俺が育てた義妹は無邪気で可愛い 3
季節は巡り巡って春が訪れた。
俺はあと半年ほどで十五歳になる。巻き戻る前の歴史では、父上の容態が悪化の一途をたどり、ベッドから起き上がれなくなる時期なのだが、いまの父上はとても元気である。
父上の病は、本当に野菜を食べないことが原因だったらしい。
父上が病気で亡くなることはもうないだろう。
ただ、シャーロットが本当の意味で父上の命を救ったと知っているのは、父上が野菜を食べなかった未来を知っている俺だけである。
だがそれでも、シャーロットのおかげで容態が良くなったことは理解しているのだろう。父上はますますシャーロットを溺愛するようになった。
そして――
「シャロ、用意は出来たか?」
とあるパーティー会場の控え室。
扉の外から愛称を呼べば、ほどなくして愛らしいうちの天使様が姿を現した。最新デザインのドレスを身に纏う、先日十三歳になったばかりの義妹である。
春から初夏に掛けては社交シーズンで、父上と同じ派閥の貴族達が集まるパーティーも王都で催されている。俺とシャロは両親に連れられ、その一つに参加することになっている。
ちなみに、俺は未成年だし、シャロもデビュタントは終えていない。あくまで父と同じ派閥の者が主催するパーティーに、子供としておまけで出席するだけである。
子供のうちに社交界に慣らしておこうという試みで、互いに子供のすることにはある程度目こぼしをするという暗黙の了解もある。
ただし、目こぼしが期待できるから安心かといえばそんなこともない。
基本的に、政略結婚の多くは同じ派閥の者達との関係強化に使われる。つまり、社交界デビューはまだでも、俺達の社交界は既に始まっている。
それが分かっているからだろう。
今日がパーティーに初参加のシャロは少しだけ不安そうだ。
「お兄様、わたくしの服装にどこかおかしなところはありませんか?」
「大丈夫だ。そのドレスのデザインや色合いはシャロによく似合っている。いまのシャロを見て可愛くないなんていうヤツがいたら、それはそいつの目がおかしいだけだ」
「もぅ、お兄様ったら。でも、お兄様がそう言ってくださるのなら安心です」
「ああ。後で母上にもお礼を言っておくんだぞ」
シャロが身に着けているのは、母上が誕生日プレゼントとしてシャロに贈ったフィッシュテールのドレス。少女向けの流行デザインで、良質な生地を使っている最高級品である。
シャロは対外的には養女という弱い立場だが、少し目利きの出来る者になら、ドレスの送り主がシャロを可愛がっていることは一目瞭然だ。
間違いなく、母上はそれを理解した上でドレスを贈っている。
母上はここ最近、シャロへの警戒を解きつつある。父上を救ったことが切っ掛けだが、それ以前にも、積み重ねで少しずつ信頼を重ねた結果だろう。
というか、最近は溺愛しているようにすら見える。
なぜかというと、シャロのドレスのデザインに、母上が直接口を出していたからだ。これが見せかけの愛情であれば、お金だけを出して、デザインは服職人に任せたはずだ。
そんな訳で、両親から愛されて育ったシャロはますます可愛く育った。パーティーに出席する前から、噂を聞きつけた他家から縁談が舞い込むくらいだ。
両親からは、うちの天使に悪い虫がつかないようにしっかり見張れと仰せつかっている。
「お手をどうぞ、シャーロットお嬢様」
イタズラっぽく笑って手を差し出すと、シャロが目を見開いた。
「お兄様がわたくしのエスコートをしてくださるのですか?」
「ああ。シャロにも俺にも婚約者はいないからな。今日のところは俺で我慢しておいてくれ」
「なにを言うのですか、お兄様に不満などありませんっ」
シャロは俺の手を取る――のではなく、ギューッとしがみついてきた。先日十三になったとはいえ、まだまだこういうところは子供っぽい。
