第7話 養ってください。
台風は朝方には通り過ぎた。一晩中窓ガラス戸を叩いていた雨風のおかげでよく眠れなかった。いや。慣れない場所での夜がそうさせたのだろうか。関口の家には居間の他に部屋が三間ある。
玄関を入ってすぐ右手は関口の練習部屋だそうだ。祖父母も音楽をやっていたらしく、そこは防音室に改築されいるため、窓がない密閉された空間になっているようだった。
その防音室の次が二間続きの和室。一つは居間。その奥は仏壇などが置いてある部屋だ。関口はそこで寝起きをしているようだった。
玄関からまっすぐに伸びた廊下を突き当りまでいくと、それは右手に折れている。建物自体がエル字型なのだ。どの部屋も庭に面している作り。蒼はその一番奥の部屋で一晩を過ごした。そこはなにもない和室だった。関口の祖父母のものらしき荷物が段ボールに入れられていくつか重ねられている、いわゆる物置部屋のような場所だった。
目を擦りながら重い頭を抱えて居間に顔を出すと、味噌汁のいい匂いがした。
「おはよう。よく眠れ——なかったようだな」
関口は
「ごめん。朝ごはんまで」
「僕も食べるものだから気にする必要はないよ。それに、まさか人を泊めるなんて想定外だったから、大したものはないよ」
「ううん。美味しそうじゃない」
ごはんと、わかめと豆腐の味噌汁、ハムエッグの脇にはトマトが並んでいる。昆布の佃煮も置いてあった。
「これ美味しいんだよ。北海道からお取り寄せで」
「え?」
「なに?」
「お取り寄せなんてするの? 関口が?」
蒼の言葉の意味を理解したのか、関口は顔を赤くした。
「あのねえ。僕だって美味しいものを取り寄せたりするんだけど」
「え~。なんか生活感ない人なのに、変なの」
蒼は冗談を言っているものの、内心は嬉しい。正直に言うと人との食事は久しぶりだ。確かに星野たちと外食をすることはある。だが手作りの朝食を食べるのは久しぶりだった。
熊谷の家は母親の
「いただきます」
箸を持って挨拶をしてから食事を始めると、目の前に座っていた関口は「あのさ」と声を上げた。
「昨晩の話」
「コンクールのこと? え? もしかして気が変わっちゃった? 出ない?」
蒼は不安になる。ふと息を吸うとなにかが喉に突っかかるような感触に息を潜めた。一度出始めたら止まらないのだ。咳が——。じっと堪えていると、関口は気が付いていないようで話を続けた。
「コンクールはコンクールなんだけどさ。もしコンクールに本当に出るとなると、もう期間が差し迫っていて、本気で準備していかないと間に合わないんだよ」
少し落ち着いた喉の調子を確かめるように、蒼はそっと声を出す。
「関口が遅いから悪いんでしょう?」
「それはそうだけどね」
「でも。そんなことは言っていられないもんね。ねえ、関口」
蒼は箸を置いてから彼を見据える。
「おれが言い出したことでもあるし。なんでもするよ。関口がベストな状態でコンクールに臨めるように、できることはなんでも手伝うね」
彼は蒼の言葉を聞いて、それから「じゃあ」と切り出した。
「多分、準備期間中はそれの練習に専念したい。東京のオケはどうせ下っ端だしね。休めると思う。市民オケは今度の定期演奏会さえ終われば、あとは少し融通してくれると思うんだ。柴田先生が」
「うん」
「で、ヴァイオリン協会も講師が何人かいて、それぞれで都合つけてやっているところもあるから、抜けても大丈夫だと思う」
「じゃあ、いいじゃないの」
「ただね。問題が一つ」
関口はそういうと蒼に頭を下げた。
「ごめん! 蒼。僕を養ってください!」
「は!? はあ!?」
蒼は大きな声を出したおかげでむせりそうになり、慌てて口元を押さえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます