魔王を倒した俺ですが、隣にはもっとすごい人がいます

落花生

第1話

 勇者の剣が魔王の胸をえぐってから、数年が経とうとしていた。


 人々は魔王軍に蹂躙された記憶を保ちながらも、前を向き歩み始めていた。魔族の残党に襲われる人間のニュースは相変わらず流れてきたが、そんな被害も王都から派遣される兵によって解決されていった。人間たちは、たしかに平和を取り戻していったのだ。


そんな日々のなかで、一人の男が人生の再出発を決めた。その日は、朝日がことさらに眩しい日であった。朝日に照らされる白亜の城。人々が魔王軍から守り抜いた美しい城の門が、今日に限ってはことさら早く開かれる。


「行くのですか?」


 夜明け前の早い時間に見送りのものもなく、一人の男が城から出ていこうとしていた。まだ若い男である。緩くウェーブがかかった髪に、頑強な肉体。精悍な顔つきのなかにも、少しの幼さを残した男であった。


その男の名は、シシリー。


三年前に魔王を倒した勇者と呼ばれるものであった。


剛健な肉体に見合う剣を持ったシシリーは、馬の上で苦笑いする。


「王様に泣きつかれたら、臣民としては城に残るしかなくなってしまうからね」


 魔王を殺したというにはあまりに幼い顔で、シシリーは笑う。それもそのはずで、シシリーはまだ十九歳の若者であった。十九歳と言えば、見習いの兵士ぐらいの年代である。そんな若者は魔王軍を一人で倒したとは信じがたいものがあったが、それが確かな事実であった。彼は、百を超える魔王の軍勢と戦い。その奥にいた魔王自身とも戦って勝った猛者である。


剣技は当然ながら国で一番。


そんな彼が城に滞在していたのには理由がある。今日までは、城の兵士たちに剣を指南するという名目で城に残っていたのである。


だが、三年前に王と約束した期日は今日までだ。王に面と向かって延長を願われたら臣民として答えるしかない。彼は王に忠実な臣民であった。だが、王が寝ている今であれば約束を果たして城を去ることができる。そんなずる賢いことを考えるシシリーは、十九歳らしい若者の顔をしていた。


「あなただったら、姫との婚約の話もあったでしょうに」


 シシリーと同じ年頃のメーリス姫。


 金の髪に白磁の肌。この世で一番の美貌をほめたたえられる姫であったが、シシリーは彼女と結ばれ気はなかった。


 そのメーリス姫との婚約の話を王自身からなんとなく打診されたことはあった。だが、シシリーはそれをそれとなく断っていた。政治に向かない自分が王族になるつもりはなかったし、姫とは魔王を倒すまでは会ったこともなかった。そんな女性を妻に迎える気はさらさらなく、シシリーは残りの人生を静かに生きることを決めていた。


「あいにくと姫にはもっとふさわしい人がいるさ。それに、私は森や村で静かに暮らしているほうが性に合って田舎者だ。もしも、姫をそんなところに連れ帰ったら王様が泡を吹いて倒れてしまう」


 シシリーが、姫との結婚で危惧した一番の理由はそれだった。


 シシリーは元々農村育ちの若者で、魔王を倒したあかつきには故郷と似ているところでのんびりと暮らしたいと思っていたのである。だが、姫をめとってしまえばそんな自由はなくなってしまう。きっと一生王都に――城に縛られる一生になることであろう。そのため、シシリーは姫との婚約から逃げたのである。


「あなたに指南していただいた三年間を誇りに思います」


 門番の青年は、シシリーに敬礼をする。


「教えるもなにも、俺のは田舎の剣筋だ。都会の洗練された剣筋に、こちらのほうが勉強させてもらったぐらいだ」


 シシリーは、門番にそう語った。


 謙遜しているわけではなく、本心からそう思っているという顔であった。


 シシリーにとって都会の洗礼された剣筋は、たしかに勉強になるものだった。シシリーの戦い方は圧倒的な力でねじ伏せるものである。それはシシリーが生まれながらにもっている恵まれた肉体だから可能だったことだ。そんななかで学ぶ都会の剣筋は、確かにシシリーのなかで糧となっていた。


「その田舎の剣筋が、魔王を討ち取ったのですよ……ささ、お早く。王が起きる前に」


 門番は、剣に生きる青年を城から逃がしてやった。


 馬に乗ったシシリーの背中が、どんどんと遠くなる。その背中に門番は若さを見た。城にいれば生活に困らないのに、自分から外の世界に飛び出していくのは確かに若さであると門番は思ったのである。


 命令違反はしていない。


 シシリーは王との三年間の兵士たちの育成の約束をたがえなかったし、門番も役目を終えた男を見送っただけだ。それが、いくら王が引き留めたがっている人材だとしてもだ。


「あの人は、自由に生きた方が幸せなのさ。なぁに、まだ若い。勤め人のほうがいいっと思いなおすことだって、あるだろう」


 その時はまた指南を願いたいものだ、と門番の男は思った。




シシリーは夜明け前の世界を久々に思いっきり駆け抜けた。


空気は凄烈に冷え、馬も自分も白い息を吐いていた。胃のなかが冷えていくのに、それがとてもとても居心地がいい。ここまで居心地の良さは、五年以上前に故郷の村を飛び出して以来かもしれない。


シシリーは村では力が強すぎて浮いている子供だった。両親は愛してくれたが、それでも居場所がないような気がして村を飛び出したのだ。


思い返せば、それがシシリーの最初の失敗だった。


シシリーが活躍を恐れた魔王軍が、シシリーの出身の村を襲ったのだ。村を襲えばシシリーをおびき寄せられるという作戦だった。だが、その作戦は失敗した。シシリーは村を遠く離れていて、自分の出身地を守ることができなかったのだ。


村は全滅した。


シシリーは出身地を失った。


そのころから、シシリーは魔王を倒したら出身地と同じ匂いがする田舎や森のなかで暮らしたいと考えていた。シシリーの出身地は森の奥深いところにあった。だが、そういう村がよそ者を好まないことも知っていた。シシリーは今魔王を倒した有名人である。それでも、シシリーは他の住民に受け入れられるかが分からなかった。


シシリーは理想の村を求めて馬を走らせ続けた。


雨の日も、風の日も、馬をひたすら走らせた。

 

シシリーは休むことをしなかった。休めば、将来への不安に押しつぶさされるような気がした。根無し草になった自分を誰が受け入れてくれるのか、という現実に。


 ふらり、とシシリーの巨体が揺らぐ。


 彼の体が、馬から崩れ落ちた。


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