というか、いまだに寝るとき、俺のベッドに潜り込んでくるんだよな。
さすがに十三にもなって……とも思うんだが、そろそろ止めた方が良いと言うと「昨日は良かったのに、今日はどうしてダメなのですか?」と悲しそうな顔をするのだ。
俺も、たしかに昨日は良かったんだから、無理に今日から禁止しなくても良いかと、ついつい先延ばしにしてしまっている。
甘いとは分かっているが、可愛いシャロを突き放せるはずがない。
「お兄様、お兄様。今日はわたくしと踊ってくださいね? わたくし、今日のためにたくさん、ダンスの練習をしたんですよ?」
「あれだけ一緒に練習したのに、まだ俺と踊りたいのか?」
「お兄様だから踊りたいんですよぅ」
「分かった分かった」
当日まで俺と踊らずとも、好きな相手と踊れば良いのにと思うが、いまはまだそういう相手もいないんだろうなぁと苦笑いを浮かべる。
俺は改めてシャロをエスコートして、パーティー会場に足を踏み入れた。
今日の俺達はあくまで両親のおまけ。
ゆえに、俺達が会場に顔を見せたところで注目させるようななにかが始まる訳ではない。ただ、シャロはこの七年ほどで驚くほど愛らしく成長した。
赤い髪は艶やかで、頭の天辺には光を反射して輪っかが出来ている。周囲の者がシャロを天使と表現する理由の一つである。
更に青い瞳は知的な輝きを帯び、立ち居振る舞いは侯爵令嬢に相応しい。俺にエスコートされる彼女が歩くたびに、すれ違う者達が視線を向けてくる。
どうだ、俺の妹は可愛いだろうと誇らしい気持ちになる。
「お兄様ぁ~」
パーティー会場の奥にあるダンスホールの手前、ワルツが聞こえてくると、シャロが甘えるように俺を見上げてきた。どうやら、さっそく踊りたいらしい。
「お嬢様、私と踊っていただけますか?」
少し気取った口調で問い掛けると「え、嫌ですけど?」という答えが返ってきた。思わずピシリと固まるが、彼女はふくれっ面になった。
「わたくしが踊りたいのはお兄様であって、何処かの気取った殿方ではありません!」
「なるほど。じゃあ……シャロ、俺と踊ろう」
「はい、よろこんで!」
無邪気に笑うと、彼女は半ば俺の腕を引いて、早く早くとばかりにダンスホールへと足を運ぶ。そうしてダンスホールの中央を陣取ると、一度俺から離れてクルリと振り返った。
無邪気な雰囲気はなりをひそめ、侯爵令嬢に相応しい気品を纏う。
優雅な――それだけで教育が行き届いている令嬢だと分かるようなカーテシーをした。それに思わず見惚れた俺は、慌てて同じく一礼をする。
次の三拍子でホールドを取って、うちの天使様と踊り始めた。
最初はナチュラルターン、続けてランニングスピンターンへと繋げる。デビュタントもまだな子供が、初めてパーティーで踊るフィガーとしてはかなり難しい立ち上がりだ。
だが、いまのシャロなら問題なく踊れる難易度でもある。むしろ俺の方が大変だったが、シャロに何度も練習をせがまれたおかげで、いまは余裕を持ってリードできる。
リズムに合わせ、溜めを作って大きくステップを踏む。幼いシャロの歩幅はそれほど大きくないが、彼女は俺のステップに難なくついてくる。
彼女の赤い髪がふわりと広がり、魔導具の明かりを受けて煌めいている。そのあまりの愛らしさに、周囲の者達がシャロに視線を奪われていくのを肌で感じる。
大人達は感嘆の溜め息と共に、女の子は羨望の眼差しで、そして男の子達はシャロに見惚れ、俺には嫉妬の眼差しを向けてくる。
シャロのパートナーとして、彼女の側で踊る俺にはそれがよく分かる。
まるで、シャロが音楽の神様に愛されているかのように、魔導具のスポットライトが彼女の姿を追い始めた。キラキラと輝く光の下で笑う彼女は本当に天使のようだ。
相手役でしかない俺までもが、ダンス会場の主役になったような気分になる。
