嘘は嘘でしかごまかされない。

第1話 事件は事務所で起きているんだ!



 事件が起きたのは、なんの変哲もない平日の昼下がりだった。この日、課長の水野谷は本庁での会議があると、昼食後に慌てて出かけて行った。管理する者がいなくなると、だらけるのが星音堂せいおんどう職員である。もうすっかり睡魔との闘いに負けて船をこいでいるのは高田たかただった。


 しかし吉田は忙しかった。なにせ明日はイベントの事前打ち合わせがあるのだ。


 星音堂職員の仕事は多岐に渡るが、簡単に言うと施設の運営管理と催しものの企画だ。

 ホールは基本的に市民への貸し出しが中心であるが、それ以外にもさまざまなイベントが開催される。年に数回、海外からツアーで来日するアーティストや、国内のアーティストのツアーで利用されるのだ。そういった企画については、星音堂も共催という形を取り、一緒に運営に関わることになる。 吉田はその企画の打ち合わせ準備をしているのだった。

 明日は、アーティストサイドの事務方がやってきて、ホールを下見したり、要望を話したりと念入りに打ち合わせを行う。演奏会を行う際、それに関わるスタッフは自分たちのような事務職だけではもちろん賄えない。


 音響の専門スタッフ、ステージをマネージメントするスタッフ、それから駐車場スタッフに、フロアを担当するスタッフなど、日ごろ、星音堂にいない人たちが集まってきての大騒ぎになる。


 そういったものの調整を星音堂職員がする場合もあるし、アーティストが手配する場合もある。当日混乱しないためにも、それらの事前打ち合わせは必須事項でもあった。


 ——準備八割だもんね。しっかり作らないと……。


 吉田はそんなことを思いながら明日の打ち合わせ書類を作成していた。

 すると——。


「ぬおおおおお!」


 いつもはデスクでお菓子を食べているはずの尾形おがたが、珍しく水野谷の席の辺りに立ちつくして叫び声をあげていた。


 一同は、はったとして彼に視線を向けた。もちろん船をこいでいた高田もだ。


「なんだよ~。驚かせるなよ」


 星野ほしのの隣の席にいる高田は、迷惑そうに顔をしかめてから尾形を睨んでいた。


「なんです、どうしたんですか?」


 こういう時は、新人のあおの出番だ。揉め事、問題事が起きた時は新人に押し付けるに限る——と吉田は内心思った。


 星野の左隣の席から、蒼が立ちあがって尾形のところに行くと、「ひっ」と悲鳴を上げた。呆然と立ち尽くしている尾形と、その後ろで顔が青ざめている蒼。その様子から、ただ事ではないと判断したほかの職員たちも席を離れて二人の元に歩み寄った。


 すると——。


「あちゃ~。どうしたんだよ? これ」


 星野は足元に散らばっている盆栽の器の破片を拾い上げた。


 水野谷の趣味は盆栽だ。彼は暇さえあれば自分の席に座って、盆栽を眺めたり、カットしたりしている。自宅にはたくさん並んでいると聞いているが、その中でも手入れが必要なものをチョイスしてここに持ち込む。常時、一鉢か二鉢は足元に置かれているのだが……。その一つが破損して散らばっていたのだ。


 器は割れている。中から土がはみ出していて、植えられていた植物は干からびていた。


「嘘でしょう? いつからこうなっているんでしょう?」


 吉田の言葉に、高田は首を横に振った。


「知るかよ。課長のテリトリーには恐れ多くて入れないぞ」


「大きな音なんてしましたっけ?」


 蒼の問いに一同は首を横に振った。


「課長が出かけてからの話だろう? そう時間が経ってないだろう」


 吉田は事務所の中に掛けられている時計に視線をやる。時計の針は二時半を示すところだ。水野谷が出かけたのは一時少し前だったろうか? ——ということは、一時くらいから二時半の間にこうなったということだ。


「これ、かなりやばくないですか?」


 吉田は顔色を青くする。それに同意するかのように、尾形も大きくうなずいた。


「いやいや。これって緊急事態ってやつだろう? 課長に見つかったら……大目玉だ」


「参ったな~」


「泣いて


 氏家うじいえが「ピエン」という顔をするので、高田は「そんな場合じゃないです」と突っ込みを入れた。星野はじっと尾形を見る。こういう場合、お決まりパターンと言えば……。


「普通は第一発見者が疑われるんだぞ。尾形。お前か? やったのは——」


「え! 星野さん~。ひどいですよ。おれなわけないじゃないですか。今、トイレから帰って来る途中に何気なく見たら、こうなっていたんですよ。——おれじゃないっす!」


 確かに。物が壊れる音を聞いてはいない。一体……どういうことなのだろうか。


「ともかくだ。犯人捜しは後にして。これ、なんとかしなくちゃいけないだろう?」


 氏家の言葉に一同は視線を見合わせた。


「これ、元に戻せるでしょうか?」


 蒼は心配気に吉田に視線を寄越した。正直弱ってしまっている。こんなことは初めてだ。器はなんとかできても——それもどうだかわからないが——、この干からびた植物はどうしようもない。


「しかし干からびているのはどうしようもないだろう?」


「ですよね。でも、器だけでもなんとか……」


 蒼と思案していると、隣にいた星野が軽くため息を吐いてから一同を見渡した。


「いっちょやってみましょうか」


「おお、星野」


「頼りになるぜ」


 おじさん二人組は嬉しそうに目を細める。それを横目に星野は尾形と吉田、蒼に指示を出した。


「蒼、ほうき持ってこい。尾形は新聞紙。吉田は備品の接着剤な」


 蒼と尾形が散っていくのを見て、吉田も倉庫に走る。通常、そう使っていない備品をしまっておくのだ。確か、あそこに瞬間接着剤の在庫があったはずだ。きっと一つでは足りない。いくつか持参していこう。そんなことを考えながら走っていく。なんだか不吉な昼下がりだと思った。




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