第6話 決心
「ありがとう」
「——え?」
驚いて顔を上げる。関口は
「あの。えっと。ごめん。僕も言葉にできないや」
「へ? え? そ、それはおれのセリフ」
「いやいや。それ、僕のセリフ」
なんだか意味がわからないのに、お互いが「言葉にできない」って。結局、相手がどう思っているのかなんてさっぱりわからないだけ。ただ、自分の覚えた思いを胸に戸惑っているだけなのだ。
人間とはどうしようもできないと笑ってごまかすらしい。蒼はぷっと吹き出す。関口も釣られて笑みを見せた。
「ごめん。意味わかんない」
「僕もだ」
なにがなんだかわからないのに、二人はただ笑い合うだけだった。
「ねえ! 関口」
「な、なに?」
蒼は関口の元に歩み寄ると、関口の腕を掴んだ。
「ねえ、コンクール出よう!」
「え?」
「うん。出たほうがいいよ! ねえ、絶対に出よう! おれ、応援するから!」
「でも」
『出ない』とは言わせたくない。蒼は関口を見上げた。必死だった。
——どうか、お願い!
「——わかったよ」
「本当?」
「僕もそろそろ限界だったんだ。もう二十二だ。ヴァイオリニストとしては遅すぎるくらいなんだ。続けるか辞めるか、決めなくてはいけないんだ」
彼はそう言うと愉快そうに笑った。
「まさかね。初対面でイライラさせられた蒼に、背中押されちゃうなんて。本当に変なの。おかしい」
「なに? だって。関口だっておれの背中押してくれたでしょう? 本当に感謝しているんだよ? でもね。そのお礼とかじゃないんだ。おれはその。純粋にね。関口の演奏にぐらぐらさせられて、それで、ドキドキして。それでそれで、もう体じゅうがモヤモヤとしちゃって……」
「ねえなにそれ。意味わかんないし。っていうか興奮したってこと?」
関口の言葉に蒼は顔を真っ赤にした。
「ち、違う!」
「へえ。性的な興奮と音楽を聴いて得る興奮って似ているんだよ? 蒼」
関口の指摘に蒼は耳まで真っ赤になる。
「せ、関口って変態——」
「変態って。あのねえ。いい年の男だろう。ねえ、恥ずかしいの? そういうの。蒼って
「お、おれだって。彼女くらいいたことあるし……」
自慢できるほどの女性遍歴はない。声が小さくなる蒼を見て、関口は笑ってばかりだ。
——どうせ、関口みたいに王子様キャラじゃないし。バカにして!
いつもは冷静で聡明な関口の視線はどことなしか熱を帯びているように見えて、心臓が口から飛び出しそうなくらい拍動を早めている。なんとかそれをごまかそうと、蒼は自分でもびっくりするくらい大きな声を上げた。
「——と、ともかくね! 関口の音楽はすごいってこと!」
興奮してなにを言っているのかわらかなくなった。肩で息を吐く。少し喉が痛い。喘息が悪さをし始めているのかも知れない。
「なんだかよくわからないけど。嬉しいもんだね」
「そう?」
「そうだね。どんなに言葉を並べて評価されるよりもなによりも。蒼のその、ド・ストレートな感想って、すっごく嬉しいかも」
「本当!? へへ。おれもよかった」
とりあえず笑ってはみるけれど、正直言うと蒼にはどのくらい関口が嬉しいのかは推し量れないものだ。だが……。二人で視線を合わせて笑い合っているこの時間は、きっと大切なものに感じられたのは間違いがなかった。
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