「ノエルお兄様、楽しいですね」
「ああ、本当に楽しい。きっと、相手がシャロだからだな」
「~~~っ。わたくしも、ノエルお兄様だから幸せですっ」
時間が戻る前の世界での俺は領地を経営するのに一杯一杯で、ダンスを楽しむ機会なんてなかったし、こんな風に羨望の眼差しを受けることもなかった。
まぁ、羨望の眼差しはシャロに向けられているのだけど。それでも、時間が巻き戻る前の世界では得られなかったものばかりだ。
傷付けてしまったシャロを幸せにする。その目標を第一にこの二度目の人生を送っていたのだけど、どうやら俺にとっても充実した人生となりそうだ。
そんな風に考えながら、シャロと共にステップを踏む。
俺達は途中から始めた一曲目に続き、そのまま二曲目も踊りきった。雨のように降り注ぐ拍手に見送られ、俺達はダンスホールを後にした。
その後はドリンクを片手に小休憩。
知り合いにシャロの紹介を――と考えていると見覚えのある少年が現れた。アッシュフィールド侯爵家の跡取りで、巻き戻る前の世界で俺の婚約者だったリネットの弟である。
「初めまして、クルツ・アッシュフィールドだ。どうかクルツと呼んでくれ」
「俺はノエル・ウィスタリア。よろしくな、クルツくん。それと――」
「シャーロット・ウィスタリアです。クルツ様」
シャロが優雅にカーテシーをする。クルツくんの顔がほのかに赤くなった。
……なるほど。巻き戻る前の世界では余り交流がなかったのだが、どうやらシャロの魅力に引き寄せられてきたようだ。うちの義妹は可愛いから歴史が変わるのも仕方ないな。
……ふむ。たしか、クルツくんは優秀だったよな。
才能があり、家柄も完璧なうちの跡取り、か。
シャロが可愛くてついつい甘やかしてしまっているが、いつまでも兄にべったりでは嫁の貰い手がなくなってしまう。これは兄離れさせる良い切っ掛けとなるだろう。
両親には悪い虫を付けるなと言われたが、彼なら問題ないだろう。
「シャロ、せっかくだから彼と踊ってきたらどうだ?」
「……え? これから挨拶に行くんですよね?」
「なに、挨拶のことなら心配いらない。彼と楽しんでくるといい」
なぜか、物凄く恨みがましそうな目で睨まれた。なにやら「お兄様の裏切りものぉ~」という声でも聞こえてきそうである。というか、微かに聞こえてきた。
シャロは人見知りだったりするのだろうか?
だがこれはシャロのためだ。妹として愛されたいと願ったシャロのために、全力で彼女が幸せな未来を得られるように兄として支援する。
そのためには、兄離れだってさせないといけない。心を鬼にした俺は、シャロの呻きが聞こえないフリをして、クルツくんへと視線を向ける。
「どうだろう? パーティーに不慣れな彼女と踊ってやってくれないか?」
「俺が彼女と……か?」
「ああ。キミなら、紳士的にシャロをエスコートしてくれると信じている」
節度を持って妹と接するようにと釘を刺すのは忘れない。そうして、二人をダンスホールへと送り出した。理解ある兄として、完璧な対応だったと言えるだろう。
さて……俺はどうしようかな?
世界が巻き戻る前は余裕がなかったが、いまは父上が元気だし、未来で得た記憶を利用していることもあり、ウィスタリア侯爵領の経営もいまのところは好調だ。
いずれは父上から政略結婚を申し渡されることになると思うが、少しくらい羽を伸ばしても許されるだろう。誰か、俺と踊ってくれる相手はいないだろうかなんてことを考えていると、プラチナブロンドを弾ませながら近付いてくる、愛らしい少女の姿が目に入った。
女性らしいプロポーションの持ち主で、穏やかな物腰をしている。吸い込まれそうなエメラルドの瞳に俺を映すのは、巻き戻る前の世界で婚約者だったリネットだった。
そういえば、リネットは俺のことをどう思っているのだろう?
