俺が育てた義妹がけなげで可愛い 1
アッシュフィールド侯爵家から、俺とリネットの婚約について打診が来た。
巻き戻る前の世界、ウィスタリア侯爵家が落ち目だったときですら手を差し伸べてくれたかの家が、いまのうちに婚約を打診するのは予想できたことだ。
手を差し伸べてくれたアッシュフィールド侯爵には感謝しているし、その娘であるリネットとも知らぬ仲ではない。なにより領地が隣り合わせなため、交流を盛んにおこなえる。
しかも、うちよりも大きな力を持つ侯爵家。
政略結婚の相手として、リネットよりも良縁はないと言える。
だが、シャロのことを考えるとタイミングが悪い。
もちろん、俺が誰とも婚約しないなんて約束はしていないし、それは侯爵家の跡取りとして不可能だ。それはシャロだって分かってるだろう。
だが、感情がついてくるかどうかは別問題だ。
なにより、シャロは巻き戻る前の世界でリネットに対して罪を犯した。状況が変わっているから大丈夫と言い切ることは出来ない。
むしろ、あのときのシャロは妹として俺にかまわれたかっただけだが、いまは異性として俺に愛されたいと願っている。問題が起きる可能性はあのときよりも高いと言えるだろう。
だが――
「二ヶ月後に始まる社交シーズン。王都でリネット嬢の誕生パーティーが開催される。それに出席して、そなたが返事を伝えるがいい。そうすれば彼女も喜んでくれるだろう」
「はい、そのようにいたします」
表情を見せないように、顔を深く伏せてかしこまった。
次期当主として、婚約相手に問題があるのなら異を唱えることは出来る。だが、今回打診された政略結婚にはなに一つ問題がないのだから、俺の答えは最初から決まっている。
好意を寄せてくれているシャロには悪いが、俺がここで感情的に反発すれば、次期当主の資格なしと判断され、シャロが婿養子を迎えるような未来だってあり得る。
そういった本末転倒を避けるには、シャロに理解を求めるしかないだろう。
幸いなのは、リネットや俺は今年で十六歳ということだ。不測の事態に陥らない限り、俺達が結婚するのは成人と認められる二十歳になってから。
つまり、あと四年の猶予がある。
しばらくはシャロに婚約の件を隠し、頃合いを見てから打ち明けるのが良いだろう。
……しかし、頭が痛い。闇堕ちしたシャロが暴走して罪を犯すなんて結末は考えうる中でも最悪。シャロをもう一度処刑台に送るなんて死んでもごめんだ。
シャロをリネットに近付けないようにしなければいけない。
「……そういえば父上、シャロの実績は認めていただけるのでしょうか?」
「おぉ、その話がまだだったな。遠征の結果はどうであったのだ? まずは魔獣の件だ」
「魔獣は十分な数を討伐することが出来ました。俺自身の手でもガルムやブラウンベアを数体ほど打ち倒しました。詳細は報告書に書いてあるとおりです」
「さすがは俺の息子だ。報告書の精査が済み次第、おまえに騎士の称号が贈られるだろう」
「ありがとう存じます」
一つ目の問題はクリア。これで未熟な当主として揶揄されることはなくなるだろう。
だが問題はシャロの件だ。
「続いて、マイラという魔導具師を連れ帰りました。少々訳ありですが、その知識は紛れもない本物で、ノースタリア地方の収穫量を目に見えるほど増加させた人物です」
「報告は聞いているが……訳ありだと?」
「もともとはダルトン子爵に仕えていたようです」
続けて、過去にあった出来事を打ち明ける。
「ほう、ダルトン子爵か、面白い」
「……面白い、ですか?」
「なに、こちらの話だ。報告を続けるがよい」
「はい。ダルトン子爵とうちには特に繋がりがありませんし、こちらから関わる必要はないと思っています。無論、必要になれば対策を取りますが……」
「ふむ……良いだろう。その件については、おまえの好きにするがよい」
「では、そのようにさせていただきます」
一度頭を下げ、つきましては――と、父上に視線を向ける。
「マイラは農業の知識だけでなく、魔導具の開発を含めた、全面的な協力を申し出てくれています。彼女に専用のアトリエを用意してもよろしいでしょうか?」
「いいだろう。アトリエを作る許可を与える」
「ありがとう存じます」
トントン拍子に話すが進む。
いよいよと背筋をただし、シャロの能力を求めてもらえるかと問い掛けた。
「ふむ。……シャロは、その件にどう関わっているのだ?」
「補佐役として、マイラの説得に協力してくれました。また、ノースタリア地方の町の情報を集め、農業の改革に対するスケジュールも組んでくれることになっています」
「……ほう、それで?」
今回の遠征における最大に成果をそれでの一言で片付けられた。父上は明らかに満足していない。その受け入れがたい事実を前に唇を噛んだ。
「……シャロが手伝ってくれたのはそれだけです。ただ、彼女の協力なくしては、マイラを連れ帰ることは不可能だったでしょう。どうか、彼女の働きを認めてください」
「ノエル、おまえは勘違いをしている」
「勘違い、ですか?」
必死に頭を働かせるが、その勘違いがなにを指しているか分からない。
