俺が育てた義妹がけなげで可愛い 5

 案内された客間。ソファに座った俺はぐったりと天を仰いだ。婚約者と義妹のマウンティングの取り合いに晒されたせいで疲労困憊である。


「……すっごい疲れたぞ」

「お兄様の自業自得ですけどね」


 隣に座ったシャロが半眼で睨みつけてきた。


「いや、なんというか……それに関しては本気で悪いと思ってる」


 まさか、子供の頃に『家の居心地が悪ければうちに遊びに来たらいいじゃん』的なノリで声を掛けたのが、求婚したことになっているとは夢にも思わず、である。

 そんな俺の反応に、シャロは思いのほか落ち込んだ顔をする。


「……わたくしこそごめんなさい。少し口が過ぎました。お兄様の邪魔をするつもりはないので、安心してください」

「おまえを邪魔だなんて思ったことはないぞ。それより、シャロのエスコート相手をどうするか考えよう。パーティーでエスコート相手がいないと見くびられるからな」


 しょんぼりとする義妹の頭をちょっと乱暴に撫でつける。シャロはちょっと驚いた顔をして、それから不思議そうに俺を見上げた。


「お兄様は、わたくしの心配もしてくれるのですか?」

「当然だろ。俺にとっておまえは、世界一大切な妹、だからな」

「世界一愛する妹だなんて……嬉しいです」

「……まぁ、愛してはいるが、妹として、な?」


 一応訂正を入れるが、この娘は聞いているかどうか怪しい。妹として愛して欲しいと願ったのはシャロのはずなのに……ホントに、どうしてこうなった。


「話を戻すが、大切な妹のために協力は惜しまないぞ?」

「……では、アイシャをエスコートとして貸していただけますか?」

「……まさか男装させるつもりか?」

「いやだ、お兄様ったら。そんなはずありません」

「まぁそうだよな……」


 あの胸で男装は無理だろう。


「……お兄様?」

「いや、なんでもない」

「そうですか? 取り敢えず、アイシャにエスコートしていただいてよろしいですか? わたくしはデビュタントもまだですし、アイシャが相手でも問題ないと思うのですが」

「まぁ……そうだな」


 曲がりなりにも伯爵家の娘だし、パーティーに出席する資格は十分にある。身内枠で考えれば、同性でもあり得ないと言うことはない。

 そういうことならと、シャロのエスコート相手はアイシャに任せることとした。



 そして時間は過ぎ、パーティーが始まる少し前。

 俺は今日の主役であるリネットを迎えに行く。彼女の部屋の前でメイドに声を掛ければ、ほどなくしていつも以上におめかしをしたリネットが顔を出した。

 前回とは違う、けれど前回同様に大胆なデザインのドレス姿が艶めかしい。


「誕生日おめでとう、リネット。そのドレス姿のリネットはとても綺麗だな」

「ありがとう、ノエル。正礼装で来てくれたのね」


 正礼装とは、主役やその身内が身に付ける正装である。

 つまり、今日の誕生日パーティーの主役であるリネットに並び、正礼装を身に付けている俺は彼女の婚約者だと言うことが一目瞭然、ということだ。


「問題があるなら着替えてくるが……?」

「まさか、問題なんて。凄く嬉しいわ。お父様も認めてくれるはずよ」


 無邪気に笑うリネットが可愛らしい。そこにあるのは打算ではなく、純粋な好意。だからこそ、彼女を騙しているような気がして胸が痛む。


「……エスコートする前に、リネットに言わなくちゃならないことがある」

「あら、改まってなにかしら?」

「子供の頃のあれは――」

「あぁ、知ってるわよ。そんなつもりじゃなかった、でしょ?」


 打ち明けようとしていた秘密を言い当てられて瞬いた。


「……どうして?」

「最初から知ってるわよ。それに、覚えてすらいなかったじゃない」

「そ、そうだったな。……いや、すまない」


 色々申し訳なさ過ぎていたたまれない。リネットは穏やかな顔で首を横に振った。


「いいの。ノエルが謝る必要はないわ。ただ、わたくしは嬉しかった。それに、あなたの想いがどうであれ、わたくしを受け入れてくれたから。……受け入れて、くれたのよね?」

