第10話


 入院してからの最初の一週間は、あっという間に過ぎてしまった。

 四肢の大体を骨折していて動けないから、暇で時間の経つのが遅いかな。なんて思ったりしていたけれども。そんなことはなかった。少なくとも、いざ過ぎ去ってしまえば、光陰矢の如しである。


 姉さんは、意識を取り戻してからこの今まで、ほとんど毎日、朝の面会受付開始から終了までの間を、ぼくの病室で過ごしている。

 最初こそやれ貧乳だ、やれほーけー・・・・だの、高校生にもなって下品な言い争いをした。でも両親が病院に来てからは、いつもの通りに、年相応に疎遠となった姉弟きようだいを演じている。

 ――いや。嘘である。

 姉さんときたら、朝から夕方までずっーとぼくにべったりだった。学校の教科書を広げながら、延々と授業をしてくれた。姉さん自身、かなり頭は良いはずなので、去年習ったことを教えるくらい、わけないのだろう。

 授業の合間には軽くお喋りして、トランプゲームなんかをした。携帯電話は、流石に病室の中では使うのが憚られるのか、両親に連絡する以外にはほとんど手に取らなかった。ぼくも使わなかったしね。


 え、携帯電話はどうしたかって?

 そりゃあビルの10階からぼくもろとも落下したんだから、完全に壊れていたよ。

 ある程度落ち着いたときに、父が『修理するか、買い換えて来ようか?』と訊いてきたけど断った。病院の中では使うのが躊躇われるし、新しいものは自分で選びたい。全損したから、修理したところで新品買うより高くつくのは目に見えている。もう買ってもらってから3年経つし。退院するまでは我慢することにした。

 だって、引き籠りでぼっちの虐められ自殺未遂者に、連絡取る奴なんていないでしょ?

 そう言ったら、なんでか姉さんは涙目になっていた。両親も渋い顔をしていたなあ。


 話は逸れたけど、勉強して遊んで、食事も一緒。なんだか、小学校入学前の仲の良い姉弟に戻った感じだ。

『はい、あーん』なんて誰がやるか! 左手は動かせるんだから。

 あと用を足すとき。姉さんが『見知らぬ看護師にやってもらって恥ずかしい思いをするより、家族の方が良い』とか宣った。そりゃぼくだってお年頃・・・だ。前世と合わせれば数十年という人生を送っては来たけど、羞恥心を捨て去るにはまだ早い。

 言い寄る姉さんの押しに負けて、頷いたのが運の尽き。

 姉さんたら、それ・・を見ると鼻で『ふっ――』と嗤いやがった。例の、その、皮被りの件を目視で確認するために、あんな申し出をしやがったのだろう。許すまじ。絶対に見返してやる――!


 まあ、冗談はさておいて。

 次なる問題は、両親だった。とりわけ父だった。

 口汚い喧嘩の後で、ぼくは姉さんの携帯電話が鳴っているのを感じた。マナーモードにはしてあるようだけど、静かな病室だ。バイブレーションの鳴動は感じ取れる。


『なんか、携帯鳴ってない?』

『えっと――あれ。父さんだ』


 そう言って、姉さんは電話に出るかと思いきや。すぐに切ってしまった。曰く、病院で通話するのはいけないこと、だそうだ。

 それから姉さんは携帯電話を操作して、ぼくの意識が戻った、とだけ伝えたらしい。


『これからすぐ来るって』


 その言葉の後、一時間ほどして両親は病院に飛んできた。

 飛んできた・・・・・という比喩がぴたりと当て嵌まるように、大急ぎのようだった。

 緊張の一瞬である。

 父はたぶん、ぼくを叱るだろう。自殺なんて、この世でも前世でもぼくが知るところの最上級の親不孝だ。

 さらに人様に迷惑を掛けて、こうして病院にいるなんて、怒られて仕方のないことだ。

 もしぼくが前世のままだったとして。己の息子がそんなことを仕出かしたら。激怒した後に死を与える。死にたいならば死なせてやる、というのが、以前の世界の理だからだ。

 ただ、今世ではそうもいかない。法の整備されていないような未開拓地の外国ならばあるいは可能かもしれないけど、ここは日本。

 そんなことをしたら犯罪者だからね。父も怒りはするけど、こちらをどうこうなんてできないだろう。

 それに。ぼくには言い分がある。

 息子を信頼していなかったから、その哀れな息子は、死を選んだ。あの事故のときに、少しでもぼくを信頼してくれていたのなら。佐伯さえき雅美まさよしは、もっと真っ当な人生を歩んでいたはずなのだ。