そうして困惑する俺に、父上はふっと表情を和らげた。
「いいか、ノエル。シャーロットの働きを認めない訳ではない。だが、おまえがいま上げた程度の働きであれば、他の人間でも可能なはずだ」
「それ、は……」
俺は最初、シャロの特殊な知識を活かすと口にした。だが結果的に、今回の一件にシャロの知識は関わっていない。シャロではなくとも、それなりに優秀な者なら得られた成果である。
父上を説得するには、シャロだからこそ出来ることを示さねばならなかったのだ。
「ふむ。俺の見込み違い、だっただろうか?」
「いえ、決してそのようなことはありません」
まずい、非常にまずい流れだ。
俺がリネットと婚約して、その上はシャロまでもが何処かに嫁がさせられる。それはあまりにもシャロが可哀想だ。そんな結末を享受できるはずがない。
撒き戻った後の世界で彼女が願ったことは叶えられないが、巻き戻る前の世界で彼女が願った、妹として愛されたいという切なる願いだけは絶対に叶えてみせる。
俺は父上に対し、深々と頭を下げた。
「今回は父上の期待に添えず申し訳ありません。ですが、シャロは俺の良き理解者であり、希有な能力の持ち主でもあります。シャロならば、必ずウィスタリア侯爵領に貢献してくれるでしょう。次期当主の名を賭けて約束いたします」
「……ほう? その言葉がどのような意味を持つか、おまえは理解しているのか?」
「はい。ですから、どうか、いまひとたびの機会をお願いします」
次期当主の地位を賭けて、シャロに機会を与えるようにお願いする。
これがいまの俺に出来る精一杯だ。
果たして――
「良いだろう。元々、約束の期間はまだ半年ほど残っている。おまえの言葉を信じて、もう一度だけチャンスを与えよう」
「父上の慈悲に心から感謝いたします」
……なんとか最悪の事態だけは避けることが出来た。今回は失敗してしまったが、シャロの能力なら必ず父上に認められるだろう。
リネットとの婚約は避けられないが、結婚は四年先。
そこまでには、シャロの心の整理もついているだろう。当面はシャロをリネットに近付けないようにして、一つずつ対処すればきっと大丈夫だ。
そう思った矢先――
「では、シャーロットをリネット嬢の誕生パーティーに連れて行くが良い」
「……は、い?」
情けなくも擦れた声が響いた。俺の声だ。
いやだって、意味が分からないだろ。シャロとリネットを会わせないことこそが唯一の打開策なのに、リネットの誕生パーティーに連れて行けってなんだよ?
「なにを驚いた顔をしている。今回の件だけではない。以前から支援をしたりと力を注いでいることからも、おまえがアッシュフィールド侯爵家との関係強化を望んでいることは明白だ」
「……はい」
「であれば、アッシュフィールド侯爵家との関係強化をシャーロットが補佐してこそ、その能力の証明になるはずだ。そうであろう?」
「……はい」
「ならば、アッシュフィールド侯爵家の娘であり、そなたの婚約者であるリネットの誕生日パーティーに出席するのは必然であろう」
「……たしかに」
ぐうの音も出ない。
いや、たしかにそうなんだけど、そこには特大の闇堕ちフラグがあるんだよ!
なんて、言えるはずもなく……困った。
いや、違うな。どれだけ困難な状況でも、この道だけが俺に残された唯一の光明だ。たとえその道が険しくとも、その道から逃げるという選択だけはあり得ない。
「かしこまりました。社交シーズンに王都でおこなわれるリネットの誕生パーティーにシャロを伴い、俺の補佐役として相応しい能力の持ち主だと証明してみせましょう」
自信満々に言い放つが、実のところなにも案が浮かばない。
まったく、どうしてこうなった。
父上の部屋から退出した俺は、早急にこれからのことについて対策を立てようと意気込んでいたのだが、自室に戻る途中に母上に捕まった。
「ちょうど良いところに来ました。少し話があるので、温室へ来なさい」
屋敷の中庭にある、ガラス張りの温室。季節に関係なく、美しい花々が咲き誇る。母上が侯爵夫人として管理するウィスタリア侯爵家自慢の植物園だ。
母上から直々に招かれては断れるはずもなく、招待に応じて温室へと足を運ぶ。そこには既にテーブル席が設けられていて、俺は母上と向かい合って座ることとなった。
「……それで、母上は俺なんのご用でしょう?」
「あら、母親が息子とお茶をするのに理由が必要ですか?」
「いえ、そのようなことはありませんが……珍しいな、と」
母上とコミュニケーションを取っていない訳ではない。だが大抵は食事の席や、出会い頭の立ち話。こんな風に、何処かに席を設けてとなると、それこそシャロの件以来だ。
「まぁ……そうですね。用件がない訳ではありません。最近のあなたはなにかと忙しく飛び回っているようですから、近況について聞こうと思ったのです」
「なるほど、そういうことでしたか」
このタイミングで考えられる話題は多くない。母上がなにを聞きたいかはすぐに分かった。
「さきほど、アッシュフィールド侯爵家より縁談の打診があったと父上にうかがいました」
