俺が育てた義妹がけなげで可愛い 2

 日を改め、俺はシャロの部屋を訪ねた。

 遠征から帰ってきた彼女は再び、令嬢らしいドレスを身に纏っている。どうやら、屋敷の中でまで、あの前衛的なドレスを着るつもりはないらしい。

 俺的にはとても気に入っているんだが……まぁ父上辺りは目を剥きそうだしな。


「お兄様がわたくしの部屋に来るなんて珍しいですね?」

「そうか? ……そういえばそうかもな」


 放っておいてもすぐにシャロの方から来るのが理由で、別に避けている訳ではない。それはシャロも分かっているようで、手振りで使用人達を部屋から退出させてしまった。

 人払いを終え、テーブルを挟んでソファに座って向き合う。


「それで……深刻な話ですか?」

「用件は二つで、一つ目は報告だ。俺に……リネットから婚約の打診があった」


 シャロがどのような反応をするか読み取れなくて、おっかなびっくり口にする。シャロは長いまつげをわずかに震わせるが、それ以上の反応は示さなかった。


「……お兄様は、その打診に応じるのですね」


 彼女はすべてを悟ったかのように寂しげに笑った。


「ああ。次期当主として、彼女との縁談を断る理由がない。……だけど、おまえには済まないと思ってる。せめて、保留に出来れば良いんだが……」


 おそらくは無理だろうと、言葉にすることは出来なかった。


「こうなることは分かっていました。だから、お兄様が気に病む必要はありません」

「だが……」


 ――これからもお兄様を好きでいさせて欲しい。そう願うシャロに応じた。そんな俺が、その舌の根も乾かないうちに、他の女性と婚約する。

 約束を破る訳ではないが、なんとも後味の悪い結果である。


「わたくしは、次期当主として努力を重ねるお兄様の邪魔をするつもりはありません。それに、お兄様はわたくしのために胸を痛めてくださいました。それだけで十分です」

「……強いな、シャロは」


 本当は辛いはずなのにと、胸に熱い思いが込み上げる。

 だがシャロは違いますよと苦笑いを浮かべた。


「お兄様は誤解してます。次期当主であるお兄様が誰かと婚約することくらい最初から承知の上です。今更になって慌てることでもありません」

「覚悟してた……って訳か?」


 俺の問いに、シャロはにへらっと笑った。


「わたくしが欲しいのはお兄様の寵愛です。それに、しょせんは婚約。結婚するのは早くても四年先ですし、それまでにお兄様が愛想を尽かされるかもしれないでしょう?」

「不吉なことを言うなっ」

「言葉のあやです。でも、状況なんて、いくらでも変わるでしょう? だから、わたくしは絶望なんてしていないし、だから落ち込む必要もない、という訳です」

「えっと、それは……つまり?」

「愛しています、お兄様」


 ストレートに愛を囁かれた。

 このしたたか可愛い義妹はまったく諦める気がないらしい。


「やっぱり強いって言うと思うぞ、シャロのそれは」

「わたくしは愛人の、しかもその愛人が浮気相手と作った子供ですよ? お兄様に婚約者が出来たくらいで動揺するはずないじゃありませんか」

「……そう言えるのは、シャロだからだと思うぞ」

「では、お兄様に育てられたからでしょう」

「こんな風に育てる予定ではなかったんだがなぁ」


 巻き戻る前の世界で判断を誤った俺は、妹として愛されたいという、シャロの願いを叶えることを二度目の人生における目標の一つとした。

 なのに、そのシャロに惚れられてしまった。なんか、最初から失敗している気がする。巻き戻る前の世界のシャロがいまの状況を知ったらどう思うんだろうなぁ?


