俺が育てた義妹は無邪気で可愛い 2

 その日の夜。

 部屋を訪ねてきたシャーロットの様子が少しおかしかった。


 いつもなら「お兄様~」と甘えた声を上げ、無邪気な様子でベッドに潜り込んでくる。日々遠慮がなくなって行く傾向にあったのだが、今日はなぜか入り口に留まっている。


「ノエル……お兄様?」


 開口一番の言葉がこれ。急にどうしたんだろうと戸惑っていると、「ノエルお兄様は、私のお兄様……ですよね?」と不安げに尋ねてくる。


「他の誰に見えるって言うんだ?」

「うぅん、そういう訳じゃないですけど……」


 なにやら様子がおかしい。

 もしかして……母上との会話を聞いちゃったのか?


 シャーロットはウィスタリア侯爵家となんら血の繋がりのない娘だと、母上から聞かされたのは今日のことだ。あのとき、物音を聞いたと母上が言っていた。

 それがシャーロットだったとすれば辻褄が合う。


「……シャーロットは、俺が兄なのは嫌か?」


 墓穴を掘る訳にはいかない――と、彼女の元へと歩み寄って遠回しに問い掛ける。シャーロットは首を勢いよく横に振った。


「お兄様が嫌なんてことはないです。私はずっとずっと、お兄様と一緒にいたいです」

「そうか。なら、これからも俺達はずっと一緒だ」

「……本当ですか?」

「あぁ、本当だ。だからこっちにおいで――っと」


 すべてを言い終えるより早く、シャーロットが胸の中に飛び込んできた。それを受け止めながら、結局甘やかしてしまったなと苦笑いを浮かべる。


 母上と話し、シャーロットが血の繋がらない妹だと知り、これを気にシャーロットを甘やかすのは控えようと思っていたのだ。

 ……思っただけで、半日と保たなかった訳だが。


 だが、これといって問題はない。精神的な年齢で言うと、俺にとって彼女は大きく年の離れた妹だ。血の繋がりがなかったからといって、異性として意識するようなことはない。

 結局のところ、妹として可愛がれば良いという結論に至った。


「お兄様、約束ですよ。ずっとずっと、側にいてくださいね?」

「ああ、もちろんだ。シャーロットがいつか立派なレディに成長して、好きになった相手のところに嫁(とつ)ぐその日まで、ずっと側にいると約束する」

「好きになった相手のところへ嫁ぐその日まで、ですか?」


 コテリと首を傾げた。


「ウィスタリア侯爵家の娘となった以上、シャーロットもいつかは何処かへ嫁ぐことになる」

「……私、他の人のところで嫁がなきゃダメなんですか?」


 とたん、シャーロットが不安そうな顔をした。シャーロットに幸せな結婚をさせるという意思表示だったのだが、まだ六歳のシャーロットには少し早かったようだ。


「もちろん、いますぐにじゃないぞ。それに、シャーロットの望む相手と結婚できるように俺が全力で協力するから、なにも心配する必要はない」

「私が好きな人と結婚できるように、お兄様が協力してくれるのですか?」

「ああ、そうだ。ただし、どこに嫁いでも恥ずかしくない教養を身に付けられるように、シャーロット自身もしっかりと勉強を頑張らなきゃダメだぞ?」


 じゃないと、いくら俺が協力しても、望むような縁談は得られないからなと釘を刺す。シャーロットは嫌がるどころか、可愛らしく拳を握り締めた。


「はい、好きな人と結婚できるように、お勉強も頑張ります! だから、約束ですよ? 私が好きな人と結ばれるように、お兄様も協力してくださいね?」

「ああ、約束だ」


 優しく頭を撫でれば、シャーロットは無邪気な笑顔を見せてくれる。この日、本当の意味でシャーロットと通じ合えたと、俺は、心から実感した。



 こうして、俺は次期当主としての努力を重ねると同時に、シャーロットが侯爵令嬢として相応しくなれるように責任を持って教育することになった。


 正確には家庭教師を雇い、俺と一緒にシャーロットも学ばせる、という意味。

 巻き戻る前の世界では領地経営に精一杯で、礼儀作法などがおろそかになっていた俺にとっても都合がいい――と、最初は思っていた。


 いくら礼儀作法系をおろそかにしていたとはいえ、俺は十九歳まで生きている。最低限の知識があり、最初はシャーロットに兄としての威厳を見せつけることが出来た。


 だが、巻き戻る前の世界では独学で学んだと言っていただけあって、シャーロットは勤勉だった。未熟な十九歳としての俺に、優秀な六歳の妹があっという間に追いすがってくる。


