5. 祝勝会ということでひとつ




「ここ! ここ入ってみよっ」


 10分ほど街を散策した結果、桃原がここ掘れわんわんとばかりに指をさしたのは、小洒落た雰囲気のエスニック料理屋であった。店先に置かれた小さい黒板には、今日のオススメ! とかわいらしい文字が躍っている。


 これについては、野郎諸君から多大なる同意が得られると確信しているのだが、俺が好んで通い詰めるような店というのは、床が油でしっとりとコーティングされているようなところである。


 肉! 飯! 脂! これが真理だ。なんならニンニクを付け加えてもいい。


 ……果たして、中高6年間と地方都市のB級グルメで育ってきた俺は、このグリーンカレーなるものをおいしくいただけるのだろうか。


「うまいなこれ」


 普通に美味だった。見た目こそ『シーフードの野菜スムージー煮込み』てな感じの様相を呈しているけれど、ちゃんと食べ物だった。ココナッツ風味のカレーって感じだろうか? 風の噂で、緑色のカレーはスパイスの関係でアホほど辛いと聞いていたのだが、全然そんなこともない。ただまあ、俺が普段食べるような、雑に豆板醤をぶっ込みました的辛さとは一線を画す、品の良い辛味ではあった。


「んー!! 美味しい!」


 対面の桃原嬢もご満悦の様子。落ち着いた店の雰囲気にあてられてか、声量は控えめのままに足をパタパタさせて喜んでいる。


「でてきた時はあったかい野菜ジュースかと思っちゃったけど、ちゃんとカレーだね」


「あー、やっぱり桃原もそんなふうに思ってたんだ」


「やっぱりて! やっぱりてなに!?」


「いまさらシティガールぶられても、出身知ってるからねぇ……」


「ぐぬぬぬ……」


 肝心なところで垢抜けない桃原であったが、その垢抜けなさが俺を安堵させてくれる。


 見た目こそ、ほどよく流行に流されるイマドキの女子って感じ(俺調べ)の桃原だが、その実、素朴で変にお高くとまっていないところが彼女の魅力なのかもしれない。


 お互いに「うまー」「うまうま」とバベルの塔崩落直後もかくやな語彙力を露呈しながら、グリーンカレーをゆっくりと消費していく。

 しかし、女の子とおしゃべりしながら食うと、飯はこんなにも減らないのか。新鮮な気づきであった。桃原はドカ盛り系ラーメン店には連れて行くまいと、俺は密かに決意した。


「この後、なにしよっか?」


 皿の底が見え始めたくらいで、兼ねてからの懸念事項が桃原の口から飛び出す。


 今日のメインとなる目標である、『ペットショップでパピーをモフる』は午前中にサラッとこなしてしまった。丸1日も時間をもらってしまえばこうなるのは必然である。当然、そんなことに気づかない俺ではない。ないのだが。


 ……気づけるのと、何か対策を打てるのとは全くの別問題なのだ。『明日世界が滅びます』と言われても1個人にはどうしようもないのと同様に、賢者と化した俺は、デートプランという目前に迫った未知を相手に途方に暮れながら入眠した。わりとグッスリだった。


「行ってみたいお店とかあった? 俺も一応探してたんだけど、……正直、どこもオシャレでよくわかんなくなっちゃって」


 この場で考えたって手遅れなので、いっそ潔く桃原のリクエストを尊重するスタイルに切り替えた。思考放棄と言ってもいい。


「う~ん……そーねー……」


 グリーンカレーに入っていたカニの爪をほじくっていた桃原は、一旦その手を休め、首を傾げながら眉間に皺を寄せる。


「そうだ、服! 買いたいかな、なんて」


「あー、確かに。見たことないブランドのとかあったね」


「そうそう! 地元だと買える場所も決まってたし、あーいうおしゃれなお店も無かったから……。色んなとこ回ってみたいな」


「友達とがっつり服被ったりするよな」


「あるあるだよね」


 どうやら桃原も同じ経験があったらしい。いくらシンプルな服でも、着る人によってオシャレ度は大幅に変化するから、片田舎で桃原みたいな美少女と服が被っちゃった日には……少し相手方が可哀想だ。ともあれ、何かしら共通項があると、こうしたあるあるネタで盛り上がれるのはありがたい。


「あんまりはりきっておしゃれすると逆に浮いちゃったりね」


「……それはちょっと見てみたい」


 のどかな日本の田園風景に、パリコレじみた奇装をする桃原を想像してみる。何着せたってどうせかわいいので無問題だ。着ぐるみとかめっちゃ似合いそう。


「あのあの!」


 俺が益体もないことを考えていると、桃原はズビシィ! と天高く右手を挙げた。その表情は、どことなく憤慨しているようにも見える。いきなりどうした。


「今日は、かーなーり! はりきっておしゃれしたのですが!」


「……………………いやほら、桃原いつもおしゃれだし」


「それ、ぜっっったい、今! 今思いついたやつでしょ!」


 ……あ、バレた? しかし、俺の言葉に偽りはない。先述の通り、素材が良ければ煮ても焼いても果ては生でも美味いもんは美味い、そういうことだ。


 ……一応弁明しておくと、生粋のダメオタクである俺は服飾の知識ももちろん偏っていて、女モノに関しては、ネグリジェとベビードールの区別くらいしかわからない。何を想定してそんな知識を仕入れたかは、出来れば訊かないでほしいところである。


「予定を変更します」


 桃原は厳かに口を開いた。


「今日は、キミをおしゃれさんにする!!」


 というわけで、午後の予定は急遽、俺のファッションショーと相成った。そんなことして一体誰が楽しいというのか。


「ふむふむ、なるほどなるほど」

「これもなかなか」

「おっ、いーねいーね、もうちょい視線上げめで!」


 少なくとも桃原は恐ろしく楽しそうだった。


 というかこれ、俺の扱い、わんこと一緒じゃないの……?

