第2話
絵を描くことが好きだった。幼い頃、自由帳に絵を描いては母や父に見せていた。昔はそれで良かった。よくわからない形になってしまった猫や、何を考えてその色を選んだのかわからない花の絵を見せて、頭を撫でで褒めてもらう。それでよかった。好き、だけでよかった。
小学生の高学年になったぐらいから、絵は、好きと嫌いから、上手いと下手で分けられるようなった。私は、下手のほうに分けられた。
「努力は報われる」らしい。それならば、私はいつ、報われるのだろう。
教室にたどり着き、足を止める。沈んでいきそうだった思考も同時に、止まってくれた。
ドアを開けると、夕日に照らされた人影があった。
「おかえり、葵」
「奏江、待っててくれたんだ」
「一緒に帰ろうと思って」
奏江とは小学校が一緒で、でもよく話すようになったのは中学生になってからだった。家が近いから、ほぼ毎日一緒に帰っていた。バスで帰る日もあったし、バスに乗遅れて、ゆっくり歩いて帰る日もあった。歩くと40分以上もかかる道も楽しくて、私は歩いて帰る日が好きだった。
高校になって初めの頃は、別々のクラスになって、別々に友達ができた。話すことはあったが、お互い色々と変わって、一緒に帰ることは少なくなっていた。
「画塾はいいの?」
奏江は机の中からごちゃごちゃになったプリントの束を取り出して、ファイルに詰めてカバンに入れながら答える。
「今日は休み〜」
「珍しいね」
「課題が溜まっちゃっててね〜……。一日だけ」
机の上を見ると、やりかけの英語のワークが電子辞書とシャーペンと一緒に広げてあった。少し落書きもしてあったが、見なかったことにしよう。
奏江は高一の夏の終わり辺りから画塾に通い始めた。一緒に体験に行って、奏江は入塾し、私はしなかった。
「葵は先生の呼び出し?」
「そ。進路志望調査書、白紙で出しちゃった」
「強いなぁ笑」
私も、荷物をまとめながら話す。英Ⅱは予習がいるから持って帰ろ。あとは、世界史は置いて帰っていっか。
「美術系はどうなの?興味あったじゃん?」
「美術系かぁ……」
この子は本当に人の地雷をぶち抜いてくる。それなのに、彼女に怒りを覚えたり、苛ついたりしないのは、彼女の自由でさっぱりとした性格故だろう。
「もう、高二の冬だよ。行くとしても、もう間に合わないよ」
「この時期から始める人だっているって、先生も言ってたよ」
それで受かるのは才能がある人だけだよ。
「帰ろ」
そんなことを心の中で考えてるなんて、きっと気づかない君は、リュックを背負ってそう言う。
「うん、帰ろっか」
窓から差し込む夕日は、いつの間にか沈みかけていて、辺りは暗かった。空が赤くなってから黒くなるまで。この時間は短くて、もっと長くなってほしいと願いつつ、このすぐに過ぎ去る時間が愛おしいとも思う。
「カチャン、ガチャン」
この時間でも部活をしている人が多いのか、自転車はまだ多い。私は隣同士の自転車に引っかからないように自分のを慎重に取り出す。
一方、奏江は屋根から外れた場所にぽつんと置いていた。きっと、登校が遅いから置くところがなくなって、はずれた場所に置かざるを得ないのだろう。彼女らしい。
帰り道は、ゆったりと寂れた商店街を通り過ぎていく。
「この前、10分で学校着いたよ。最短記録更新」
「事故らないようにね、ほんと」
「そうなんだけどね、朝起きれないんよな〜」
「右手怪我して使えなくなったら大変じゃない?」
いつもギリギリで登校する彼女には、ひやひやされられる。友達として、余裕を持ってゆっくり登校して欲しいと思う。
「右手怪我したら、左手で描くし、左手も怪我したら足で描くかなぁ。最悪口でも描けるし……」
求めていた返事はそういうことではなかった。けれど、その言葉をきいて、本当に私は、彼女を尊敬した。
私には無いものを彼女は持っているのだ。絵の才能も、絵で生きていく気概も。
ずっと持っていた彼女への憧れが、もっと強くなって、きっとこれは、私を苦しめていくのだろうと、そう感じた。
家に着いて、まっすぐ自分の部屋に戻った。机の上に積み上げられている模写、机の横に立てかけているデッサンの数々、それを手に取った。捨ててしまおう思った。買い揃えた鉛筆もスケッチブックも。捨てられなかったもの全部。ゴミ箱の上に持っていっく。手を離して、今の苦しみも、未来の苦しみも無くしてしまおう。
月が綺麗な夜だった。でも、自分の惨めさを照らして欲しくなくて、見れなかった。
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