第6話 クリスマスイブの遅番



 クリスマスイブ。あおは遅番だった。いつもは残業をする職員も、ほとんど残っていない。純粋に遅番組の蒼と吉田しかいなかったのだ。


 例年だと梅沢市では十二月に一度雪が降る。それ以降、年末くらいまでは冬晴れの日が続くのだが。今年は雪が多い年のようだ。


 十二月二十日あたりから断続的に雪が降っていた。日が差して、あっという間に溶けたかと思うと、夜には真っ白になる。そんな調子なので、星音堂せいおんどう職員たちも連日の雪かきで体力を消耗していたのだろう。


「今日はクリスマスだからな。さっさと帰れよ。遅番組は」


 定時になり水野谷と氏家、高田は帰っていった。そのあと遅れて尾形もだ。星野は珍しく平日の休日を取っていた。


「星野さん、今日休みって、デートですかね」


 蒼の問いに、遅番業務のまとめをしていた吉田は苦笑した。


「んなわけないでしょう? ただの偶然だよ」


「そうでしょうか」


「それよりも蒼もさっさと片付けなよ。また雪降ってるし。利用客も少ないから。さっさと閉めるよ」


「はい」


 蒼は懐中電灯と鍵を持って、ラウンドに出かける。中庭に面している大きな窓から見える外は一面真っ白だ。

 暗い夜空から綿毛のように振り落ちてくる雪。雪が降ると夜が明るくなるのが蒼は好きだった。


 白銀の雪は冬の夜を明るく照らしてくれる。そして、音も静かになる。雪が吸収してくれるのだろうか。

 いつもは車の音や生活音のようなもので満ちている世の中が、雪が降った途端にしんと静まり返るのだ。朝起きて、妙に静かな時は「雪が降った」とわかるほどだ。


 薄暗い廊下を歩き、誰もいない部屋を確認してから事務所に戻ると、吉田はコートを着て身支度をしていた。


「帰ろう」


「吉田さん、お先にどうぞ——彼女さん。待ってますよね」


「蒼。やだな。彼女じゃないって。星野さんの冗談に騙されるなよ」


「え? でも」


「ともかく。今日は雪だし。送っていくって。どうせ自転車で来ちゃったんだろう?」


「はい」


 関口が星音堂せいおんどうに姿を見せていた頃は、雨が降ると「一緒に帰ろう」と声をかけてくれた。だが——彼はいない。


 吉田に迷惑をかけてはいけないと、急いで荷物をまとめてからコートを着込む。事務所を出ると、消灯されたクリスマスツリーが淋しくそこに座している。それを横目に職員玄関から出て、鍵を閉めた。


「雪下ろし手伝います」


「助かるよ」


 同じくらいの背丈の二人は銀色に輝く雪の道に足跡をつけながら歩く。駐車場につくと、吉田の車にはそう雪が積もってはいなかった。


「明日はクリスマスコンサートだからな。忙しいぞ」


 明日は星音堂主催のクリスマスコンサート。いつもは入場制限されてしまう未就学児も参加できるファミリーコンサートだ。

 市内で活躍している音楽家達に出演してもらい、親子で楽しめるクリスマス企画。

 自分達の主催ということは、当日の運営も自分たちでこなさなければならないということだ。


「蒼、今日用事ないんでしょう?」


 助手席に促されて乗り込むと、ふと吉田が蒼を見た。


「え? ええ。なにもないですけど……」


「じゃあ付き合わない?」


「え?」


 吉田はにこっと笑みを浮かべてからアクセルを踏んだ。



***



「えっと……ここでいいんだっけかな?」


 吉田は「付き合って」と言う割に、行き先がよくわかっていないようだった。スマホの地図を見て、蒼を連れて歩く。


「あの、吉田さん。どこに……」


「いいから、いいから。——あ、あった。ここ。ほら入って」


 突然、木製の扉を押したかと思うと、それと一緒に蒼は店内に押し込まれた。


「わわ、あの」


 バランスを崩しそうになって、思わず側の椅子に手をつく。と、聞きなれた声が響いた。


「遅いぞ。なにかアクシデントがあったのではあるまいな」


 はったとして顔を上げると、目の前には水野谷が立っていた。


「え? か、課長?」


「お~、飲んでたぞ」


 カウンターには氏家と高田。


「え?」


 吉田を振り返ると彼は、尾形の真似をしてぺろっと舌を出した。


「悪い、悪い。だましたんじゃないんだよ?」


「へ?」


 奥のテーブルには、星野と尾形がオードブルを並べている。


「おい、お前! すぐ味見すんなよ」


「だって、一種類ずつ食べておいたほうよくないですか? 星野さん作った料理で食中毒でも起こしたら、この店が営業停止になっちゃうじゃないですか」


「このデブっ! 失礼なこと言うなよー!」


「星野さん?」


 蒼はきょとんとして周囲を見る。星音堂メンバー以外の人間もいた。見たこともない中年の親父たちが多い。その中で、蒼は見知った顔を見つけた。


「野木さん」


「よお。悪いな。おれも混ぜてもらってよお」


「えっと。あの。——すみません! 意味がわかりません」


 蒼はおろおろと困った顔をした。すると、カウンターのところにいた桜が声を上げた。


「水野谷と星野がさ、クリスマスパーティするって言ってきて。うちは酒は出せても食事は出せないよって言ったんだよ。そしたら星野が『おれが作る』って始まって」


「はあ——」


 星野は黒いエプロン姿で蒼のところにやってきてから、彼の首に腕を回す。


「お前、幸薄そうだもんな。クリスマス祝ってくれる奴いないんじゃないかって思ってよ~。吉田もな」


 彼はそういうと吉田を見た。吉田は微笑を浮かべる。


「もう。星野さんって、本当になんでもわかっちゃうから嫌ですよ」


「ほらほら。星音堂の若手二人を励ます会だよ。それと——」


 彼が視線を向けた先を見て、蒼は驚く。酔っ払いの親父に絡まれて「心外だ!」と本気で怒っているのは——。







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