9. 桃原のバイト先はパン屋さんらしい



     ♡



「えー、次の例会までに夏合宿の参加者と日程決めをしたいと思うんで、スケジュールの確認とか、各自でお願いします」


 毎週水曜、6限後の空き講義室で、『歓研』の例会は開かれる。まあ、例会なんてゴツいのは名前ばかりで、実態は自由参加のゆるい集会だ。毎回フルメンバーの3分の2程度しか集まらないらしいし、なんなら未だに見たことない先輩だっている。


 基本的に時間割を4限までで終わるように押し込めている俺は、講義終了から例会までのスキマ時間を、桃原はじめ他の1年年同士でカラオケやらダーツやらで潰していた。


 今回の例会は、夏合宿の告知……しかやることがないようで、代表の眼鏡男子が教壇に立ってから、カップラーメンができる程度の時間で終わりを迎えつつあった。あとでラインで内容連絡回るし、これもう本格的に出る意義ないのでは……。


「疲れたぁー……サボっちゃっても良かったかな……」


 生真面目な桃原でさえこの有様である。カラオケで歌い疲れたのか、溶けかけの雪見大福みたいにぐにゃぐにゃと長机に身体を預けていた。ゆるキャラみたいでかわいい。


「俺からは以上なんだけど、他に報告ある方いますかー?」


 代表が周囲に目配せしながらマイクをそちこちに向ける。『他に質問ある人ー?』と同様に、学生にとってはありふれた結びの言葉だ。


「ゴメン、会計からひとつ」


 会の終わりを察知してか、バッグに手を掛ける奴がチラホラと現れ始めた中、島林先輩がスッと手を挙げ、そのままスタスタと教壇に上がった。


 先輩がマイクを持つと、さきほどまでとはうって変わって静かになる。無理もない。『会計から一言』なんて、二言目には金を払えと言われるに決まっている。ここみたいなゆるい感じのサークルだと、お金のキッチリした話が忌み嫌われるというのはありがちな話であろう。


「去年の活動資金の余剰が消化しきれてないので、部室の備品を新調することになりました。それで、今週の土曜に買い出しに行くんだけど」


 なんだ、俺たちが払うわけじゃないのか、と場の空気がやや弛緩する。しかし、これはこれで重要な話らしい。


 活動費として大学に申請した予算は、なるべくその年のうちに使い切らないと、過剰申請と見做され翌年の予算がカットされてしまうことがあるのだという。会計の仕事というのは、取り敢えず多めに予算を申請し、なんとかして消費することである、とは先輩の言。


「荷物も大きくなりそうだから、誰か一緒に来てくれると助かる、かな……」


「はい! 俺、立候補しまーす!」


 学級委員決めみたいな様子見アンド様子見の均衡が生まれることもなく、競技かるたもかくやという反応速度でチャラ夫が垂直に手を挙げた。

 覚えているだろうか。島林先輩に粘着し、ひどく煙たがられるている、あのチャラ夫である。


 先輩は、やっちまった……と顔をしかめるも、なんとかチャラ夫に反撃を試みた。


「稲田君、ゼミでフィールドワークあるって言ってなかった?」


「え? いや、サボるけど?」


「そういう訳にはいかないでしょ」


「そこまで嫌がることねーじゃんよ〜」


 正直、島林先輩が同行メンバーを公募した時点でこうなることは火を見るより明らかだった。とりつくシマも無い感じの態度をとっているのに、こうも脇が甘いから、それを不器用な優しさと勘違いしたチャラ夫が調子づくのだ。後にそう嘆く彼女の話を聞いて、なぜそこまで自己分析できていながら平気で地雷を踏みぬくのだろうかと俺は首を傾げるばかりだった。薄々思っていたが、この人、わりかしバカなんじゃないかな……いやまあ、さておき。


 ここでいっちょポイント稼ぐためにも、対抗馬として名乗りを上げ、華麗に島林先輩をフォローしたいのは山々なのだが……『JOY』の新歓――桃原をチャラ男から助けたアレだ――の時とは色々と事情が違う。


 そう、孤立無援だったあの時と違って俺の隣には、苦笑いで事態を見守っている桃原がいるのだ。本来ありがたいはずのその事実が、今は逆に俺のことを縛りつけていた。


 いつだかか、優しい人が好き、なんてふわっとしたことをぽろっと言っていた桃原だけど、 恐らく、その優しいという言葉に博愛のニュアンスは含まれていない。童貞の俺でもそれくらいはわかる。