 俺は負けじと努力を重ねるが、シャーロットも努力を怠らない。

 見た目的には優秀な八歳の兄に追いつこうとする優秀な六歳の妹という構図だが、精神年齢十九歳の俺にとっては、シャーロット優秀すぎだろ!? という感覚だった。


「お兄様凄いですっ」

「いや、シャーロットの方が凄いと思うぞ」

「その謙虚なところも素敵です。私もお兄様を目標に頑張りますっ!」

「……そ、そっか。じゃあ、俺も負けないように頑張らないとな」

「はいっ。私もお兄様に追いつけるように、もっともっと頑張りますねっ!」


 ……そんな感じで、一生懸命に兄に追いつこうとする妹というのはとても可愛い。俺もついつい応援してしまうのだけれど、それでも努力だけではここまでの成長はなかっただろう。


 とにかく、シャーロットは努力家であり、なおかつ優秀だった。

 うちの子になるまでの彼女はあまり教養がなかったので、当初は侯爵令嬢として最低限必要なことだを学ばせる予定だった。だが彼女は最低限どころか、俺が学んでいる領地経営学や護身術、それに魔術の授業にも参加するようになって、しかも相応の結果を出している。


 精神年齢十九歳の俺はともかく、幼いシャーロットがよく耐えられるなと不思議で仕方がない。だが彼女は弱音を吐くどころか、もっと一緒に勉強がしたいと甘えてくる。


 ……もっと勉強がしたいと甘えるという言葉に違和感を抱くのは俺だけだろうか?


 とにかく、シャーロットの成長は著しい。

 巻き戻る前の世界の俺ならば、彼女の才能に嫉妬していたかもしれない。

 だがいまの俺は、自分の教えをシャーロットがあっという間に身に付けるのが楽しくて、ついつい色々なことを教えてしまう。

 今日も――


「いいか、シャーロット。先生の言う通り、侯爵令嬢として慎み深さは必要だ。だが、慎んでいるだけでは手に入らないモノもある。貴族として、ときには狡猾さも必要なんだ」

「……お兄様、ズルイのは悪いことですよ?」

「その通りだ。だが、本当に欲しいものがあれば迷うな」

「手段を選ぶな、ということですか?」

「そうだ。迷って大切なモノを失っては意味がない。だが同時に、間違った手段を選んで目的が達成できなくても意味はない。正しく、だけど手段を選ばずに目的を果たすんだ」


 子供になにを教えているのやら――と、言いたい気持ちは分かる。

 だけど、俺には世界が巻き戻る前の記憶がある。

 シャーロットは離れに閉じ込められた日々を甘んじて受け入れた末、耐えきれなくなって許されぬ罪を犯してしまった。そんな悲劇を繰り返させてはいけない。


 そういった思いから、シャーロットに貴族としての狡猾な立ち回りをあれこれ教える。

 俺が教えられることなんてしれているが、下地さえしっかりと教えれば、優秀なシャーロットのことだ。自力でどんどん応用していくだろう。




 そんな感じで月日は流れ、俺は十三歳になり、シャーロットは十一歳になった。そんなある日、シャーロットの著しい? 成長を目の当たりにすることとなる。


 俺はシャーロットと共に様々なことを学びながら、父の領地経営を手伝っていた。世界が巻き戻る前に身に付けた知識や記憶を利用して領地経営を手伝う。


 その効果は抜群だ。

 なにしろ俺は、これから先に起きる出来事をある程度とはいえ把握しているのだ。来年はどこどこで豊作で麦が安くなるが、再来年は不作で麦が高騰する、なんて記憶もある。

 その記憶を利用すれば、お金を稼ぐことすらも容易だ。


 ただし、ただお金を稼ぐだけでは先が続かない。

 未来に起きることを前提に、資料を漁ってその予兆を探し出す。それを証拠に、来年は豊作になりそうだ――といった情報を父上に報告する。


 そうして俺自身の成長へと繋げつつ、実績とお金を稼ぎ、更には周囲との縁を繋ぐためにも利用していく。俺の成長と共に、ウィスタリア侯爵領の状況も徐々に良くなっていった。


