俺が育てた義妹がけなげで可愛い 4

 各家との交流をするにはパーティーやお茶会に出席する必要がある。だが、隣同士の領地ならともかく、少し離れた領地だと往復だけで何週間もかかる。


 だから皆で一斉に王都へと集まり、その期間中に様々な交流を持とう――というのが、社交シーズンである。その社交シーズンが始まり、貴族達は王都に集まることとなる。


 無論、それは大人達の話で、社交界デビューを果たしていない俺達は対象外。だが、その時期に合わせて、いくつか未成年が参加可能なパーティーも開かれる。

 そのうちの一つがリネットの誕生パーティーである。


 俺達はそのパーティーに出席するべく、王都に向けて旅立った。

 少しスケジュールに余裕を持って出発し、ガタゴトと馬車に揺られていたが――ノースタリア地方へと向かったときと比べ、明らかに揺れが小さい。


「……前は気付かなかったが、道が舗装されている効果のようだな」

「王都の付近だけのようですが……素晴らしいですね」


 俺の呟きにシャロが相槌を打った。

 地面に石畳が敷き詰められていて、街並みもウィスタリア侯爵領の領都とは比べものにならないほどに洗煉されて美しい。さすがは王都である。


「見習いたいところだが……さすがに難しいだろうな」

「あら、お兄様はマイラの言っていたことを忘れたのですか?」

「いや、もちろん覚えているさ」


 マイラに教えられた井戸の件と同じだ。本当に必要であるのなら、たとえ莫大な費用が必要だったとしても、五年後、十年後には元が取れることを考えるべきだ、と。

 ただし、これから数年、ウィスタリア侯爵領には様々な災いが降りかかる。それらを乗り越えるために、他の出費は避けたいところである。


「覚えているのなら、なぜ難しいと考えるのですか?」

「最近、魔物が増えているだろ? それに、アッシュフィールド侯爵領で発生したような飢饉が、ウィスタリア侯爵領で発生しないとも限らないからな。まぁ……要検討だ」


 未来を知る事実を打ち明けるつもりのないため、検討という言葉で誤魔化した。


「お兄様が反対なさるのなら無理にとは言いませんが、お義父様に相談する価値はあると思いますよ。香水が注目を浴びれば、各地から商人が集まってくるでしょうから」

「シャロの言うとおりだな。そこも含めて考えてみよう」


 ――と口にしたものの、実際には難しい。

 これからウィスタリア侯爵領にはいくつもの災いが降りかかる。その事実を知らなければ、シャロの提案に反対する理由がないので、出来れば議題に挙げたくない。


 そもそも、災害対策にだって費用を割いていない訳じゃない。未来を知っていることで得た利益を使って、他の領地と比べても既に十分な対策費を用意している。

 これ以上は、あるかも分からない災害への対策としては過剰すぎる。いまはある程度の好きにさせてもらっているが、一度過剰だと判断されれば今後が動きづらくなるだろう。

 であれば、いざというときのための資金に余裕を持たせておきたい。


「そういえばお兄様、水車の開発は進んでいるのですか?」


 シャロが唐突に話題を変えた。俺が答えに窮していると気付いて話を逸らしたのだろう。相変わらず、うちの義妹はそういう空気を読む能力に長けている。

 そうして変えた話題が政治的なのもまた、シャロらしいけどな。


「水車の件は、ノースタリア地方の職人を招いて、領都で作り方を伝授させている。そのうち量産できるようになれば、他の地方にも職人を派遣する予定だ」

「そうですか、ではすぐにでも水車の量産が始まりますね。マイラの知識も併せて広めれば、来年には領地全体における食料の生産量も増えてくるのではありませんか?」


 シャロが意味ありげに微笑んだ。

 その笑顔の奥に隠された意図に気付いてハッと息を呑んだ。


「まさか……気付いて?」

「お兄様が食料の確保に殊更気を使っているのは、その行動を見れば明らかです。その根拠がどうしても見つけられませんでしたが……飢饉を警戒なさっているのですよね?」


 俺の育てた義妹が賢くて可愛い。


「……シャロの言うとおりだ。根拠は明かせないが、近いうちに大きな飢饉に見舞われると思ってる。だから、出来るだけその対策をしておきたいんだ」

「アッシュフィールド侯爵家への支援もその一環ですか。たしかにあの地方は、ウィスタリア侯爵領と隣接しているにもかかわらず、だいぶ気候が違いますからね」

「ご明察だ」


 気候が違うため、飢饉や豊作が同時に発生しにくい。しかも領都が隣接しているため、どちらかが困ったとき、もう片方が支援するという方策を採りやすい。ウィスタリア侯爵領の未来は、アッシュフィールド侯爵家との関係が鍵だと言っても過言ではない。


 リネットとの婚約はその一環。あとはシャロが用意した香水を使って、アッシュフィールド侯爵や、その次期当主との関係強化をするのが理想だ。

 そんな想いを胸に、拳をぎゅっと握り締めた。



 その後、俺達は何事もなく王都へと到着した。

 まずはウィスタリア侯爵家の別宅で休養を取り、誕生パーティーの当日になってアッシュフィールド侯爵家の別宅へと足を運ぶ。


「――ようこそおいでくださいました。さっそくではありますが、旦那様がまず挨拶をしたいとおっしゃっています。かまいませんでしょうか?」

「もちろん、喜んでうかがわせていただきます」


 執事の案内に従って屋敷の中へと足を踏み入れた。

 ぱっと見た外観はうちの屋敷と大差がない――が、その内装はやはり格が違う。廊下に敷かれている真っ赤な絨毯はふかふかで、壁に何気なく飾られている絵画は有名な名画だった。


「こちらで旦那様がお待ちです。旦那様、ノエル様とシャーロット様がいらっしゃいました」


 俺達を案内した執事が部屋の中へと呼びかける。すぐに許可が下り、俺とシャーロットだけが部屋の中へと通された。ふわりと香る、植物紙とインクの匂い。

 どうやら執務室のようだ。


「久しいな、ノエル。それにシャーロット。今日は娘のためによく来てくれた」

「ご無沙汰しております、アッシュフィールド侯爵。こちらこそ、リネット嬢の誕生パーティーにお招きいただき、ありがとうございます」

「うむ。……と、堅苦しい挨拶はここまでにしよう。俺のことはこれから、お義父さんと呼んでくれてもかまわぬのだぞ?」


 咳き込みそうになって必死に耐えた。

 いや、本来で言えば凄まじくありがたい言葉だ。婚約を打診してきたのは相手側だが、古くから付き合いがあり、しかもこちらよりも大きな侯爵家だ。

 この段階でお義父さんと呼んで良いと言われるのはとても光栄である。隣にシャロがいるので闇落ちが怖いんです――という事情がなければ、であるが。


 とはいえ、この話題は絶対に避けて通れない。俺も政略結婚の相手がリネットであることに不満はないし、ウィスタリア侯爵領の未来を考えればありがたい申し出だと思っている。

