第5話


「こりゃ、たまげた。奇跡を通り越して、魔法・・の類いだな」


 ぼくは早朝から精密検査を受けていた。主に脳の検査である。MRA? MRI? CTスキャン? とにかく巨大な筒状の機材に通されて、脳の写真を撮った。

 で。その写真を診ながら、目の前にいる女医は独り言ちる。なかなかに鋭い。医者なんてひどくシビアで現実的な職業をしている人間が、魔法なんて可能性を少しでも思い付くとは。

 見た目は医者にしては若そうだけど、なかなかに勘の良いひとなのかもしれない。


ぼくは良くなりますか?」

「――あ、ああ。頭の方は大丈夫そうだ。診たところ少しの問題もない。でも――」

「でも?」

「いや。なんでもない。きっと、手違いがあったんだ。こっちの話だから、気にしないでくれ」


 取り敢えずは心配ないのだろうか。

 女医は手元で、今朝撮った写真と、もう一枚の写真を何度も見比べている。信じられない、といった表情だった。


 まあ、種明かしをすると。

 やっぱりぼくの魔法のせいだ。脳は人間が生きる上で最重要器官なのだから、無意識で、回復魔法が使われたのだろう。

 他人の身体は無理でも、死に行く自分の身体を護り回復させるには、意識しなくてもなんとかなる。我ながらにして、偉大な魔法使いだと自讚してしまうよね。


「内臓とか、骨とかは? どのくらいで退院出来そうですか?」

「私は専門が脳だから、他の医師せんせいが診てくれると思うが。ギプスが取れて、リハビリして、最低限車椅子で動けるようになるまで――3ヶ月ていったところじゃないかな」

「長ッ!? 夏休みになっちゃいますよ?」

「文句を言わない。普通なら一生寝たきりでも奇跡なんだ。一日かそこらで意識が戻って、元気に話ができるなんて、ありえない状態だったんだ。丈夫な身体に産んでくれた、両親に感謝・・・・・しなさい」


 両親に感謝、かあ。

 そりゃ父と母が出会ってくれなければ、ぼくはこの世にいない。そこには確かに、感謝すべきだろう。

 ただ、普通の人間なら即死級な案件を、全身の骨折で免れたのは、誰でもないぼく自身の力だし。なんなら投身自殺まで発展した一因は、ぼく・・を信頼してくれなかった両親にもある。

 そこで全幅の感謝の念を抱くには、前世と今世を足して100歳になるぼくは、まだ若すぎ・・・た。


「――取り敢えず、私の診察は終わりだ。この後すぐに、他の外科医が来るだろう。きちんと診てもらってくれ」

「まだ検査するんですか?」

「勿論。君は、こう言ってはなんだけど、人体の神秘を一纏めにしたような存在なんだ。よーく診察してもらえ」


 うへえ、なんて呻きが思わず口から漏れる。

 この女医せんせいはまだくだけたフランクな感じだから我慢できたけど、元々病院とか診察とか好きじゃないんだ。堅苦しいし、待ち時間が長くて暇だし。自分で身動き取れないなら尚更だ。


「あと、家族には連絡させておくから。すまないが、面会は診察が終わってからかな」

「午前中には、家族に会えますか?」

「うーん、どうだろう。正直、私だってまだまだ君に訊きたいことは山ほどある。調べさせてもらいこともたくさんだ。けど、君はそんなの堪えられないだろ? だから私はこれで切り上げるけど、他の医師せんせい方が、みんなそう思うとは考えにくいな」


 つまり、まだまだ時間が掛かるということなんですね。がっくり。

 悄気しよげぼくの顔を見て、女医は苦笑する。それから、次の私の診察は明後日だから、なんて言って部屋を出ていった。

 すぐに看護師さんたちが入ってきて、二人懸かりで、ぼくが寝ているベッドを押す。

 ――自分の病室の方向ではなさそうだ。すぐに次の診察が待っているらしい。

 時刻は7時半くらい。お腹空いたなあ。喉も渇いた。ココアが飲みたい。





 時間はたっぷりあったので、今後のことについて考察してみる。

 題目はずばり、『みんなを見返してやる方法』だ。

 これがなかなか、考えれば考えるほど難しい。

 なるべく早く見返してやりたい。ぼくを苦しめた両親と姉と幼馴染に土下座させて、ぼくなしでは生きていけない、と言わせてやる。そこでぼくは、もう遅い、と言う。典型的ざまぁ・・・をおみまいしたいわけだ。

 ではどうするか?

 前世でもそうだったが、一番分かりやすいのは金だ。世の中残念ながら人情でなく銭で動いている。その線で考えてみよう。


 両親はマイホームを構え、車を2台所有し、高校生の子どもを二人抱えている。年に一回は国内旅行をして、数年に一度くらいは海外にも行ったりする――割と裕福な家庭だと思う。

 これが極貧家庭だったら話は早かっただろう。ぼくが稼ぎ頭になってみんなを養ってやれば、自ずとこちらに頭が上がらなくなるから。

 ただそうではない。正直、万単位のお金では、大して両親も喜ばないはず。自分たちで稼げてしまうのだから。

 億単位の金が必要だ。そんなの、どうやって稼げば良いのか?


 ぱっと思い付いたのは政治家だった。

 なにせぼくは前世で皇帝なんて身分だったのだ。制度は違えど、国政には素人以上の耐性がある。選挙に立候補し、若くして当選、ゆくゆくは大臣や総理に――それはそれは、この上ない勝ち組人生だろう。

 ――けど、これは没。まず時間が掛かりすぎる。こちとら未だ選挙権のない未成年だ。確か選挙に出るには、最低でも25歳以上でなければならない。今からだと10年はかかる計算だ。

 それも、当選する可能性は限りなく低い。なんの後ろ楯もない、少しばかり裕福な家庭の息子が、ぽっと出で選挙に受かるなんて、夢物語だ。

 万が一、億が一があったとしても、大臣だの総理だのになるころには、両親ともに70歳を過ぎる。なにが起こるか判らない世界なんて、前も今も同じだ。もしかしたら、そのときに生きていないかもしれない。


 じゃあ。スポーツ選手はどうだろう。

 メジャーどころだと野球かサッカーか。活躍すれば若くして億単位の年収。テレビ出演すれば見栄えも良い。18歳でプロ入り、なんてのはニュースでもしばしば取り上げられる。別に不思議でないし、手っ取り早い。3年後の高校卒業時には、家族が、あるいは幼馴染がプロデビューする、なんて、ご近所の大変な話題になるだろう。

 ――問題があるとすれば。この佐伯さえき雅美まさよしという人間は、スポーツが大して得意でないこと。

 身体能力は低くないはず。けど、まずもって身長が低いのだ。高校入学前には163センチ。それでも中学最後の引き籠りの一年で5センチ伸びた。成長期が遅い可能性はあるが、このままでは日本人の平均身長には届かないだろう。

 まあ、そこはなんとかなる。魔法の力を使えば。使わなくとも、小さい体躯で活躍しているプロはたくさんいる。それもまた、特別におかしいことではないはずだ。

 ただ。ぼくにはこね・・伝手つてが一切ない。小中校共に帰宅部だったのだ。高校も『引き籠りを受け入れてくれるそこそこ学力の高いところ』を優先したため、部活動に力を入れているわけではない。野球もサッカーも、ここ10年以上、特筆した成績を残していなかった。そんな経歴と環境でプロになるなんて、一体どんな幸運だろう。

 


 ――政治家やスポーツ選手。どちらにしたって言えるのは、かつての引き籠りぼっちの虐められっ子が、見て良い夢ではない、ということだ。


 

 では流行りの動画サイトの投稿はどうだろう?

 VIDEOTuberという、ここ数年で世間で注目を集めた職業だ。

 簡単な魔法を使って、手品みたいにして、再生数を稼いだりできないものか?

