俺が育てた義妹がけなげで可愛い 3
リネットの誕生パーティーまで二ヶ月足らず。シャロの人生を賭けた香水の制作が始まった。アトリエは未完成なので、屋敷の空き部屋を使って試作品を作っているようだ。
ようだ――と言ったのは、基本的にはマイラとシャロに任せているからだ。俺はたまに報告を聞く程度で、マイラから得た農業の知識を各地に伝える作業を進めている。
そうして二週間ほど経ったある日。
香水の試作品が出来たという報告を受けて仮の作業部屋へと足を運ぶ。
部屋は花の香りで充満している――なんて状況を想像していたのだが、これといった香りはない。部屋に入った俺に気付いたシャロが駆け寄ってきた。
「お兄様、よく来てくださいました!」
柔らかな笑みを浮かべ、その場でクルリとターンを決めた。それに合わせて色気のある匂いが香った。シャロの纏っている香りが風に乗ってきたようだ。
「……なるほど、魅力的な香りだな。それが、マイラの言っていた花の香水なのか?」
「ふふっ、それはこれからたしかめてください」
この状況で他の香りを纏う理由はないはずだが、シャロは含みを持った言い回しをして、部屋の奥から奥からマイラを呼んだ。
ほどなくして、髪を後ろで纏め上げた、研究者らしい服装のマイラが小走りにやってきた。
彼女は俺の少し前でピタリと止まった。
彼女の移動で起きた小さな風に乗って別の匂いが香る。
「マイラの方は……木の匂い、か? こちらは少し寂しげな感じだな」
「さすがお兄様、良い感性をしていますね。では、こちらの香水を嗅いでみてください。かなり強い匂いですから、軽く鼻を近付けるだけで十分です」
シャロが厳重に封をした小瓶を手渡してくる。それを開けてそっと鼻を近付けた。とたん、鮮烈な香りが鼻につく。驚いてビンを遠ざけると、華やかな柑橘系の匂いが香った。
「柑橘系の華やかな匂いか、悪くない。これがマイラの作った香水なのか?」
「いいえ、これらすべてが、マイラの作った一つの香水なのです」
「一つの、香水?」
「はい。一つの香水、です」
シャロはいたずらに成功した子供みたいに笑う。俺が戸惑うのを知っているのだろう。明らかに自慢したくて仕方がないという顔をしている。
「まいった。異なる匂いが、一つの香水って言うのはどういうことなんだ?」
「マイラの作った香水には、トップノート、ミドルノート、ラストノートと、三段階に香りがグラデーションしていくのです」
「匂いが、変わる?」
首を傾げると、シャロが詳しい説明を始める。
匂いが立ち上るのは、液体が蒸発して空気に溶け込むから。つまり、蒸発しやすい匂いから順番に香る――と言うことのようだ。
「変化するのは面白いが、複数の香水を使えば済む話じゃないか?」
「いいえ。順番に香るとはいえ、まったく香りが混ざらない訳ではありません。とくにミドルノートは、三つの香りが合わさった奥行きのある香りとなっています」
……なるほど、ブレンドされた香り、ということか。
だが、なにかを混ぜ合わせた香りであれば珍しくはない――と、そんなこちらの考えを見透かしたかのようにシャロがこの一年でさらに丸みを帯びてきた胸を張った。
「ですが、この香水の最大のポイントは、香りがグラデーションすることです」
「徐々に変わるってコトだよな? それになにか利点があるのか?」
「あります。匂いの変わるタイミングを覚えれば、最高の香りを纏う瞬間に意中の方に会うことも出来ますし、余韻に寂しげな香りを纏って、別れを惜しませることも可能です」
「……なるほど」
俺が理解したのは、女性のオシャレに対する執念は凄い、ということだった。
ここまでシャロが力説するくらいだから、確実に他の貴婦人達も食い付くだろう。それにシャロの纏う香りは、華やかでいて優しげだ。男性陣からの受けも良いと思われる。
「上手く作れた、ということだな。あとは……その香水の売り出し方は考えているのか?」
「はい、もちろんです」
「そうか……なら、母上にも完成品を贈っておけ。母上の後押しがあれば、父上の協力も得られやすいだろう」
「はい、そのつもりですが……それはお兄様が贈った方がよろしいのではありませんか?」
「いや、香水のことは専門外だ。それに、シャロの実績にする必要があるからな。母上には既に話を通してある。その香水が認められれば、父上に口添えしてくれるだろう」
「お兄様、そこまで手を回してくださっていたのですね。さすがお兄様ですっ」
シャロが抱きついてきた。
柔らかい感触と共に、シャロの纏う優しい匂いがほのかに香る。
「ふふっ、どうですか? ドキドキしましたか? これで、お兄様はこの香りを感じるたびに、わたくしを抱きしめた感触を思い出しちゃうかもしれませんね?」
上目遣いで俺を見る、シャロがいつもより可愛く見えた。
……なるほど、香水の匂いというのは、たしかに男を惑わす効果があるらしい。
「馬鹿なことを言ってないで、早く母上に報告してこい」
「はぁい。では行ってきます」
シャロは俺から身を離して一礼、優雅な仕草を崩さない程度に早足で退出していった。そんなシャロの背中を見送って、俺は残されたマイラへと視線を戻した。
「よくやってくれた。どうやら俺の保険は必要なかったようだな」
香水が上手くいかなかったときのことを考えて、ない知恵を絞って女性の喜びそうな商品を考えた。そうして思いだしたのが、初めて出会ったときのシャロの手が荒れていたことだ。
貴族令嬢の場合、当時のシャロのように手が荒れている者は珍しいとは思うが、それでも需要がないとは思えない。
だから、肌荒れ予防のクリームの開発を腹案として伝えていたのだが――
