第9話 会えないことは

「浮かない顔だな」


 縁側に座るトウカにウツギが声をかけた。水浴びをしていたのか、白い髪はしっとりと濡れている。肩にはいつものようにポチが乗っていた。


「ヒサゴってあやかしがいたでしょう。座敷にいる、鎖につながれた女の子」

「ああ」

「彼女、最近とても――消えてしまいそうなの」


 トウカはヒサゴの顔を思い出しながら、今までのことを話した。彼女が人の世にいたことも、恋しく想うあやかしが魂だけの存在になってしまったことも、そのあやかしをトウカが見たことも。


「今のヒサゴは隣にいるのに違うところを見ている気がする。そのまま、私の手の届かない場所に行ってしまいそうで――、怖い」


 ウツギは目を瞬いた。


「お前、あやかしのことが嫌いなんだろう。どうして彼女が消えるのを怖がる必要がある」


 険しい顔でそう言うウツギに、トウカは目を伏せた。

 あやかしのことは嫌い。でもヒサゴのことは嫌いじゃない。彼女が消えてしまうのは悲しい。頭ではそう思っているのに、言葉にはできなかった。

 ウツギは息をついて、空を見上げた。トウカもそれにつられて上を見る。


「綺麗な月――」


 頭上には大きな月が輝いていた。思わずトウカが呟く。

 ひやりと冷たい風が吹き抜けて二人の髪を揺らした。虫も鳴かない、静かな夜だ。


「会いたいのに会えないのは――、辛いだろうな」


 ウツギの声がしんとした夜に妙な余韻を残して溶けていく。


「会える手立てがあるのなら、きっとなんでもしてしまうんだ。本当に会いたいんだったらな」

「ヒサゴも、彼に会うためならなにをするか分からないってこと?」

「さあな。彼女のことは、俺よりトウカの方が知っているだろう。どうなんだ? 彼女は、なにをしてでもその男に会いたいと思っているのか?」

「――うん――、そうだね。ヒサゴはとても会いたがっているよ。とても、とても。――ねえ、ウツギにも、会いたい人がいるの?」

「さあ」


 そう呟くと、ウツギは「おやすみ」と背を向けた。一人残されたトウカはぼんやりと月を仰ぎ見ていた。


 もし、ヒサゴと彼を会わせることができるのなら――、そうしてあげたい。会えないことは、きっと辛いのだから。ヒサゴを見ていれば、どれだけ彼に焦がれているのかが分かってしまう。悲しいほどに。

 どうにかしてあげたい。でも、どうすればいいのか分からなかった。


(第三章 第9話「会えないことは」 了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る