13.これからのこと


 翌早朝、前日に銀行で発行してもらった小切手を手に、私は大家さんの邸宅に向かった。

 場所はご近所さんなので目と鼻の先。チリンチリンと玄関の呼び鈴を鳴らすと、大家さんはすぐに扉を開けてくれた。


「ほぉ、こいつは驚いたね。まさか、本当に金を用意しちまうとは……」


 客間にあげてもらった私は平身低頭、家賃の支払いが遅くなったことをわびた。


「この度は誠に申しわけありませんでした! 今後はこのようなことがないよう、誠心誠意努めてまいります!」

「あー、その件なんだがねぇ。悪いが、話が変わった。やっぱあんたたちには、あの家から出ていってもらおうかと思っちょるんよ」

「……へ?」


 想定外の展開に思わず固まる。


「えぇー!? な、なんでですか!? いや、お怒りはごもっともですが……あっ、利子ですか!? 払えというなら払います! ですので何卒ご慈悲を! あの家を追い出されたら私たち――!!」

「まあ、待て待て。慌てず人の話は最後まで聞かんか。あたしはなぁ、もう疲れたんよ。あの人との思い出もある街だ。できれば死ぬまでここで……と、考えてはいたんだがね……」


 この辺の大地主である大家さんは、もうずいぶん前からこの邸宅で独り暮らしをしている。そういえば、旦那さんには早くに先立たれたとは聞いていたけど、私は、この老人の家族を一度だって見たことがなかった。


「疾うの昔に勘当した一人息子から、こないだ手紙が届いたんじゃ。『こっちで一緒に暮らさないか?』と誘いがあっての……。あのバカ息子、飛び出したっきりどこをほっつき歩いてんのかと思えば、結婚してもう子供も三人いるんだと。嫌だね、歳は取りたくないよ。孫の顔を思い浮かべただけで、全財産売り払って隠居すんのも悪かねぇ、なんてこのあたしが思っちまうなんてね」

「大家さん……」


 あー、と思った。

 んで、納得して黙るしかなかった。

 それは大家さんの、これからの人生の話だったから。


「そんな暗い顔しなさんな。心配せんでも、あんたらの代わりの家は私が探しちゃる。地主には知り合いが多いからの。今より条件がいい物件も見つかるじゃろ」

「……ありがとうございます、大家さん。あと、ほんとに最後まで迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」


 そのあとしばらく詰めの話をして、一ヶ月を目処に家から立ち退くことが決まった。


「引っ越しかぁ……」


 家までの帰り道は、心に小さな穴が開いた感じで妙な浮遊感があった。そのままどこか上の空で帰宅。

 台所ではもうシホルが今夜の料理の下準備をはじめていた。


「しかたないけど、寂しくなるね……」


 事情を説明すると、シホルは沈んだ声で言った。気持ちは私も同じだった。ここは生まれ育った場所であり、お母さんと暮らした家でもある。失いたくない、たくさんの思い出があった。


「リリはまだ寝てるの?」

「うん。昨日興奮してなかなか寝つけなかったみたい」

「ま、三人で出かけるなんて、ほんと久しぶりだもんね」


 でも、いつまでもくよくよしてたって何かが変わるわけじゃない。

 私はリリを起こすと、綺麗な刺繍が施された白いワンピースをタンスから引っ張り出した。元はシホルに買ってあげたお下がりの服だけど、着させてみるとサイズもぴったりで、いい感じに似合ってた。


「わー、ひらひらー!」


 新しい服が嬉しかったのか、その場で元気一杯くるくると回ってはしゃぐ我が家の三女。

 てか、速っ! 嵐の時の風見鶏を見てるみたいで、こっちのほうが目が回りそうだった。


「んじゃ、いこうか」


 準備を整えて私たちは家を出た。ありがたいことに、先日の金塊で懐にはかなりの余裕がある。メインの用事は昼の外食だけど、その前に市場で今日の食材を買ったり、必要な日用品をそろえる予定だった。