 だから、そういう信念バックボーンを持って。殴りかかってくるであろう父に対して言うのである。

『絶対に見返してやる』と。




 慌てて来たのであろう、肩で息をする父は。ぼくを目の前にすると、おそらくは怒りで顔を真っ赤にして。

 ぼくの寝ているベッドまですぐさま走り寄ってきて。

 殴るのかな、とぼんやり思っていたら。

 父は、号泣した。

 膝を折り、腰を曲げて、頭を冷たい病室の床に擦り付けた。


『すまなかった、すまなかった! 雅美おまえが、そんなになるまで思い詰めていたと、気付いてやれなくて――すまなかった!』


 父は病院の中で、看護師が見ている前でも構うことなく、土下座して、実の息子のぼくに、許しを乞うた。ぼくの信ずる父の威厳などひとつもなかった。

 母はなにも言わなかったが。土下座する父の後ろで、腰を深く曲げて、ハンカチで目元を隠していた。

 ぼくと一緒に両親の様子を見ていた姉さんは、こちらの左手をぎゆっと握って――静かに、声を殺して、涙を流していた。


 それまで身構えていたぼくは、一気に身体の力が抜けた。土下座する父に対し。涙を流す母に対し。すっかりと毒気を抜かれたような気持ちになった。

 姉さんもそうだったけど。どうしてこうも、ぼくの周りの連中は、生き甲斐となるだろう『見返してやる』気持ちを削いでくるのか。

 散々にぼくを罵倒し、殴り付け、叱る両親を。成長したぼくが稼ぎ頭になって見返す。ぼくがいなければなにもできない、と泣いて懇願する家族を足蹴にして、ざまぁ・・・するぼく。そんな未来を想像して、実現できるよう決意していたのに。

 ――これでは、意味がない。見返す必要なんてないくらいには、両親は息子の自殺を嘆いていて、それを止められなかった己を悔いていた。

 だからぼくは、しっかりと言って聞かせる。


ぼくを信じてくれなかったあなたたちを、許してはおけない。きっといつか、見返してやる』と。


 それを聴いた父は、っと顔を上げて。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、無理矢理に笑わせて、言った――その瞬間を待っている、と。


 意識が戻ってから二日間ほど、姉さんと一緒に病院に毎日来ていた両親だったが。ぼくがもう大丈夫――自殺することはない――と判断すると、姉さんに一時の世話を任せて、仕事に戻った。

 いくら裕福な家庭だからといって、いつまでも休んでいられない。両親は両親なりに職場では責任ある立場なのだ。ぼくの介護にも金が掛かる。有給を使っているとはいえ、その間に降り積もる業務を放置しておけない。

 両親はぼくにそう断って、仕事に戻っていった。

 けど。ぼくは知っている。昼寝のふりをしていたぼくの目の前で、姉さんが両親を説き伏せていたのだ。


『わたしが雅美の世話するんだから。父さんと母さんは邪魔よ、さっさと仕事に戻ってね』


 姉さんにどんな意図があるかは解らなかったが。

 少しだけ、空恐ろしさを感じた瞬間だった。


 そんなこんな、一番の難関だろうと思われた父は、あっさりと陥落した。またしても、見返し甲斐のない展開だった。

 ただ。ぼくが見返してやりたいのは家族だけでない。

 ぼくを虐めた赤城澪げんきようもそうだし、一緒になって加わってきた連中。見て見ぬふりした教師。ことの発端となった女性運転手。

 それら全てをぎゃふん・・・・と言わせてみせる。





 ちなみに。怪我の回復は順調だった。

 どれくらい順調かと言うと、70歳近い大ベテランの医者せんせいが、レントゲンを診て2~3分黙り混む程度には順調である。

 今朝は松葉杖で、ひとりで歩いてトイレまで行こうとした。偶々、見回りしていた看護師に見つかってしまい、大変に驚かれた。オバケがいたかのように、信じられないものを見たという反応をされた。

ビルの10階から落ちて、両足を酷く折って、全治3ヶ月と診断された患者が、僅か一週間で歩くとは。その看護師にとっては、オバケと同じくらいには、信じられない現象だったかもしれない。