 いや、大丈夫、少なくとも無下に扱われているわけではないのだ。こんなところで急いていては色々と仕損じる。ここは“見”が無難だろう。


 そんな思惑のもと、流されるまま桃原の着せ替え人形と化していた俺であったが、ふと店員さんから発せられた何気ない一言、


「彼女さん、かわいいですね」


 これに危うく自我を吹き飛ばされるところであった。彼女。彼女。彼女かー。かーっ、やっぱそう見えちゃいますか、かーっ!


 本音のところでは、そうであろうそうであろう、うちの杏子ちゃんチョーかわいいんですよコレ、と超早口でまくしたてて優越感に浸りたい以外の感情を失っていたが、俺はぐっとこらえて、「ありがとうございます」とだけ応えた。


 もとより俺は、不純な期待に塗れながら今日という日を迎えたのだ。こうして茶化されても、むしろ援護射撃ありがとうございますという感じであるのだが。


「か、かかっ、かっか、っかっかっ」


 一方の桃原は接続の悪いBluetoothみたいになっていた。耳までまっかっかである。どうやら彼女は、この手のアレにはあんまり耐性が無いらしい。俺的にポイント高いよそういうの。


 桃原は動揺を隠すように俺の胸元へハンガーを押し付けながら言った。


「こ、これを買います」


「いや、買うの俺じゃね……結構高いな」


「買います!」


「いやっ…………でもぉ……」


「じゃなかったら私が買う!!」


「…………買います……」


「宜しい」


 俺の財布は一瞬にしてペラッペラになった。


 その後は桃原の足の赴くままに服屋をハシゴし、気づけば時刻も18時を回っていた。特筆すべきイベントはなかったが、これは裏を返せば順調に事を運んでいる証左とも言える。初回にしては上々だろうと、そう思いたい。


 しかし、ともあれ、なんというか。流されるまま桃原に買わされてしまったオシャレ服が入った、これまたオシャレショッパーに視線を落とし、考える。


 これ、いつ着るんだろう。


「せっかくだし、明日それ着て大学来てよ。宿題ね!」


「……マジ?」


「まじ」


 桃原は、にまにまと笑みを浮かべつつ頷いた。これ、普段使い用だったのか……。てっきり、いつか来るかもわからない何かに備えての勝負服みたいなものだとばかり思っていた。


「何かってなにさ、もー」


「……デートとか?」


「で、ででで、ででっ」


 桃原がまた真っ赤になった。かわいいとか気分がいいとか通り越して、ちょっと面白いぞこれ。

 謎の全能感に軽く腰まで浸かってるくらいの気分になった俺は、どうどうと桃原を諌めた。


「例えばだよ、例えば」


「あ、ああ! たとえば!! たとえばね!! びっくりしたなぁ!」


 桃原が肩をぺしぺしと叩いてきたので、ショッパーを掲げて防御した。すると彼女はひょこひょこ左右に振れながら、角度を変えてどうにか俺を叩こうとする。テキトーにあしらっている体で対応する俺であったが、内心はニヤけっぱなしであった。通行人からの『なにやってんだこいつら』的な白い目が最早心地良い。


「とにかく、明日、着てくること!」


「へいへい」


「着てこなかったら………………………………おこるよ?」


 着てこなかったらどうするか5秒くらい考えて特に何も思いつかなかったっぽい桃原は、全然凄くない凄み方をして、俺の顔を覗き込んだ。近い近い。


「……オーケー、絶対着てくから。そんじゃ、今日はこれで」


「えっ、帰っちゃうの? 夜ご飯は?」


 非常に魅力的な提案ではあったが、想定外にお高い洋服を買わされてしまった俺はもう、素寒貧に程近い。念のため、本当に念のために用意しておいたホテル代までまとめて吹き飛んでしまった今や、解散以外に取れる選択肢など無いのだ。


「ごめん、今あんまお金無くてさ。そろそろバイト始めようと思ってるから、給料入ったらまた、パーッと遊ぼうぜ」


 桃原はちょっぴり不満げだったが、俺に無理矢理服を買わせたことに負い目を感じているのか、あっさりと引き下がった。


 ……あろうことか、この俺が、女子を、焦らしている。背景や理由はともかく、状況だけみればそう捉えられるだろう。自身の圧倒的成長に俺は震えた。増長しているとも言う。


 路上で解散というのも少し味気無いので、桃原を駅まで送り届けて、今日の全行程は終了ということになった。


「じゃ、また明日ね」


 改札をくぐった後も、何度か此方を振り返っては手を振ってくれる姿に、思わず笑みが溢れる。全体を通して、悪くない感触だ。かくして俺は、無事に恋愛ゲームの第一ステージを乗り切ったのであった。



     ♡



 桃原がホームへ上っていくのを見届けた後、俺は行きつけのギトギトなラーメン屋に直行した。


 正直、今日1で多幸感に溢れる時間だった。

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