27.天使の恩返し


 階層ボスが花々に変わると、ダンジョンには静けさが戻った。

 不気味な色の大地の上に立ってなんでこんな場所に私を連れてきたのか、その理由をあらためて尋ねると、サリエルからはお礼のつもりだったという答えが返ってきた。


「あのさ、地下九十九階層を観光とか、人間にとってただの地獄めぐりだからね……」

「んー?」


 それがどれだけ危険な行為だったか、懇切ていねいに説明すると、天使は翼をシナシナと萎ませてわかりやすく落ちこんだ。


「ごめんねぇ……」

「いや、無事だったし。もういいよ」


 根に持たず、サリエルの謝罪を受け入れる。

 ま、悪気があったわけじゃないのはわかってるし。


「てか、そもそもお礼なんていらないよ。私が勝手にやったことだもん」

「でもー、天使は何者にも貸しを作っちゃいけないって、お父さんたちに言われてるからー。う~ん……あ、そうだー♪」


 しばらく考える仕草をしたあとで、ぱんっと手を打つと、サリエルは自分の翼から羽根を一本毟った。ブチッ、という音とともに虹色に輝く血(?)が、ぴゅーっと飛沫を上げる中、彼女は平然とそれを差し出してくる。


「なんか勢いよく出てるけど……大丈夫なの、それ?」

「平気だよー。そのうち止まるしー」

「そ、そう……」


 やっぱ赤くはないけど血みたいだ。どうやら羽根の一本一本にまで血管が通ってるらしい。


「くれるの?」

「うんー!」


 これ以上天使の生態に詳しくなるのもどうかと思うので、私は大人しく羽根を受け取ることにする。


「もし困ったことがあったらね、あたしの名前を呼びながらその羽根を放り投げてー」

「えっ、そしたらどうなるの?」

「あたしが颯爽と駆けつけて、エミカの悩み事を解決するよー!」

「……」


 なんて危険なアイテムだ。

 一生使わないでおこう。


「それじゃエミカー、またね~♪」

「あ、うん……」


 地上一階の大通路に戻してもらった直後、サリエルとはその場ですぐに別れた。


「寄り道しないで帰りなよ」

「あはー♥」


 彼女が空間を転移して消えたのを見届けたあとで、私も地上に帰ってその日の仕事に取りかかった。


「やれやれ、ほんとひどい目に遭った……」


 そして、知ってはいけないことをいっぱい知ってしまった気がする。

 ただちに昨日今日のことは記憶の片隅に封じてしまおう。幸い私はどんな嫌なことがあっても、寝て起きれば大抵のことは忘れちゃうタイプだ。しかも現実から目を逸らすのは得意中の得意ときた。


「あ、でもこれ、どうしよう……」


 天使と出会った事実を証明する証拠品。それが私の手元に残ってしまっている。

 サリエルの羽根、持ってたらまずいかな? いっそのこと、どっかに捨てたほうが……いや、でもせっかくの厚意を無下にするのはなぁ……。あ、そういや〝凶鳥の羽根〟は三十万ぐらいで売れたんだっけ?

 あっ! んじゃ、この〝天使の羽根〟も、もしかしたらっ!?


「………………」


 いや、売りませんよ?

 売りませんけども、ほら私、借金が二億もありますし、ね? 何かあったときのために自分の資産状況とか把握しておかないとまずいじゃないデスカー。

 うん、売らない。

 マジで売らないよ。

 人(天使だけど)の厚意とか、絶対に売っちゃだめ。

 売ったりとかしたら最低だし。

 だから、ちょっと価値を調べるだけだよ。

 ほんとほんと、ほんとだよ?


「フッフッフ……」


 そんなわけで、天使との一件があってから三日後だった。邪心に勝てずそんな答えを出した私は、昼の暇な時間を利用してギルドに向かった。


「ん、なんだなんだ?」


 ギルドの入口に見慣れない馬車が停められていたので、私は思わず立ち止まった。どこぞの貴族様が乗ってるような立派な代物で、車体には金細工などの高価な装飾が施されていた。

 こんな高そうな馬車に乗るなんて、一体どんな冒険者だろ? 気に留めつつ、私は建物の中に入って受付に向かった。


「やー、ユイ」

「……」

「いい天気だねー」

「……」


 頼りにすべきは幼なじみの法則の下、朗らかに声をかけるも完全に無視される。

 受付の机を見ると書類が山積みになっていた。タイミング悪いときに声かけちゃったかな。ま、理由はそれだけじゃないってのはわかってるけど。


「あ、あのぉ~……」

「何? 今、忙しいのだけど」


 そこでようやく不機嫌な眼差しながらも目を合わせてくれた。

 温泉噴出事件以来、ユイはずっとこんな感じで私に対してとげとげしてる。私が十割で悪いのはもちろんわかってるけど、いい加減そろそろ許してほしいところだ。

 でも、事件の直後ぐらいに改めてごめんなさいしたら、「それは何に対して謝っているの?」って真顔で訊かれてうまく答えられなかったんだよね。てか、そのせいで余計に怒らせちゃった感じさえある。


