俺が育てた義妹がしたたか可愛い 1

「根拠のない憶測で決めつけて、あげくは姉の婚約者として認めない、ですか。笑わせてくださいますね。幼稚な嫉妬に駆られているだけでしょう?」


 俺が止める暇もなく、シャロが続けてそのようなセリフを言い放った。誰かにそんな辛辣な言葉をぶつけられる経験がなかったのか、クルツくんは呆けたような顔をする。


「俺が……幼稚だと言ったのか?」

「理解できないのなら何度でも言ってあげます。あなたは幼稚です」

「俺のどこが幼稚だというんだ……っ」


 クルツくんが声を険しくするが、まだ我は失っていない。

 だが、このままでは時間の問題だろう。その前に止めるべきだと判断するが、シャロはそんな俺に対して、視線で大丈夫だと訴えかけてきた。


 シャロこそが我を失っていると思い込んでいたが……どうやら冷静なまま辛辣な言葉をぶつけているようだ。……それはそれでどうなんだ?

 いや、冷静なら大丈夫だろう。ここはシャロを信じ、しばらく見守ることにする。

 そんな俺の判断に呼応するように、シャロは静かに口を開いた。


「そうやって声を荒らげるところも、時と場所を考えないところも、自分の発言が周囲にどのような影響を与えるか想像もしないところも、すべて幼稚ではありませんか」


 静かなのは口調だけで、内容はまったく穏やかじゃなかった。

 当然のごとくにクルツくんの顔が怒りに染まっていくが――


「――だから、自分の行動が大切な姉を窮地に追いやっていると想像もしないのでしょう?」


 シャロが静かに言い放ち、クルツくんの瞳に怒り以外の感情が浮かんだ。


「……どういう、意味だ?」

「あなたは次期当主なのでしょう? そんなあなたが、姉の婚約者にして、お隣の侯爵家の次期当主を悪しきざまに言い放つ。周囲の者達がどう思うか、考えましたか?」

「それは……そいつが、姉さんに相応しくないと思われるだけだろ?」


 シャロはすっと取り出した扇子を広げて口元を隠した。軽く溜め息をつくその素振りは、あなたの発言に呆れているという意思表示である。

 挑発しすぎだと思うが、クルツくんは不満気ながらも声を荒らげることはなかった。自分の行動が姉を窮地に追いやっているという指摘が、相当に聞いているのだろう。


「二人の婚約はアッシュフィールド侯爵の提案によって始まりました。今更、あなたが騒ぎ立てた程度では覆りません。結果、あなたの姉は、次期当主であるあなたと不仲な者の元へ嫁がされる、哀れな人質として認識されるでしょう」

「――なっ」


 あり得ないとは言い切れない。

 政略結婚とはつまり、言葉通り政治的な意味を持っておこなわれる。次期当主と不仲な者の元へ嫁がせる理由を考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは人質だからだ。

 無論、真実は異なるが、ここで重要なのは周囲からそう見える、という事実だろう。


「他領からは人質程度の価値しかない令嬢だと見られるかもしれませんし、ウィスタリア侯爵領での立場にも悪影響を及ぼすでしょう」

「そんな風になるとは限らないだろ!」

「もちろんです。でも、危険性は低くありません。もう一度うかがいます。あなたは、自分の軽はずみな発言が、自分の姉を危険に晒していることを理解しているのですか?」

「それ、は……」


 クルツくんは答えない。答えられるはずがない。

 否定すればその程度の可能性にも至らなかった愚か者だと認めることになるが、肯定すれば姉の立場も考えずに嫉妬に駆られた愚か者だと認めることになる。


 クルツくんはきつく唇を噛んだ。

 そうして俯く彼の顔はくしゃくしゃで、いまにも泣きそうな顔に見える。だが、それは無理からぬことだろう。いくら次期当主とはいえ、彼はまだ十四歳かそこらの子供だ。

 ――だけど、シャロがクルツくんの胸ぐらを掴んで無理矢理に前を向かせた。


「そこで下を向いてどうします! どんなに辛く悲しくても胸を張り、彼女の不利になるようなことは避けなさい! あなたはお姉さんのことが好きなのでしょう!?」


 そのセリフに、他でもない俺が横っ面をぶん殴られるような衝撃を受けた。いまの言葉がまるで、俺に婚約者が決まったと聞かされたシャロの心の声のように思えたからだ。


 シャロは、いま口にしたように歯を食いしばって前を向いているのだろうか? 本当は辛く悲しくて、だけど俺のために笑顔を浮かべているのだろうか?

 無言で視線を向けると、それに気付いたシャロがふっと小さく笑った。

 だがそれは一瞬で、シャロは再びクルツくんへと視線を戻す。


「お兄様はあなたが思っているような方ではありません。ですが、それを疑うことまで否定はいたしません。ただ、やり方を考えるべきでしょう」

「……やり方?」

「次期当主ならば、笑顔の裏で謀略を張り巡らすくらい出来なくてどうします。表面上は祝福しつつ、裏で二人の婚約を破棄できるような情報を集めてはいかがですか?」


 ……なんて物騒なことを。

 というか、これもシャロが裏で考えていることなのだろうか?

