第9話


 結局あたしは、幼馴染のマサ君と会えないままに、次の日も学校に行かなければならなかった。


 入学式が月曜日にあったので、今日も含めて4日間、学校はある。とはいえ今日は午後から部活動の勧誘会。明日もどちらかといえば本格的な授業よりもオリエンテーションに近いような感じらしい。担任の先生が言っていた。

 

 あたしは寝不足の頭を振りながら、学校へ向かっていく。

 すると、不意に――


赤城あかぎさん!」


 後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、確か同じクラスの――? 名前は覚えていないけれど、男の子がいた。

 マサ君より少し背が高くて、周りよりは少し太った感じの、お調子者。最初のクラスの自己紹介のときに、そんな感じだった男の子。

 そんな子が、あたしに声を掛けてきたのだ。


「家、この辺なの?」

「う、うん――」


 人見知りがいつまで経っても治らないあたしは、頭で『このひとなんて名前だっけ』と考えながら、相槌を打つ。すると彼は、苦笑しながら言った。


「俺、同じクラスの村田むらた。あっちは、同じ中学おなちゅうで同じクラスの下重しもしげ


 村田君、は、自己紹介してくれた。きっと昨日の入学式前のホームルームでもしたであろう自己紹介。それをまた、してくれた。

 あのときのあたしは、マサ君のことと。これからのことで頭が混乱していたから、彼らの言うことを聞いていなかった。


「ごめんよ、赤城さん。村田こいつ、赤城さんを見たら、急に声を掛ける、なんて言ってさ」


 下重君、も、あははなんて乾いた笑い声を上げる。こちらはマサ君よりもだいぶ背が高く、痩せ型な、坊主頭の男の子である。


「あたしになにか用事だった?」

「いやいや。用事なんてないけどさ。クラスメイトが登校中に前を歩いていたら、挨拶するのは当然じゃん?」


 やっぱり苦笑しながら、村田君はあたしの質問に返してくれた。

 その大きな顔の大きな鼻は、ひくひくと動いていた。視線はあたしの顔だけでなく、散散ちらちらと身体も見てくる――正直、あまり好きでない視線だった。けれども。


「――そうだね。おはよ、村田君に下重君」


 あたしは上手くやっていく、と決めたのだ。

 知らない土地で、学校で、顔見知りがいない――マサ君もいない。そんな場所で、あたしは楽しい高校生活を送る。その決意は、きっと偽物ではない。

 きちんと笑えていたかどうかは判らない。鏡を見ながら挨拶するわけでないから。

 ただ、クラスメイトがせっかくしてくれた朝の挨拶に、報いてあげられるような言葉を口にしたのだ。


「――ああ! おはよ、赤城さん!」


 すると、村田君はいっそう大きな鼻を膨らませて、挨拶を返してくれた。下重君は一瞬だけ驚いた表情をしたけれども、すぐに『おはよ』と応えてくれた。


「なんか赤城さん、昨日のクラスのときとイメージ違うね? こんな俺らみたいにも、ちゃんと話してくれるんだ」

「どういうこと?」

「なんか昨日は顔色悪かったし、『話し掛けるな』オーラが凄くてさ。自己紹介のときだって、なんか上の空で。名前くらいしか言ってなかっでしょ」

「そう、だった――かも。ごめんね」


 人付き合いは、とにかく第一印象が大切。そうマサ君からは言われていた。

 酷い人見知りに加えて、靄靄モヤモヤとした考えごとをしていたあたしは、他から見れば、無愛想なことこの上なかっただろう。

 