「お兄様は一度、自分のおこないを振り返った方がいいですよ。じゃないと、第二、第三の犠牲者がそのうち生まれるかも……いえ、既に生まれているかもしれません」

「おまえは俺をなんだと思ってるんだ?」

「自分の胸に手を当てて考えてください。そこでわたくしの胸に手を添えて考えるようなマネをするから犠牲者が増えるのですよ?」

「事実を捏造するのはやめろっ」

「比喩ですよ、比喩。……まぁ苦労するのはお兄様だから良いでしょう。ひとまずその件は分かりました。四年あればなんとか出来るでしょう。それで、次の用件はなんでしょう?」

「……俺の義妹がしたたか過ぎる」


 いまさらっと、四年あればなんとか出来るとか言ったぞ、この小悪魔。四年で一体なにをするつもりなんだよ、怖すぎる。悪事に手を染めるのだけは止めて欲しいんだが……

 不安に思っていると、俺の視線に気付いたシャロは艶やかな赤髪を手の甲でさっと払ってみせた。そうして妖艶な笑みを浮かべる。


「心配しなくても、大好きなお兄様を困らせるような真似はいたしません」

「困ってる。いままさに困ってる」

「ごめんなさい。この程度までしか困らせないと、前言を訂正いたします。それに、ちょっぴり困った妹というのも可愛くて良いでしょう?」


 軽いなぁ……

 だがまぁ……そんなシャロの反応に救われたのも事実だ。彼女の想いに答えることは出来ないが、兄としては、彼女が幸せになるように全力を尽くそう。


「それで、二つ目の用件とはなんですか?」

「あぁ……そっちは補佐役の件だ。今回は認めないと父上に言われた。シャロの功績は認めるが、シャロだからこそ出来ることではない、というのが理由のようだ」


 シャロが膝の上できゅっと手を握った。


「それで……お父様はなんと?」

「どうにか挽回の機会はくれた。リネットの誕生パーティーに出席して、アッシュフィールド侯爵家との関係強化に貢献してみせろ、と。……出来るか?」

「機会をいただけたのは僥倖ですが……リネット様の誕生日はいつですか?」

「およそ二ヶ月後だ。社交シーズンで皆が王都に集まる機会におこなわれる」

「……二ヶ月。そのパーティーでアッシュフィールド侯爵家との関係強化。それも、わたくしだからこそ出来る功績を、ということですよね。……弱りました」


 決して簡単なことではないが、やらなくてはいけないことでもある。それをシャロは分かっているのか、珍しく弱り切った表情で笑った。


「なにも思いつかないのか?」

「お兄様が立てられる計画に対し、地道に補佐をすることを実績とするつもりでした。他に手がない訳ではありませんが、どれも二ヶ月後には間に合いません」

「……そうか、なら母上の助言が役に立つかもな」

「お義母様の助言、ですか?」

「誕生日プレゼントに紅茶を贈ったんだろう? ずいぶんと評価していた。社交界でご婦人方の信頼を得ることもまた、俺を支えることになるんじゃないか?」


 ただ縁を結ぶだけでは父上に認めてもらえないだろう。だが、そこにシャロだからこその知識を活かすことが出来れば、父上も認めてくれるだろう。


 それに気付いたシャロはハッと目を見開いて、すぐに真剣な顔で思案を始める。その青い瞳がせわしなく動いているのは、脳内でシミュレーションをしているからだろう。

