4. 前夜祭という名の
♡
実際のところ、俺が浮かれているのはどうしようもない事実だと思う。
なんせ、まーどうせ無理だろうけど、大学入ったらワンチャンなんかの間違いで美少女と仲良くなれるんじゃね……? とかクソほど都合のいいことを考えていた矢先にこれだ。
正直な話、俺は自ら率先して交友の輪を拡げられるような人間ではない。故に、寝ぼけた眼で天を仰ぎ、アホみたいに口を開け、そこに甘露が転がり込むという1
でも、今回の件で流石に気づいたね。
世の中──というか、人間関係においては、自分から何かやらねば何も起きないのだ。
その点、他人は鏡である、という指摘は正鵠を得ていると言えよう。鏡像はひとりでに動き出したりはしない。自らのアクションが、そのままに反映されるのである。
ただ、俺の場合、最初に『何かやった』のは泥酔し自我を失った自分だったというのがタチが悪い。アクションを起こした自覚がないのだ。そんなわけだから、桃原と仲良くなれたのは、体感的にはタナボタでしかなかった。そりゃ浮かれもする。
とはいえ、折角の当たり馬券を手放す道理もない。俺にはこのチャンスを最大限に活用する義務がある。今度こそは、自らの意思で、行動を起こさねばなるまい。今回のデートは、いわば試金石のような物だ。となれば、第一に、やることは1つ。
とりあえず1発ヌいとくか。
……冗談かどうかと問われれば、もちろん大真面目である。色恋に浮き足立った気持ちを抑え、頭を冷やし物事を俯瞰するためには何が必要かわかるだろうか。
言うまでもない。"賢者タイム"だ。
というわけで、なんとか桃原からその存在を隠し通すことができた、我が家の冷蔵庫に眠るTEN○Aの出番がやってきたのである。
「性を表通りに、誰もが楽しめるものに変えていく」という素晴らしい理念のもと産み出されたこのTEN○Aであるが、悲しいかな、ジョークグッズ扱いされることもしばしばだ。清潔感と機能美溢れるルックスは、既存の価値観に呑み込まれ、"マスに金を積んじゃうさみしいヤツ"を象徴するアイコンとなってしまっているのが現状である。
そんなモノを(そんなモノ扱いして本当に申し訳ない)ガチで愛用している人間なぞ、こと異性からの評価においては、気持ち悪がられるほかない。こうして高説垂れてる俺もまた、『マスかくのはお下劣である』という同国同時代的にはごくごく一般的な社会通念を押し付けられて育った身であり、要するにまーフツーにキモいと思ってる。じゃなかったら隠したりしない。悪いか。
こうなると、そこまでのリスクを冒してまで保持する価値がコイツにはあるのか? という問いが投げかけられそうだが、それに関しては胸を張ってイエスと答えよう。
だってきもちいいんだもの。いっぺん使ってみろって話だ。1,000円しないぞ。しかも合法だぞ。
……閑話休題。とにかく、俺は桃原とのデートを無事成功させるために、これから1発ヌくのだ。
そんな決意を抱きながらだったからか、冷蔵庫の中を覗いた俺は、思わず独り言を漏らしてしまった。
「………………なくね?」
ないのである。もちろんTEN○Aが、だ。
一人暮らしをいいことに、わりと無造作に転がしてあったはずなのだが。TEN○Aはああみえて結構デカいので、小ぶりな冷蔵庫の扉ポケットには収まらないのである。
しかし、何回まばたきしても、ぽっかりと空いたスペースにTEN○Aが現れる気配はない。
一旦落ち着こう。失せ物探しの基本を思い出せ。……最後に見たのは、いつだ?
なんとこれもわからないのである。
少し考えてみてほしい。家に冷蔵庫を持つ人間が、その扉を開けない日などそうそうない。そして、卵の個数やタッパーの中身等ならともかくとして、あれだけ目立つ赤と銀のしましまを見逃すことなど、あっていいのか。
……もしかしたら、そもそも俺の記憶違いで、最初から冷蔵庫になど入れてないのではないだろうか。
いや、それだけはない。断言できる。俺はTEN○Aをinした時点で『冷やしTEN○A始めました(今年6度目)』とツイートしている(もちろん大学垢じゃないほうで)。そんなとこで嘘吐くほど俺は暇じゃない。
なにかがおかしい。そう思いつつも、観念した俺は左手に"オレ"を握りしめた。
♡
デート当日。
つぶらな2つの瞳と俺との距離は僅か数センチ。鼻先にかかる吐息がなんとも艶めかしい。
「おぉーよしよしよしよし」
俺は桃原そっちのけで生後3ヶ月の犬に甘い言葉を囁いていた。たぶん電話口のウチの母さん並みにキモい声でてると思う。
「かわいいねぇキミ! おねーさんのユビなめる? え、なめる!? ホラなめて!! やったー!!!!」
まあ、桃原も桃原でそこそこ気持ち悪いことになってるので特に問題ない。なめて!! とか、俺も言われたいんだが。できればもっとこう、まなじりに涙を浮かせながら懇願する感じで。
……ぶっちゃけ、多少ヌいたところで、俺は何も変わらなかった。自明なところではあった。そんなんで真人間になれたら、正味、人々の間から争いはなくなり世界に平和が訪れるであろう。
「あの、あんまり声が大きいと、まわりのコたちがびっくりしちゃうので……」
「あぁぁぁごめんなさいっ、ほんとごめんなさいちょっと興奮しちゃって……!! あぁぁぁぁかわいいいぃぃ……」
やや引き気味の店員さんからの注意を受けた桃原は、声を潜めながらも叫ぶという器用なマネをしてみせた。
しかし、ペットショップというのは存外懐が深いものだ。我々のような見るからに購入意思のない学生を相手に、「よかったら抱っことかしてみますか?」なんて尋ねてきてくれるとは思いもしなかった。
もしかしたら、目をしいたけみたいにしてガラスケースにへばり付く桃原が鬱陶しかっただけかもしれないが。
当然、俺は桃原のことを鬱陶しいと思ったことなど一度としてない。これは、あくまで商売としてやっているショップ側の視座に立った評価の予想であって、そもそも鬱陶しいとは原義として(以下略)
……俺は一体何に対して弁明しているんだろう。
とにかく桃原はかわいい。そういう話だ。うん。そういうことにしとくのがいちばんまるい。
「やっぱ都会ってすごいなぁ……!!」
ペットショップを出た後も、桃原は興奮しきりであった。思わず苦笑が漏れる。
「都会別に関係ないでしょ」
デートは序盤も序盤、まだワンちゃんしか見てない。ワンチャンご休憩まで視野に入れている俺としては、こんなの序の口でしかなかった。
「関係あるのっ! あんなまっしろでおしゃれなお店、実家の方には全然ないし」
確かに。ペットショップに限らずここらへんの店の内装は、やたら白いか、やたら黒いか、木目だらけの隠れ家的空間か、みたいな感じである。正直落ち着かない。
「それに、犬も猫も……なんかすごい高そうだった……!!」
高そう、というか、高かった。どいつもこいつも血統書をぶら下げた洋犬である。中古の軽自動車並みのお値段をつけられてるヤツも少なくなかった。キロ単価が段違いである。
「……なんで愛はお金で買えないのに、仔犬はお金で買えるんだろうね…………」
うわなんかやべーこと言いだしたよこの子。
この手の倫理的問題は、考え始めた時点で泥沼である。俺は努めて冷静に話題を逸らすことにした。
「にしても、ころころしてたね。犬っころっていうだけはあるな、うん」
「ねっ! すっごいぽてぽてしてた!」
「ぽてぽて…………なんかお腹減ったね」
「猟奇的!!」
「いやさすがに犬は食べないって」
ともあれ、空腹なのは事実である。飯屋なんて掃いて捨てるほどあるだろ、と如何なるリサーチもしなかったが、これが吉と出るか凶とでるか。
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