俺が育てた義妹は無邪気で可愛い 1
俺は朝から混乱していた。現実逃避で見た白昼夢。その夢の中で眠れば、次は現実で目覚めると思っていたのに、再び夢の中で目を覚ましたからだ。
いや……本当に夢なのか? いくらなんでも、現実逃避で見る白昼夢にしては長すぎる。というか、ここまでリアルな夢を見続けられるものなのか?
それに、俺の知らなかった事実が明らかになっているのも気に掛かる。もしかしたらこれは夢じゃなく、本当に十一年前に戻っているんじゃないか……?
分からない。分からないが……と、ベッドサイドで俺を見下ろしているアイシャへと視線を向ける。彼女はなにか言いたげな顔で、二人分膨らんだ掛け布団を見下ろしている。
その膨らみの原因は、俺が昨夜連れ込んだ妹である。
精神年齢十九歳の俺からすれば年の離れた妹、あるいは娘に近い感覚。なんらやましい気持ちはないのだが……なぜだろう? 浮気現場を押さえられたような居心地の悪さがある。
いや、なぜもなにも原因は分かっている。
俺はこの十一年前の世界が、現実逃避で見ている夢だと思っていた。だから、眠ればこの夢は終わると思い込んでいて、朝起きたあとのことまで考えていなかった。
いまの俺がこんなにも動揺しているのは、それが原因であると冷静に判断する。
「ノエル様……なにか言うことは?」
「…………」
原因を冷静に判断できても、対処法が分からない。妹をベッドに連れ込んでいるところを側仕えに見咎められるなんて完全に想定外だ。
どうしよう。家庭教師の先生からもこんなときの対処法は学ばなかった。
「……ノエル様?」
「おまえの予想通り、布団の中で眠っているのはシャーロットだがなにか問題でもあるか?」
なにもやましいことはないと開き直る。
「問題だらけです。異性に興味を持つお年頃なのは分かりますが、さすがに血の繋がった妹はダメです。なんのために、異性の私が側仕えをしていると思っているんですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。というか、おまえが専属なのはそういう理由じゃないだろ」
ここでいう側仕えというのは、貴族の身の回りの世話をする上級使用人だ。女性が主の場合はレディスメイド、男性が主の場合は執事がそれに当たる。
だが、俺に付いている側仕えの筆頭は上級メイドの彼女である。それは彼女が優秀だからであって、間違っても手を出して良い相手としてあてがわれている訳ではない。
だいたい、俺の身体はまだ八歳だ。邪推しすぎである。
「なるほど。そこで動揺しないところを見ると、本当にやましいことはなさそうですね」
「変なたしかめ方をするのはやめろ。慣れない環境で眠れないようだったから、部屋に招き入れたんだ。彼女の側仕えにはそう伝えてくれ」
「分かりました。では、そのあいだにちゃんとした言い訳を考えておいてくださいね?」
バレてる――が、アイシャはシャーロットの側仕えに言伝するために部屋を出て行った。
……はぁ。
ひとまず時間を稼げた訳だが……まさか、この状況が朝になっても続くとはな。
もしこれが夢じゃなく、本当に十一年前に戻ったのならこれほど嬉しいことはない。ないのだが、そうだと分かっていたら、さすがに一緒に眠ったりはしなかった。
「~~~っ。どう考えてもやりすぎだ」
昨日のあれこれを思いだして身悶える。可愛い妹だと言い触らしながら使用人の前で抱き寄せてみたり、お休みのキスをしてみたり、これが夢だと思っていたからこその行動だ。
もしこれが現実だと少しでも思っていたら絶対にやらなかった。
「……うぅん? もう朝ですか?」
掛け布団がもぞもぞと動いて、そこからシャーロットがちょこんと顔を覗かせた。
「ああ、おはよう、シャーロット」
「えへへ、おにぃ様。おはよ~ございますぅ~」
寝ぼけているのか舌っ足らずな声でそういうと、愛らしい笑顔を見せてくれた。
俺の妹が可愛すぎる。
……うん、まぁ……こんなに可愛いシャーロットを突き放すなんて出来るはずがない。
シャーロットの側仕えにバレたと言うことは、間違いなく母上にもバレるだろうが、俺は八歳でシャーロットは妹だし六歳だ。なにもやましいことはないと開き直ることにしよう。
という訳で、事情を聞きに来たシャーロットの側仕え――母上の息が掛かっている側仕えに、なにもやましいことはないと押し通した。
母上は難色を示していたようだが、父上から仲良くするように頼まれているし、俺もシャーロットも幼い子供なので、なんとか口出しされずに済んだ。
そうして、予想外の展開からあっという間に数週間が過ぎた。
いまだに夢から覚める気配はない。
もはや疑いようはない。理由は分からないが、俺は本当に十一年前に戻ったようだ。
ちなみに、シャーロットは相変わらず俺のベッドに潜り込んでくる。
これが現実である以上、一緒に寝るのはさすがにやりすぎだと分かってる。
だが、「昨日は一緒に寝てくれたのに、どうして今日はダメなんですか? 私のことが嫌いになったんですか?」と泣きそうな顔をされて、二度目を許してしまった。
そうして前例を作ってしまったために、その後はもっと断ることが難しくなった。俺もなんだかんだで甘えたなシャーロットが可愛くて、ついつい一緒に寝ることを許してしまう。
朝一緒に起きて、俺が勉強するのをシャーロットが横で見ている。休憩時間は一緒にお茶をして、夜になればまた一緒に眠る。そんな日々が続いた。
だが、さすがにやりすぎだったようで、ついに母上に呼び出された。
母上の書斎。辺境伯の家から父の元へと嫁いできた俺の母上、カトリーナ・ウィスタリアは、いつになく真剣な眼差しで俺を出迎えた。
「よく来ましたね。……そこに掛けなさい」
母上の勧めに従って、テーブル席にあるソファに腰を下ろした。母上は執務机から立ち上がり、テーブルを挟んで向かいのソファに腰掛ける。
続けて側仕えに二人分の紅茶を用意させ、それを機に人払いをさせた。重要な話があるという合図であり、否応もなく話の内容を予感させる。
「ノエル、単刀直入に言います。シャーロットとは距離を置きなさい」
予想通りの用件だが、予想外にストレートな物言い。迂遠な言い回しを良しとする貴族らしくなく、なにより母上らしくない言葉だった。
「母上。俺は貴方のことを尊敬しております。ですから理由をお聞かせください。なぜ、そのように酷いことをおっしゃるのですか? 彼女は俺の妹です」
「いいえ、彼女は貴方の妹ではありません」
「母上……」
現実を否定する言葉に眉を寄せた。
政略結婚で結ばれた夫が愛人に子供を産ませた。貴族としてはとくに珍しくもない話だが、それでも母上が怒りを覚えるのは無理もない。
だが、事実を事実として受け入れないのは弱い人間のすることだ。少なくとも、侯爵夫人のやることではない。そう糾弾すると、母上は喜びと苛立ちをないまぜにしたような顔をした。
「……ノエル。わたくしの知らないうちに、ずいぶんと立派になったのですね。成長を喜ぶべきか、勢いで押し切れないことを嘆くべきか、悩ましいところです」
「……なにを、おっしゃっているのですか?」
俺の問い掛けに、母上は深い、深い溜め息をついた。それから紅茶を口にして一息吐くと、いまから話すことは他言無用だと念を押す。
「よく聞きなさい。ロバート様とシャーロットのあいだに血の繋がりはありません」
「それは……対外的な話でしょう?」
「いいえ、その対外的な話こそが真実なのです」
母上はそう断言すると、続けてシャーロットの身の上について話してくれた。
シャーロットの生みの親であるグレースは、とある子爵家の三女である。
下級貴族の三女ともなれば良い嫁ぎ先を見つけることも難しく、何処かの貴族の家で使用人として働くことも珍しくない。
グレースは側仕えとして、ウィスタリア侯爵家に仕えていたらしい。
そんな彼女が父の愛人になって子を身籠もった。相続的な争いを望まぬグレースはその事実を隠したままお暇をもらって実家に帰り、密かに娘を産んで育てた。
だが、実家の財政状況が悪化して苦しくなり、父に子がいる事実を打ち明けた。
というのが父から聞かされた事実――だが、グレースには恋人がいたらしい。
ロバートの愛人として支援を受けていながら、恋人とのあいだに子供が出来てしまった。その発覚を恐れたグレースが、実家に帰って娘を産んだ――というのが真実だと母上は言った。
「……証拠は、あるのですか?」
巻き戻る前の世界で、母上は俺に虚偽の報告をした。この話だって真実だとは限らない。本当かどうか、見極めなくちゃいけないと気を引き締める。
「もちろん、証拠は集めました。ノエルが望むのならば後で見せましょう。ですが問題はその事実を、決してロバート様に知られないようにしなければいけない、ということです」
「……なぜですか? 母上にとっては邪魔者を追い出す機会ではありませんか」
もちろん追い出させるつもりなんてないが、母上の本音を引き出すためにそう口にする。
