第7話 星野和則とはおれのこと。
その日。星野は遅番だった。懐中電灯を持って敷地内を見回り、それから事務所に戻ろうと正面玄関の自動ドアを潜ると、体の大きい男が事務所の様子を伺っていた。
「おう! お疲れ」
男は黒川だった。彼は黒いリュックを背負い、これから練習なのだろう。
「星野さん……」
彼はバツが悪そうに表情を暗くしたが、「よし」と頷くと、あっという間に星野の目の前にやってきた。
——ちぃ、足が長いやつは嫌いだ。
そんな悪態を吐いていると、彼は不意に大きく頭を下げた。
「先日はすみませんでしたっ! いつもお世話になっているのに失礼なことを言いました」
「黒川……」
「先生と口論になって、カッカとしていたんです。つい星野さんに八つ当たりして。本当にへこみます。馬鹿すぎて呆れちゃって。先生と口論したことよりも、星野さんにひどいこと言ったってことがショックで……。もう、おれアンサンブルの代表なんかやる資格ないです」
「おいおい。なに言ってんだよ」
星野は苦笑したが、真面目に謝罪してくる黒川の気持ちを考えると、笑って済ます対応ではいけないと確信した。 軽くため息を吐いてから、黒川を連れて事務所わきのベンチに座った。
「あのよお。確かにお前の一言はおれの胸に突き刺さったぜ」
「ですよね……」
「でもよ」
星野は笑う。
「それでわかったこともあった。それって……お前のおかげだ」
「え?」
彼は逆にきょとんとした顔をして星野を見ていた。
「確かに、おれは音楽家じゃねえ。お前たちのことに首を突っ込むなんて部外者すぎるんだよ。だけどよ。だからこそ、おれはお前らを支援できると思っている。おれはな、当事者じゃないからな。だからこそ客観的に見ての意見が言えるわけだ」
——まあ、これは
「そ、それはそうです。——それに。星野さんの知識量と人脈は半端ないです。おれ、本当に尊敬していて。だから甘えちゃうっていうか」
「おお、そうかよ。じゃあ甘えとけって。まあ、メンタル弱い男だからよ。少しは手加減してくれよ」
「すみません」
黒川は黙り込んだ。それを見て星野は続ける。
「部外者だから敢えて言おう。おれはな。どっちの味方もするつもりはねえ。だがよ。客としてお前らの演奏会を聴くなら、どっちも美味しい演奏会にしてくれよ」
「——え?」
「悪いな。おれは素人だ。わかりやすい曲も入れてくれると助かるし、お前らのスキルの高さを見せつけてくれるような難易度の高い曲も聴きてえな。シュッツやるんだろ?」
——そうだ。桜
「なあ。上手いのはわかる。だけどよ。上手いからこそ、なんでもできんだろう?」
「星野さん」
「独りよがりの選曲なんて腕のいいやつがやることじゃねえ。逆にお前らだからこそできる演奏会があんだろう?
星野の言葉に黒川はポカンと目も口も開けていた。だけど、すぐに気を取り直し、そして頷いた。
「本当はわかっていたんです。先生の要望の方が正しいって。おれの意地ですよ。簡単な曲なんて誰がやるかって。UMは他所とは違うって。でもそうじゃない。おれたちはおれたちを応援してくれる人たちに寄り添っていきたい。おれたちの成長を見守ってもらいたいんです。それは、星野さんにもです」
なんだか照れ臭くて星野は頭を掻いた。しかし黒川は続ける。
「先生に謝ってきますよ」
「菱沼先生もお前の気持ちわかってるはずだぞ。ポピュラー曲なめんじゃねえぞ。結構難しいからな。ヒーヒー言っても知らねえぞ」
星野を見て、黒川は笑った。
「おれたちは新進気鋭の若手合唱団ですよ。そんなのへっちゃらだ。——星野さん。その日は休みとってくださいよ。絶対見にきて欲しい」
「まあな。お前らのアドバイザーとしては、聴きにいかないわけにはいかないな」
「ですよね。そう言ってくれると思っていました!」
二人が顔を合わせて笑っていると、自動ドアが開いて菱沼が顔を出した。練習には参加しない、なんて言っていたくせに。気になるのだろう。
「あ——。先生」
黒川は星野に頭を下げると、菱沼の隣に走っていき二人は話をしながら姿を消した。
「全くよ。手前がかかるぜ」
ふふと笑ってから顔をあげると、ガラス張りの事務所の中から蒼が覗き見しているのが見えた。
「こら! 蒼! バレてんぞ」
「ひゃ!」
蒼はコソコソと自席に逃げていくが、なんだか笑うしかない。
「覗き見しやがって。全くよお。どいつもこいつも手がかかるぜ!」
星野はネクタイを引っ張ってから背伸びをした。
「あ〜あ。帰りて〜な」
音楽ヲタクの星野和則は、星音堂の名物職員の一人である――。
— 第四曲 了 —
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