「別にいいよ。こうして話ししてみたら、案外普通じゃんね?」

「そりゃそうだよね。みんながみんな、初めから村田こいつみたいにおちゃらけた感じでいられるわけないもんな」


 あたしをフォローしてくれる、村田君と下重君。

 なんにせよよろしく! と、村田君は付け加えてくれた。

 彼らがどんなひとかはまだ判らないけれど――高校生活での初めて・・・の知り合いだ。

 ――この出会いは、大切にしなければならない。

 あたしはなんの根拠もなしにそう思った。


「じゃあ、学校まですぐそこだけど、三人で行こうか! あと、赤城さんはクラスに知り合いいる? この辺の中学じゃないよね?」

美原みばら中ていうところだけど……どうして知ってるの?」

「俺、この辺の同い年のやつらとは大体友だちなんだ」

「へえ。すごいね――あたし、かなり人見知りだから、羨ましい」


 マサ君と似たような性格なのだろうか? いや、違うか。村田君は、虐めとかには縁がなさそうだし。


「あんまり誉めないでやって。こいつ、すぐ調子乗るから」

「ひっで!」


 言いながら、村田君と下重君は笑い合っていた。ふたりの過去は一切解らないけれども、なんとなく、小さい頃から友だち同士なのだろう。

 ――中学の始めの頃の、あたしとマサ君みたいな。そんな、懐かしさが胸に湧いてきた。



 学校の、クラスに着いてからも、村田君の独擅場だった。クラスの男子三人、女子四人が集り面白可笑しい話をしている最中で。


「そういや、赤城さん。結構話せる子なんだよ」


 村田君はそんなことを言って、目立たないように教室の端にいるあたしを引き立てた。彼は頼んでもいないのに、あたしの紹介をして、無理矢理に仲間に引き込んでくれた。

 周りの仲良しと思われる女子からは『可愛いよね』とか『化粧品なに使ってるの?』とか『どうやって体形維持してるの?』とか訊かれた。

 あたしは愛想笑いするだけだったけど――そんなあたしを、村田君のグループは暖かく迎えてくれたように思う。


 なんだ――あたしは、マサ君なしでもちゃんとやっていけるじゃない。 

 そんなことを、あたしは考えていた。




「そういえば、佐伯、てどんなやつなのかな」


 不意に。下重君が言った。


「ああ。入学初日から休んでたよなあ。俺は知らないな。誰か知ってる?」


 通学に二時間掛かる、ほとんど県と県の端っこから入学する生徒なんて、知っている人間なんていない。あたし以外には。


「赤城さんは――もちろん知らないよね?」


 女子のひとりが、そんなことをあたしに訊いてきた。

 知らないと思うなら、訊かなければいいのに。口に出すことはしないけれども、あたしはそう思った。

 

「――――ッ」


 果たしてあたしは何と答えれば良いのか。

 幼馴染だった・・・と言えば良いのか?

 幼稚園から中学まで、あたしを引き立ててくれたと言えば良いのか?

 ――はたまた。虐めの加害者と被害者だ。なんて、言えば良いのだろうか。


「うん――知らない、ひと、かな」


 それはしょうもない嘘。

 あたしは単に、知っていると言って。あたしが虐めを煽動した酷い奴、なんてことが芋づる式に明らかにならないか。それだけが心配だった。

 そんな過去は、上手く立ち回らなければならない新生活で、重い枷にしかならない。

 ならばここは、知らない振りをするのが最善だ。咄嗟にあたしはそう考えて、そんな嘘をついてしまった。

 もしマサ君が学校に通えるようになったら。すぐにばれてしまうような、浅はかで薄ぺらい嘘。

 でもその場であたしが答えられるのは、そういう嘘しかなかった。


 ぎりっと、あたしは下唇を噛んだ。誰も見ていないところで。

 あたしは、小さい頃からあたしを引き立ててくれて、みんなの仲間に入れてくれたマサ君を、切り捨てた。自分の保身のために。

 けれども、仕方がないじゃない。

 人見知りのあたしが、みんなと仲良くなるためには、そうするしかなかったのだから。


「あれ、赤城さん! 口、血が出てるよ! 大丈夫?」


 村田君が、だんまりを決め込んだあたしを気遣うように言う。

 あたしも気付いていなかった。口元をハンカチで拭うと。確かに、白い生地には赤い血の跡が付いた。


「乾燥してるから、切っちゃったのかな」

「リップクリームいる?」

「一応は保健室行って、診てもらったら?」


 みんながみんな、あたしなんかの心配をしてくれる。その気持ちは、素直にありがたかったけど。

 ――あたしが本当に痛かったのは。唇なんかでなくて。

 マサ君を『知らないひと』と断じた、自分の酷薄な心だった。

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