幕間 ~諜者の独白~
初めて人を殺めたのは十五の時。
相手は、絶大な権力を持つ大貴族の当主だった。
当時、まだ即位式を終えたばかりだったミリーナ女王の地盤は盤石ではなく、裏では国賊たちが王家を乗っ取ろうと策動していた。男は、その勢力を担う中心人物であり、神々の恩恵の一国独占を主張する鷹派の長でもあった。
「国家のため、さっそくあなたに頼みたいことがあります」
「陛下の、仰せのままに」
女王の即位と共に、直属の諜者として任ぜられていた私は命を受けると、その夜、闇に紛れて男の邸宅に忍んだ。
「誰だ、貴様!?」
自室の広間で一人、酒を飲んでいた男は悲鳴を発した。その直後、彼は絶命することになる。
殺せた。
しかし、理想どおりとはいかなかった。
予定では声一つ上げさせるつもりはなかった。
だが、まるで両足が沼に浸かったように私の動きは鈍かった。
「はぁ、はぁ……」
ドクドクと、心臓の鼓動が大きく響く。
物取りの犯行に見せるため、急いで部屋を荒らす。
突然、背後の扉が開いたのは、そんな偽装工作を行っている最中のことだった。
「お父様、まだ起きていらっしゃいますか?」
男の子女だろう。
部屋に入ってきたのは、まだ小さい女の子だった。
彼女は血の海に沈んだ物言わぬ親の姿を見ると、「ひっ」と息を呑み、その場に力なく座り込んだ。
その瞬間、恐怖と絶望を内包したその子の表情が、鮮明に、私の脳裏に焼きついた。
「あ……」
何ヲシテイル。
早ク、逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ――
「ぐっ!」
すぐに我に返って窓を蹴破った私は、なんとか逃走を果たして職務を全うした。
その後、求心力を失った鷹派の勢力は弱体化し、ミリーナ女王の地盤は確実なものに変わった。そしてここまでの四年間、国家の秩序と共に、世界の情勢は安寧の一途を辿っている。
齎されたこの平穏が何よりの証左だった。
今振り返っても、あの暗殺は間違いではなかったと断言できる。
確かに、一人の男の命という代償が生じたことは事実ではあるが、それは考え得る最小の犠牲だ。犠牲の上に成り立つ対価が人々に光を齎す限り、あの日の行いは私の中で燦然と正義であり続けている。
しかし、そう確信する一方で、未だにあの表情が私の脳裏に焼きついて離れない。
父親の凄惨な死を目撃した女の子。
あの子に罪はない。そしておそらく、あの子だけではないのだ。私は、罪なき多くの者たちを巻き込んだ。
それでも尚、あれは〝最小の犠牲〟だったといえるのか?
止メロ。
モウ考エルナ。
「………………」
そうだ。
考えてはいけない。最初から、すべての人間を救うことなどできはしないのだから。
重要なのは、数。どれだけ多くを救えるか。犠牲を恐れて誰も救えないのでは意味がない。
一を犠牲にして十を救い、百を救い、千を救うことに意味がある。
その最善に限りなく近づくため、私は、女王の諜者として仕えている。
何も変わらない。
私はただ、職務を全うする。
「陛下、件の毛髪を手に入れて参りました」
「ご苦労様でした。さっそくキリル大臣を呼びましょう」
女王に入手した髪を渡すと、ダンジョン攻略で齎された新技術によって、直ちに対象と失踪したエリザ王女との関係が調べられた。
呼ばれてやってきた大臣は、両者の髪をそれぞれ別のガラス管に入れると、そこにツンッとした臭いの液体を注いだ。金色の髪は泡を立てながら見る見るうちに溶けていく。
「これからこの二つの透明な液体を、こちらの水晶板の上に流します。混ざり合った液体に変化がなければ両者は他人。反対に混ざり合った液体に変化があれば、両者にはなんらかの血縁関係が認められることになります」
「わかったわ。やって頂戴」
「では」
二つのガラス管が同時に傾けられ、魔術印の施された水晶板の上に髪が溶け込んだ液が流されていく。
直後、透明だったそれは鮮やかな赤に変わった。