 やがて、強い意志を秘めた瞳が俺を捕らえた。


「お兄様、マイラを貸してくださいませんか?」

「相談くらいなら好きにしろ」

「いえ、場合によっては研究、開発にも力を貸していただきたいです」


 つまりは、マイラの技術開発に使えるリソースを使わせて欲しいという意味。最悪の場合は、農作業の改革や魔導具の開発に遅れが出る、ということだ。


「即答は出来ないが……ま、シャロが父上に認められなければ話にならないからな。ひとまず、マイラに相談するとしよう」


 方針が決まり、俺達はすぐにマイラの元へと向かった。

 彼女はひとまず客人対応で、客間で子供達と共に過ごしている。彼女の元へ事前に連絡を入れ、しばらく時間をおいてから彼女の部屋を訪ねた。


「お待ちしておりました、ノエル様、シャーロット様」


 部屋に入るなり、入り口付近で待っていたマイラが深々と頭を下げる。それに合わせるように、彼女の子供達がお待ちしておりましたと頭を下げた。

 前回見たときはごく普通な平民の子供だったのだが、なかなか挨拶が堂に入っている。


「楽にしろ。そこまでかしこまる必要はない」

「はい、ありがとう存じます」


 こちらの申し出に感謝を述べるが、その格式張った態度は変えない。一度目の申し出は辞退する――なんて、普通の平民は知らないマナーだろうに。

 おそらく、以前に仕えていた貴族のもとで覚えたのだろう。


「繰り返すが、俺やシャロの前でそこまでかしこまる必要はない。あまり恐縮されては、ろくに話し合いも出来なくなるからな」

「……は、しかし……いえ、分かりました」


 マイラは迷った末に頷いた。

 そんな母親を見上げ、子供達がどうしたら良いのといった面持ちをしている。それを見かねたシャロが、屈み込んで子供達と視線を合わせた。


「あなた達も、もっと楽にしてかまいませんよ。立ったままではなんですから、あちらのソファに座って話しましょう?」


 天使の微笑みで子供達の警戒を解く。それから、おっかなびっくりシャロに従う子供達を、ソファの上座へと誘導した。シャロは以外と面倒見がいいんだな。


 そんなことを考えながらソファに腰を下ろす。俺はシャロと並んで上座に、下座には子供達を両脇にマイラが座る。そうして向かい合うなり、マイラが唐突に頭を下げた。


「まずはお礼を申し上げます。命を救っていただき感謝の念に堪えません。このご恩は必ず返しすると約束いたします」

「マイラ達に期待はしているが、さっきも言ったとおり、そこまで肩肘を張る必要はない。マイラは、マイラの目的のために、俺に力を貸してくれ」


 平民を豊かにする。その強い意志があれば、間違いなく俺の力になる。恩返しをしなければならない――なんて固くなられるよりも、力を発揮してくれるはずだ。


「かしこまりました。それと……改めて、子供達の……いえ、弟子の紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、そういえば紹介がまだだったな。俺はノエル・ウィスタリア。こっちはシャーロット・ウィスタリアだ。それで、二人の名前はなんて言うんだ?」


