第5話
目が覚めて、机の方を見た。
空っぽだと思った。
さっき目覚めた時のスッキリ感はなかった。代わりに喪失感が広がっていった。
「空っぽ」
私にお似合いの言葉だ。夢も恋も空っぽ。
部活に行けないのも、やりたいことがないなんて思っているのも、私が弱いだけ。
絵を描くことがなくなって、満たされない好きを、ただ先生への恋心で満たしていただけだ。きっと、恋とは違う。近しい何かだ。
そう思ったとき、一つの絡まりが解けた気がした。
陽の光が強い朝だった。カーテンの隙間から差す光だけでも、それを感じさせた。
ベットから飛び出して、カーテンを掴んだ。シャッと音を立ててカーテンが開く。朝日が眩しい。でも、目は閉じない。
机に向かった。あの紙切れを取り出した。
先生、次は何か書いて出してって言ったよね。何でもいいかな。
ペンが軽かった。何でだろう。何か変わったわけじゃない。絡みまくった感情の一つが、もじゃもじゃから抜け出せただけだ。
まずは名前から。あとは、
『ーー』
先生は笑うかな。それを楽しみに、来週は先生に会いに行こう。
「ふふっ」
予想通り、先生は笑った。でも、その理由は、私が思っていたのとは違ったようだ。
「すみません。見覚えがあるなと思いまして」
「え?」
「私が見たのは、もっと大胆なものでしたけど」
これよりも大胆?そんな人がいるとは。
「啓介がですね」
先生は懐かしげに話し始める。啓介とは、兄のことだ。
「進路に迷っていた時のことです。僕に連絡が来ました」
「兄が?何で……」
ずっと公務員に、と思っていたはずだ。学力が足りなかったのだろうか、それとも大学選びに?
「啓介は、音楽の道に進むかどうか、悩んでいました」
音楽。兄とは結びつきにくい言葉だった。
家では、とりあえず私の前では、音楽をしている姿は見なかった。
「進路希望調査書は、藤原さんと同じように、真っ白でした」
「綾野先輩。どうすればいいんでしょう」
僕は、啓介に会いに、学校に行った。
「俺、音楽で食っていける気、しなくて。でも、どうしても何も書けないんすよ」
机の上には、何も書かれていない進路希望調査書が置いてあった。
「音楽が好きで、好き、なんですけど」
啓介は頭をくしゃくしゃと掻きながら言う。
夕日のせいか、彼はとても弱々しく見えた。
「好きなら、その大学に行かなきゃいけないのか?」
「え……?」
「よく、仕事にすると好きじゃなくなるとか聞くから。それに、その大学に行ったからって、その道に進まなきゃいけないってわけじゃないだろ」
しばらく啓介は黙っていた。しばらくして、急にしゃがみ込んで言った。
「そっか。そんな悩みこまなくてもいいのかな」
「そうだよ」
啓介は徐に机に向かい、ペンを取り出した。
キュッキュッと、ペンで何かを書く音が聞こえた。何を書いているのだろうと思い、覗き込んだけど、啓介はサッと紙を折ってしまった。
そのまま紙を折り続け、飛行機の形になっていった。
「紙飛行機?」
「そ。飛ばしちゃおうと思って」
啓介は窓に近づき、学校裏に向けて紙飛行機を飛ばした。
紙飛行機は、赤い空に悠々と飛んでいった。啓介は、さっきよりスッキリした表情でその紙飛行機が飛んでいくのを眺めていた。
「これ、たまたま僕が見つけたその紙飛行機」
先生は机の二番目の引き出しを開けて、少し黄ばみ、泥で所々が汚れた紙飛行機を机の上に置いた。
「たまたま、ですか?」
「ふふっ。たまたま、ですよ」
私は、じっとその紙飛行機を眺めていた。何を考えたらいいか、わからずに。
「開けてみますか?」
「いいんでしょうか?」
「もうここまで話してしまいましたし」
私が紙飛行機を持ち上げると、カサリと音を立てた。開けた瞬間、自然と笑いが溢れた。
『未定』
紙には、油性ペンででかでかと書いてあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます