第5話 若い二人





「すみません」


 事務室に男の声が響いた。あの土曜日の昼下がりに聞いた声だと高田は認知し、さっと受話器を置いた。事務所内の職員たちは来客の登場に大人しくなった。


 しかし、今日は彼は一人ではなかった。彼の後ろには彼よりも一回り小さい細身の女性が立っていた。栗色のロングヘア。白群びゃくぐん色の薄い丸襟のブラウスに、黒色のタイトスカート。桜色の丸眼鏡が昭和の頃に流行したアニメのキャラクターみたいだ。


「あ!」


「先日はどうもありがとうございました」


 広瀬は高田を見つけると、笑顔で頭を下げた。氏家もその後をくっついて駆け寄って来る。彼も重大性に気が付いたのだろう。


「本当にこのたびはご迷惑をお掛けしてすみません。今日は張本人を連れてきました」

 

 広瀬の視線に促されて、女性はぺこっと頭を下げた。


「この度は申し訳ありませんでした。なんだかお騒がせしちゃって。私のなイラストのせいで……」

 

 素直な謝罪の割に「下手」が強調されているのは、広瀬になにか言われて不本意に思っているのだろう。彼女は広瀬を非難するように睨んでから鞄から青色のLポッドを取り出した。


「すみません。これじゃないんです」


「はっきり言わないからこういうことになるんだぞ」


 広瀬は女性に文句を言うが、彼女は知らんぷりだ。氏家と高田をまっすぐに見据えていた。

 

「えっと。え? じゃあ、忘れ物って——」


「電卓です」


「え——?」


 彼女はぶすっとした表情のまま広瀬を見上げた。


「で、電卓って。あの新品の? ちょっと待っていて。持ってきますから」


 高田は慌てて倉庫に走り、電卓を手にするとカウンターに舞い戻った。


「あ! そうです! それ」


 彼女は、ほっとした顔をした。それからその電卓を大事そうに眺めてから広瀬に渡した。


「え? なに」


「これ。先輩にって買ったヤツ。あのね。医大生なんだからちゃんと電卓で計算しなさいよね。いつまでもエアそろばんやられたら周囲が困るんです」


「エアそろばんって」


 高田は吹き出す。確かに自分も幼少時代にそろばんを習っていたクセで、今でも電卓よりもエアそろばんのほうが確実に計算できる。まさかこの若さでそれをやっている広瀬という男は、時代遅れの高田からしても変わっているとしか言いようがなかった。


「でも、じゃあなんで自分で取りに来ない訳? プレゼントをもらう側のおれがそれ受け取りに来るの? 変じゃない?」


 広瀬は困惑して彼女を見下ろした。彼女はぷいっと視線を逸らす。


「サプライズっぽくていいかなって思ったのに。なに? お使いもできないんですか。先輩」


「お使いってさあ」


 痴話げんかになりかけている二人を見て、氏家と高田は視線を合わせる。


「はいはいはい~。終了ね。ここまで」


 氏家は電卓を持っている広瀬と、彼女を交互に見つめた。


「キミは広瀬くんが好きで好きで仕方がないんでしょう? いいんだよ。いいの——ね? 広瀬くんも。彼女から電卓もらって嬉しいんでしょう? 好きでもない子のお使いなんてしないもんね」


 氏家の言葉に広瀬と女性は頬を赤くした。なんだか二人のことに振り回されただけという気持ちになるが——。


「あ、ありがとう。もらっておく」


 広瀬の言葉に彼女は「別に」と呟くが、結局は二人で頭を下げて事務室から帰っていった。氏家と高田のところにはLポッドが残された。


「なんか振り回されてばっかりですね」


 高田の言葉に、Lポッドを見ていた氏家は苦笑する。


「こんな高価なものより、あいつらにはあの電卓が宝物だよな」


「お、珍しく親父ギャグないじゃないですか。全うなコメントですね」


「え? そう? ありがトウガラシ!」


 「うふふ」と笑うと、それにもう一つ声が重なって聞こえてはったとした。殺気のようなものに振り返ると、そこには眼鏡を光らせた水野谷が「うふふ」と不気味な笑みを浮かべて立っていた。


「氏家さん。高田さん。まさかなのに、とか言って、忘れ物渡しちゃったわけじゃないですよね?」


「い、いえ。そんなことは——」


「課長はかっちょええ~!」


「ダメですよ。そんな誤魔化し! 詳しくお話を聞きましょうかね」


 結局、怒られる運命のオヤジーズだが、高田の心の中はほっこりしていた。


 ——ちぇ、若いっていいよなっ!



—組曲「展覧会の絵」 遺失物探します。 了—

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