「……ああ。リネットの婚約者として、誠実に振る舞うと家名に誓うよ」


 いまの俺に出来る、最大限の想いを乗せた誓い。リネットは少しだけ寂しげに微笑んだ。俺が受け入れたのは政略結婚である――というニュアンスに気付いたのだろう。


「リネット、俺は――」

「いまはその気持ちだけで十分よ。それに私だって、後継者争いから逃げたいって気持ちがなかった訳じゃないもの」

「そっか……」


 リネットは、すべてを承知でうちに嫁ぐつもりのようだ。

 であれば、俺に異論はないと右手を差し出した。


「――お手をどうぞ」

「ありがとう、ノエル」


 満面の笑みを浮かべて俺の手を取った。

 そんな彼女をエスコートして、パーティー会場へと足を運ぶ。

 アッシュフィールド侯爵家の邸宅にある大きな会場。二階の扉から入れば、真っ赤な絨毯の敷かれた階段が、一階のホールにまで続いている。


 その階段の中程まで降りると、アッシュフィールド侯爵が娘の紹介をする。そうして拍手で迎えられながら、リネットの手を引いてパーティー会場へと続く階段を降りる。


 階上から見渡せば、見知った伯爵やその夫人の姿が目に入る。社交シーズンで多くの貴族が王都に集まっているとはいえ、普通は子供達が来賓のメインとなる。

 ここまで参加者が豪華なのは、アッシュフィールド侯爵家が大貴族だからだろう。


 そんな家の一人娘と婚約できた俺はとても幸運だ。

 シャロのことがなければ、もう少し素直に喜べるんだけどな――と、周囲を見回した俺は、すまし顔でこちらを見上げている義妹を見つけて苦笑いを浮かべる。


「ノエル、どうかした?」

「いや、なんでもない」

「……そう? なら、このまま皆にあなたの紹介をするわ」


 階段を降りきると、リネットの知り合いが集まってくる。

 多くは俺も挨拶をしたことのある同じ派閥の貴族達だが、中には俺の知らない人もいた。そういった者達は若い子息が多く、俺とリネットを見比べては力なく去っていく。


「……リネットはずいぶんとモテるんだな」

「あら、わたくしはアッシュフィールド侯爵家の長女ですのよ?」


 周囲の目を気にしてか、リネットは深窓の令嬢らしく微笑む。政略結婚の相手として魅力的という意味に受け取ったらしい。

 もちろん、それもあるだろう。

 だが、リネットがモテるのは、それだけが理由じゃないはずだ。惹き寄せられてくる男達の彼女を見る目が違う。いわゆる高嶺の花、といった感じではないだろうか?


「リネット嬢、久しいな」

「あら、おじさま。ご無沙汰しています。紹介いたします、彼はノエル・ウィスタリア――」


 あらたな招待客が話しかけてくる。今度は伯爵家のご当主だ。巻き戻る前の世界を通じても初対面だが、アッシュフィールド侯爵家の傍系だと記憶している。

 リネットの紹介を受けて、俺もまたその男に挨拶する。


 そんな感じで挨拶を続ける。

 おかげで、一気に俺の顔が広くなっていく。

 もしかすると、リネットの誕生パーティー前に婚約を打診してきたのは、こんな風に俺が人脈を広げられるようにという、アッシュフィールド侯爵の配慮かもしれない。


 貴族たる者、一度会った相手の顔と名前は忘れるべからず――なんて言われているが、もし俺に巻き戻る前の世界の記憶がなければ、さすがに全員は覚えきれなかっただろう。

 ひたすらに挨拶を続けていると、アイシャを伴ったシャロがやってきた。


「リネットお義姉様。このたびは誕生日、おめでとうございます。ノエルお兄様とわたくしから、リネットお義姉様へのプレゼントがあるのですが――受け取っていただけますか?」