世界が巻き戻る前での婚約が、アッシュフィールド侯爵家がウィスタリア侯爵領の経営に食い込むための政略結婚だったことは間違いない。
だが、リネットはその婚約を粛々と受け入れていた。なんていうと勘違いしそうだが、引く手あまたなリネットが、落ち目の侯爵である俺のもとへ嫁ぎたがっていたとは思えない。
……いや、友人として手を差し伸べてくれた、くらいならあり得るか?
「お久しぶりですわね、ノエル」
「ああ……久しぶりだな、リネット。昨年のパーティー以来か?」
同い年な上に、父親同士に付き合いがあるので、俺達が会う機会は多い。それでも年に数回といった頻度だが、貴族的には馴染みが深いといって間違いないだろう。
堅苦しい挨拶を終えた瞬間、飾りっ気のない彼女が顔を覗かせた。
「そうね、前のパーティーで踊ったっきりよ。あなたは……少し背が伸びたわね」
「そういうリネットは……ずいぶんと綺麗になったな」
彼女は俺と同じ年の生まれで、今年で十五なる。巻き戻る前の世界で見た彼女よりは幼いが、大人びたドレスを身に纏い、年の割に豊かな胸の谷間を惜しげもなく晒している。
世界が巻き戻る前は、このように大人びたドレスは一度も着ていなかった。どちらかというと、異性には興味ありませんと言っているようなイメージだった。
巻き戻った後、彼女の心境に影響を及ぼすような出来事があったのだろうか?
「ふふ、ノエルが褒めてくれるなんて珍しい。色々と頑張った甲斐があったわ」
彼女がおもむろに手を差し出してきた。それは、ダンスを申し込んだ男性の手を取るような仕草。俺からダンスを申し込んで欲しいという、彼女からのお誘いだ。
俺は手を差し出して、「私と踊っていただけますか?」と彼女を誘う。
「あら、そんなにわたくしと踊りたい?」
自分で誘わせておきながらの言い草である。
深窓の侯爵令嬢が心の内に隠している、いたずらっ子がちょこっと顔を覗かせている。外面の良い彼女の本性を知る人はごく少数、友人と認められた者だけだ。
だから――
「光栄だとは思ってるよ」
そう言って笑うと、彼女は破顔して俺の手を取った。そのままダンスホールの真ん中までエスコートすると、リズムに合わせて踊り始める。
「ありがとね」
俺のリードに自然と合わせながら、彼女はそう言って相好を崩した。
「感謝をされるような心当たりがないんだが?」
「色々あるのになにを言ってるのよ。まずは……そう。食料を売ってもらえて助かったとお父様が感謝していたわ。貴方がロバート様に口添えをしてくれたのでしょ?」
「……あぁ。あれはうちにも利益が出ているから、なにも問題はないぞ」
昨年は、アッシュフィールド侯爵領を含むいくつかの地方で不作の年となった。
凶作というほどではなかったのだが、焦った一部の領主が買い占めに走った結果、食料の値段が高騰して更なる買い占めを呼び、アッシュフィールド侯爵領でも食糧不足に陥りかけた。
巻き戻る前の世界でその事実を知っていた俺は、父上から許されている範囲の権限を使って、高騰する前に食料を備蓄させていた。その食料を父の名の下、高騰する前とあまり変わらない価格でアッシュフィールド侯爵領に卸すようにお願いしたのだ。
名目は、アッシュフィールド侯爵家に恩を売るため。
だが本音は違う。
世界が巻き戻る前のアッシュフィールド侯爵は、政略結婚で思惑があったとはいえ、困っている俺に手を差し伸べようとしてくれた。それに対するささやかな礼、みたいなモノだ。
アッシュフィールド侯爵家との関係強化も本音の一つではあるが、それでリネットに感謝されるというのはどうもむず痒い。
「貴方は謙虚ね。他にも色々と功績を挙げていると聞いているわよ。滅多に人を褒めないお父様が褒めていたわ。だから――借り一つ。なにか頼みがあるときは言ってみろ、だそうよ」
「ずいぶん評価してくれているんだな。光栄だよ」
本当に光栄だ。