 ただ、シャロの気持ちを考えると、少しだけ猶予が欲しいと思うのだが――


「いやはや、キミがうちの娘と将来を誓い合った仲だったとはな」

「……え?」


 唐突過ぎてなにを言われたか理解できなかった。だが、アッシュフィールド侯爵は俺が誤魔化したと思ったのか、照れる必要はないだろうと笑う。


「リネットから聞いているぞ。まだ幼かった頃、後継者争いに嫌気がさしていたあやつに言ったのであろう? そんなに後継者争いが嫌なら、将来はうちに来たらいいよ――と」


 再び咳き込みそうになるのをなんとか堪えた。

 そのセリフはなんとなく覚えている。覚えているが、あれにそんな意図はなかった。気の合う友人に、家にいるのが嫌ならうちに家出してきたら? くらいの感覚だったのだ。


 それがまさか、求婚だと思われていたとは予想外すぎる――と視線を逸らすと、隣で目を三角形にして、俺をジーッと見ているシャロと目が合った。

 おぉう、まさかシャロにそんな目で見られる日がくるとは……泣ける。


「どうした、照れているのか?」

「いえ、そういう訳では……」

「心配することはない。たしかに、決め手となったのはそなた達が想い合っていたことだが、それだけで婚約を認めた訳ではない。そなたの能力を見込んでのことだ」


 アッシュフィールド侯爵はふっと表情を和らげ、俺が次期当主として結果をも出したいくつかのことを口にし、最後にアッシュフィールド侯爵家に食糧を支援したことを上げた。


「我が娘のために、そこまでの努力を重ね、それでもいまの自分はまだ足りないと言ってのけた。そんなそなただからこそ結婚を許したのだ」


 ……これ、あれだ。

 俺がウィスタリア侯爵領の未来のために頑張ったあれこれが全部、リネットとの結婚を認めてもらうために頑張ったことだと誤解されている。

 しかも、俺が自分から求婚しないのも、自分の能力がまたリネットを迎えるに相応しくないと謙遜しているのだと誤解されている。

 だから、アッシュフィールド侯爵が気を使って打診した、と。


 この状況で『いえ、それはリネットの勘違いです』なんて言えるはずがない。というか、そんなことを口にしたら、間違いなくアッシュフィールド侯爵家との関係が終わる。


「という訳だ。リネットとの婚約、受けてくれるな?」

「はい。喜んでお受けいたします」


 こうして、俺とリネットの婚約は決定した。



 その後、部屋を退出すると、外で待っていた執事に客間へと案内される。その道すがら、隣を歩くシャロの視線がとても痛い。


「えっと……その、なんて言うか……すまん」

「……いいえ、お兄様の立場上、こうなることは知っていました。それより、なんと言いますか……リネット様に同情しました。他人事の気がいたしません」


 シャロに申し訳ないと謝ったのに、リネットに謝れと責められた。ついでに「やっぱり犠牲者がいたではありませんか」と追撃された。

 いや、まぁ……申し訳ないとは思ってる。


「ノエルっ、久しぶりね!」


 噂をしていると、廊下の途中でリネットと出くわした。彼女は小走りに駆け寄ってくるなり俺に声を掛け、そのまま腕に飛び込んできた。

 令嬢らしからぬ行動に驚きつつ、その華奢な身体を抱き留めた。


「ノエル、お爺様から話は聞いた?」

「――ああ、受けたよ」


 上目遣いで問い掛けられて、婚約者になったと打ち明ける。

 その瞬間、リネットは蕩けるような笑みを浮かべた。どうして巻き戻る前の世界での俺は、リネットの気持ちに気付かなかったんだろう? いまの彼女は完全に恋する乙女である。


「……お兄様?」


 それは焼き餅か、はたまた俺に弄ばれた被害者に対する同情か、シャロの声が低い。それに気付いたリネットがぱっと俺から離れ、シャロへと視線を向けた。

 刹那――二人のあいだに妙な緊張感が走った。


 その人柄を見極めようとでも言うかのように、リネットがシャロを見つめる。シャロもまたその視線を真っ向から受け止め、その青い瞳にリネットの姿を映す。

 そうして――五秒、十秒と沈黙が続く。

 その濃密な空気に溺れそうになっていると、不意にリネットがふわりと微笑んだ。


「挨拶がまだだったわね。わたくしはリネット・アッシュフィールド。今日からあなたのお兄様の婚約者よ。これからは、わたくしとも仲良くしてちょうだいね」

「もちろんですわ、リネット様。これからはご一緒する機会もどんどん増えていくでしょうし、わたくしと仲良くしてくださいね」


 にこりと微笑みを深めるリネットに、シャロもまた満面の笑みを浮かべた。

 貴族の言い回しには、二重の意味があることも珍しくない。

 いまの言い回しの場合は――


『あなたのお兄様は今日からわたくしの婚約者だから、そろそろ兄離れしなさいね』

『お兄様の婚約者なら会うことは多いでしょうね。わたくしはお兄様の側にいるので』


 といった感じだろう。もう少し貴族の言い回しに疎くいたかった。まるで浮気現場を押さえられた婚約者のようでいたたまれない。


「そういえば……ノエル。今日の誕生日パーティーでエスコートを頼もうと思っていたのだけど大丈夫? もしかして、先約が入っていたりする?」


 流れ弾が飛んできた。

 これはつまり、この場でシャロとリネットのどちらかを選べという意味だろう。

 だが、俺が婚約者であるリネットをエスコートするのは当然だ。ここで選ぶのは婚約者のリネット以外あり得ない。


 ただ……俺はうっかり、シャロをいままで通りエスコートするつもりでいた。ここでリネットをエスコートしてしまえば、シャロを一人にしてしまう。どうした者かと視線を向けた瞬間、シャロは俺の意図を最初から理解していたかのようにすぐさま頷いた。


「お兄様、わたくしは大丈夫ですから、リネット様をエスコートしてあげてください」

「――あら、それでいいの?」


 俺が答えるより早く、リネットが意外そうに聞き返した。


「はい。お兄様にはちゃんと埋め合わせしていただきますから」

「……なるほど。あなたはそういう考えなのね」


 二人の視線が静かに交差する。

 気まずい、ただひたすらに気まずい。誰かこの状況をなんとかしてくれ!

 

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