「シャーロット様は、ノエル様よりも一枚上手でしたよ。もしもお兄様がなにか腹案をくださったら、それはサラとティムに平行して研究させましょう、と」
マイラはそのときのことを思いだしてか、クスクスと笑った。どうやら我が義妹は、俺が腹案を出すことまで予測していたらしい。
だが、子供達が作るのなら、完成まで時間が掛かりそうだと思ったそのとき、マイラが小さなガラスの容器を差し出してくる。
「これは……?」
「試作のハンドクリームとリップクリームです。こっちは無臭で、こっちは香水で香り付けをしています。私が試しましたが、出来れば何人かテストして頂いた方がいいと思います」
「……驚いた。あの二人も優秀なんだ」
「薬効のあるクリームは以前から作っていましたから」
既に作り方を知っていたから、子供達でも短期間で作れたという謙遜。だが、幼い子供達が既にそれだけの技術を持っている方が驚きである。
どうやら俺は、思っていた以上に拾いモノをしたようだ。
◆◆◆
いまより十数年前。アッシュフィールド侯爵家に待望の男の子が生まれた。第二夫人の子供で、第一夫人の子供であるリネットに続いて二人目の子供である。
乳児死亡率が多いこの時代、子供が生まれるというのは大変に喜ばしいことだ。だが同時に、子供が無事に成長した場合は後継者争いという問題にも発展しかねない。
長男が後を継ぐのが一般的だが、次男や女性が継ぐことも希にある。そうなってくると、第一夫人の産んだ長女と、第二夫人が産んだ長男で後継者争いが発生することも珍しくない。
ようするに、長男を産んだ第二夫人は第一夫人の娘を警戒した。これは別に珍しくもなんともない話で、ごくごく当たり前に警戒していただけだった。
だが、産まれたばかりの子供にそのような分別が付くはずもない。
第一夫人と姉のリネットが、自分達の居場所を奪おうとしていると母親から教えられて育ったクルツは、姉のことを当然のように嫌っていた。
姉に決して負けるなと厳しく躾けられ、クルツは姉に対抗心を燃やすようになる。だが、五歳、六歳と成長するにつれ、自分の姉がどれだけ聡明か思い知らされる。
ただ、それはクルツが劣っているという話ではない。
幼少期は女性の方が成長がく、実際に二つも離れている。年の差がある分、クルツよりも姉の方が現時点の能力が高いのは必然である。
ただ、姉を越えろと言われて育ったクルツは、現状の能力差に苦しんでいた。
そうして月日は流れ、クルツが十歳になったある日。姉と魔術の訓練をおこなうこととなったクルツは精神的に追い詰められていた。
侯爵家の当主ともなれば、ある程度の戦闘力も求められる。ゆえに二人で訓練をおこなうことは、次期当主としての資質を見極めるための試験だと思ってしまったのだ。
自分が姉より優れていると証明するために、クルツは覚えたばかりの魔術で無茶をした。そうして魔術を暴走させて火傷を負いそうになったとき――リネットがクルツを庇った。
「――ばかっ! こんな無茶をして、大怪我したらどうするつもりなの!」
ひたむきに努力を続ける優等生のクルツにとって、初めて叱られた瞬間だった。
「……なんだよ。僕が傷付いた方が、姉さんには都合が良いだろ?」
「ふざけたことを言わないでっ! 可愛い弟が傷付いて、喜ぶはずないでしょ!」
思ってもいなかった言葉。
このとき初めて、クルツは姉が純粋に自分を心配して庇ってくれたのだと知った。次期当主を目指しつつも、ライバルである弟にも愛情を注ぐ姉の偉大さに心酔する。
この日を境に、クルツは次の当主となる姉を補佐して生きようと思うようになる。
だが、そんなクルツの目標はまたしても打ち砕かれる。
それは、クルツが十二になったある日のことだ。
「姉さん、後継者争いを辞退するってどういうことだよ!?」
クルツの下には弟や妹が何人も生まれている。それでも、優秀なリネットとクルツが後継者を争うことになるだろうというのが一般的な認識だった。
にもかかわらず、現当主である父親から、おまえを次期当主に内定すると告げられた。そのとき、姉のリネットが後継者候補を既に辞退していると聞かされたのだ。
それを問い詰めると、姉は軽く首を傾げた。
「どうしてもなにも、私は初めから当主になるつもりがないからよ。政略結婚で他家に嫁いで、あなたが治めるアッシュフィールド侯爵家に貢献するつもりよ」
「なんでだよっ! 好きでもない男のもとへ嫁ぐなんて姉さんらしくない!」
そう叫んだ瞬間、クルツは根本的な勘違いをしていたことに気付く。自分の言葉を引き金に、リネットがまるで恋する乙女のように頬を赤く染め上げたからだ。
「ね、姉さん? まさか……誰か好きな相手がいるのか?」
「んっと、あなたには教えてあげる。私には、将来を約束した男の子がいるの」
「ど、どこのどいつだよ! そいつが姉さんに相応しいか、俺がぶちのめしてやる!」
「落ち着きなさい、途中から言ってることがおかしいわよ」
この数年ですっかりシスコンになったクルツががなり立てるが、リネットは呆れ顔を浮かべるばかりでまともに取り合ってくれない。
(ちくしょうっ、俺の姉さんにこんな顔させやがって! どこの誰だか知らないけど、ちゃんと姉さんに相応しい男かどうか、俺がたしかめてやる!)
クルツが新たな誓いを立てる。
とあるパーティーの会場。乙女のような顔をした姉が、ノエルとダンスを踊っているところを目撃して、色々と察するより約四年前の出来事である。
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