第2話

 遠い昔、魔族は人間に虐げられていた。


 そもそも人間と魔族と大した身体的な違いはない。流れる血の色は違うが、それだけだ。混血も生まれるほどに、二つの種族は近かった。だが、人間たちは魔族たちを大いに嫌って、辺境の地に追いやった。


 その地は不毛の地だった。


 食物は育たず、獲物はおらず、水は汚染されていた。そんな土地で生きていけるほど魔族は一人一人が団結してもいなかった。食べ物があれば奪い合い、清潔な水がわいていると分ければ殺し合った。そんな生活では、魔族はダメになると一人の男は思った。その男はタリオンという名であった。


 魔族同士で殺し合うだけでは、魔族の数はどんどんと減っていく。それでは人間たちの思惑通りになってしまう。


タリオンは、まずはその地方で力をつけた。


他の魔族がタリオンに逆らえないぐらいに強くなろうとした。


タリオンは、魔族を人にも負けないぐらいの群衆にしようと考えた。当時の魔族は数も少なく、考え方もバラバラであった。人間と比べても、魔族は一つにまとまっているとはとても言い難がった。


そのかわりに魔族には力があった。魔術という魔法のような技術をほとんどの魔族すべてが使えていた。力も強かった。この世には魔獣と呼ばれる獣がいたが、魔族はその魔獣を恐れることはなかった。魔族の方が、力が強かったからである。人間たちは、魔族のこの力を恐れたのであった。


それでも魔族は、一人一人がバラバラであったから人間には敵わなかった。だから、タリオンはまずは魔族を一つにしようと思った。




人間への恨みで、魔族を一つにしようと考えた。


「たく、バカが」

 

誰かの悪態が聞こえた。

 

シシリーが目を開けると、緑色の髪をした少年の姿が目に入った。長い髪を一つに縛った少年は、シシリーの額に自分の額を当てる。ひんやりと冷たい顔だ、とシシリーは茫然としながら思った。


「高熱がでてるのに、なんで雨のなかで馬を走らせているんだよ」


シシリーはその言葉で、ようやく自分が熱を出しているのだと気が付いた。ここ数年体調を崩すことなんてなかったので、油断していたのだ。それを正直に話したら、少年は大きなため息をついた。あきれ返った顔であった。


「バカが風邪ひかないって嘘だな。バカはバカだから風をひくんだ」


 少年は、シシリーに温めたミルクを手渡す。


 甘い香りが心地よく、それだけで体が温まった気分になった。


「ショウガとハチミツを入れてる。それを飲んで寝てろ。汗かいて寝れば、熱なんてすぐに下がるから」


 少年の言葉に、シシリーは頷く。


 そして、温かいミルクを受け取った。


 一口飲んでみると、たしかに甘い味がした。ショウガの辛い風味も強く、体がぽかぽかと温まっていた。


「君の名前は?」


 シシリーが尋ねると、少年は眼を見開いた。

 まるで、自分の名前を聞かれることを予想していなかったようだった。そのことが、シシリーには意外なことであった。


「俺はセン」


 少年は、そう自己紹介した。線が細い少年である。それこそ女のようなと言ってしまえる体格である。


「ほら、もう寝ろよ」


 センは、シシリーを横にしようとする。


 だが、狭い部屋にはベットは一つしかなかった。


「君は、どこで寝るんだ?」


 シシリーの疑問に、センはそんなことを気にするなという。


「クッションを敷きしめれば床でも寝れる。病人は早く休め」


 センはそう言うと、家中のクッションを集めて床に敷きしめていた。あっという間に、小さくてふかふかのベットが出来上がった。だが、本物のベットに比べるとみすぼらしいことは間違いない。