「あら、二人から私にプレゼントだなんて嬉しいわ。ここで開けてもかまわないかしら?」


 皆が見ている状況での贈り物。

 リネットへのプレゼントであると同時に、周囲へのプレゼンでもある。

 ――と、リネットはこちら側の意図に気付いてくれたようだ。近くに控えていた側仕えに申しつけ、近くにあるテーブルの上でプレゼントを開封するようにと指示を出した。

 必然的に、周囲の興味もそのプレゼントへと集まった。


「あら……小瓶に入った液体? これはなにかしら」

「ウィスタリア侯爵領で作った新しい香水です。どうぞ、瓶を開けてみてください」


 リネットが頷き――自らの手で瓶を開ける。

 その直後、周囲の者達からほんの少し感心するような声が零れた。側仕えに危険物かどうか確認をさせなかったことで、信用しているとの意思表示だったからだ。

 リネットは婚約者だけでなく、その義妹も信用していると周囲に伝わっただろう。


「あら、良い匂い。……だけど、シャロちゃんが付けている香水とは違う香りね」


 表情には出していないが、ほんの少し残念そうな印象。そんなリネットの言葉を聞いたシャロは、いたずらに成功した子供のように笑った。


「いいえ、それは、わたくしが付けている香水と同じですよ」

「え、そうなの?」

「はい。この香水は時間が経つにつれて香りがグラデーション的に変化するんです」


 シャロは続けて、俺のときと同じような説明をする。話を聞いていたりネットの表情がみるみる驚きへと染まっていった。


「……えっと、それはつまり、付ける時間を調整することで、理想の香りを纏うことが出来る、という認識で合っているかしら?」

「はい。リネットお義姉様の認識で合っています」


 その瞬間、リネットだけでなく周囲からも感嘆の声が上がった。香りがグラデーションすることに俺はそこまでの価値を感じなかったのだが、女性にとっては違うようだ。


「殿方には、香りがグラデーションすることの意味がピンとこない方もいるでしょう。ですが、香水の香りというのは纏う人によっても変わるのです。ゆえに、時間で変化する香水は、自分にとっての最高の香りを生み出すことが出来る、という利点があります」


 シャロが首を傾げている男性陣に向かって語りかける。

 続けて、シャロはエスコート役として連れているアイシャとは別の側仕えに命じ、リネットにプレゼントしたのよりはいくぶん小さな小瓶をテーブルの上に並べてみせた。


「この香水はこれよりウィスタリア侯爵領の特産品として売り出す予定です。試供品を用意いたしましたので、皆様もよろしければお持ち帰りください」


 シャロの言葉に、周囲で耳を傾けていた女性陣がテーブルに集まってくる。貴族としての優雅さは崩さず、けれどまるで花の香りに引き寄せられた蝶のように群がっている。

 シャロはそんな女性達に挨拶をしながら、一つずつ試供品を手渡していく。その様子を見守りながら、隣で苦笑いをしているリネットへと視線を向けた。


「悪いな。リネットの誕生日なのに」

「たしかに、上手く利用されたわね。でも――むしろ歓迎すべきことよ。あの子はわたくしの義妹になるのだもの。お姉ちゃんとして、少しくらいは協力してあげないとね」


 見守るような顔で微笑んでいる。

 自分の嫁ぎ先の領地のことだから――というよりも、シャロのためという思いが強いらしい。どうやらリネットも、俺が育てた義妹の可愛さに気付いたようだ。


「……なによ。なにか言いたげね?」

「いや……シャロとは仲良く出来そうか?」

「ふふ……どうかしらね?」


 その質問が意外だったのか、リネットは曖昧な笑みを零した。もしかしなくても、シャロの気持ちに気付いているのだろう。ここで深く聞くのは控えた方が良さそうだと話を変える。


「ところで、あの香水は売れると思うか?」

「ええ。ウィスタリア侯爵家へ嫁ぐのが一段と楽しみになる程度にはね。あの人達の目の色を見れば一目瞭然でしょ? 早く量産体制を整えないと、在庫を取り合って争いが起きるわよ」

「それはさすがに大げさ……でもないか?」


 リネットと話しているあいだにも、話を聞きつけた女性陣が集まってくる。今回は十分な数の試供品を用意しているが、そうじゃなければ争いが起きていたかもしれない。

 この調子なら、すぐにでも売ってくれという者が現れるだろう。なんて思って眺めていると、女性の中に鍛え上げた肉体の中年男性が混じっていることに気付いた。


 女性の中に男性が一人だけで目立つなと注目していると、その男性はシャロと一言二言交わして試供品を受け取ると、こちらに会釈をして立ち去っていく。


「あの人は奥さんにプレゼントでもするつもりなのかな?」

「……どうかしら? 彼は奥さんをずっと前に失っているはずよ。そもそも、彼は参列客に紛れた警護なんだけど……たしかに妙ね?」


 リネット曰く、アッシュフィールド侯爵家に仕える騎士で、騎士爵を与えられているので参列者として参加し、会場の警護をしているらしい。

 香水に毒物の混入を疑ってる訳じゃ……ないよな?