ただ、その根底にあるは、巻き戻る前の世界での記憶だ。俺も多少は成長しているとは思うが、未来を知っていなければここまでの成果は上げられない。
自惚れないようにしなければと考えていると、リネットが俺の目を覗き込んでいた。
「……どうした?」
「他に言うことはないのかなって」
「……他?」
「お父様が、頼みを聞くと言ってくれているのよ? アッシュフィールド侯爵家には皆が羨むような花が咲いているというのに、あなたはそれを望まないの?」
花ってなんだ? と思った訳ではない。
彼女のいう花が、彼女自身を指している可能性にはすぐに気が付いた。
だが――
「いくらなんでも、アッシュフィールドの大切な花を手折りたいなんて言える訳ないだろ」
「そうかしら? 貴方なら、お父様も許してくれると思うけど」
「……そういう問題じゃないだろ」
たしかに世界が巻き戻る前とは違って、いまの俺は政略結婚の相手として優良株だ。巻き戻る前の世界ですら許されたのだから、今回も政略結婚を受けてもらえるかもしれない。
俺としても、アッシュフィールド侯爵家と関係強化は望むところだ。ウィスタリア侯爵家の未来を第一に考えるのなら、なんとしても結びたい政略結婚である。
だが、リネットの感情を無視してまで進めたいとは思えない。
リネットは外面がいい。
つまり、アッシュフィールド侯爵の言葉を、そのまま口にしているだけだろう。あるいは、このダンスすらも、アッシュフィールド侯爵の命令に従っているだけかもしれない。
なんて思っていると、いきなり足を踏まれた。
「ってぇな、なにをするんだよ?」
「あらごめんなさい、手が滑りましたわ」
「言い訳する気があるなら、せめて足が滑ったといえ」
口も悪いが、足癖も悪い。これが深窓の令嬢と噂されるリネットの、友人にだけみせる本性の一つである。そんな一面をみせられてもまったく光栄じゃない。
「ノエルがつまらないことを口にするからよ」
「つまらなくない。おまえの気持ちは重要なことだろ」
「……もしかして、わたくしの心配をしてくれてる?」
「当然だろ」
それなりに親しい間柄なのだから、おまえの気持ちを考慮したいのは当然だ――と言ったつもりなのだが、彼女はなぜか不満気な顔をした。
「……まったく、子供の頃の約束とか、ちょっとくらい覚えてないの?」
言われて最近のことを思い返す。
時間が戻ってからのことはかなりつぶさに覚えている。だが、リネットとなにか特別な約束を交わした覚えはない。つまり、俺が八歳になるより前の出来事だろう。
そうなると、俺にとっては十八年以上前の出来事になってしまう。
「悪い。小さい頃のことはあまり覚えてないんだ」
「そっか……」
リネットは少しだけ寂しげに目を伏せた。
「もしかして、大事な約束だったのか?」
「そうね。……貴方にとっては、覚えておくほどのことじゃなかったみたいだけど」
「悪かったって」
二度目の人生だから、なんて言い訳にもならない。俺が心から謝罪すると、リネットは「仕方ないわね」と苦笑いを浮かべた。
「さっき、貴方の足を踏んじゃったから、それでおあいこにしてあげる。それに、そのうちお父様から話が行くでしょうし、そのときにせいぜい驚きなさいよね」
「アッシュフィールド侯爵から……?」
なんの話なのか、もうちょっと説明しろと言いたかったのだが、ちょうどそこで曲が終わる。彼女は優雅に一礼をして、またねと笑って立ち去っていった。
なにやら、上手く逃げられた気がする。
――と、そんな感じでパーティーは続いた。
俺やシャロは父に連れられて、あちこちの貴族に挨拶をしていく。何度かパーティーに出席している俺はもちろん、初参加のシャロも立派に挨拶をこなしている。
ただ、なんの憂いもないかといえば――そんなことはない。
いつからか、シャロの機嫌が妙に悪くなっているのだ。表面上は優雅には振る舞っているが、一緒にいる時間が長い俺にはよく分かる。
シャロは、いまだかつてないほどに不機嫌だ。
