第5話
「こりゃ、たまげた。奇跡を通り越して、
で。その写真を診ながら、目の前にいる女医は独り言ちる。なかなかに鋭い。医者なんてひどくシビアで現実的な職業をしている人間が、魔法なんて可能性を少しでも思い付くとは。
見た目は医者にしては若そうだけど、なかなかに勘の良いひとなのかもしれない。
「
「――あ、ああ。頭の方は大丈夫そうだ。診たところ少しの問題もない。でも――」
「でも?」
「いや。なんでもない。きっと、手違いがあったんだ。こっちの話だから、気にしないでくれ」
取り敢えずは心配ないのだろうか。
女医は手元で、今朝撮った写真と、もう一枚の写真を何度も見比べている。信じられない、といった表情だった。
まあ、種明かしをすると。
やっぱり
他人の身体は無理でも、死に行く自分の身体を護り回復させるには、意識しなくてもなんとかなる。我ながらにして、偉大な魔法使いだと自讚してしまうよね。
「内臓とか、骨とかは? どのくらいで退院出来そうですか?」
「私は専門が脳だから、他の
「長ッ!? 夏休みになっちゃいますよ?」
「文句を言わない。普通なら一生寝たきりでも奇跡なんだ。一日かそこらで意識が戻って、元気に話ができるなんて、ありえない状態だったんだ。丈夫な身体に産んでくれた、
両親に感謝、かあ。
そりゃ父と母が出会ってくれなければ、
ただ、普通の人間なら即死級な案件を、全身の骨折で免れたのは、誰でもない
そこで全幅の感謝の念を抱くには、前世と今世を足して100歳になる
「――取り敢えず、私の診察は終わりだ。この後すぐに、他の外科医が来るだろう。きちんと診てもらってくれ」
「まだ検査するんですか?」
「勿論。君は、こう言ってはなんだけど、人体の神秘を一纏めにしたような存在なんだ。よーく診察してもらえ」
うへえ、なんて呻きが思わず口から漏れる。
この
「あと、家族には連絡させておくから。すまないが、面会は診察が終わってからかな」
「午前中には、家族に会えますか?」
「うーん、どうだろう。正直、私だってまだまだ君に訊きたいことは山ほどある。調べさせてもらいこともたくさんだ。けど、君はそんなの堪えられないだろ? だから私はこれで切り上げるけど、他の
つまり、まだまだ時間が掛かるということなんですね。がっくり。
すぐに看護師さんたちが入ってきて、二人懸かりで、
――自分の病室の方向ではなさそうだ。すぐに次の診察が待っているらしい。
時刻は7時半くらい。お腹空いたなあ。喉も渇いた。ココアが飲みたい。
時間はたっぷりあったので、今後のことについて考察してみる。
題目はずばり、『みんなを見返してやる方法』だ。
これがなかなか、考えれば考えるほど難しい。
なるべく早く見返してやりたい。ぼくを苦しめた両親と姉と幼馴染に土下座させて、
ではどうするか?
前世でもそうだったが、一番分かりやすいのは金だ。世の中残念ながら人情でなく銭で動いている。その線で考えてみよう。
両親はマイホームを構え、車を2台所有し、高校生の子どもを二人抱えている。年に一回は国内旅行をして、数年に一度くらいは海外にも行ったりする――割と裕福な家庭だと思う。
これが極貧家庭だったら話は早かっただろう。
ただそうではない。正直、万単位のお金では、大して両親も喜ばないはず。自分たちで稼げてしまうのだから。
億単位の金が必要だ。そんなの、どうやって稼げば良いのか?
ぱっと思い付いたのは政治家だった。
なにせ
――けど、これは没。まず時間が掛かりすぎる。こちとら未だ選挙権のない未成年だ。確か選挙に出るには、最低でも25歳以上でなければならない。今からだと10年はかかる計算だ。
それも、当選する可能性は限りなく低い。なんの後ろ楯もない、少しばかり裕福な家庭の息子が、ぽっと出で選挙に受かるなんて、夢物語だ。
万が一、億が一があったとしても、大臣だの総理だのになるころには、両親ともに70歳を過ぎる。なにが起こるか判らない世界なんて、前も今も同じだ。もしかしたら、そのときに生きていないかもしれない。
じゃあ。スポーツ選手はどうだろう。
メジャーどころだと野球かサッカーか。活躍すれば若くして億単位の年収。テレビ出演すれば見栄えも良い。18歳でプロ入り、なんてのはニュースでもしばしば取り上げられる。別に不思議でないし、手っ取り早い。3年後の高校卒業時には、家族が、あるいは幼馴染がプロデビューする、なんて、ご近所の大変な話題になるだろう。
――問題があるとすれば。この
身体能力は低くないはず。けど、まずもって身長が低いのだ。高校入学前には163センチ。それでも中学最後の引き籠りの一年で5センチ伸びた。成長期が遅い可能性はあるが、このままでは日本人の平均身長には届かないだろう。
まあ、そこはなんとかなる。魔法の力を使えば。使わなくとも、小さい体躯で活躍しているプロはたくさんいる。それもまた、特別におかしいことではないはずだ。
ただ。
――政治家やスポーツ選手。どちらにしたって言えるのは、かつての引き籠りぼっちの虐められっ子が、見て良い夢ではない、ということだ。
では流行りの動画サイトの投稿はどうだろう?