 そんな風に考えていると、ほどなくして使用人がリネットに耳打ちをした。


「ごめん、ノエル。お父様が呼んでいるから少し席を外すわね」

「分かった、じゃあ俺は適当にうろついているよ」


 立ち去るリネットを見送って、バルコニーへと足を運ぶ。ウェイターから飲み物を受け取って、バルコニーから見える景色を眺めていると隣にシャロが並んだ。


「香水のプレゼンは終わったのか?」

「はい。おかげさまでみなさん興味を持ってくださったようで、お茶会などに招いていただきました。リネットお義姉様に感謝ですね……と、そのお義姉様はどこへ行かれたのですか?」

「アッシュフィールド侯爵に呼ばれたらしい。というか、お義姉様呼びは定着したのか?」

「はい、仲良くなりましたから」

「……なか、よく?」


 バチバチやりやってたのが仲良くなのかとジト目を向けた。


「本当ですよ。パーティー前にお部屋を訪ねてお話したんです」

「……そうなのか」


 にわかには信じがたいが事実なのだろう。巻き戻る前の世界では、リネットに悪事を働いたシャロが、今回は自分から仲良くなりに行った。

 なんとも感慨深い展開だ。


「――久しぶりだな、ノエル・ウィスタリア。今日もまた、このあいだのご令嬢をエスコートしてるのか。……姉さんに求婚したというのは勘違いだったか?」


 いきなり含みのある声が飛んできた。振り返れば、リネットの弟にして、アッシュフィールド侯爵家の長男であるクルツくんが不機嫌そうな顔をして突っ立っていた。

 この前と違って、なにやら辺りがキツい。もしや、なにか勘違いしてないか?


「久しぶりだな。それと、紹介が遅れたようだが、彼女はシャーロット・ウィスタリア。俺の義理の妹だ。これからは会うことも多いだろう。覚えてやってくれ」


 遠回しに、義理の妹であって恋人ではないと強調する。それに対して返ってきたのは「もちろん、彼女のことは知っている」という答えだった。

 ……もしかして、俺が義妹という地位を隠れ蓑に、愛人を連れていると誤解してるのか?


 誤解ではあるが、疑われること自体は無理もない。

 養子の制度を隠れ蓑に愛人を連れ歩くのはよくあるパターンだからだ。


 だが、クルツくんに敵愾心を抱かれているこの状況はよろしくない。

 俺はいま、アッシュフィールド侯爵家との関係強化に向けて動いている。それなのに、次期当主同士が不仲だなんて印象を周囲に抱かせる訳にはいかない。


「俺が違うと言ってもすぐには信じられないだろう。だから一つだけ、家名に誓って約束する。この先なにがあろうと、リネットやその実家をおろそかにするつもりはない」


 貴族にとって、結婚は政治の一環である。ゆえに愛人については強く否定せず、アッシュフィールド侯爵家との関係を悪化させることはないと誓った。

 家名に誓う、貴族にとっては最大限の誓いだが、クルツくんは不機嫌そうに眉を寄せた。


「……なにが、おろそかにするつもりはない、だ。姉さんを政治の道具にしか見てないようなヤツを信用できるかよ。おまえが姉さんの婚約者だなんて俺は認めない」


 声を押し殺し、不信感をあわらにする。どうやら、俺は選択を誤ったらしい。

 クルツくんのことはそれほど知らないが、巻き戻る前の世界での彼は、非常に合理的な考えをする次期当主として期待されていた、はずなんだけどな。


 どうやって挽回するべきか――と考えを巡らせていると、シャロが一歩前に出た。その身体から不穏なオーラが滲んでいることに気付き、慌てて止めようとするが――


「嫉妬で人に当たるのって、とっても格好悪いですよ?」


 シャロは殊更深めた笑顔で言い放った。俺のために怒る義妹が意外と可愛い。

 ――なんて言ってる場合じゃないな。どうしてこうなった!?

 

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