いまはまだ上手く取り繕えているが、このままではいずれボロが出るだろう。
状況を重く見た俺は、タイミングを見計らってシャロをパーティー会場から連れ出した。そうして、ウィスタリア侯爵家に用意された控え室に連れて行く。
そこで人払いをして、なにがあったのかとシャロに問い掛けたのだが――
「他の誰でもない、お兄様がそれをお尋ねになるのですか……?」
開口一番、恨みがましそうな目で睨まれてしまった。
「なにをそんなに怒ってるんだ? もしかして、クルツくんに嫌がらせをされたのか? もしそうなら、俺が仕返ししてやるぞ?」
「……違います」
不機嫌そうなのは相変わらずだが、なにかを誤魔化している様子はない。不機嫌なのとクルツは関係なさそうだ。それを確認して、ひとまず安堵の溜め息をつく。
だが、シャロと離れていた時間はそれなりにある。
「もしかして……気になる相手にフラれたとかか?」
「ええ、そうですね。わたくしに興味がないのか、すげなく扱われました……っ」
「ほ~、それで不機嫌なのか」
図星だったようで、ジトォとした目で睨まれてしまう。
余計なことを言ったと、俺は慌てて咳払いをして誤魔化した。
「そ、それにしても、シャロをすげなく袖にするとはな。シャロに微笑まれて落ちないヤツはいないと思っていたのが……相手の趣味が悪かったんだな、きっと」
可愛いからといって万人から愛されるとは限らない。年上好きとか、シャロの可愛さを理解できないような子供だっているだろう。そう慰めるが、シャロのジト目は酷くなる。
「たしかに、色々な趣味の方がいらっしゃいますからね。ところで、趣味の悪いお兄様は一体、どのような女性がお好みなのですか? わたくしに教えてくださるかしら?」
「俺の好みか? そうだなぁ……」
今日のパーティーにも年頃のご令嬢は数多く出席していた。だが……うちの天使様を見慣れているせいだろう。これといって惹かれる女性はいなかった。
あえて綺麗だと思う女性の名前を挙げるのならリネットが当てはまるが、俺にとって彼女は友人だ。世界が巻き戻る前での婚約者ではあるが、恋愛対象かと問われると返答に困る。
「好みというとよく分からないな」
「そんなことを言って、実はリネット様が好みなのでしょう?」
「まぁ……リネットは綺麗だとは思うけど」
「やっぱりっ! 言っておきますが、あの胸は絶対に寄せてあげていますからね? いまはまだ勝てませんけど、将来性は絶対にわたくしの方があるんだからっ」
「……はあ?」
急になにを言っているんだ? というか、微妙に言葉遣いが子供っぽくなっている。……もしかして、胸の小さな女の子は好みでないとフラれたのだろうか?
「ずいぶん荒れているが、シャロの気に入った相手はどこの誰なんだ? シャロが本気なら、その相手と結ばれるように俺が協力してやるぞ?」
「――言いましたね?」
突然、シャロの目が妖しく光った。彼女は俺の懐に飛び込んでくると、まるでダンスのときのような体勢で、俺をじぃっと見上げてくる。
彼女の瞳の中に、困惑する俺が映り込んでいた。
「お兄様、協力してくれると、言いましたね?」
「……あ、ああ、言った、けど?」
「その言葉に嘘はありませんね?」
「おまえに嘘なんか吐かない」
疑われた俺は少しムキになって答えた。
あの処刑台で、シャロは最期の瞬間、俺に妹として愛されたかったと言った。
その願いを叶えるため、兄としてシャロを愛し、幸せにすることは、人生をやりなおした俺にとっての最大の目標になっている。だから約束は必ず守ると口にした。
「なら――結婚してください、お兄様!」
シャロは少し恥ずかしそうに頬を染め、それでも真剣な眼差しで告白をする。その言葉を俺は三回くらい頭の中で反芻して、それからカクンと首を傾げた。
「……誰と?」
「わたくしとですよっ!」
………………???
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