第7話 クリスマスは踊っとけ



「関口」


 彼はふと視線を上げてから蒼を見つける。


あお


 一つ屋根の下にいるのに、彼と出会うのは久しぶりな気がした。


「今日はクリスマスパーティなんだって」


「うん。今聞いた」


 蒼の元に立つ関口は久しぶりで、なんだか気恥ずかしい。視線を床に落としてもぞもぞとしていると、星野にどつかれる。


「そんなモジモジしてんじゃねー。さっさと手伝えよ。蒼」


「あ、はい」


 蒼は星野に腕を引っ張られて、料理のセッティングに引っ張り出された。でも、少し嬉しいのは気のせいではない。


「さあ、準備はできました。課長! お願いします」


 星野の声に水野谷は嬉しそうに両手を上げた。


「それでは、それでは。貸し切りじゃないけど、ここにいるみなさん、すべてまるっとひっくるめて、クリスマスパーティーと行きましょうか~」


 のんびりとした気の抜けるような挨拶に、会場は苦笑いをした。


「アルコールがたくさん


 一人嬉しそうに親父ギャグを言い放つ氏家を、お手拭きで顔を拭いていた高田がたしなめた。それぞれがグラスを手にしてパーティーが開幕した。



***



 店内は開始早々から大騒ぎだ。すっかり出来上がっている親父たちの騒ぎようには驚いてしまうほどだ。カウンターで親父ギャグを連発している氏家。それを見て笑い合っている高田も理解できない。星野は尾形が食べ過ぎないように見張っているようだし、水野谷と吉田は人生相談みたいなことを始めている。

 カウンターの隅っこに座っていた蒼は、みんなの様子を眺めているだけで幸せな気持ちになった。


「あいつよお、頑張ってるぜ」


 ふと隣にいた野木が蒼に話しかけてきた。あいつとは関口のことだろうと容易に想像できた。


 ——そうか。関口は毎日、ここに来ていたんだ。


 知らなかった。しかし、それは素晴らしいことなのかも知れない。なにせ桜は腕のいいヴァイオリニストだ。彼女の演奏を一度だけ耳にしたときのことを思い出す。


「悪いね。毎日午前様で。酒臭いし。ひどい有様だろう?」


 後ろから桜も口を挟んだ。


「いえ。って。別におれは……」


「あいつ、酒は弱いし、たばこもダメだし。小さい男だよねえ」


 彼女は愉快そうに笑う。それに続いて野木もだ。


「そうそう。演奏も堅物真面目野郎だろう? ちっとも面白くねえ。幅がねーんだよ。幅が」


「まあ、まだ若いからな。仕方ないけどさ」


「それにしてもよお。音楽家には幅が必要だろう?」


 ——幅。確かに。関口は真面目過ぎるのかも知れない。


 いつも縁側で楽譜とにらめっこをしている彼は真面目そのものだ。桜からは想像ができない姿かも知れない。


「緻密に計画立てるのもいいけどさ。それと合わせて、こうなんつうかよお——」


「遊び心だろう?」


「それな。それ」


 桜と野木は顔を見合わせて笑む。


 ——ああ、この二人って、なんかいいのかも。


 蒼はふとそんなことを感じてから、そっと関口に視線を向けた。酔っ払いに野次を飛ばされて、怒りながらヴァイオリンを弾く彼。蒼にとったら初めてだ。彼が演奏をしている姿はそう見かけてはいない。

 台風の夜のシンディング。市民オーケストラの定期演奏会でのメンデルスゾーン。そのどちらの演奏もかっちりとした関口らしい演奏だったと思う。


 だがどうだ。ああやって野次に対して悪態をついて演奏をしている彼は、もっと彼らしい。なんだか笑ってしまった。そのうち、野木が声を上げた。


「おーい。関口! いつもアレやれよ。ア・レ!」


 彼の横顔を眺めてきょとんとしていると、彼は「わかりました」と返答をしてから、ヴァイオリンを構えたかと思うと、一気に弾きだした。いつも、溜めて、思うところがあるという感じなのだが、あっさりとだ。


 しかも彼は体を揺らし、そして楽しそうに笑みを浮かべた。ギリギリと弦の音が軋むようなその響き。店内は一気に華やかなアイリッシュモードに突入だ。今まで野次を飛ばしていた親父が一人、ピアノの前に座ったかと思うと、即興で参加する。テーブルを叩き、ドラムのようにリズムを打ち鳴らす親父もいる。


「スワローテイルジグか」


 尾形のお守りに飽きたのか、星野が野木と蒼の元に戻ってきた。


「星野ちゃん! さっすが」


「あいつ、いつの間にこんなの弾けるんだ? 嘘だろう? あいつのキャラじゃないじゃん」


 きょとんとしている蒼だが、そのリズムはなぜか自然と体を揺らす。星野は苦笑した。


「これはアイルランドの昔からあるダンス曲だ。6/8拍子でな。なんだか心揺さぶられるリズムだよな~」


 今まで話し込んでいた氏家や高田、吉田や水野谷も話を止めて関口が作り出すアイリッシュワールドに引き込まれてしまうようだ。


「随分と遊べるようになってきたぜ。あの坊や」


 野木の言葉に、星野は口元を緩める。


「毎日通っていたらしいもんな」


「まったくだ。懲りねえやつでね。根性だけは世界に通用するかも知れねーぞ」


 みんなが手を打ち鳴らし、体を揺らして踊る姿に、心が弾む。


 ——楽しい。


「蒼、行ってこいよ」


 星野にぐいっと背中を押されて、吉田に押されて、つい関口の元に締め出された。


「蒼」


 ヴァイオリンを弾く関口は汗だらけ。だけど楽しそうに笑みを浮かべていた。


「あの、関口——。いつもここで?」


「そうだよ。ごめん。ちゃんと言ってなくて」


「ううん。ううん。いい——いいんだよ」


 なんだか気恥ずかしい。落ち着かない気持ちになっていると、そばの親父に手を取られた。


「ほらほら。踊っとけ!」


 手を打ち鳴らしているその親父を見ていると本当に楽しそう。蒼は「うん」とうなずいてから、彼を真似て手拍子をした。


 その夜。バー・ラプソディは今までになく幸せな空気に包まれた。 そして、蒼にとっても今までで一番楽しいクリスマスであった。




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