 島林先輩はキレイでクールでなにより美人なので、可能ならワンチャンの為に一手を講じておきたい。が、しかし、今のところ最も手応えがあるのは桃原に違いない。どうにか先輩ルートの萌芽に水をやりつつ、桃原との関係も維持する方法はないのだろうか……。


 二つの椅子を並べて真ん中に座ったとして、パックリ割れてケツから落ちるのが常である、ということは百も承知だ。しかし、考えてもみてほしい。今の今まで、俺に席が用意されていたことなど無かったのだ。恋愛初心者たる俺がここで迷うことを、一体誰が責められようか。


 ……とはいえ、デートまでさせて頂いた桃原と、ちょくちょく話すことがあるだけの先輩とだと、どちらを重視すべきかは自ずと決まってくる。これは決して日和見でも事勿でもない。ただ、今は様子見が最適解というだけなのだ。


 自己弁護もそこそこにわりと本気でそう思っていたのだが、俺の浅い目論見なんてぶち破られるためにあるようなもので、


「そういえば、君、暇だったよね?」


 島林先輩が白羽の矢を放ったのは、なんと俺に向けてであった。


 先輩は指差しも名指しもしていないので、一応確認の為に周囲の様子を伺う。チャラ夫はぎょっとしたように俺のことをガン見しているし、桃原はぐでぽよ状態から一転、背中を串刺しされたかのようなガッチガチの姿勢で俺を見ていた。


 間違いない。俺だわこれ。


「暇……っすね」


「じゃ決まり。詳しくは後でね」


「りょ、了解です」


「ちょっ!? タンマ! 待ってって──」


「私からは以上です」


 1人騒然とするチャラ夫を拒絶するようにそう締め括ると、先輩はマイクを教卓に置き、最前列の席に座った。ざまあない。


 いやしかし驚いた。自ら手を出すでもなく、最良の結果が転がり込んでくるとは。なに、俺とて『島林先輩に指名されちゃえば、桃原に角を立てるでもなく、先輩へと道を繋ぐこともできるんだけどなぁ』と、都合のいい考えを抱いてはいたのだ。ちょっと都合良すぎてどうなのって感じの願望丸出しだが、それでも現実はその通りになった。どうやら俺の知らぬうちに先輩からの好感度はそこそこ稼げていたらしい。


 ……いや、謙遜するのは止めよう。これも偏に、先輩が俺に気兼ねなく頼みごとができるくらいコミニュケーションを積み重ねてきた、俺の勝利なのだ。偶然を装って喫煙所の周りを往復したり、駐輪場にある先輩のごっついバイクの機種を特定し、趣味の話についていけるようにしたり……そうした日頃の努力の賜物なのだ。チャラけてまとわりつくだけの野郎と比べられちゃ困る。


「私も手伝う! 先輩に言ってくる!」


 例会が終わった直後、隣の桃原はふんすふんすといきりたち、俺に迫った。


「手伝う……て、桃原、土曜からバイトって言ってなかったっけ」


「ぐぬぬ……バ、バイトは……」


「出勤初日でしょ? サボるのはちょっとヤバくない?」


「ふぬぅ……!!」


 島林先輩が俺を指名したことに、桃原は大変焦っているように見えた。いや、見えたではない、焦っていた。俺が他の女性と仲良くすることで彼女が動揺しているというのは、つまり、男女の友情とかいう生温い関係ではなく、桃原が俺を男として認識していること……だよな? いよいよこれはあれなのか? 後もう少しすれば、タイミング良く告白するだけ……なのか?


「なんか、ゴメンね」


 唸る桃原を宥めていたところ、背後に先輩が立っていた。


「アイツを躱すための方便で言っただけだから。二人に予定があったら別に大丈夫だよ」


 先輩は俺と桃原に目配せすると、申し訳なさそうに言った。


「いえ! その、全然問題ないです! 馬車ウマの如くこき使ってください!」


「いや、そんな重労働ではないんだけど……。それじゃ桃原さん、彼、借りてくね」


「かか、かっ、かっ……」


 散々駄々をこねていた桃原だったが、先輩本人のキラーパスを前にタジタジになっていた。いや、流石にこの『彼』はなんの含みのない代名詞だと思うのだが。


「また後でラインするから、よろしく」


 どうやら、先輩は謝罪をしに来ただけらしく、要件を済ませると、ヒラヒラと手を振って帰って行った。


「……やっぱ、カッコいいよね、島林先輩……」


 講義室を後にする先輩の姿を目で追いながら、桃原は珍しくアンニュイな溜息をついたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る