VIDEOTuberという、ここ数年で世間で注目を集めた職業だ。
簡単な魔法を使って、手品みたいにして、再生数を稼いだりできないものか?
絶対に種も仕掛けも解らない手品。結構いけるんじゃない?
あと、それこそ魔法使いだと言い触らしてしまって、この能力を売るか。
世の科学者たちが血眼になって、研究をお願いしてくるだろう。
――却下。そんな伝手なんてやっぱりないし。下手すれば人体実験の標本だよ。
脳の
まあ、一晩で見間違えるほどに回復したのって、脳ミソだけだから当然。
ビルの10階から落ちて助かったのは、たぶん間違いのない奇跡だけど、骨折したところは一日で治っていない。
3人の医師に診て貰ったけど、一様に淡々としていて、特別視されることはなかった。
外科医が『全治3ヶ月』と診断を下したのは、予め想像がついていたから、
全ての診察から解放されたのは、10時ちょうど。思ったよりも早かった。
遅めの朝食は、独りで食べた。左手だけは使えたから、慣れないながらも食べられた。
――この歳で、知らない老看護師に『あーん』なんてされたくなかったからねえ。
ただ成長期の
だってさ、朝が
いくら内臓にもダメージがあったといえ、これじゃ足りない。なんなら胃袋の損傷は魔法で治すしさ。
ああ、フライドポテトが食べたい。あの大手チェーン店の、脂ぎった安いやつ。あとはフライドチキンにピザ。こちとら成長期なんだ、カロリー重視でいきたいときだってある。
それがだめなら――うん、もうココアでいい、ココア。
いいでしょう、看護師さん。お腹に優しいじゃないですか、ココア。
そう言ったら、すごく
『絶対にないしょ』との約束で頂きました。ありがとうございます。
「佐伯さん。ご家族には連絡しておいたから、直にお見舞いに来てくれるはずですよ」
「ありがとうございます」
家族との再会は一大イベントだ。
どんな顔して会えば良いのか?
そして、怒ってくれた方が、こちらとしても気分は楽だ。これからみんなを見返してやる! と宣言するには、その方が都合良い流れだと思う。
母は――泣くだろうか。日頃怒ったり小言は多いが、幼い頃に姉さんや
姉さん――? たぶん、病院には来ないだろう。
だから取り敢えず、対処案を考えるのは、父だけでいいかな。
なんて呑気に考えながら、温いココアを啜る。温いけど、なんだか身体があたたかくなる感じがした。やっぱり、心が荒んだとき、疲れたときにはココアの優しい甘さが一番だ。
?
あと、今になって気付いたけど、窓際に赤い薔薇の花束が掛けてあった。
母からかな?
大怪我で入院している相手に、薔薇なんて差し入れてくれる人間に、心当たりはなかった。
ひとくち、ふたくちのココアを飲んだときだ。
バタバタと走る音が廊下から聞こえてきて――
びっくりした
「――姉さん? えっと、父さんと母さんは?」
そこには。きっとここには来ることがないだろうなんて考えていた、姉さんの姿があった。
「あんた、無事、なの?」
姉さんは肩で息をしながら、訊いてくる。
「見ての通り、無事ではないけど――」
言って、姉さんの様子を見る。
本来なら長い綺麗な黒髪は、ところどころが跳ねてそっぽを向いている。服装は外行用でなく、ピンク色の部屋着、というかパジャマ。
どれだけ慌てて来たのか。父と母はどうしたのだろう? まさか二時間近くかかる家からここまでを、その格好で電車に乗ってきたわけはあるまいし。
とはいえ。
突然の訪問で驚いたけど、
だから
ひとくちココアを啜って、呼吸を調えて。
「ごめんなさい、姉さん」
「――――え?」
「
「なに、を、言って――」
「生きていたらまた引き籠りになって、また余計な心配をさせて、迷惑かけて。恥をかけると思ったんだ。だから、死のうとした。でも、死ねなかった」
「――――ッ!」
「それで
「そんな! そんなの!」
身長は高いけど、その華奢で細い身体を怒りに震えさせている。唇が
でも、
「いまは、死ねば良いと思っているかもしれない。なんで生きているのだろう、て憎んでくれても良い。けど、きっと
――将来にあなたを見返してやる。
そう宣言しようとした。でもこちらが言い切る前に、姉さんはこちらに凄い勢いで向かってきて。
これって、ぶん殴られる流れ?
まってまって、それは父さんの役目であって、姉さんの役目ではないんだよ
だからもっと落ち着いて。いや、怒り狂っているのは理解できるけど、暴力反対。だめ、ゼッタイ。
「――愛しているわ、雅美――死ぬなんて、言わないで」
次の瞬間には襲いかかるであろう殴られる衝撃を、反射的に眼を閉じて身構えていたら。
そんな声が聞こえてきて。
次いで、
「――ん!?」
柔らかいなにかで、口を塞がれた。
慌てて見てみると、そこには。
なにが起こっているのか理解が追い付かない。
だって
それを愛していてる、だって?
全くもって、理解不能だ。
でも。
少しだけ解ったことがある。
そのキスは――しょっぱい鼻水の味がした。
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