26.守護者


 嫌な予感しかしない。


「ここはアズラエル湖だよ。あたしのお気に入りの場所なんだー」

「……」


 のほほんとしたサリエルの声に、目が眩む。そしてもうここがどこなのか、大体わかってしまった気がする。


「いや、待て……落ち着け、落ち着くんだ私……」


 何事も早合点はいけない。とにかく冷静に、状況を整理してみようじゃないか。

 まず、煙突――ダンジョン内を「自由に移動できる」とさっきサリエルは豪語した。これはきっと、どこであろうとも転送石を使う感じで空間を自由に移動できるってことなんだろう。事実、地上一階から見知らぬこの場所に私は一瞬で飛ばされてきたわけだ。

 うん。

 認めよう。認めようじゃないか。

 ここは、もうダンジョンの地上部分ではない。

 ならばこの不気味な場所は、一体どこなのか?

 サリエルは目の前の湖をアズラエル湖と呼んだ。これまでの会話から、は地上に噴き出している湯の源泉であると推定できる。

 すなわち、ここは私が二ヵ月前に穴を開けた外層と繋がっている場所だと考えられるわけであって、あとは、言わずもがな……。


 ――ごくり。


 のどを鳴らしたあとで、私はオーバーオールのポケットから深度計を取り出した。

 家を出る際、なんとなくモグラ屋さんのときの癖で持ってきてしまった物だけど、まさか使うことになるなんて思ってもなかった。

 震える爪で本体のケースをずらし、表示を確認する。

 次の瞬間、極小の球体が明滅を繰り返す。

 やがて現れた数字は、二桁で最も大きなゾロ目だった。




 ――――『B99F』――――




 はい。

 ここ、ダンジョンの地下九十九階。

 紛れもなく、深層の中の深層です。

 以上、証明を終わります。


 ………………。


「あば、あばばばばばば――」

「エミカー、どうしたの~?」

「サ、サササリエル! サリエルぅぅ~!!」

「んー?」

「元の場所に戻してえええええぇぇぇっっ~~!!」


 半狂乱で絶叫しながら、サリエルの肩を揺らして懇願する。でも、そんな私のリアクションを一切スルーして、目の前の天使の皮を被った悪魔は「あはー♥」と微笑みつつ悠長な態度を崩さない。


「大丈夫、ここはあたしの庭だからー」

「絶対大丈夫じゃない! 絶対だいじょばないからあぁぁ~~!!」

「あはは、ついてきてー♪」


 そこでローブを乱雑に脱ぎ捨てると、サリエルは翼をはばたかせて上昇していく。


「ちょっ!? どこいくのぉー!?」

「ほとりを回るより、湖の上を飛んだほうが早いよー?」


 いや飛べねーから!

 私翼ないし!!


「あ”ー! 待って待って待って~~!!」


 完全にパニックになって慌てふためく私。ぴょんぴょんと飛び跳ね、サリエルの細い足首をつかもうと懸命に腕を伸ばす。

 その時だった。

 不意に、地鳴りがした。




 ――ズウゥン……!


 ――ズウウゥン……!


 ――ズウウウウゥン……!




「な、なななな!? なんの音っ!?」

「あー、この音はたぶんねぇ――」


 サリエルが答えようとしたまさにその瞬間、湖の遥か向こう側に現れたのはあまりに巨大すぎるシルエットだった。


「ばわ”わ”わ”わっ!?」




 ――ズドオオォーン!


 ――ズドオオオォーン!!




 徐々に大きくなる地響きが、立ち昇る湯気を散らしていく。やがて蒸気で朧気だったその姿は明らかとなって、私の視界のほぼすべてを埋め尽くした。


「ひえええええぇぇっーー!?」


 簡単に形容するならば、それは〝真っ黒な鎧を身にまとった巨人〟だった。

 あの特殊体のコカトリスだろうとも、にかかれば一瞬で踏み潰されて終わる。それほどまでにとんでもない巨躯が、眼前の景色の中でそびえてた。


「だ……だだだ、だっ……!」

「だぁー?」

「だ、だだだからいわんこっちゃないーーー!!」


 はい、どう見ても階層ボスです。

 本当にありがとうございました。


「あー、やっぱり〝守護者ガーディアン〟だねー♪」


 腰が抜けてヘナヘナと座りこむ私の隣にシュタッと着地するサリエル。彼女はそのまま呑気に続ける。


「あの、いつもは大人しく座ってて動かないんだよー? 今日に限ってなんでかなー? あ、そっか! 人間のエミカがいるからだね~、あははー♪」

「わ、笑ってる場合かぁー!? ど、どどどうすんのさ、あれっ! ドスンドスンって確実にこっちに向かってきてるじゃんかっ!?」

「エミカが倒せばいいと思うよー?」

「はあっ!? 無理に決まってるでしょうが! こちとら木級ウッドクラスだぞー!? 底辺冒険者ナメんなぁー!!」


 ――ズッドオ”オ”オオオオォーン!!


「ひぎい”い”ぃぃー!!」


 すでに鎧の巨人は湖の対岸にまで迫っていた。しかも、あの巨体である。いつ攻撃をしかけてきたとしても、もうおかしくはなかった。


「ひえぇぇー、きてるきてるきてるってー! もうサリエルなんとかしてええぇぇ~~!!」

「えー? 煙突で殺生するとお父さんたちに怒られちゃうんだけどなぁ……。う~、でも、今日はしかたないかー」


 サリエルはそこでゆるゆると片腕を突き出した。次の瞬間、彼女の前方の空間に、巨大な赤い魔法陣が浮かび上がる。


「え? こ、これって……?」

「エミカー、危ないから後ろにいてね~」


 のほほんとした喋り方を一切変えず、サリエルが私に注意を促す。その最中にも魔法陣からは無数の光の糸が生まれていた。


 ――シュルシュルシュル。

 ――シュシュシュ。


 それらは螺旋状に連なり次々に紡がれていくと、瞬く間に〝巨大な光の矢〟となって湖上に出現した。


「ヴオ”オ”ォ”ォ”ォォオオオオオオオオオオッッッーーー!!」


 魔力に感化されたのか対岸の巨人が雄叫びをあげる。

 同時、天使は囁いた。


百花繚乱フラワーズ――」


 その言葉を合図に、光の矢は湖面を滑り、奔り出す。


 ――シュピイイイイィィィン!!


 まさに光のスピード。

 矢は一瞬で対岸にたどり着くと、巨人の胸のド真ん中を貫いた。


「ブボオ”オ”オオオオオオオォォォッーーー!?」


 次の瞬間、胸部にできた穴から眩い光が溢れ出すと、そこから次々に花が咲きはじめた。


 ――ポンポンポンポンポン!


 瞬く間に花弁は鎧を侵蝕し、巨人の身体を彩り豊かに覆っていく。

 赤、青、黄色。

 緑に紫。

 ピンクにオレンジ。

 黒い鎧を苗床に、信じられない早さで開花していく。


「ふえぇ……」


 気づけば、もう対岸に巨人の姿はなかった。

 そこには巨人の形をした花の塊が、ただ、咲き誇るばかり。


「いっちょあがりー♪」


 そう言ってこちらを振り返ると、サリエルは笑顔で安全を宣言した。


「エミカー、もう大丈夫だよー♥」

「………………」


 ヤバい。

 この天使、マジ強ぇ。

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