「あ、肉屋のおじさん! 今日は脂身ばっかのじゃなくてそっちの分厚い赤身で!」

「ちょ、エミ姉!? ものすごい高いお肉だよ……?」

「いいのいいのー。てか、今日はた~んと贅沢しよう! 肉だけじゃなく、全部高級食材そろえてさ。シホルもそのほうが料理のしがいがあるでしょ?」

「それはそうだけど……」

「おねーちゃん、フルーツキャンディーたべた~い!!」

「おっけーおっけー! 今日は何本でも買っちゃうぞ~! かっはっは!!」

「わーいわーい! おねーちゃんふとっぱらー!」

「いいのかなぁ……」


 新鮮な肉、魚、貝類、各種野菜に果物をどっさり買いこむと、私たちは魔術用品が並ぶ一角に向かった。


「見て、シホル。本日の目玉商品、加圧式術釜オートクレーブだって。なんかこれ内側に風の魔術印が彫ってあるみたい」

「普通のお鍋より中があつあつになるから、短時間で調理できるってやつだね」

「あっ! あっちは名匠ドワーフが打った万能包丁だってさ。せっかくだし両方買っちゃおう」

「エミ姉……」


 そのあとも燃料用の炎岩や衣類なんかを購入。姉妹三人で大量の荷物を抱えることになった。


「わー! いっぱーい!」

「いくらなんでも買いすぎだよ……」

「あはは、さすがにちょっと疲れたね」


 体力も限界だったので、私たちは休憩がてら広場近くのレストランに入って少し早いお昼を取った。


「な、何これ、すごくおいしい……」

「うん、うまいねっ!」

「うまぁーい♪」


 相当腕のいいコックさんがいるんだろう。出てきた料理はどれも絶品だった。


「どうやったらこんなにおいしい料理が作れるのかな……」

「レシピ聞いてみたらいいじゃん。教えてくれるかもよ」


 デザートのあと料理長を名乗る男の人がやってきた。味の感想を聞かれた会話の流れで、シホルが調理法についていくつか質問すると、彼は快く。そしてていねいに答えてくれた。


「お客様、またのお越しを心よりお待ちしております」


 ――チリンチリン。

 満腹満悦の中帰宅すると、シホルはすぐに料理の準備に入った。どうやら料理長の腕と、そのアドバイスが彼女のスイッチを押したらしい。

 今日購入した新しい料理器具も使いこなしながら、シホルは次々と品を完成させていった。


「あ、いけない! ちょっと作りすぎたかも……」



 ――牛肉の岩塩焼き。

 ――川魚とハーブの炒め物。

 ――魚介と野菜の炊き込みご飯。

 ――海老とニンニクの揚げ物。

 ――鶏肉とナッツの油焼き。

 ――ニンジンとバターの甘煮。

 ――赤キャベツとタマネギのぶどう酢漬け。

 ――チーズと卵のふんわり焼き。

 ――カボチャの冷製スープ。

 ――果物の盛り合わせ。

 ――etc.



 テーブルに並べきれないほどの料理。

 んー、たしかにこの量は……。

 だけど、そんな心配は約束どおりやってきたコロナさんが打ち消してくれた。


「――なんて美味だ! これもこれも……これも!?」


 ほんとに昼を抜いてきたらしいけど、元々すごい食べる人なんだと思う。食べきれず無駄になっていたかもしれない料理を、彼女は綺麗に平らげてくれた。


「エミカ・キングモール……君の妹さんは何者だ? ここまでのレベルの料理を出せる店は、おそらく王都でも数店ほどだぞ……」

「よくできた妹なんですよ。悲しいことに姉と違いまして、ええ」

「もー、エミ姉ってば……。コロナさんもおだて上手なのはわかりましたからもうからかわないでください」

「いや、決して世辞などで言ったつもりは……」


 私もお世辞とは思わなかった。実際、今日のシホルの料理はいつもより数段上だ。食材や調理器具の効果もあるんだろうけど、今日の経験で妹のスキルが大幅に上昇したであろうことを、私は舌の上ではっきりと感じ取っていた。

