部屋しかない。このままあそこに行かなくなると、まるで俺が根暗で偏屈なクソ陰キャから卒業してしまうようで……あれ? 別に問題なくない?


 まあいい。なんなら影山さんだって可愛いには可愛いのだ。天体観測なんていう青春イベントが控えているのだから、その時彼女と仲良く……は無理でも、気まずくならないためにも、天文部にはちょくちょく顔を出す必要がある。


「……そしたら、新設備とかじゃなくて、古い物を買い換えするような方向ですかね」


「そうだね。……そろそろ、行こうか」


 先輩は眠たげに首肯すると、スッと俺の方へ手を伸ばしてきた。……なんで?


「たてない」


 ほう? なるほど、引き起こしてくれと……マジで?


 なんとなく、マイペースで落ち着き払った印象のある人だったし、こうも長時間二人きりでいる事もなかったので、知る由もなかったが……なんだこの甘えん坊。部室での拗ねまくってた一件といい、こっちが素なのだろうか?


 恐る恐る先輩の手を引く。


「んっ……ありがと」


 先輩は少しだけ気恥ずかしそうに言った。叶うことなら社交ダンスみたいな感じでそのまま抱き留めてやりたかったが、鋼の心で手を離す。危なかった。昨日3発ヌいといて正解だった。


 なんだか気恥ずかしくなって周囲を見ると、隣で同じようにソファではしゃいでいたであろう高校生っぽい野郎3人組が、俺と先輩とのやりとりをヨダレ垂らしそうなアホ面で眺めていた。たぶん、先輩が手を伸ばしてきた時の俺も似たような顔してたろうから、あまり強くは言えないが。


 ふと、数ヶ月前の自分が投影される。少し前の自分の立ち位置はあっち側で、『彼女は出来るんなら欲しいけど、そんなに必死になる程興味があるわけじゃ……』とかぬかしていたことを思い出して、もんどり打ちそうになる。


 ねだるな。勝ち取れ。そんな大切なことをアニメが教えてくれたのに、なぜ過去の俺は一歩として踏み出さなかったのだろう。


「行こ?」


 そう言って微笑みかける彼女の姿に、俺は決意を新たにした。


 俺は、モテるぞ。

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