「母上にとって、愛人の娘というだけで疎ましい存在でしょう? 父上と血が繋がっているのなら下手に手出しは出来ないでしょうが、そうじゃないのなら追い出すなんて簡単では?」
「貴方は誤解しているようですね」
「誤解……ですか? 俺には、母上が愛人の娘を排除しようとしているように思えますが、母上はそうじゃないとおっしゃるのですか?」
「わたくしとロバート様が結ばれたのは政略結婚です。愛情はあっても、夫婦として愛し合っていた訳ではありませんから、夫が愛人を持つことを咎めるつもりもありませんでした」
「咎めるつもりはない? では、シャーロットのことは……」
「無論、受け入れるつもりでいました。最近は病で伏しがちなロバート様が少しだけ元気になられましたし……本音を言えばわたくしも娘が欲しかったのですよ?」
母上は茶目っ気のある口調で言い放つ。そこに、シャーロットに対しての敵意は感じられない。母上の言葉が事実と思える程度の説得力はあった。
だが、母上はすぐに表情を引き締め、唇をきゅっと結んだ。
「ですが、調べてみればあの娘はロバート様となんの関わりもない娘だった。だから――」
母はそこで言葉を切って、扉の方へと視線を向けた。
「母上、どうかしましたか?」
「いえ、いまなにか、物音がしたような気がしたのですが……気のせいだったようです」
母上は息を吐き、それから紅茶を口に付けた。俺もそれに習って紅茶を飲む。薫り高く、それでいてスッキリとした味わいが口に広がる。
ささくれ立っていた気持ちがわずかに和らぐような気がした。
「とにかく、あの娘がなにかを企んでいるやもしれません」
「……シャーロットが、ですか?」
貴族の子供としては未熟だが、だからこそ、いまの彼女に裏表があるとは思えない。そんな言外の思いが伝わったのか、母上はたしかにと息を吐いた。
「シャーロットがなにかを企んでいる可能性は低いでしょう。ですが、彼女自身に自覚がなくとも、母親に操られていないという保証はありません。彼女が親からなにか言い含められているようなことを、貴方は聞いていませんか?」
「……愛人の娘として、辛いことがあっても我慢しろと言い含められていたようです」
母上が、愛人の娘を虐めるような人間だと言っているも同然だ。本来なら伝えるべきことではないが、シャーロットの疑いを晴らすためにと打ち明ける。
「母上としては面白くない話でしょうが……」
「そうとも限りません。ノエルの言うとおり、シャーロットに腹芸は難しいでしょう。であれば、波風を立てないようにと、グレースが娘に言い含めていたというのは有益な情報です」
「……ならば、シャーロットのことは俺に任せていただけませんか?」
シャーロットの疑惑が晴れつつある。この期を逃す手はないと畳み掛けた。だが、俺の思惑なんて母上には筒抜けだったのだろう。母上は溜め息を吐いて、小さな笑みを浮かべた。
「まったく、いつの間にそのような小細工を覚えたのですか? つい最近まで子供だと思っていたのに、まるで急に大人になったようですね」
「それは――妹が出来て、兄としての自覚が生まれたからではないでしょうか?」
中身が十九歳であることを隠すため、とっさに口にした言い訳。
だが、あながち嘘とは言えない。シャーロットを妹として迎え、撒き戻る前のような悲劇を繰り返さないためにあれこれ立ち回り、急速に成長しているのが自分でも分かる。
「兄としての自覚、ですか……そう考えると、シャーロットがうちに来たことも、そう悪いことばかりではない――と、わたくしに思わせる作戦ですか?」
「いいえ、いまのは本心ですよ」
素知らぬ顔で言い放つと、母上はクスクスと笑った。
「理由はなんであれ、貴方が成長しているのは事実のようです。だからこそ尋ねますが、シャーロットの件を貴方に任せたとして、どのように対処するつもりなのですか?」
来た――と、俺は居住まいを正す。
ここが勝負所だ。
いまから母上を納得させることが出来れば、シャーロットが離れに幽閉される未来は回避できるはずだ。そうすれば、シャーロットを処刑台に送るような悲劇を引き起こさずに済む。
「確認ですが、母上は父上や侯爵領に害を及ぼすような事態を避けたいだけで、シャーロット自身には思うところがないということで間違いありませんか?」
「そうですね。疑う気持ちがない訳ではありませんが、あの子に他意がないのなら、こちらにも思うところはありません。わたくしはそこまで狭量ではありませんよ」
「……さすがは母上です」