 絶対に種も仕掛けも解らない手品。結構いけるんじゃない?


 あと、それこそ魔法使いだと言い触らしてしまって、この能力を売るか。

 世の科学者たちが血眼になって、研究をお願いしてくるだろう。

 ――却下。そんな伝手なんてやっぱりないし。下手すれば人体実験の標本だよ。




 ぼくはそんなとりとめのない、非現実的なことを考えながら、午前中の診察を受けていた。

 脳の女医せんせいは奇跡だ魔法だと言っていたけど、他の医師ひとたちはそう思わなかった。

 まあ、一晩で見間違えるほどに回復したのって、脳ミソだけだから当然。

 ビルの10階から落ちて助かったのは、たぶん間違いのない奇跡だけど、骨折したところは一日で治っていない。

 3人の医師に診て貰ったけど、一様に淡々としていて、特別視されることはなかった。

 外科医が『全治3ヶ月』と診断を下したのは、予め想像がついていたから、げんなり・・・・はすれど驚きも落胆もしなかった。



 全ての診察から解放されたのは、10時ちょうど。思ったよりも早かった。

 遅めの朝食は、独りで食べた。左手だけは使えたから、慣れないながらも食べられた。

 ――この歳で、知らない老看護師に『あーん』なんてされたくなかったからねえ。

 ただ成長期のぼくとしては、物足りないにもほどがあった。

 だってさ、朝が重湯おもゆと具のないお味噌汁、それに点滴だよ?

 いくら内臓にもダメージがあったといえ、これじゃ足りない。なんなら胃袋の損傷は魔法で治すしさ。

 ああ、フライドポテトが食べたい。あの大手チェーン店の、脂ぎった安いやつ。あとはフライドチキンにピザ。こちとら成長期なんだ、カロリー重視でいきたいときだってある。

 それがだめなら――うん、もうココアでいい、ココア。

 いいでしょう、看護師さん。お腹に優しいじゃないですか、ココア。

 そう言ったら、すごくぬるくしたココアが供された。不自由な身体で、万が一にも溢して火傷なんてされたら困るとのこと。ちなみに看護師さんの休憩中の飲み物で、私物らしい。

『絶対にないしょ』との約束で頂きました。ありがとうございます。


「佐伯さん。ご家族には連絡しておいたから、直にお見舞いに来てくれるはずですよ」


 ぼくにココアを持ってきてくれた50歳くらいの看護師はそう教えてくれた。独りで起き上がれないぼくの身体を抱き起こして、ベッドを上げてくれる。これでココアが飲めるしテレビも観れる。


「ありがとうございます」


 ぼくは言った。


 家族との再会は一大イベントだ。

 どんな顔して会えば良いのか? ぼくだって、両親だって解らないに決まっている。こんな出来事――息子が自殺未遂をするなんて、人生にそう何度もないことなのだから。

 ぼくが父親だったら。そりゃあもう、激しく怒る。家族はおろか、人様に迷惑かけるとは何事か、て。それから全身包帯でぐるぐるにされていてもお構いなく、思いきり頭をぶん殴るね。普段から温厚で、怒ることなんて滅多にない父だけど。その分、怒らせたら怖いんだ。

 そして、怒ってくれた方が、こちらとしても気分は楽だ。これからみんなを見返してやる! と宣言するには、その方が都合良い流れだと思う。

 母は――泣くだろうか。日頃怒ったり小言は多いが、幼い頃に姉さんやぼくが怪我なんてしたときには、涙目になって心配してくれていたから。

 姉さん――? たぶん、病院には来ないだろう。ぼくが存在するだけで嫌悪するはずだ。自殺未遂で死にきれなかった弟を持つ姉なんてレッテル、姉さんにとっては生き恥に違いない。


 だから取り敢えず、対処案を考えるのは、父だけでいいかな。


 なんて呑気に考えながら、温いココアを啜る。温いけど、なんだか身体があたたかくなる感じがした。やっぱり、心が荒んだとき、疲れたときにはココアの優しい甘さが一番だ。



 ?