「なんてことなの。まるで血の色そのものだわ……」
「女王陛下、この結果は非常に濃い血縁関係があることを示しております。もはや母と娘の間柄であることに疑いの余地はないかと」
「確かなのね?」
「はい。すでに観測室の研究員たちが何度も実証実験を繰り返しております。結果に間違いはございません」
「やはり、あの子はエリザ姉さんの……」
失踪した姉を想ったのだろう。感極まった様子のミリーナ女王は目頭を押さえると、しばらく口を噤んだ。
女王が落ち着くのを十二分に待ってから、私は今後の対応を伺った。
「如何なさいましょう?」
「王室の現状を考えれば答えは一つです。当然、彼女にはミレニアム王家を継いでもらいます」
「しかし陛下……その家族には、どのようにして事実をお伝えになられますか?」
「それについては私が直接きちんとお話しします。三日後の授章式当日、式を執り行う前にリリを含めた全員を王座の間へ連れてきてください」
「……その役目、本当に私でよろしいのですか?」
「ええ、出張先で知り合ったというのも何かの縁でしょう。彼女たちの知人であるあなたが適任です。頼みましたよ、
「はっ、仰せのままに」
女王に頭を下げたあと、私はそのままエミカたちが泊まっている実家の屋敷へと戻った。
「やはり、こうなったか……」
血縁関係の結果については、今さら大した衝撃はなかった。事前にリリが拾い子である事実を知っていたこともあって、最初からこうなるのではないかという強い予感が私の中には存在していた。
『コロナ、あなたにやってもらいたいことがあります』
ただ正直、昨夜女王からその指令を受けた時は驚きを隠せなかった。エミカがダンジョン攻略者になった事実も、リリが失踪した王女の娘であるかもしれない事実も、すべては誰かの謀りのように思えてならなかった。
それでも、偶然であろうと必然であろうと、ミリーナ女王の命令は遂行しなければならない。最初は、三人が宿泊している城の貴賓室に忍び込むつもりだった。
しかし容易に近づける場所ではないことを知り、直接接触する方向に考えを改めざるを得なかった。
そんな中、パメラから連絡があったのはまさに渡りに船だった。ただ、あの妹がエミカと知り合った事実に、また驚きもしたが……。
エリザ王女とリリの親子関係が立証されて三日後。
私はエミカたちを迎えにいくため、城の廊下を歩いていた。やがて通路の先に、騎士たちに囲まれたシホルとリリの姿を確認する。その不安そうな様子に違和感を覚えた私は、彼女たちの下に駆け寄った。
「コロナさん、どうしてここに……?」
「それはあとで説明する。それより、何があった?」
エミカが連れていかれた。そう訴えるシホルに私は戸惑った。
話が違う。確かに、女王は全員と仰られていた。騎士の一人に問うも、自分たちも団長から命令を受けただけという。
女王のお考えが変わったのだろうか。しかし、それならば私に一言もないというのは妙である。
「二人とも、エミカのことは私があとで必ず事情を調べる。心配だろうが、今は私と一緒にきてほしい」
思案した結果、エミカには悪いと思ったが、リリを女王の下に連れていくことを優先した。
姉と引き離されて不安そうな二人をなんとか説得し、その手を引く。王座の間では予定どおり、ミリーナ女王とキリル大臣が待っていた。
「ああ、やはり生き写しね……」
壁一面に張られたステンドグラスからは、陽の光が差し込んできていた。色取り取りの神秘的な光に満ちた空間の中で女王は静かに歩み出ると、リリの小さな身体をそっと抱き寄せた。
「あ、あの……」
「しーちゃん、このおねーさん、だれぇ?」
「突然ごめんなさい。びっくりさせちゃったわよね……」
困惑する二人の少女にミリーナ女王は自らの正体を明かすと、今日この場に彼女たちを招いた理由を説明した。
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