「だが……家主をそんな場所に寝かせるわけには」


 シシリーは無理やり起き上がろうとする。


 センは、そんなシシリーを止めようとしたがシシリーにしてみればそんな力は抑えるうちに入らない。それぐらいに非力な腕であった。


「おい、起き上がるなっていってるだろ」


 センは、顔をしかめる。


 どうやら、シシリーの具合はよっぽど悪かったらしい。


「だが、君の寝る場所がないのなら……私が床に」


 シシリーの体が、再び大きく揺れる。


 センの力で押し返されたのではなく、立ち眩みがしたのであった。


 彼はベットの上で伏せることになった。


「ほらみろ。力が入ってないんだろ……」


 センは、ため息をついた。


 シシリーからミルクの入ったマグカップを受け取ると、彼はそれに向かって何かをぶつぶつと唱えた。ミルクは不思議な色に光り、あっという間に中身がなくなってしまった。シシリーは、それを茫然と見ていた。


「ああ、もったいなかったからな。使い魔にやったんだよ」


 センは、なんてことないように語る。


 だが、シシリーにとっては衝撃的だった。使い魔を使用する魔術は、魔族が使っていたものである。つまりは、センも魔族だということだ。


シシリーの考えに気が付いて、センは両手を上げる。


「おい、俺は人間だからな。ただ、魔族の使っている魔術が効率的だから俺も使っているだけだ」


 センの言葉をシシリーはいぶかしむ。


 本当に、センが魔族ではないのかが気になったのだ。


 魔族の見た目は、人間と似ている。正確に区別をしようとするならば、血の色を見るしかない。だが、それはあまりに物騒な手段である。かつて魔族が跋扈した時代でも、その方法はあくまで最終手段であった。


「そんなに疑うんなら、殺してみろよ」


 センは、シシリーの熱い掌を自分の首筋に導く。か細い首であった。熱にうなされたシシリーであっても、折れてしまいそうなほどに。


「魔族の血は緑だったけか?それぐらいしか見分ける方法がないような奴らもいるんだろ。だったら、手っ取り早く殺せよ」


 シシリーは、センの手を振り払う。


「そんなことはしない。もしも、君が魔族ならば私を助けるはずがない」


 シシリーの顔は、生き残りの魔族たちには伝わっているはずだ。ならば、手当などせずにシシリーを殺していることであろう。


「そうだな……魔王殺しのシシリーだからな」


 センは、にやりと笑う。


 シシリーは、驚きの表情を浮かべる。


「知っていたのか?」


「ああ、助けた時から察していたぜ。なんせ、国の有名人だ。知らない奴の方が少ないだろうけどな。あっ、もしかして田舎だから自分を知らないかもしれないと思ったか?」


 センの言葉に、シシリーは「少しだけ」と答えた。


 ここまで田舎に来れば自分を知るものはいないかもしれないと思ったのは、確かな事実だった。だが、シシリーの考えは甘かったらしい。


「お前は死ぬまで英雄だよ。ほら、英雄さん。もう少し眠れ」


「だから、家主を差し置いて――……」


「あ――もう!」


 シシリーがあまりに頑ななので、センは怒って杖を取り出した。シシリーは、ほとんど反射的に警戒する。魔術使いにとって、杖は最強の武器だからである。


「あんまりうるさいとこいつでポカリと叩くからな」


 センの言葉に、シシリーは眼を点にする。


「杖で叩くだけなのか」


 魔術使いのとっての最強の武器にしては使い方があまりにもなさけない。その考えを読んだかのように、センは唇を尖らせる。


「人間相手に魔術なんて使うかよ」


 その様子がおかしくって、シシリーは笑ってしまった。


 センもやがて笑い出す。


「ほら、お前はもう寝ろって。明日になれば、きっと治るから」


 センの言葉は、力強いものだった。


 信じられる、そう直感できるぐらいに。


「ありがとう。……その聞いていいか魔術を人間に使わないのは、君の矜持なのか?」


 シシリーの言葉に、センは首を振る。


「魔術っていうのは、かける相手が同類だと効かないもんなのさ。だから、俺の魔術も魔獣相手の護身術にしか効かない。優しい技術なのさ」


 そうだったのか、とシシリーは今更ながらに魔術の神髄を知った。どうりで魔術に回復の術が極端に少ないはずである。味方にかけることのできない術ならば、発展しないのも頷ける。


「お休み、シシリー。よい夢を」


 センはそう唱えて、シシリーの頭をなでた。


 人間相手には魔術は通じないはずなのに、シシリーはその一言で深い眠りに落ちていった。まるで、魔術にかかったかのようであった。

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