「その件は聞いています。あなたはどうするつもりですか?」
一瞬、その問い掛けの意味が分からなかった。
次期当主として、リネットとの婚約を断る理由はない。そんなことは母上だって百も承知で、だからこそ、母上がそんなことを聞くとは思わなかった。
「婚約には応じます。二ヶ月後にあるリネットの誕生パーティーでに出席し、俺が自分の口でそのことを伝える予定となっています」
「そう、ですか。あなたは次期当主として、正しい判断をしましたね」
「……母上にそう言っていただけると心強いですね」
まさか、母上が俺の苦悩を知っているはずもない。こんな風に褒められるとは思わなくて少しだけ戸惑った。そうして真意を測りかねていると、母上は軽く手を上げて合図を送った。
側仕えがテーブルにティーセットを並べていく。ティーカップに注がれる琥珀色の紅茶は薫り高く、皿に乗せられたお菓子はふわっとしていて見慣れない。
物珍しく思っていると、母上が紅茶に口を付けた。いわゆる毒は入っていないと示す、主催者側がおこなう作法である。それを確認した俺もまた、ティーカップの縁に口を付けた。
芳醇な香りと味わい。
普段飲み慣れている紅茶とは、まったくの別物のようだ。
「気に入ったようですね」
母上が茶目っ気たっぷりに笑った。社交界を生き抜くやり手の侯爵夫人。そんな印象を抱いていた俺は、母上の若々しい所業に少し驚かされる。
「もしや、母上が用意なさったのですか?」
「いいえ、それはシャーロットが取り寄せたものです」
「これをシャロが……」
ファッションしかり、シャロが色々な物に目を付けているのは知っていたが、紅茶にまで手を出しているのは知らなかった。
もう一度カップに口を付けるが、やはり俺の知っている他の紅茶と違う。
香りも味も、他の紅茶とは段違いだ。
「わたくしの好み、そして輸送時間を考慮した結果、取り寄せるのはこの紅茶が最適だと判断して、わたくしの誕生日に取り寄せてくれたのよ。やはり娘というのはよいものね」
息子は気の利いたプレゼントをくれないと揶揄されているような気がして視線を逸らす。
「それにしても、母上がシャロを娘と呼ぶ日が来るとは思いませんでした」
ドレスを贈ったことなどから関係が改善していることは知っていたが、まさか娘と呼ぶほどにまでシャロと仲良くなっているとは思わなかった。
やはり、父上の野菜嫌いを改善して容態を回復させた功績が大きいのだろうか?
「……そうですね、あの子とは色々ありましたが、いまでは憎からず思っています。この紅茶やお菓子、他にも色々と。あの子は優れた社交能力を持っていますよ」
その言葉に、俺はハッと顔を上げた。
母上がどこまで知っていて、なにを思っているのかは分からない。だがいまのは確実に、俺の補佐として、シャロを父上に認めさせるためのヒントになった。
「母上は、シャロが俺の補佐になることを賛成してくださるのですか?」
「……いまのはいただけません」
唐突にダメ出しをされた。
「いただけないとは、どういう意味でしょう?」
「貴族同士の会話は基本、相手に言質を取らせないように曖昧な言葉を取るものです。言葉の裏を理解できないのなら二流。ましてや確認を取るなど三流も良いところです」
「申し訳ありません、精進いたします」
貴族の腹の探り合いが過酷なのは、巻き戻る前の世界で既に体験している。だが撒き戻った後の世界では、根が素直なシャロと過ごす時間が多くて腑抜けていたようだ。
そうして背筋をただす俺に、母上はにこりと笑った。
「では、当主となるべく精進する可愛い息子に一つ助言をいたしましょう。シャーロットはわたくしが最初に心配していたような企てはしていません」
今更だ。この段階になってそんな助言をする理由が分からない。
……いや、違うな。母上だってそんなことは百も承知だろう。つまりは、いまの言葉にも裏の意味が隠されている、と言うことだろう。
――と言われても、そこに隠されている意図までは読み取れない。『最初に心配していたような』と強調したと言うことは、それ以外の企てを警戒しろ、という意味だろうか?
「母上は、いまだにシャロを警戒しろとおっしゃるのですか?」
「……いいえ。ただ、シャーロットはあなたが思っているよりもずっとしたたかです。あの子と仲良くするなとはいいませんが、仲良くするのなら相応の覚悟はなさい」
「シャロが素直で純粋な妹であることはよく知っているつもりです」
母上は扇で口元を隠した。俺の発言がおかしいという意思表示である。どうやら、俺の回答はまったく、母上の真意を読み取れていなかったようだ、残念。
「申し訳ありません。急には成長できないようです。これから精進いたします」
「……まぁ良いでしょう。それで大変な思いをするのはあなたですからね」
なぜだか呆れられてしまったが、これ以上聞き出すことは無理そうだ。と言うか、無理だった。その後は最近の近況などを話すに留まり、目新しい情報もなくお茶会は終わった。
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