 子供達に視線を向ける。

 男の子は栗色の髪に金色の瞳で、女の子は夜色の髪に赤い瞳。髪や瞳の色は違うが、二人の顔立ちはよく似ているし、背丈もそれほど変わらない。

 よくみると、男の子はマイラの瞳の色を、女の子は髪の色を引き継いでいるようだ。


 そんな二人はとても緊張しているようで、マイラの服の袖をきゅっと握っている。シャロの幼かった頃を見ているようでほっこりする。


「ぼ、ボクはティム、もうすぐ十一歳です!」

「……私はサラ。お兄ちゃんと同じで、今年で十一歳になります」


 やはり双子らしい。

 そして、男の子は元気いっぱいで、女の子はそこし落ち着いた感じがする。このくらいの年齢は、女の子の方が成長が早いっていうしな。


「二人には私の持つ知識を伝えています。もちろん、いまはそれほど多くのことを知っている訳ではありませんが、いずれ必ず、ノエル様のお役に立てるでしょう」

「ちなみに……魔導具の知識も伝えるのか?」

「ダルトン子爵に見つかる可能性があったのでいままでは教えていませんでしたが、これからは少しずつ教えていくつもりです」

「そうか。では、二人の成長を楽しみにしておく。ティム、サラ、これからよろしくな」


 声を掛けると、二人は目を輝かせて頷いた。

 ……うん、やっぱり子供は素直なのが一番だな。


「さて、挨拶も終わったところでいくつか話がある。まずはマイラに与えるアトリエのことだ。これは父上から許可を得た。後でアイシャを使いにやるから要望を伝えてくれ」

「……アトリエを用意していただけるのですか?」

「ああ。他の弟子を取ったときのことも考えて大きめにな」


 子供達はもちろん、マイラが弟子を取ることも想定して規模を決定する。巻き戻る前の世界が彼女の能力を証明している以上、その知識を広めないという選択はあり得ない。

 いまから人材を育成すれば、必ず俺達にとって有利に働くだろう。


「それともう一つ。シャロから相談があるそうだ」


 視線で促すと、シャロは自分の置かれた状況を軽く説明した上で、社交界のご婦人が気に入るような商品の開発をしたいと訴えた。


「……ご婦人が気に入るような商品、ですか?」

「お義母様が、わたくしの贈った茶葉を気に入ってくださったそうです」

「茶葉……ですか? 申し訳ないのですが、私は紅茶に詳しくありません」

「いまのは一例なので、茶葉である必要はありません。紅茶を美味しく入れる道具など、貴婦人が気に入りそうな物ならなんでもかまいません」


 ……ははぁん、なるほどね。

 お茶会はご婦人方がほぼ日常的におこなっている。そこで出す紅茶の味を底上げできる道具を作ることが出来れば、その影響力は計り知れないものとなるだろう。


「そうですね。どうやったら美味しくなるかが分かれば、それを魔導具で補助することは可能かもしれませんが……私は詳しくありません。シャーロット様はなにかご存じですか?」

「汲み立ての水の方が、汲み置きの水で入れるよりも美味しくなると言われています。あとは、水を汲む地域や井戸によっても味が変わると言われています」


 やはりシャロは博識だ。その知識を披露するだけでも十分じゃないかと思ったのだが、シャロがいうには、この程度の知識はご婦人方なら大体知っているらしい。


 ただ、知ってはいても、美味しい紅茶を入れられる井戸が近くにあるとは限らない。だからこそ、それを補える魔導具があれば注目されるだろう、ということのようだ。


「……そう、ですね。その理由が分からなくては厳しいです」

「理由、ですか?」


 シャロが小首をかしげると、マイラが説明を始める。


「たとえば汲み立ての水の方が、汲み置きの水よりも冷たいことが考えられます。その温度の差が問題であるのなら、冷却の魔導具を応用することで解決すると思われますが……」

「原因が温度でなければなんの意味もなさない、ということですね」


 そしてシャロいわく、温度は関係ないらしい。

 では、なぜ汲み立ての水で入れる方が美味しいのか――という議論が始まる。

 俺も少し考えてみるが紅茶のことは分からない。紅茶以外の選択肢にも目を向けるべきかもしれないと周囲を見回していると、サラがなにか言いたげにしていることに気付いた。


「サラ、なにか意見があるのか?」


 声を掛けると、サラが目を輝かせた。


「えっと……その、お母さんが以前、私にプレゼントしてくれた物はどうでしょう?」

「サラ、いまはお仕事の話をしているから、ノエル様の邪魔をしたらダメよ」

「あう……ごめんなさい」


 サラはしょんぼりとしてしまった。なんだか小動物のようで可愛らしい。邪魔をしないようにと、マイラが子供達を奥の部屋に退出させようとする。


「待ってくれ。色々な意見を聞いておきたい。サラがもらったプレゼントがどんな物なのか、話を聞かせてくれないか?」


 幼くとも女性。なにかの参考になるかもしれないと続きを促した。


「えっと……私がお母さんからもらったのは花の香りの香水です」

「香水か……なるほどな。シャロ、どう思う?」

「香水はもちろん需要が大きいです。どのような香りか教えてくださいますか?」

「えっと……お母さん?」


 娘に助けを求められたマイラがスラスラと説明を始める。

 ――が、なにを言っているかさっぱり分からない。なにやらトップノートがどうのとか、香りのグラデーションがどうのとか、意味の分からない説明が続く。


 俺は理解することを諦めたが、シャロは質問を重ねながらも理解できているようだ。質問を重ねるごとにシャロが驚き、目を輝かせ、どんどん前のめりになっていく。

 そして――


「お兄様っ、いますぐ香水の量産体制を整えましょう」

「落ち着けっ」


 俺を押し倒しそうな勢いで迫ってくるシャロの頭に手刀を入れた。のーてんきな義妹は「痛いですぅ~」と涙目になって、恨みがましそうな目を向けてくる。


「お兄様には、マイラの作る香水の素晴らしさが分からないのですか?」

「……悪いが、そもそもの説明が理解できなかった」

「むぅ……仕方ありませんね。とにかく、いままでにない香水、と言うことです。これは革命です、歴史の転換期です。社交界を香水で征する時代が来たのですっ!」

「……そこまでか」


 少なくとも、シャロがここまで興奮するほどのものであることは間違いない。詳細は後回しに、とにかくマイラには試作品を作ってもらうことにした。

 

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