第15話 話すからくり


 佳苗の問いに、そのからくりは答える。

「はい。

 さまざまな時から、さまざまな国の方がお見えになるゆえ、習慣も言葉もすべて異なり、私のような大掛かりなからくりでないと全ての問題に対処し切れませぬ。

 それでも、全てに対処は難しく、糠袋までは御用意しきれませなんだ。

 代わりに、糠袋と同じように使える石鹸というものを用意致しました。佳苗どのの時代では、南蛮渡りのシャボンといわれているもの。お使い下されませ。

 なお、髪を洗う専用のシャンプーものもありますゆえ、そちらもお使いください」

「……人ではないと。

 今日は、つくづく信じられないことばかり。

 最後に、生き物でないからくりが自ら言葉を喋るとは……」

 そう答えながら、佳苗は話すことを可能とする仕組みに全く思い至ることができず、比古と目太との断絶に気がついていた。



 ここまで気配を感じさせぬ生き物は存在しないのだから、からくりであることは間違いない。となれば、からくりに対して羞恥を持っても意味はない。また、取り繕う必要もなかろう。

 この際だ、思い切ってなんでも聞いてしまえと、佳苗は思った。


「そなた、名はございますか?」

「ございます。ゾラックと呼ばれており申す」

「ぞらっく、とな。なんと変わった名……」

「私が生まれる400年前、佳苗さまが生まれておよそ300年後に、そう名付けられたからくりが予想されました。私は、その名をそのまま頂いており申します」

「なるほど……」

 そうとしか佳苗には言い様がない。


 佳苗は再び風呂に向かった。

「話には聞いていたが、シャボンを使うのは初めてのことにて……」

「目に入ると沁みて軽い痛みを感じますゆえ、顔を洗う時は軽く目をつぶられた方がよろしいかと」

「なんと良き香り。花の香りでございますか……」


 緊張を解ききれる訳ではないが、相手がからくりとなると佳苗も物を問うに遠慮はない。

 からくりがどのようなものか想像もつかぬことではあるし、その一方でからくりに対する忌避感情もまったく持っていない。そのあたりが佳苗にこのような対応をさせていた。


 そもそも、江戸時代の人間は、からくり、ひいてはコンピュータの悪意を疑うという考えなど全くない。江戸のテクノロジーはそのほとんどが産業のためではなく、道楽に使われていた。

 水車や揚水にからくりが使われることはあっても、その他のものは「新規御法度」、つまり発明を禁じる令で制限されていた。世界初の自転車すら、佳苗の生まれる前に彦根藩で発明されていたが、それも使われることはなかったのである。


 従って、江戸時代の意識の佳苗は、道楽に悪意を問うはずもなく、人間である比古や目太に対するよりも無防備だった。


 ゾラックは、さらに佳苗に話しかける。

「髪は結われますか?

 簡素ながら、櫛、かんざし、元結は用意いたしておりますが?」

「礼を申し上げます」

 もはや、佳苗は遠慮しない。


「ではお召し換えの上に、ご用意いたしておきます。脱がれたものはそのままにしておいていただければ、洗濯等はお任せを」

「致せり尽くせり。

 とはいえ、櫛、かんざし、元結はどこから来るのでございましょう?」

 佳苗は、頭に浮かんだ疑問をそのまま話す。


「私が作っております。

 ここは予算が限られておりますので、時を越えてすべてを運ぶことなど不可能でございます。そこで、MCS、Material Cycle System が設置され、地下小型核融合炉からのエネルギーで物質構成変換し、食糧に至るまで自給し賄っております」

「申し訳ございませぬが、なにを仰られているのかさっぱり……」

「是田主任と雄世主任が来られたのち、一晩お休みくださいませ。

 それでわかるようになりまする」

「……なるほど」

 これも、他に言いようがない。

 是田主任と雄世主任とは、先ほど名乗られたし、比古と目太のことなのであろう。


「食事も、ぞらっくが用意はしてくださるのでございますか?」

「どのようなものでも、リクエストがあれば用意致します」

「りくえすと?」

「要求をお出し下さい。リクエストという言葉を添えていただければ、できるものであれば用意致します。

 ただ、今日のところは、是田主任と雄世主任が大食堂にて共に食すつもりではないかと思っております」

 そんな予想もするのか、からくりのくせに。

 佳苗は「りくえすと」のことも頭の隅に追いやって、そう思っていた。


 武の重要な要素として予想がある。

 後の先をとるにしても、予想が上手くいかねば相手に勝つことはできない。佳苗はその難しさをよく知っている。

 からくりである「ぞらっく」がそれを為していることに、佳苗は戦慄を覚えていた。



 石鹸で体を洗い、ゆっくり湯舟に浸かった佳苗は、用意された着物を纏い、元結を絞め、巻き髪に髪を結い、左手に脇差を持って湯殿から出た。

 これほど良い湯を使ったのは佳苗にとって生まれて初めての事であったし、事実、将軍といえど江戸ではここまでの風呂には入れなかったのである。南蛮渡りの石鹸も一部では使われていたが、その質は決して良くはなかったのだ。


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