 それから面会の時間前に、医者に診察してもらった。流石にまだ椅子には座らされず、ベッドに寝かされながらの診察だった。


「どうですか、せんせい」


 数枚のレントゲン写真を黙って見比べている医者に、ぼくは訊いた。内心では笑っている。


「――信じられん。坂神さかがみ君も奇跡か魔法・・かと言っていたが――」


 やっと話始めたと思ったら、なにやらぶつぶつと独り言のようだ。

 坂神さんが誰かはぴんと来ないけど――いや、もしかして、脳の担当の医者だろうか。医者のくせに魔法・・なんて言葉を口にするのは、あの女性ひとしか思い浮かばない。


「いや、悪いね。この歳をして、私もまだまだ理解できんことがあったようだ」


 医者は苦笑しながら言った。流石に結構な年齢の医者には、奇跡も魔法も受け入れられないようだった。


 ところで診察の結果は。成長期のためか、足の骨折の箇所は既に軟骨程度で固まり、癒合の初期段階にあるらしい。

 大人ならば1ヶ月は掛かる過程が、この1週間で進んだ。成長期真只中な高校一年生て、凄いね! なんて診察結果だった。

 確かによぼよぼのお爺さんよりは回復速度が早いのだろうけど、いくらなんでも早すぎる。


 種明かしをすると、やっぱり魔法のせいだった。

 ぼくは魔法を使い、己の身体の回復力を高めているのだ。回復魔法てやつかな?


 え? ファンタジーみたいに、一瞬で治したりできないものか、て?

 結論、できなくはない。生憎とぼくの専門外なので、限度はあるけどね。自分の身体くらい治せなくて、なにが魔法使いか。

 とはいえ。こんな骨折を一瞬で完治させたりなんかしたら、どう思われる? 奇跡だ魔法だ、で説明がつけばいいけど、医者はそうならない。奇跡も魔法もない酷薄な現実業界せかいで働いているからね。ぼくも、下手を打って実験台や標本になったりするのはごめんだ。


 さらに言うなら。ゆっくり(それでも常人の数倍の早さだけど)回復させているのには訳がある。

 それはぼくにとって初めての試みだ。前世では、気づいた頃には成長期がとっくに終わっていたからね。なので成功するかどうかは判らないから――それについてはあとに持ち越しておこう。



 ※



「お医者様は、なんて言ってたの?」


 診察が終わり、運ばれてきた元の病室には、既に姉さんが待っていた。

 姉さんたら、学校は行かなくて良いのだろうか? 進級してすぐなんだから、色々と忙しいはずなのに。先週の金曜日にそんな質問をしたら。姉さんは眉間に皺を寄せた難しい顔で、怪我人がそんな心配するな、と言った。なにか面白くないことでもあるのかな。


「このまま順調にいけば、今週中には一般病棟に移って、あと1ヶ月くらいで退院だって」


 ぼくはそう口にする。すると姉さんは破願して、良かった、なんて言ってくれた。ただ、一般病棟に、と言ったところで、僅かに顔をしかめた風があった。


「わたしもそろそろ学校に行くね」


 少しの会話の空白のあとに、姉さんはそう呟くように言った。こちらとしては有り難い。姉さんがぼくに付きっきりで、学業に遅れが出るのは良くないし。いつも傍に居られると、出来ないこともある。主に魔法的な治療のことだけど。

 ただ。久しく姉と親密に接していなかった佐伯雅美の心には、少しばかり名残惜しいものがあった。


「それが良いよ。ぼくはもう大丈夫だから」

「ひとりでお手洗いにも行けないのに?」

「そこが大丈夫だから言っているんだよ?」

「まあ――分かったわ。ただ、ひとつだけ注意しておくことがあるの。それを雅美は聞いてくれるかしら」

「なに?」

「女狐には、気を付けなさい」


 女狐。そんな不名誉な渾名される誰かは、ぼくにはとんと・・・分からない。

 もしかして、脳神経の担当の女医さんだろうか。それなりに年若く、鋭い視線は狐を連想させる。ただ、そのひとに気を付けろ、とはこれいかに?

 


 とにかく。

 明日からは姉さんも昼間は学校に行くこととなった。

 授業が終わったら、学校からわざわざここまで見舞いに来る、とのこと。別にそんな大変な思いをしなくても――と言いかけたけど、無言の圧力で屈服した。佐伯雅美は、貧弱である。

 ただ、これでややしばらくの間は個室で独りの時間ができる。

 いまは雌伏のときだ。

 これからぼくは、あらゆる手段を用いて、早く退院し、学業に復帰して。

 すぐにでも、ぼくを虐げてきた連中を、見返してやらなければならないのだ。

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