本心でどう思っているかは分からないが、そう言ってのける度量は素晴らしい。さきほど、侯爵夫人に相応しくないと判断したのは間違いだった。
彼女は、やはり俺の尊敬する母上である。
「ならば、事はそう難しくありません。一番警戒するべきなのはシャーロットの母親であるグレースでしょう。まずは彼女に監視を付けましょう」
「それならば、既に監視しているので問題ありません。その上で、彼女の実家への援助と引き換えに、二度とウィスタリア侯爵家に関わらないという誓約書を書かせました」
「……さきほど、さすがという言葉を使うのは早すぎたようですね。この上は、どのような称賛の言葉を贈れば良いか迷います」
手際がよすぎるなんてものじゃない。
シャーロットがこの屋敷へ来た時点で包囲網が完成している。もし俺があの日、シャーロットを連れ回さなければ、離れへの幽閉は避けられなかっただろう。
「ふふ、息子にそのようなお世辞を言われる日が来るとは思いませんでした」
「お世辞ではありません。その手腕、参考にさせていただきたいほどです」
「必要ならいくらでも教えましょう。ですが、わたくしが得意とするのは社交界での権謀術数であって、領地経営のことは分かりません。貴方は次期当主なのですよ?」
貴族同士の腹の探り合いよりも、領地経営の知識を優先しろという意味。だが、本来であれば、次期当主はその両方に秀でている必要がある。
にもかかわらず、母上がこのようなことを口にするのは父上の容態がよくないから。自分が手伝える社交界よりも、領地経営の勉強に集中しろという意味だろう。
「もちろん心得ております。ですが、俺は手を抜くつもりはありません」
俺には、撒き戻る前に得た様々な知識がある。
だから、いまの俺には、社交界でのあれこれについて学ぶ余裕もあるはずだ。シャーロットを救うだけでなく、ウィスタリア侯爵家の未来も救ってみせる。
「話を戻します。グレースについて対処が終わっているのなら、後はシャーロットの出生の秘密が父上にバレないように立ち回るだけです。俺が彼女を監視しましょう」
「……監視、ですか?」
「はい」
「本当に、監視ですか?」
なにやら疑いの眼差しを向けられてしまった。
「妹を可愛がっていることは否定しませんが、それですべきことを見誤るようなことはありません。それに俺は彼女を立派に育て、彼女が望む相手と嫁がせる予定なのです」
「……望む相手と嫁がせる、ですか? それは第一夫人として、という意味でしょうか?」
首を傾げる母上に向かって肩書きは関係ないと答えた。
貴族といえば政略結婚が一般的だ。次期当主である俺も、いずれは政略結婚をすることになるだろう。それは養女という地位にいるシャーロットにとっても同じことだ。
だが、俺は彼女に望む相手と結婚させてやりたい。
それに――
「望む相手に嫁げばシャーロットも幸せになれるでしょうし、その幸せを自ら壊すような真似もしないでしょう。父上に秘密がバレることもありません」
「……なるほど」
対外的に、彼女は義妹という設定である。
だが、父上は実の娘だと思って嫁に出すことになる。そこで血が繋がっていないなどと明かせば、援助的な意味で切り捨てられるかもしれないし、結婚だって破談になるかもしれない。
ゆえに、シャーロットが秘密を明かすことはないと口にすれば、母上は取り出した扇子で口元を隠した。こちらの発言が可笑しいとという意思表示である。
「なにか、おかしなことを申しましたでしょうか?」
「無自覚ですか。根本的なところに問題がありますが……まぁ良いでしょう。ひとまず、いまのウィスタリア侯爵家に、嫁ぎ先をあの子自身に決めさせる余裕があると思いますか?」
「そのために、ウィスタリア侯爵領をいまよりずっと豊かにしてみせます」
いまのウィスタリア侯爵領では、利益優先の政略結婚しか出来ないだろう。
だが、領地が豊かになれば、シャーロットが望む相手と結婚させる余裕も生まれる。シャーロットが望む相手と結婚すれば、秘密を打ち明けることもない。
立派な当主になるという俺の望みも叶うし、父上や母上も安心するだろう。
すべてが丸く収まる、という訳だ。
「……そこまで考えているのですか。ですが、言葉で言うほど簡単ではありません。それを成すには数々の困難があることを分かっていますか?」
「もちろんです。それでも、必ず成し遂げると家名に懸けて誓います」
たしかな意思を示せば、母上はわずかに相好を崩した。
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