 俺の育てた義妹がしたたか可愛い……可愛いか?


「……すまなかった」


 ぽつんと、謝罪の言葉が響いた。

 なにか吹っ切れたような顔で、クルツくんが俺をまっすぐに見据えていた。俺にとっては困惑しかない言葉だが、クルツくんの心へは響いたようだ。


「俺はまだ、おまえ――ノエルさんが姉さんに相応しいかどうか疑っている。でも、姉さんに相応しくないと決めつけたのはたしかにただの嫉妬だった。すまなかった」


 素直に、凄いヤツだと感心させられる。

 一度こうだと判断した意見を撤回するのはとても勇気がいる行動だ。なのに彼は、シャロにあそこまで言われて、自分が間違っていたと謝罪した。

 いまは年相応に未熟さもあるが、やはり将来有望な人間のようだ。


「俺の方こそ、不安にさせるような発言をして済まなかった。シャロは義妹であって愛人じゃないし、リネットのことを悲しませるような真似をするつもりもない」

「……そうか、本当にただの義妹なのか」


 クルツくんがぽつりと呟く。

 その言葉に違和感が抱くが、その原因までは分からなかった。結局、互いに気まずくなってその場は解散。その後は何事もなくパーティーは終了した。

 そして――



「やらかしましたーっ!」


 アッシュフィールド侯爵家の客間に戻るなり、シャロはベッドの上を転がり始めた。あれだけ好き勝手言っておきながら、後になって悔やむ義妹がお粗末可愛い。

 いや、ほんと、今更だと思う。


「あれだけ偉そうに周囲への影響を考えて行動しろと言っておきながら、自分がその影響を考えてなかったって言うのはどうなんだ……?」


 あの場所に他の貴族達はいなかったが、俺達しかいなかった訳ではない。シャロをエスコートしていたアイシャはもちろん、クルツくんや俺の側仕えは近くに控えていた。

 シャロの行動は当然、アッシュフィールド侯爵家に筒抜けに決まっている。


「し、仕方ないではありませんか。他人事に思えなくて、放っておけなかったんです」

「……まぁ、それに関しては、俺はなにも言えないけどさ。というか、俺は別に、シャロの行動を咎めている訳じゃないぞ」

「……そう、なのですか?」


 意外そうな顔で見られてしまった。どうやら、まだ冷静ではないらしい。


「あの状況を放置していたら、それこそシャロが危惧するような状況になってたかもしれないだろ? だから、彼を説得してくれたこと自体は感謝してるよ」


 やり方はアレだけど――と、声には出さずに苦笑いする。


「……本当に申し訳ありません。もしもアッシュフィールド侯爵家からお叱りがあれば、わたくしが責任を持って謝罪いたします。お兄様には絶対に迷惑を掛けません」

「迷惑だなんて、俺のために怒ったシャロをそんな風に思うはずないだろ。アッシュフィールド侯爵から呼び出しがあれば、俺も一緒に行って説明するから心配するな」


 もっとも、そんな事態にはならないだろうと思っている。

 たしかに、未成年の令嬢が他領の次期当主に説教するなんて非常識だが、周囲に他家の人間はいなかったし、決して指摘の内容が間違っていた訳でもない。

 当人は納得していたようだし、親が介入してくるなんて事態にはならないはずだ。


「それでも心配なら、後でリネットにそれとなく話しておこうか?」

「うーうーうーっ。リネットお義姉様に借りを作るのは高くつきそうな気がします」


 それならどっちでも良いと肩をすくめる。


「いまはそんなことで悩んでるより、香水の件を考えた方が良いんじゃないか? 多くの家からお茶会なんかに招待されたんだろう?」


 香水目当てのお誘い。

 つまりは、香水をくれるのなら仲良くするという提案である。最初から打算に満ちた社交界において、これほど分かりやすくも、ありがたい申し出は他にない。


「リネットが言ってたぞ。量産体制を整えないと争奪戦が勃発するって」

「そうですね。想定よりも興味を示してくださった方が多かったので、必然的に試供品の数も足りなくなるかもしれません。マイラに追加を要請した方が言いかもしれませんね」

「そうか……なら、追加を送るように手紙を書くとしよう」


 いままでの俺には香水一つでそこまでは――という思いがあったが、女性陣の食いつきを見て、たしかにシャロやリネットが言うだけのことはあると認識を改めた。

 シャロの自由のためにも、可能な限り協力する必要がある。


 そう決意して手紙をしたためる。

 そこにアッシュフィールド侯爵家の執事が俺達を呼びに来た。アッシュフィールド侯爵はどうやら、俺とシャロに込み入った話があるらしい。


「お、お兄様、どうしましょう!?」

「……落ち着け。呼び出されただけで実際に咎められると決まった訳じゃないし、こちらの言い分を聞かないような方じゃない。シャロの心配するような事態にはならないさ」


 シャロの頭にそっと手のひらを乗せ、優しく頭を撫でつける。


「ですが、お兄様……」

「心配性だな。もしものときは、俺が必ずおまえを護ってやる」


 巻き戻る前の世界ではシャロを切り捨ててしまったが、もうそんな過ちは犯さない。俺のために暴走したシャロを見捨てたりはしない。

 必ず守ると宣言すれば、シャロは頬をぽーっと赤く染めた。


「……お兄様、結婚してください」

「だが断る」

「――酷いっ! その気にさせておいて突き放すなんて、お兄様は悪魔ですか!? 釣られた魚だって餌をもらえないと死んじゃうんですよ!?」


 芝居がかった仕草でさえずっている。これだけ叫ぶ余裕があれば大丈夫だろう。


「ほら、落ち着いたのなら、アッシュフィールド侯爵のもとへ急ぐぞ」

「落ち着いていません、わたくしは絶望しているのです!」

「はいはい」


 拗ねるシャロも可愛いが、いまは謁見が優先である。



 ――という訳でやってきたのは、アッシュフィールド侯爵家の応接間。ふかふかの絨毯の敷かれた部屋の真ん中、ローテーブルを挟んでおかれたソファに腰掛ける。

 俺とシャロが隣同士、その向かいにアッシュフィールド侯爵とリネット。その他には、俺達が連れてきた側仕えや、アッシュフィールド侯爵側の側仕えや護衛らしき男が控えている。

 その場にクルツくんがいないことに疑問を抱く。その答えはすぐに明らかとなった。


「君たちを呼んだのは他でもない。あの香水のことについて話を聞かせて欲しい」

「……香水、ですか?」


 俺とシャロは顔を見合わせた。


「……どうかしたのか?」

「すみません。クルツくんの件かと思いまして」

「あぁその件なら聞いているが……ふむ」


 アッシュフィールド侯爵の視線がシャロへと向けられた。その視線はまるで値踏みをしているかのようだ。シャロはすまし顔で視線を受け止めるが、決して居心地は良くないはずだ。


「……アッシュフィールド侯爵?」

「いや、その件は後日にしよう。それよりも、今回は香水の件だ」


 いまでなくとも、後日には話をする必要がある――というのは気になるが、ここで香水よりもそっちが気になる――などと言える訳がない。

 貴族として自分の感情を律し、アッシュフィールド侯爵のいう香水の件へと意識を向けた。


「香水の……どのような話をお望みでしょう?」

「あの香水はウィスタリア侯爵領で作り、そして売り出す予定だと聞いた。間違いないか?」

「はい、間違いありません」


 俺が頷くと、アッシュフィールド侯爵はちらりと視線を側面へと向けた。その視線の先にいるのは、彼が連れている護衛らしき男だ。

 何処かで見覚えが……あぁ、そうだ。シャロの試供品を受け取っていた男だ。


「ノエル、無礼を承知で単刀直入に聞く。俺はあの香水を作った人物に感心がある。どのような人物が作ったのか、教えてもらえないだろうか?」


 胸に沸き上がる不満はかろうじて抑え込んだ。

 どれだけ優れた商品も、その作り方が他領に漏れた時点でコピーされてしまう。作り方を伏せるのはもちろん、開発者を隠すのも当然の自衛だ。


 にもかかわらず、その開発者について教えて欲しいというのは、普通に考えれば、技術を盗むつもりだと思われても仕方のないくらいの問題発言だ。


 だが、アッシュフィールド侯爵は最初に無礼を承知でと口にした。それでも訊かなければならない理由がある――ということだろう。

 そして俺には、そういった反応を見せる人間に心当たりがある。マイラの香水を知っている貴族、すなわち、マイラが巻き込まれた事件の関係者である。


 アッシュフィールド侯爵が悪事に加担しているとは思いたくないが、人の善悪なんて立場が変わればクルリと反転することも珍しくはない。

 返答は、慎重を期す必要がありそうだ。


「……なぜそのような質問をするのか、事情をお聞かせ願えないでしょうか?」

「事情か……うぅむ」


 アッシュフィールド侯爵は再び同席している男へと視線を向けた。

 ……もしかしたら、彼がダルトン子爵の関係者で、マイラの存在に気付いた――という可能性もあるかもしれないな。だとしたら、ここははぐらかした方が無難だろう。


「――発言を、お許しいただけるでしょうか?」


 不意に、くだんの男が発言を求めた。


「……そうだな、そなたが話すのが一番だろう。――ノエル、彼の話を聞いてやってくれ」

「かしこまりました。……それで、あなたの話というのは?」

「まずはその前に自己紹介をさせてください。私の名前はブライアン。縁あってアッシュフィールド侯爵にお仕えしていますが、以前はダルトン子爵に仕えておりました」


 やはりダルトン子爵の関係者かと驚く。だが、俺だって貴族の端くれだ。ここでその内心を表に出したりはしない。なんでもないことのように、そうですかと応じた。

 だが――


「その当時、いまは亡き妻が同じ香りを纏っていたのです」

 

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