 ただし、すべてが上手くいっている訳ではない。

 父上の容態は、巻き戻る前の世界と変わらずに悪化の一途をたどっていた。このまま行けばおよそ三年後、俺が十六になる頃には亡くなってしまうだろう。


 俺はその未来を変えたいと願った。

 シャーロットの件や領地経営のあれこれは確実に違う未来をたどっている。であれば、父上の死の運命を覆すことも可能なはずだ。


 問題なのは、父上の病の原因が分からないことだ。巻き戻る前の世界でも、父上はツテを使って様々な薬師に自分の容態を確認させていたが、病の原因は最後まで分からなかった。


 だから、父の死を避けることは他の運命を変えるよりも難しい。それでも、なにかないかとあれこれ探していたある日、シャーロットがこんなことを口にした。


「お父様のお体の調子が悪いのは、野菜嫌いが原因じゃないですか?」――と。


 最初はなんのことか分からなかった。

 父上が野菜を食べないのは事実だが、食事はちゃんと取っている。

 ゆえに問題はないと思っていたのだが――シャーロットが同じような症状に陥った人の資料を集め、野菜嫌いの偏食家に多い症状だという共通点を見つけ出したのだ。


 もしかしたら、父上を救えるかもしれないと思った。だが、三年後に父が亡くなると知っているのは俺だけで、だからこそ父上はその情報をそれほど重要視しなかった。


 その可能性もあるかもしれないが、そうと決まった訳でもない。そのような憶測だけで、わざわざ野菜を食べたいとは思わない――といった感じである。


 だが、俺にとっては唯一見つけた光明だ。

 なんとか父上に野菜を食べさせたいと思い悩んでいると、シャーロットが「そんなに、お父様に野菜を食べさせたいのですか?」と尋ねてきた。


「父上の病は日に日に悪化している。でも、野菜を食べればよくなるかもしれないだろ? だから、なんとしても野菜を食べさせたい」

「ん~、分かりました。では、私に任せてください!」


 シャーロットは愛らしく微笑んで、最近になって少し膨らみ始めた胸を張った。

 そして翌日――


 家族で朝食を採っていると、寝坊したシャーロットが食堂へと遅れてやってきた。今日の彼女は様子がおかしくて、いまにも泣き出しそうな顔をしている。


「シャーロット、どうしたんだい?」


 シャーロットを溺愛している父上が慌てて声を掛ける。


「あのね、あのね。私、お父様の病気がもっと悪化しちゃう夢を見たんです。このまま、お父様の容態が良くならないなんてことは……ないですよね?」

「む、それは……」


 父上が困った顔をした。

 日に日に容態が悪化しているのは事実で、今日だって調子が良いとは言えない。それは顔色を見れば明らかで、だからこそ即座に大丈夫とは返せなかったのだろう。

 その瞬間、シャーロットは父上にしがみついた。


「お父様っ、お願いだからお野菜を食べてください!」

「いや、しかし……それは確証のない話だろ?」

「ダメ……ですか? 私、お父さんに元気になって欲しいんです。だから、確証がなくても、少しでも可能性があるのなら試したいんです。だから――お願いです、お父様!」


 小さく俯いて、必死な様子で父上に訴えかける。続けて『お願いです』と父上を見上げた瞬間、シャーロットの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「シャ、シャーロット、そこまで私を心配して。……分かった。それでおまえの気が晴れるというのなら、これからは野菜を食べるとしよう」

「本当ですか!? ありがとう、お父様、大好きです!」

「お、おぉ……娘が、娘が可愛すぎる! よし、今夜は野菜祭だ!」


 ――というやりとりがあり、父上は毎日の様に野菜を食べるようになったのだ。

 余談だが、俺から見える彼女の手には、涙の素らしき小道具が握られていた。どうやら涙ではなく、水かなにかだったようだ。

 でもって、それからほどなく――


「お兄様、お兄様っ。ちゃんとお父様が野菜を食べるようにしましたよっ。偉い? 私、偉いですよね? お兄様、褒めて、褒めて~」


 俺の部屋にやってきたシャーロットがぎゅーっとしがみついてくる。

 その姿がとにかく可愛い。いや、さらっと泣き真似で父上を手のひらの上で転がすシャーロットを可愛いと評してよいものか……まぁ可愛いからいいや。


 ――と、色々な意味でシャーロットの成長を実感したその出来事にはまだ続きがある。

 藁にも縋る思いで野菜を食べるように勧めたが、そこまで大きな期待はしていなかった。少しでも延命できれば良いな、くらいに思っていたのだが……

 なんと、野菜を食べるようになった父の容態が徐々にではあるが回復に向かい始めたのだ。

 

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