 あと、今になって気付いたけど、窓際に赤い薔薇の花束が掛けてあった。

 母からかな?

 大怪我で入院している相手に、薔薇なんて差し入れてくれる人間に、心当たりはなかった。






 ひとくち、ふたくちのココアを飲んだときだ。

 バタバタと走る音が廊下から聞こえてきて――バンッなんて勢いで、病室の扉が開かれた。

 びっくりしたぼくは、入ってきた人物を慌てて見やり――また驚いた。


「――姉さん? えっと、父さんと母さんは?」


 そこには。きっとここには来ることがないだろうなんて考えていた、姉さんの姿があった。


「あんた、無事、なの?」


 姉さんは肩で息をしながら、訊いてくる。

 ぼくの質問には答えてくれないらしい。


「見ての通り、無事ではないけど――」


 言って、姉さんの様子を見る。

 本来なら長い綺麗な黒髪は、ところどころが跳ねてそっぽを向いている。服装は外行用でなく、ピンク色の部屋着、というかパジャマ。

 どれだけ慌てて来たのか。父と母はどうしたのだろう? まさか二時間近くかかる家からここまでを、その格好で電車に乗ってきたわけはあるまいし。


 とはいえ。

 突然の訪問で驚いたけど、ぼくも馬鹿でない。早朝深夜から起きていたのだ。姉さんに言う宣戦布告みかえしてやるの文句は考えてあるのだ。


 だからぼくは、予定とはずれてしまったけれど。

 ひとくちココアを啜って、呼吸を調えて。

 っと姉さんの眼を見据えて。言ってやる。


「ごめんなさい、姉さん」

「――――え?」

ぼく・・は死にきれなかった」

「なに、を、言って――」

「生きていたらまた引き籠りになって、また余計な心配をさせて、迷惑かけて。恥をかけると思ったんだ。だから、死のうとした。でも、死ねなかった」

「――――ッ!」

「それでこんな・・・になって、自由に身動きも取れなくなって。また、迷惑になって――姉さんに恥をかけた」

「そんな! そんなの!」


 ぼくが言っている間に、どんどんと姉さんの顔は赤くなっていった。怒髪衝天いかりしんとうてやつだろう。

 身長は高いけど、その華奢で細い身体を怒りに震えさせている。唇が戦戦わなわなと動く。眼からは大粒の涙が溢れはじめて、鼻水が垂れてきて――あれ? なんか、予想していたのと違う反応だけど。

 でも、ぼくは続けた。


「いまは、死ねば良いと思っているかもしれない。なんで生きているのだろう、て憎んでくれても良い。けど、きっとぼくは――」


 ――将来にあなたを見返してやる。

 そう宣言しようとした。でもこちらが言い切る前に、姉さんはこちらに凄い勢いで向かってきて。ぼくのベッドに馬乗りになった。

 これって、ぶん殴られる流れ?

 まってまって、それは父さんの役目であって、姉さんの役目ではないんだよぼくの中では。

 だからもっと落ち着いて。いや、怒り狂っているのは理解できるけど、暴力反対。だめ、ゼッタイ。


「――愛しているわ、雅美――死ぬなんて、言わないで」


 次の瞬間には襲いかかるであろう殴られる衝撃を、反射的に眼を閉じて身構えていたら。

 そんな声が聞こえてきて。

 次いで、


「――ん!?」


 柔らかいなにかで、口を塞がれた。

 慌てて見てみると、そこには。

 ぼくに。実の弟に、口づけする姉さんの姿があった。


 なにが起こっているのか理解が追い付かない。

 だってぼくは姉さんに嫌われていて、恥をかける駄目な弟なはずなのだ。

 それを愛していてる、だって?

 全くもって、理解不能だ。


 でも。

 少しだけ解ったことがある。

 ぼくの今世での最初のキスの相手は姉さんで――

 そのキスは――しょっぱい鼻水の味がした。

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