「ねえ、ユイ……前からずっと思ってたんだけどさ」


 たぶん今また謝っても結果は同じだ。なので、ここは押してダメなら引いてみよう作戦を発動してみることにする。

 黒はこの世界で特別な色。

 ほめられて悪く思う人はいないはずだった。


「今日も、とっても綺麗な黒髪だね!」

「――っ!?」


 あ、ダメだ。失敗したっぽい。

 見る見るうちにユイの顔が赤く染まっていく。耳まで真っ赤になってるところを見ると、また相当怒らせてしまったみたいだった。


「な、なななんなのよっ!? いきなり変なこと言って! ふ、ふざけないで……よ、よよ用事があるなら早く言いなさいよ!!」

「あ、うん」


 ユイは伏し目勝ちに毛先を指でいじりながら、なぜかとても落ち着かない様子だった。

 うーん、よくわからん幼なじみだね。ま、深くは考えないでおこう。とりあえず結果オーライで用件は聞いてくれるみたいだし。


「これの値段を知りたいんだよねー」

「か、かか貸しなさいよ!」


 その場でサリエルの羽根を手渡すと、すぐにユイはアイテム鑑定のスキルを使って調べてくれた。


「あれ? 変ね……」


 でもその直後、表情を曇らせると彼女は首を傾げながら言った。


「この羽根、いくら調べてもなんの情報も出てこない……」

「それだけ価値のないアイテムだってこと?」

「いいえ、そういうわけではなく……道ばたの石ころを鑑定したとしても〝石〟という結果は出るのよ。単純に、私のスキルレベルが足りないだけかしら?」

「ユイでダメなら誰が調べられる?」

「アラクネ会長に調べてもらうのが確実だけど、今、接客中なのよね」


 ユイの話では、先ほど〝王立騎士団〟のお偉いさんたちが会長に話があると突然やってきたらしい。


「なるほど、外の馬車はそれでか」


 それにしても、とは。

 さすがはアラクネ会長。すごい人たちが訪ねてくるもんだね。

 そんなふうに感心してると、ちょうど奥の通路からアラクネ会長が威風堂々と歩いてくる姿が見えた。どうやら面会は終わったみたいだ。その背後には重厚な鎧を身にまとった騎士様数人の姿も見える。

 一団は会長に導かれるようにしてそのまま受付口のほうにやってくると、突如として私とユイのところで立ち止まった。

 ん、なんだ? アラクネ会長、ユイになんか用でもあるのかな。ならちょうどいいや、ついでにこっちの羽根の件も――と思った矢先、会長は私を指差しながら背後の騎士の人たちに向かって言った。


「団長さん、あなたたちが探してる冒険者はね、この赤髪の子よ」

「な、なんと! まだ子供ではないかっ!?」

「ふぇ?」


 団長さんと呼ばれた白い髭を蓄えたおじいさんは、こちらを見るや否や、カッと目を見開いた。老年にもかかわらずなんて眼光だろう。あまりに突然だったこともあって、私はただ萎縮するしかなかった。


「ふえぇ……」

「あ、いや、ゴホン……!」


 それでもこちらの動揺を察してくれたのか、すぐに佇まいを直すと、騎士のおじいさんは謝罪の言葉を口にした。


「これはとんだ失礼をいたしました」

「……あ、いえいえ!」


 よくわかんないけど、なんか冷静になってくれたみたい。一瞬怒られるのかと思ったけど、そうでもないみたいだし、ほっと胸を撫で下ろす。

 だけど、次の瞬間だった。


 ――シュタ。


「へ?」


 何を思ったのか、引き連れていた他の若い騎士様とともに、おじいさんは私の足元に跪いてきた。


「あ、あの……?」


 小娘一人に平伏す、王立騎士団一行。異様なその光景に、昼時で賑わってたギルドも水を打ったようにシーンと静まり返った。


「ちょっとエミカ……今度はあなた何をやらかしたの?」

「し、知らないよー!」


 ユイが受付越しから非難してきたけど、私も何が何やらだ。

 そうだよ!

 こんな状況、思い当たる節なんてあるわけ――!


「お迎えに参りました。エミカ・キングモール様、いえ」


 それでも、騎士のおじいさんが発した次の言葉に、私は頭から爪先までピキーンっと氷像のように固まった。




「偉大なる、五人目の様」




 ――あっ。

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