 ま、これが才能ってやつだね。


「後片づけなら私も手伝おう」

「あー、ダメダメ。それはダメですよ。コロナさんはお客さんなんだから、ゆっくり食後のお茶でも飲んでてください」

「エミ姉、食器どんどん持ってきちゃってー」


 私とシホルが席を立つと、コロナさんと二人になったリリは、そわそわと落ち着かない様子を見せた。


「はしのとこにいたらね! おねーちゃんがね、たすけてくれたのー!」

「そうか。エミカは本当に優しいお姉ちゃんだ」

「うん! わたし、おねーちゃんのことすきー!」


 だけど不思議なことに、洗い物を終えて戻ってくると二人は楽しそうに会話をしていた。

 どうやらコロナさん、子供の扱いには相当慣れてるみたいだ。たぶんまだ結婚はしてないだろうから、弟妹が多いのかもしれない。

 そのあとシホルがリリをお風呂に連れていったので、私はお茶のおかわりを淹れ、しばらくコロナさんと話しこんだ。

 昨日、ユイに疑われたこと。

 だけど、そのお金で滞納金を払えたこと。

 でも結局、家を立ち退くことになったこと。


「そうか。しかし、大家が決めたならばしかたないか。土地と建物の権利を買うとしたら、数千万単位の額が必要になるだろうしな」

「はは。とてもじゃないけど、払えませんね……」

「それで、君はこれからどうするんだ? 本気で冒険者としての道を目指すならば、私がこの街に留まっているあいだはまだ力になれるが」

「……それも、あらためてお願いしようかどうか迷ったんですが、やっぱ私って、まともな冒険者としてはやっていけそうにないかと……。ま、結局、底辺はどうあがいても底辺なんですよね。だから――」

「それは、私の見立てとは正反対だな」

「え?」


 思わず聞き返すと、コロナさんはこちらをじっと見据えながらに言った。


「きっと君は将来、歴史に名を残すほどの人物になる」

「わ、私が……?」

「君があのコカトリスに立ち向かい、打ち破った時、言葉では言い表せない、何かとても神聖なものを感じた。まるで、絵画の中の英雄のような」

「あんなこと、たぶんもう二度とできませんし、できてもしません……」

「それでも一度は為した。エミカ、君は勇気ある人だ。生まれながらに、正義を知る者だ」

「……あの、私は私のことをよく知ってるんで、わかるんですけどね、私はそんな奴じゃないですよ。ほんとに頼りないお姉ちゃんで、ダメダメのダメ人間なんですから」

「親と逸れた幼児を保護し、なんの見返りもなしにその子を育てているような人間がか?」

「えっ! な、なんでそれを……?」

「ああ、すまない。先ほど、偶然聞き出してしまったんだ。彼女――リリは、君たちの本当の妹ではないのだろう?」

「……」


 もー、リリってば、よそ様にペラペラと。あとで叱ってやらねば。


「ま、特に隠してるってわけじゃないんで、別にいいんですけど……。四年前、橋の下で泣いてたから私が家に連れてきたんです。わけを聞いたらお母さんがいなくなったって言うんで、あの子はそれ以来、ウチの子です」

「やはり私の眼に狂いはない。君は正しい道を選べる人間だ」

「うー、そのほめ殺しいい加減きついです……。ほんと勘弁してください……」

「ふふ、悪かった。だが、君は君が思っているような可能性のない人間ではない。これだけは揺るぎのない事実だ。どうか覚えていてほしい」

「……私、小さな頃は偉大な冒険者になるつもりでいました。でも、それが無理だとわかったらもう夢なんて持てなくなって……」

「君のこれからは、自分自身で決めるしかない。だけど、大丈夫だ。私が保証するよ。君はただ、君が思った道をいけばいい」

「こんな私でも、何かになれるんでしょうか……?」

「繰り返しになるが、何度でも言おう。君は――だ」

「………………」


 言葉が胸に刻まれ、温かいものが身体の芯の奥にまで、すーっと沁み渡っていく。それは甚だしいまでの過大評価だったけど、私の心を救い、感銘を与えてくれた。

 この日、コロナさんからもらった言葉を、私は生涯において忘れないだろう。

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